放課後になって、俺と空井さんは示し合わせるように教室から出ると生徒会室の隣にある空き教室に居座った。これは桜沢先輩からのアドバイスによるものだった。生徒会の隣は元来、放課後は数学部の部室となっている教室ではあるが、現在数学部に在籍する生徒は一人もおらず、しかし部だけはそのまま残っているらしい。一先ず目立たずに柏木を観測できる場所としては非常に有用なスポットだと桜沢先輩は朗らかに言っていた。
だからこそ俺は生徒会室側にある壁に耳を当てて盗聴を試みているのだが、壁がしっかりと分厚いからか隣室の音をちゃんと拾えない。それは俺と同様に耳を壁に付けた状態でこちらを見遣る空井さんも同じみたいで、「うーん……今日は右耳の方が聴力高いかなあ……」とか謎に右耳と左耳を交互に壁に当てては、最後には肩を撫で下ろした。
「ダメだねここ」
「耳の掃除はちゃんとした方が良いよ」
「え、何で?」
全く心当たりが無いみたいに首を傾げた。日によって聴力に差があるなら耳垢でも詰まっているのではと思ったけど違ったようだ。
ともかく、壁越しに会話を盗み聞く作戦は失敗だ。屋上の利権を得るためにも次の作戦を立てないと。
頭を巡らせていると、空井さんは顎に手を当てて言う。
「でも生徒会室にはネコさんいるから後で聞けばいいんじゃないかな」
「あの人の情報信用できるか?」
「……柏木先生が絡まなければ?」
じゃあダメじゃん。
「まあ俺はもう行くよ。空井さんも頑張ってね」
さり気ない気遣いで人間力を誇示しつつ俺は教室から出ようとすると、後ろ襟を掴まれた。苦しい。
「待ってよ。共同戦線で行こうって言ったじゃん私たち」
「全く記憶に無いし言ってもないと思うけど」
「言ってないけどそういう空気感だったよね!?」
「徹頭徹尾そんなことはなかったと思うよ」
「そうやって空気読めないから友達いないんだよ?」
そうやってオブラートに包まず言うからクラスメイトから苦笑されるんだよ、と返すのは止めておいた。俺には空井さんに無いデリカシーがあるのだ。
「ところで空井さんも屋上を出入りする権利欲しいの?」
「当然だよ! だって学校と言えば屋上じゃん!」
空井さんが大きく目を見開いて、長い髪を揺らして強く頷いた。
「春はシートを引いてお弁当ピクニック、夏は友達と一緒にスイカ割り、秋は屋上の端で育ててたサツマイモを収穫して焼き芋作って、冬はこたつ出して蜜柑を剥く。春夏秋冬活用できる、屋上は最高の場所なんだよ!」
「いや、食べてしかないじゃん」
「一緒に食べて遊ぶ、これ即ちパーティーだからね!」
「言うほどパーティーか……?」
なんか空井さんのパーティーに対する解像度、低くすぎやしないか。
あと勝手に屋上でサツマイモ栽培しようとしてるし。頭の中での私物化が凄い。
とか考えてるとまた「チッチッチ」とかこっちに指を向けて口を鳴らした。その癖、止めたほうがいいと思うな。
「屋上の良さが分かってないね上貫君。そんなこと言ってたらスイカ割り誘わないよ」
「いや行かないけど」
「来ないの? 40人は食べれるくらい大きなスイカ用意するよ?」
もしかしてクラスメイト全員呼ぶつもりかこの子。そのつもりなら絶対に止めておくのが賢明だと思う。下手したら誰も来ないぞ。
「でもスイカかぁ、ここ数年食べてないな。空井さんスイカ好きなんだ」
「いや別に? 夏っぽいじゃんスイカ」
「……聞く価値あるか分からないけど蜜柑とかイモとか言ってたのは?」
「そのシーズンっぽいなぁって」
「そっか」
やっぱり聞く価値無かったな。
「友達以外呼ぶのはあんまり良くないんだけど上貫君くらいならギリギリ呼んでもいいんだよ?」
「ごめん、遠慮しとく」
本気で言ってるような言い草に俺は後ろ髪を掻いた。俺と空井さん、プライベートで遊ぶような関係じゃないと思うんだけど……。
まあいいか。
「ともかく俺は行くよ」
「じゃあどこ行こうか?」
「そうだな……って着いてくる話の流れじゃなかったよね」
