空井さんが注文したものを全て食べきると、長居するつもりがなかった柏木はお勘定をした。横から見たが金額にして約6000円。その7割方は空井さんによるものである。柏木がレシートを見て若干眉を潜めているのが印象的だった。もう恨みは無いがイケメンなので言っておこう。ざまあみろ。
店を出ると柏木はそのまま学校へと戻っていった。きっと矢場先輩に会うか、或いは仕事の続きでも進めるのだろう。
「で、手伝うのかな上貫くんは?」
用件は済んだため帰ろうと駅方面へ歩こうとすると、空井さんがタッタッタと駆け寄ってきて俺の目の前を陣取った。
「柏木のこと?」
「うん。思っていたのとは違ったけどさ、私は柏木先生の気持ち分かるなあって。これも良い機会じゃない? 私たち結構この問題に深入りしちゃったし」
「空井さん、そんなに成績ヤバいの?」
「いやいや何言ってんの私は入試席次191位なんだよ! トップハーフだよ!」
「……心苦しいけど上位じゃないからな、それ」
「え? 半分よりも上なら上位じゃん」
「そうかな」
普通、上位って言えば成績上位10%というか、偏差値で言えば65とかそれ以上の層を指し示すと思うんだが。
空井さんは俺の雑な肯定を鵜吞みにしたように大きく口を開いた。
「そうだよ! 本当に上貫くんって頭悪いよね、そんなんで五月末の定期試験大丈夫?」
「多分空井さんよりは大丈夫だと思うな」
「いやそれはどう考えても言い過ぎでしょ。すべての可能性を考慮した上で冷静に考えて絶対に私が上貫くんより成績が下なわけないじゃん~全く上貫くんって面白い冗談言うよね」
冗談じゃないしそもそも空井さんのその根拠の無い自信はどこから来ているんだ。宇宙の毒電波とか受信してないよな。
「まあ上貫くんが柏木先生のことを手伝うって言うなら手伝っても良いけど?」
「俺は手伝わない。正直あんまり信用できる教師じゃないように思える」
「ふーん。じゃあ私手伝っちゃおうかなぁ」
「やっぱり成績不安なんじゃん」
「不安じゃないよ!」
空井さんは不満を露わにするように声を張り上げた。
「どうして上貫くんはそう人を逆撫でるような発言をするのかな」
「ごめん。だよな、俺の方が成績下だよな」
「それはそれでムカつくんだけど!? ……はあ、上貫くんに友達みたいな反応を求めた私が間違ってたよ」
友達だったんだ俺達。全然そんなつもりなかったんだけど。
「まあでも上貫くんがやらないって言うなら私も良いかな。一応知りたいことは知れたし、あと飽きちゃった」
「空井さんって本当に出歯亀だったんだ。昨日言ってた矢場先輩に謝ってほしい云々はどうなったんだよ」
「だって事情聴取してみたら事情が違うじゃん。矢場先輩が一方的にメンヘラしてるだけなんでしょ? どう考えても首突っ込んだら馬に蹴られて死ね案件だよ。自分で処理してもらおうよ先生なんだし」
空井さんは言いながら俺から視線を外すと、ゆっくりと歩き始める。
「そっか。因みに俺がやるつもりだったらどうしてたんだ?」
振り向いた。さっきまでと一転して凄い嫌そうな顔をしている。
「上貫くんはデリカシーを学ぶべきだよ」
だから空井さんに言われたくはない。
─── ───
一週間が経過した。
あれからは何事起こらず、俺は平穏な高校生活が享受していた。
空井さんに絡まれることもなかった。
俺と空井さんは友達ではないし、理由が無ければ一緒にいる理由もない。教室内で偶に近付かれると勝手に俺が気まずくなる程度の関係性だ。よって柏木の件が終わればこうやって関係が霧散することは目に見えていた。
昼休みになって、空井さんは相変わらず友達と呼べるか怪しいクラスメイトを交えて三人で歓談をしている。好奇心に駆られてこっそり聞き耳を立ててみる。
基本的には空井さんを以外の二人が話しているようだった。
ツインテールのクラスメイトが口を開く。
「あのさ、昨日のテレビに出てた芸人面白かったんだ! 50歳のおじさん二人組、初めて見る顔だったけど多分これから伸びる気がするんだよね、多分。私が保証する!」
「さっちゃんの保証、地雷除けには便利だから助かる。見ないでおくね」
「まるで私が見る芸人が面白くないみたいに言わないよ! あの人たちはこれからなんだよ!」
「これからって……50歳に対して流石に希望持ちすぎでしょ」
「確かに希望はあるんじゃないかな。だって芸なんて全部茶番じゃん」
