正午を目前に控えるオラリオは、平時の比にならないほどの活気で満ち満ちていた。
通常営業から外れ、朝から開いている酒場。通りのあちこちでは露店が幅を利かせている。
大通りのあちこちには神々の仕込みなのだろう、此度の
『はーいオラリオの皆さんおはようございますーっ! 本日開催の
『俺がガネーシャだっ!』
『いやいや二十秒早いですよガネーシャ様ぁ!』
ギルド本部の前庭には特設の舞台が設置され、舞台上では男神屈指の偉丈夫であるガネーシャと、実はベルとの交流がそこそこ深かったりするガネーシャの眷属、イブリ・アーチャーが一つの拡声器を取り合うようにわちゃわちゃとしていて、集まった人々に呆れられたり笑顔にしたりと、祭の盛り上げに一役買っている。
朝から当たり前に営業を許される酒場。オラリオ外からこの見せ物を見たいとやって来る者からは、通行許可の発行など堅苦しいことをしない代わりに入場料を取る。
規模の大小こそあれどいざ
「そろそろ締め切るぞー!』
酒場のあちこちで見られるのは賭場めいた光景。一般市民が冒険者が都市外からやってきた享楽家が、引き分けなどあり得ない二者選一に自らの資産を投入し合い、早くも盛り上がっている。
現在の
何やらヘスティア派には援軍が多くいるとの噂だが、寄せ集めの付け焼き刃で百を越える戦力を上回るのは難しいだろうと見る者が多く、そんな彼らの票がアポロン派の配当に現れている格好だ。
『さてさて正午は目前! 間も無く始まります
実況のイブリが伝えるように、間も無く正午を迎える。正午と同時に大鐘が鳴らされ、それが開戦の合図となる。
『ウーラーノースーっ! この俺ガネーシャに! 『力』の行使を認めてくれーっ!』
「…………許可する」
わざわざ拡声器を使って叫ぶガネーシャに応えるのは、いつだってギルド本部の地下に腰を据えているらしい大神、ウラノスの声。オラリオ全土にまで届いていそうな神の声を聞くなり、オラリオ中の神々が一斉に、指を弾き鳴らした。
瞬く間に虚空に現れたのは、円形の窓。
このような催しなどの際のみに限られているが、神々が下界で行使することを許されている数少ない『
この鏡を通せば、遠く離れた地の出来事であっても進行形で見通すことが出来る。
「ふーっ……」
バベル、三十階の大広間。
「精々いいものを見せてくれ……ふふ……」
近くの神々が嫌な顔をするのもお構いなしに
「イシュタル……」
「…………」
そんな美の女神の様子を気に掛けるのは、今回の
両主神は会場には行かず、このバベルでの待機となっている。
「しっかりやりなさい、ヴェルフ」
同じくバベル内からヘファイストスが。
「気張れよ、
眷属たちと共に
「アスフィ、よく見ておいてくれ。俺では気が付かないことも、お前なら気が付け」
「どうか無事に帰ってくださいベル……負けたらお説教ですからねベル……ほんとお願いですからねベル……」
「君いつの間にそこまでのベルくん厄介勢になっちゃったの?」
神に祈るが如く手を合わせている自派閥の団長アスフィを伴うヘルメスも、バベルの大広間から。
「さーてさてっ、どーなるやろなー」
自分の眷属たちが片方の派閥に肩入れしたと知り、すこーしばかり気分を悪くしたらしい女神ロキもバベルから。
「そろそろね」
自らも指を弾いて館内に鏡を出現させたアストレアが、長椅子に腰掛け息を吐く。アストレアの近くには、期待と不安の入り混じった眼差しを鏡に注いでいるアストレアの娘も全員集合している。
「さて、どう転ぶかしら」
ヘルンとヘイズを伴い、女神フレイヤも同席している。
フレイヤも一緒にとアリーゼに誘われ、星屑の庭へと足を運んだ次第だ。
「女神方に、気持ちを抜きにした予想をお聞きしたいのですが、よろしいですか?」
鏡の前でリラックスした様子を見せているアストレアとフレイヤに疑問を投げたのは、輝夜。