なんでこの子は本気で「え?」みたいな顔が出来るんだろうか。空気が読めないにもほどがあると思うよ空井さんは。
「いやいや、偶々上貫君が進む方向が私の進みたい方向ってだけだから」
「そうなんだ」
「というかこれはハラスメントだよ。女子の前を歩くとかヤマハラだよ」
「聞いたことが無いハラスメントだ」
「大和撫子ハラスメント。自分が前を歩くことで私に3歩後ろを歩く大和撫子ムーブを求めてるんでしょ? まあー私の方が顔も良ければ頭も良いし、男子としてムキになっちゃうのは分かるけどちょっと幼いと思うなぁ」
俺が知らないだけかと思えばまるで聞いたことのないハラスメントだった。聞いて損した。
大和撫子と言うにはあまりにもぴったりと、親鶏に付き従うひよこの距離感で追従してくる空井さんに俺は解決策を提示する。
「じゃあ俺後ろ歩くから空井さん前歩いて」
「え? こんな可愛い女の子の後ろを歩くとか恥ずかしくないの上貫君って?」
「前も後ろも無理なら俺にどうしろと」
「隣に来なよ。ほら、同盟組もうよ、私達幼馴染でしょ?」
「昨日初めて話したよね」
「でも同じ地球で生まれてる命ある者同士、幼馴染じゃん私達」
対象広すぎかよ。しかも空井さんにとっての幼馴染は命があれば人間に限らないのね。例えばイグアナとかコモドドラゴンとかも等しく幼馴染認定されるのか。確かに空井さんは人間とではなく動物と生きていたという方が納得が行く。サバンナの空気感なんだよ全体的に。サバサバなんだよ空気の読み方が。
「……ねえ、今私の悪口考えたでしょ」
「いや何も考えてないけど」
「だって上貫君、顔が五月蝿かったよ。絶対に私に何か言えないこと考えてたでしょ」
餌を横取りされたトイプードルみたいに空井さんは睨んできた。顔が五月蠅いって何だよ。
粘りっこい視線を掻い潜りながら俺は階段を上がった。
「話を戻すけど、この件は柏木を殴……話し合えば多分解決する件だ。でも柏木と直接話すのは難しいだろ。担当学年が違えば、そもそも柏木は生徒会顧問で俺と空井さんとは接点も無い。だからまずは定石通り、関係人物に話を聞くのが良いと俺は思う」
「話を逸らし……殴っちゃ駄目でしょ」
「聞き間違いだと思う」
「絶対に言った」
「気のせいじゃないかな」
全財産を散らしてパチンコ店の前で倒れ込んだ残念な人でも見るかのような、色の無い呆れた視線を感じる。
つい本音を零してしまったが、ともあれ話は逸らせたようで良かった。
「2年の教室に行くの?」
俺が2年生のフロアで階段を右折すると、場違いな空気を感じたのか空井さんが少し身を竦ませた。
「まあね。空井さんはいつまで付いてくるつもりなんだ?」
「付いて来てないよ。上貫君が行ってるんだよ。でも聞いてないよ上貫君」
「なにを?」
「こんなジジババ学年に行くんなら先に言ってよ」
全然場違い感なんて覚えなかったようだ。
俺は思わずチラチラと周囲を確認した。……空井さんの発言を聞いてる先輩方はいなそうだ。全く、何で上級生の教室の前でそんなことを言えるのか神経とメンタルが理解できないなぁ。こんなこと言いたくないけど良くこれまで虐められずに生きてこれたよ空井さんは。アレか。容姿か。美少女だからなのか。
社会がルッキズムで構成されていることに一抹と失望を覚えながらも、俺はお目当ての教室をみつけた。
「ここだな。じゃあ俺は矢場先輩と話してくるからこの辺で」
「ああそうゆう。すみませーん! 1年の空井ですけど矢場先輩っていますか!」
「あっおい」
空井さんは俺の横をすり抜けて教室内に踏み込んだ。堂々としすぎだろこの人。さっきまで少し体を小さくて歩いてたのは何だったんだ。
空井さんの声に反応して、ドアの側で友達と話していたツインテールが特徴的な先輩が空見さんに反応してみせる。
「矢場ちゃんなら20分くらい前にもう帰ちゃったけど」
「そうなんですね、ありがとうございます! ちょっと追ってみます」
「うんごめんね……えっと、追ってみます?」