空井さんの発言によって空気が死んだ。二人の表情が白けてすっと抜け落ちたのに気付かないようで、空井さんは人差し指をくるくる回しながら話を進める。
「芸人さんって面白くないことをまるで面白いことかのように錯覚させるプロじゃん。ノリと勢いで誤魔化してさ。中身がつまらなくても或る程度勢いで誤魔化せばきっと大成するよ」
「そ、それより学食で季節限定メニューあるって」
さっちゃんと呼ばれていた癖毛の女子生徒が空井さんの空気とかモラルが読めていない発言を誤魔化すように話の話題を挿げ替える。これでよく堂々と胸を張って友達と言えるな。この調子だと多分二人からはクラスメイト以上の関係性は無いと思われているぞ。きっと。
十分休みはずっとそんな感じだった。
やっぱり空井さんだけは話に入り込めておらず、周囲がそれをフォローする。空井さんも浮いていることに気付かない。なんて鈍感力なんだ。初めて空井さんのことを尊敬したかもしれない。ああなったら学校生活おしまいだ。まあ四月に初動で何も動かず誘われ待ちした俺も結構クラス内の人間関係は終わっているからあんまり強くは言えないが。
俺は空井さんへ哀れみの念を抱きながら無言で次の授業の準備をした。
─── ─── ───
「こんなところでどうしたのかな。もしかして私の事待ってた~?」
その日の昼休み、俺は屋上手前のスペースで菓子パンを食べていると桜沢先輩は弁当を持ってやって来た。俺に目を遣ると、揶揄うように自分を指差す。強ち間違いでもないので俺は首を縦に振った。
「そんなところです」
「あっ……。それならごめんね、私予約され済みなんだ」
「そういう意味では無いです」
「あ、そう?」
楽しそうに息を漏らして表情を弛緩させた。
本気でそう受け止められたかと一瞬本気で焦りそうになったんだけど、そういうのは冗談でも勘弁してほしい。人間関係の経験値が少なくてどう返せば正解か分かんないんだよ。それに桜沢先輩が柏木に恋愛感情みたいなものを向けているのも知ってるんだからな俺は。
「じゃあもしかしてだけど、先週のお願いの件かなー?」
「そうです。柏木先生について分かったことも多いので、桜沢先輩にお伝えしようかと」
「ありがとう~! ここじゃなんだから屋上出ようか」
桜沢先輩は懐から鍵を取り出して屋上の施錠された扉を開けた。青々しい空気が鬱屈とした校内の澱みで濁った思考を吹き飛ばす。やはり屋上っていいな。ここで毎食昼飯を食べることが出来たら最高だ。
「ふ~因みに私を待ってたって言ってたよね。今日だけ?」
「いえ、ここ一週間ほど」
「え、本当に!? ごめんね~、ここのところお昼は忙しくて屋上に来れなかったんだよね」
桜沢先輩は驚いたように手を広げると、申し訳なさそうに頭を擦った。
事実だった。この一週間欠かすことなく俺は一人で屋上前まで来ては桜沢先輩のことを待っていた。休み時間にクラスに行っても桜沢先輩は本当に忙しいのか大抵おらず、放課後に柏木もいる生徒会室を訪問する勇気も無かった俺はこうして一人でベストプレイスとも言いづらい薄暗い場所で待つ選択肢しかなかったのだ。
空井さんを誘わなかったのは空井自身が既に桜沢先輩との約束を忘れていたというのも一点あるが、それ以上に屋上の利権を占有するためである。もっと正統派美少女であるならともかく、空井さんと屋上を共有したら忽ち屋上が物置きになるに違いない。夏はスイカ割り、冬はコタツを出してミカンを剥くとか訳わからないこと言ってたしな。
「それでもしかしてだけど、柏木先生のこと分かったの?」
「ええ、まあ」
俺は小さく頷く。桜沢先輩の期待とは異なる事実だろうが、報酬とは無関係なはずだ。
そんな訳で俺は柏木が二股三股しているのは誤報であるが、矢場先輩から脅されて仕方なく恋人のような振る舞いをしていることを伝えた。風俗通いをしてることも含めてだ。桜沢先輩はそれらを全て新聞記者のように懐から出した手のひらサイズのメモ帳に記載しつつ俺の話を聞いた。一応矢場先輩から脅されてラブホに行った件はあまりにも女子の先輩相手に言いづらいため伏せておいたが、それでもこの桜沢先輩の入れ込みようだといずれ自分から事実に辿り着きそうだ。
俺の話を意味深な笑顔を浮かべながら聞き終えた桜沢先輩は、屋上の落下防止用の鉄柵に手を掛けながら空を見上げた。