「見えている戦力をずらりと並べただけの単純な競争ならば、数日前ならアポロン。今ならヘスティアかしら」
「私も同意見よ」
フレイヤもアストレアも今の戦力ならば。つまり、アルテミス・ファミリアの眷属たちの参戦が決定した今ならば、ヘスティアたちが勝つだろうと見ている。
「なるほど……」
「私たちで出来る限り嗅ぎ回りましたけど、アポロン派が何か特別な用意をしているようには見えなかったんですよねー」
「イシュタル様たちの方も特別な動きがあったようには感じませんでしたし」
「貴方たちが言うのなら間違いないのでしょうね」
主に諜報の面でベルたちを支えたノインとリャーナの二人が今日までの調査の結果を添えると、フレイヤは微笑みと共に断言。私ら、結構信頼されちゃってね? と、ノインとリャーナの頬が微かに緩む。
「まあ、単純計算でどうにかならないのが
「今回は攻城戦。本人が誰より自覚しているけれど、大将であるリリの戦闘能力はあちらの大将であるヒュアキントスに到底及ばない」
「戦力を削り合い、大将と幾人かを交えての激突戦になったとしたら」
「リリたちの方が危ない」
「でしょうね」
「そうならないような布陣をチビスケたちと考えはしたんすけど……なーんか嫌な予感すんだよなー」
「嫌な予感とは?」
うんうん唸るライラの隣からリューの質問が飛ぶと、その場にいる全員の眼差しが、ライラに集まった。
「セオリーガン無視のバカ凸」
「ば、ばかとつ?」
「要するに、ベルが来る前のお前みてーってことだよ、元末っ子」
「意味はわからないが、私を馬鹿にしているのだと言うことだけは理解出来ました……!
「まあまあ! 相手がモンスターじゃなくて人である以上戦前に立てた計画の通りになんていかないなんて当たり前! 向こうは
イラッ☆を隠さないリューに待ったを掛けるアリーゼは、たまにはまともなこと言うじゃんなどなど団員たちに言われる間もぺかーっとした笑顔を崩さない。
「そーだ! フレイヤ様フレイヤ様!」
「何かしら?」
「もしもリリちゃんたちが負けたとしたら、フレイヤ様はどうされるつもりですか?」
「今日のうちにアポロンを潰して都市から叩き出してベルたちを私の元に引き込む」
「こわーっ!?」
「冗談よ」
「全然冗談に聞こえませんでしたよ!?」
「冗談ったら冗談よ。そうなることまで覚悟をしてあの子が戦いに行くと言うのに、私が勝手を働くわけにいかないもの」
「確かにそうだ! うん、そうでした!」
「でも、そうね……いざとなったらアポロンからも。もっと言えば、貴方たちからも奪い取るつもりで大暴れしてしまうかもしれないわね」
「そうならないように一緒に応援しましょう!」
「私にベルを奪われるのは嫌だから?」
「それはそうですけど、フレイヤ様とイチャイチャしてるベルを見るのが好きなんです! アレが見られなくなるのは悲しいなーって!」
「……そう。なら、一生懸命応援しましょうね」
「うははーっ! フレイヤ様に頭なでなでされちゃったーっ!」
明け透けなアリーゼの言葉がお気に召したのか、ベル以外の誰かの頭をフレイヤが撫でるという、超珍しい光景が見られた。
「撲殺したいなー」
「手を貸します」
「そこの従者二人ぃ! 少しは本音を隠す努力をしなさいよ!」
「ぶー」
「冗談です」
アマゾネスのイスカにビシッとツッコまれるも、ブーたれるヘイズと全然冗談じゃなさそうな眼差しでアリーゼを睨み続けるヘルン。フレイヤに撫でられるなど、フレイヤの眷属たちにとってみれば絶対的ぐぬぬ案件である。ヘイズとヘルンでなくともブチ切れ待ったなしなのである。
「はあ……」
「緊張しているの?」
アリーゼの頭から浮かせた右手で自らの頬を撫でるフレイヤの口元から、ため息のような何かが溢れる。即座に拾い上げたのは、アストレア。