「今からなら頑張れば追いつけるかなって」
「追い付けないよ」
2つの視線がこちらへ飛来した。無理筋過ぎて思わずツッコミを入れてしまった。
「あ、ごめんなさい。俺は上貫と申します。空井さんとは赤の他人で、偶然そこで会っただけです。矢場先輩に用があって来ました」
「そ、そうなんだ」
「居ないのなら大丈夫です。お手数おかけしました。空井さん行こう、先輩に迷惑かけちゃいけないよ」
「えっ、でも矢場先輩の他人評を聞けるかもよ? あの、もし良ければで良いんですけど矢場先輩ってどんな人ですか!」
空井さんの割に結構マトモな意見を言うな。
でも教師と付き合ってるらしい矢場先輩がそんな重要な情報をクラスに落とすだろうか。きっと「明るくて良い子ですよ」とか「クラスでは常にリーダーシップを取っていて優秀で凄いんだよね」とかそういうおべっかに塗れた使えない情報が返ってくるに違いない。
先輩は少し目を丸くして、少し悩ましげに空井さんを見た。
「矢場ちゃん、昼休みとかはすぐどっか行くし放課後は一番に帰るから謎なんだよね。いや、良い人なんだけどさ。でも何でそんなことを聞きたいの? 君たちって矢場ちゃんに用があったんだよね?」
「それは柏木むぐぅっ!」
「むぐ?」
だからそれを言おうとするな。俺は空井さんの口を強く強く塞いだ。
「空井さんの用は知りませんが俺は矢場先輩に落とし物を偶然拾って、大切なものそうなので直接渡したいんです」
「あーそうなんだ。……ところでなんで隣の子の口を手で塞いだの?」
「まぁみぉぬみぃくん! まぬぁみて!」
「気にしないでください。Z世代なりのコミュニケーションってやつです」
「私もZ世代なんだけど……」
困ったような笑みを浮かびながら先輩は 視線をチラチラと室内に向けた。妙なのに絡まれた早く帰りたいとか思ってるんだろうな。これに関しては何も言えない。
多分離してと言われた気がしたので俺は渋々と空井さんの口から手を退かす。うわ、空井さんの唾付いてるじゃん。ポケットからハンカチを出して右手を丹念に拭いた。
「上貫君、そういうのをいきなりやるのは違うと思うんだけども! 断固たる謝罪を要求する!」
ぷは~っ、と息を吸って吐いた後に憤慨した様子で眉を顰めた。柏木の話題を出そうとした空井さんが悪いんだけどな。
「先輩、ありがとうございました。それでは俺たちは失礼します」
「あーうん」
「ほら空井さん行くよ」
2秒ほど止まったままだったが、口を固く一文字に結んだまま渋々と俺の後ろを付いてくる。俺も特に言う事はなかったからそのまま前を歩いて、一階へと下りることにする。
「……上貫君ってどう考えてもアレだよね」
次に口を開いたのは階段を1/2ほど下って踊り場に足がついた頃だった。
「デリカシーっていうかさ、配慮っていうか、そういうのもっとしたほうが良いと思うよ」
「空井さんが柏木の名前を出しかけたからしょうがないだろ」
「もっと方法あったでしょ。上貫くんは知らないかもしれないけど、異性から口を塞がれたら恥ずかしいんだよ一般的に。私女子だよ?」
「そうなんだ」
「私美少女だよ?」
「言い直す必要性あった?」
にしても空井さんにも羞恥心ってあるんだな。意外すぎる。だってまるで普通の女の子みたいだ。俺の右手に唾を飛ばしまくったことは恥ずかしくないのだろうか。
ともかく、そろそろ空井さんと別れたいところだ。これから矢場先輩に会おうとしているのに、またあんな風にポロリと言われちゃ溜まったもんじゃない。
一階まで降りると俺は下駄箱とは反対方向を指差す。
「じゃあ俺は家こっちだから」
「学校内だしそっち下駄箱じゃないけど?」
流石にすぐバレるか。
「それは冗談だけど図書室で借りた本返さなきゃいけないんだよ」
「しょうがないなぁ、柏木同盟として付き合ってあげる」
同盟組んだつもりないんだけどな。あとその名前だと柏木が旗振り役みたいに見える。
「いや空井さんは帰ってよ、そんな大層な用件でもないから」