「ありがとうね。そっか、じゃあ矢場さんが全ての原因ってことだね~」
「ま、まあそうですね」
多分だけど全ての原因は柏木だろうと思うが言葉にはしなかった。
「矢場さん正直取り扱いの難しい人だけど、まさかそんなことをしてるなんて」
「あれ、矢場さんのことを知ってるんですか?」
「当然だよー。今の二年生以上で矢場さんのことを知らない人なんていないよ」
確かに変な人だったが……。
「なんかしたんですかあの先輩?」
「いやね、なんていうかね~……」
桜沢先輩は何かを言おうとしたが一度言葉を止めて、適切な表現を探すように大空に目を泳がせた。
「ちょっと言葉が独特なんだ。悪い人じゃないんだよ。でもそれが原因で校内でもとびきり浮いちゃっててさ……喋ったこと無い?」
「ありますけどそんな印象は特には……」
「きっと後輩相手に見栄張ったのかなー?」
見栄ってなんだろう。確かに言い回しとか若干芝居がかってて気になる部分もあったが、クラスで浮くほどでは無いと思う。
いや、そう言えばなにか下ネタみたいなことを言いかけてたような。
……いやまさかな。
ふと湧いた疑念を消し去るように桜沢先輩へ視線を向けると、「まあそれはさて置きだけど」と桜沢先輩は話を変えた。
「教師と生徒が付き合おうだなんて校内の公序良俗に反する行いだよね~それは生徒会長として許せないな」
「……思ったんですけど桜沢先輩って柏木先生のこと結構好きですよね? なんか切っ掛けでもあったんですか?」
「好きって言われるとまあそうなんだけどね。私の再従兄弟なんだよ柏木先生。ほら、幼い頃からカッコよかったしお兄ちゃんみたいだし憧れだったなぁー」
そう言って過去を思い返すかのような目をして笑みを浮かべる。
まさか柏木と桜沢先輩が親族とは……でも再従兄弟って大分遠い気もするけどな。精々あって年一回正月に親の実家で会うのが関の山だろうに、そうとは思えないくらい桜沢先輩は柏木に好意を抱いてるように見える。
俺は地雷と分かりながらも好奇心でつい口を開いた。
「それって恋愛的な意味合いですか?」
「そうだよ~。あ、言っておくけど学生の内は柏木先生に告白するつもりないからね。生徒会長が率先して規律を破るわけにはいかないからさ~」
やっぱりそうらしい。率直に聞いて答えてくれるとは思ってもみなかったけども、ラブの方かぁ。なんだろう、こんだけ可愛い女子高生から想われてるのに自分は風俗通いながら教え子に脅されながらも恋人ぶった立ち振る舞いをしていると思うと柏木に対するヘイトがまた蘇ってきた。やっぱ早く退職した方が良いだろあの教師。
「そうだ、約束は守るよ。これ、連絡先だからね~」
桜沢先輩はスマホを取り出すと連絡先を俺に登録するように促してきた。突然すぎて頭が追い付けていなかった俺は言われるがままに自分のスマホに桜沢先輩の連絡先を登録する。
「屋上入りたい時はこれで連絡してね~」
「え、なんか合鍵的なものを貰えるんじゃないですか?」
「無理だよ? そんなことしたら私生活指導の先生から指導されちゃうって。それくらいは分かってて欲しかったな~」
じゃあ毎回屋上入ろうとするたびに桜沢先輩を呼ばなきゃならないの?
思ってたのと違うし滅茶苦茶面倒くさいな。多分この感じだと俺が屋上にいる限りは桜沢先輩も屋上で付き添うんだろうから、本当に思っていたのと違う。特権って感じが全然しない。こんなの俺の望んでいた青春スポットの姿じゃない。
「あ、でもあんまり高頻度で呼びださないでね。それから私もさ~当然その日の都合があるから行けない日もあるかも。ごめんね~」
「……はい大丈夫です」
全然申し訳なさそうに思って無さそうな、何なら最初からこうやって俺に屋上を使わせないような言い回しを考えていたのではないかと勘繰ってしまうほど流暢に紡がれた言葉に、俺は何も言い返せなかった。
要するに得れたのは屋上という青春スポットではなく、生徒会長の連絡先だけ。
本当に徒労だったな……。
唐突にまるで徹夜で試験勉強をしたかのような疲労感を覚えて、俺は空を見上げた。鳥がいつもよりも近くを飛んでいるな。鳥はきっと何もしがらみとかないんだろう。俺も生まれ変わったら鳥になりたい。
そんな感じで桜沢先輩との昼休みは何事もなく過ぎていき。
その日の放課後、俺は空井さんの上履きがゴミ箱に捨てられているところを発見した。
激しくスランプです。