「まさか。ただ……天界にも下界にも、現在にも過去にもいない。あの子が一番上手だなと、そう思って」
「なんのこと?」
「私を不安にさせることと、私を笑わせること」
アストレアと娘たち。フレイヤの眷属たち。
その真ん中で揺れる、不安が微かに滲む笑顔。
「……今回の不安も、あの子が笑顔に変えてくれることを願いましょう」
「そうね……そう願いましょう」
「みゃ」
ふらりと室内に入って来たシロがぴょんと飛んで、フレイヤに擦り寄って身体を丸めた。
「貴方も、ベルを応援してあげてね?」
「んみゃ」
「うんうん! 攻城戦の開催は三日だから、ベルたちに会えるのは五日後くらいになるわね!」
フレイヤの手指に撫でられた白猫がご機嫌そうに喉を鳴らす様にヘルンとヘイズがキレているのをガン無視したアリーゼが声を張る。
「それまでは私たちでご飯とかを」
「ああ、それはあまり考えなくて大丈夫」
「へ? どうしてですか、アストレア様?」
「今回の
「でしょうね」
「じゃあ何日くらいだと思います?」
「私の予想では……」
星屑の庭でアストレアが。
「そうね……」
同じくフレイヤが。
「いい質問だアスフィ。俺の予想だと……」
バベル内大広間でヘルメスが。
「騒ぐな馬鹿な神共。直ぐに事は起き、そして終わる。恐らく……」
同じく、イシュタルが。
「「「「十五分」」」」
神の名に於いて、未来を予言した。
* * *
「よし……なんとか調整は間に合った。手間取らせて悪かったな、
「いえいえ! お役に立てたのなら光栄です!」
爽やかな汗に濡れるヴェルフの感謝に溌剌とした笑顔で
Lv.2に昇格したばかりだったヴェルフは、工房に篭りきりになっていた為に
故にヴェルフは
「ヴェルフ様、問題なさそうですか?」
「何の違和感もねえ。いけるぞ」
「わかりました……皆さん! 一度集まってください!」
城内。ここに大将がいますよーと言わんばかりにドンと聳えている塔の最上階。
運営陣がわざわざ用意したものなのだろう、あちこち傷んでしまっている場内には華美に過ぎる赤い玉座の前に、鎧であったり
「……圧倒的女子率……」
「リリ?」
「なんか言ったか?」
「いえ……何でもありません」
自然と輪の形に集まった面々の男女比が壊れていると気付いたリリ。
たったそれだけのことが妙におかしく思えた。だってほら、こんなにも見目麗しい娘たちに囲まれたのならば、不埒なことの一つや二つを考えてしまってもおかしくないでしょう? それなのにあの二人ときたらどうなのよ。
「なんか……笑ってる?」
「相変わらずよくわからんヤツだな」
よくわからん男子二人が声を顰めて語らう様すらリリにとっては愉快の種。
「……では! 開戦前最後の確認をします!」
二人の友達に緊張で強張っていた内側を解きほぐしてもらったこの戦の主役は、わざとらしく声を張り、全員の意識を自分一人に集中させた。
「ヘスティア様よろしく、謝罪も感謝もこの戦いの後としたいのですが……レトゥーサ様たちにだけはどうか今言わせてください。リリたちの戦いに参加してくださり本当にありがとうございます。重ねて……このような作戦に巻き込んでしまうことを謝罪します……本当に申し訳ございません……!」
「いいんです、リリルカ・アーデさん。我々がここにいるのは、単に我らの女神の神威に従ったからではなく、我々がこうしたいと望んだからなのです」
「レトゥーサ様……」
「それは、我々だけではありませんけどね」
派閥の団長であるレトゥーサをはじめとした団員全員が女性のみで構成されている派閥。
アルテミス・ファミリア。
彼女たちがこの戦いに間に合ったのは、決して偶然などではない。
そもそも。彼女たちはどうやってこの戦いの情報を。都市外の派閥の眷属ならば参加が可能であると知ることが出来たのか。