「甘いね上貫君、私たちは柏木先生の卑劣を暴くまで一蓮托生で一投入魂なんだよ!」
「そんな高校球児はいやなんだが」
何だか日本語の使い方が怪しい空井さんである。これで入試成績が中間なのか……。何だか少しヤバイ高校に入ってしまった錯覚に陥りそうだ。
人差し指を立てて得意気に話していた空井さんは、ふと気付いたように俺と目を合わせた。
「……なんか私のこと避けようとしてない?」
「え、今更?」
「え、本当にそうだったの!?」
しまった、つい本音がうっかり。
「何でそんな冷酷なことが言えるの上貫君!」
「いやだって空井さん、要らない場面で要らない一言を発する天才じゃんと思って」
「そんなことない! 私上貫くんよりは人の懐入るの得意だからね!」
だろうなぁと思う。
空井さんのコミュニケーションは例えるなら家のドアを叩き壊して侵入してくる強盗タイプだ。懐に入るまでの「この話題出していい?」「いいよ」の確認過程がごっそり抜けているからそりゃ大体の人間より得意だろうね。
「それで図書室本当に行くの?」
避けようとしてることを分かっててやっぱり空井さん来るんですね。
まあ、空井さんみたいな人が化学反応を起こして色々と聞き出せるかもしれない……か? 前向きに考えようとしたけど、俺、そんな気とてもしない。
ただ考えるのも無駄だな。どうせ今更説得して引き返す耳は持ってないだろうし。そんな融通が利くなら今頃俺とこんなことはしてない。
なし崩し的に徒党を組もうする空井さんに諦めを覚えていると、空井さんが隣に並んできた。大和撫子ハラスメント、本気で意識してるんだろうかこの人。俺は空井さんに対抗するように前に一歩出た。
「多分だけど矢場先輩は図書室にいる気がする」
「ええ、そうなの?」
「矢場先輩はまず帰宅部だろ。で、柏木は部活こそ持ってないが生徒会顧問という仕事がある。つまり矢場先輩が柏木と会う時間は限られている」
「なんで矢場先輩が帰宅部だと知ってるかは聞かないほうが良い感じ?」
「人聞きが悪い。偶然知っただけだ」
これに関しては本当に、たまたま偶然矢場先輩の周囲をうろちょろしていた頃に周囲の会話から拾っただけで俺は特段何もしていない。
ジトッと疑うような目を無視して話を続ける。
「特に平日は会える時間が限定的だ。人目に触れたくないとなれば更に限られる。おおよそ、朝と昼休みと完全下校時刻を過ぎた放課後の3つってとこだろうね。だから今は矢場先輩は学内のどこかで時間を潰している可能性が高い」
「いつもそんな事考えながら生きてるの上貫くん。何か人のプライベートを詮索してるみたいで気持ち悪いよ?」
「空井さんもその片棒担いでる自覚ある?」
「私はとてもクリーンな捜査を心掛けてますから!」
虚しい胸板を張って空井さんは親指を立てた。ドヤ顔から覗く八重歯が白く光った。空井さん、八重歯あるんだなぁ、何か似合わない。
空井さんの身体的特徴はさて置き、結論だ。
「……まあ、というわけで放課後の時間を潰すとなれば教室か図書室くらいしか選択肢が無いと思う。教室がいないんなら図書室一択じゃないかな?」
「ふーん。そういうことならそこで矢場先輩問い詰めちゃおうか」
「それは止めてくれ……いや、そう言えば空井さんって矢場先輩と知り合いなんだったか?」
ふと思い出す。もしそうなら話の糸口にはなりやすいし、連れて行って正解かもしれない。
空井さんは笑顔で頷いた。
「うん。中学以来顔を見てないけど元気かな」
……えっと。
顔を見てないって表現はなんだ?
「……面識あるのか?」
「無いよ? 私の友達が中学の頃入ってた部活の友達ってだけ。あ、でも挨拶はしたことあるから知り合いではあるかも」
軽い口調でそんなことを空井さんは宣った。
うん、なんかやっぱり連れ行っても役に立たないかもこの人。この予想を裏切らない感じが空井さんクオリティーである。
俺は空井さんが変なことを言ったらすぐ止める覚悟だけ心に留めた。