偶然か必然かなど持ち主本人に聞く他ないが。
ちょうど、此度の
「なんだ……?」
レトゥーサたちの主神が大切に保管している綺麗な水晶のような
その
女神が持つ物と同じ作りの片割れを持つのは、鍔広帽の良く似合う、キザったらしい男神様。
なんだなんだとその音声に耳を澄ませば、五年前にレトゥーサたちと関わりを持った少年が退っ引きならない状態となっていて、同時に戦力を欲していると言うではないか。
「考えるまでもないな」
その
「私は行けない。この約束だけは、どうしても違えたくない。その日でなければいけないと感じているのだ。すまない……それでも私は、彼の力になりたい。故に……」
レトゥーサ等眷属たちは、申し訳なさそうに眉を顰める麗しの女神の言葉をそれ以上引き出す前に、慌ただしく旅支度を始めた。
「ありがとう子供たち。お前たちのような気立てのいい娘たちを持てたこと、心から誇りに思う。私はオラリオ近くの宿場に場所を移す。そこからお前たちの勝利を願っていよう。彼と彼の仲間たちのこと、頼んだぞ。都市外の派閥などと下に見ている者たち全てを驚かせてやれ! よし、行け!」
月の女神の号令一下、愛馬に跨る娘たちは急発進。少しでも早くオラリオへと到着するべく突風宛らに大陸を駆け抜け、リリたちがオラリオを出発する直前も直前に星屑の庭へ辿り着いた、と。
その
「そうでしたね……」
「貴方たちと肩を並べて戦えることを我々も嬉しく思っているのです。だから、この話はここまでにしましょう」
「……はい……!」
「肩を並べるよーニャ戦略じゃないけどニャふっ!?」
「空気読め馬鹿猫っ」
ルノアの拳骨を頂戴し蹲るクロエ。酒場でいつも見ている光景とまるで変わらない姿に、リリたちの緊張がまた少し軽くなる。
「元はと言えばベルたちから始まったことニャ! ミャーはこれが一番だと思うニャ!」
「言いたいことはわかるけどさー」
勢いの良いアーニャの声音に表情を顰めるルノアの目が、月の女神の眷属たちに向いた。
「ねえ、アルテミス・ファミリアのみんなは本当にこれでいいの? かなり無茶って言うか無茶苦茶って言うか……助っ人を買って出てくれた人たちに任せるようなことじゃないと思うんだけど……」
「構いません。まあ、少々面食らいはしましたけどね……」
「ですよねー」
苦笑を交換するレトゥーサとルノア。お互いに損というか、はちゃめちゃな役所を担うことになった者同士、シンパシーを感じているらしい。
「しかし、これはとても……腕が鳴りますね……!」
「都市の外の派閥にもよくやるヤツらがいるんだってオラリオ全土に教えてやっちゃいますよーっ!」
闘志を燃やすレトゥーサの後ろで叫ぶのは、アルテミス・ファミリアのムードメーカー、ランテ。彼女に呼応し声を張る娘たちの姿は実に頼もしい。
「つーか、アーニャはいけんの?」
「んニャ?」
「いちおーは弟子みたいなもんのベルが出てるんニャし、アーニャのにーちゃんも見てるに違いないニャ」
「ちょっと……」
ルノアとクロエがアーニャを削るようなことを言い出すんじゃないかと危惧したベルがすすっと二人の間に割って入る。
「心配性」
ルノアの拳が肩に飛んで来る。
「過保護」
クロエの肘鉄が脇腹に飛んで来る。
「わかってるよ」
同じことをそれぞれにやり返し、ベルが笑う。
「……へーきニャ。いけるニャ」
険悪になるかと思いきや、戯れ合うように拳で肘で互いを小突き合い始めるいつもの三人のいつものやり取りを眺めるアーニャの瞳には嘘も強がりも。
「今日のミャーは、小さな戦車になるニャ」
微塵の迷いもない。
「いつか……大きな戦車に引っ張ってもらうんじゃなくて……支えられるような。いざとなったら傷付いた戦車引っ張れるような戦車になるニャ。今日はその試運転だニャ。それを兄様に見てもらうのニャ。だから今日は……」
冒険者という同じ生き方。同じ派閥という、兄とお揃いばかりだった頃に拵えた愛用の槍を両腕で抱きながら。
「全部引き倒してやるニャ……!」
なかなかに物騒なことを口にして、口の端を持ち上げた。
「……やっぱり兄妹なんだなあ」
「んニャ?」
何処かで聞いたような言葉と何処かで見たような眼差しが見れたことが妙に嬉しくて笑うベル。その笑顔を産んだものが何であるか全然わからないアーニャはきょとんと首を傾げるだけ。
「話を戻します。作戦……と言えるものかも怪しいですが、先ずは向こうの出方を見て、それ如何でリリたちの動きは変わります。肝心なことを確認出来次第、合図を送ります。臨機応変に立ち回れるよう、身体も思考も柔軟に保っていてください」
総勢四十人に迫る面々からしっかりとした反応が返って来る。場合によってはライラなどの力を借りて立案したプラン全てを白紙にしてしまうような無茶をお願いされてしまった酒場の娘たちも月の女神の娘たちも、不納得のまま戦場に出ることはなさそうだと判り、リリはふぅと息を吐いた。
「なあ指揮官殿。堅苦しい話はもういいから、全員を鼓舞するような言葉をくれねーか?」
「いきなり無茶振りするのやめてくれませんかヴェルフ様!?」
「無茶振りなもんか。お前は俺と
「ですね! 場合によっては謀反です謀反!」
「
こいつら、自分を弄って楽しみたいだけなんじゃなかろうかと一瞬思ってしまったが、ヴェルフの言い分もリリは理解出来た。
戦術面だけじゃない。自分の言葉についてきてくれる者たちの内側や関係性にも目を向け、寄り添い、そして引っ張っていく。
それらは、指揮官を名乗る者に求められて当たり前の役割だ。
「……派手な宣誓とかはリリらしくないと思うのですが……」
だったらやらねば。
「一言だけ言わせてください。みなさん」
まだ不慣れだし、どうにも自分らしくないなと感じてしまうけれど。
自分は、
「派手に暴れてやりましょう!」
鼓舞の一つくらい、やってみせよう。
「うん!」
「おう!」
「存分に参りましょう!」
ベル。ヴェルフ。
「やってやるニャーっ!」
「いいね……テンション上がってきた……!」
「やるからにはとことんやってやるニャ……!」
アーニャ。ルノア。クロエ。
「我々もあの方の名を汚すことない戦いをしてみせよう!」
レトゥーサ。
ミアの娘たちが。アルテミスの娘たちが。
各々が続々と吠え、不揃いながら勇ましい鯨波が、戦地となる城を揺らした。
「では、行きましょう!」
頬に痣の残るリリの戦意に応えるように、開戦を告げる大鐘が、打ち鳴らされた。
* * *
恥だ。
屈辱だ。
恥辱だ。
全ては己の未熟だ。
苛立ちを隠せていないのが自分でもわかる。
が、しかし。
「これが……!」
「アポロン様の言っていた……!」
燦然と輝く黄金の美しさに。
「失礼します……」
「っ……!」
全身に迸る全能感に。
彼……ヒュアキントスは、不快とは別腹の高揚を、確かに抱いてしまった。
「効果は十五分です。掛け直しをするのであれば一度後退を」
「必要ない。このような屈辱を再度味わえと言うのか、貴様は」
それほどのものを腹に抱えても。
あくまで今の彼を突き動かしているのは、怒りだった。
自分一人では敵わない。
自分たちでも敵うか怪しい。
だから、私の敬愛するお方は、本心では取りたくのなかった手を取られてしまった。
全て、私が弱いから。
「礼は言わないぞ、極東の娘。手筈通りに抜け穴から後退しろ」
「はい……」
他派閥の者の力を借りる。
他者に、自分の知らない領域へと力を高めさせる。
全てが屈辱。
しかし、今は甘んじる他ない。
故に。
「私の手で全て終わらせる」
こんなくだらない茶番も。
あの生意気な
我が愛を注ぐお方の寵愛を独り占めせんとする、あのふざけた小僧も!
「全てを……!」
開戦を告げる大鐘の音を耳に入れると同時に。
「一瞬で!」
太陽の寵児ヒュアキントスは、己が内で暴れ狂う怒りに従い、戦場を駆け出した。
* * *
「こっちだ。モタモタするな」
漆黒の長髪を揺らすアマゾネスに誘導されるまま、金色の髪と尻尾を有する少女が、暗くて狭い穴へと一歩踏み込む。
この穴は女神イシュタルにほとんど強制され、アポロンの眷属たちが掘り進めたもの。
一仕事する為だけに貸し出したイシュタルの眷属を安全に、誰にも悟らせないように引き上げさせるためのものだ。
「二度目はないって本人が言ってんだ。言われた通りに撤退するんだからあの女神も文句を言って来ないだろう。さっさと戻るよ」
魔石製の灯りを頼りに先行し始める長髪のアマゾネス。
「…………」
煌やかな金色の髪の少女は、その背中を追わず、立ち尽くしていた。
「おい何してる。あまりモタモタしてると面倒なことに」
「アポロン・ファミリアと戦っていらっしゃるのは……」
「ヘスティア・ファミリアだろ。最近旗揚げしたばかりの小さな派閥ってことしか知らないよ。人望のある神や眷属がいるんだろうね。でなきゃあれだけの戦力が揃うなんてあり得ない」
人望がある眷属。
そうだろうな。
そういう女の子だって、よく知っている。
彼女は生真面目で実直で義理堅くて礼儀正しくて、こんな自分にだって手を伸ばしてくれるような、優しい人だから。
春姫と呼ばれた黄金色の娘は、本来ならば自分に何の関わりもない派閥同士の
だからという訳では決してなくて。
その話を聞いて間もなく。
どんな派閥同士が対戦するのだろうと、自分と同じ派閥の者たちのやり取りに耳を傾けている中で、嘘だと断じたくなるような情報が、彼女の金色の耳に滑り込んで来た。
アポロン・ファミリアと対戦する派閥の名は、ヘスティア・ファミリア。
その派閥は団長一人以外に眷属のいない零細派閥だったのだが。
一人はヘファイストス・ファミリアから移籍したと言う。
もう一人は、タケミカヅチ・ファミリアから移籍したと言う。
震えた。
そのファミリアの名を。
よく知っている武神の名を聞いた瞬間に。
まだお喋りをやめないその者たちに全ての意識を傾けていると、ヘスティア派へ移籍した者たちの名前も明かされた。
一人は、ヴェルフ・クロッゾ。
少女にはよくわからなかったけれど、すごい家系の鍛治師らしい。
そして、もう一人。
「
その時に聞いた名を、穴の入り口から少しだけ顔を出し、聞こえやしないのに名を呼んだ。
「知り合いか?」
「…………」
「そうかい」
無言の肯定と受け取った女戦士には興味のない話らしく、反応は淡白なもの。
「……アイシャさん」
「なんだい?」
「この戦いで敗れた派閥は」
「解体は間違いない。場合によっては主神眷属纏めてオラリオからの永久追放もあり得るね」
「…………」
言葉が出て来ない。
そんなのダメ。嫌だと、彼女と過ごしていた頃の自分ならば泣き喚いていたことだろう。
しかし。
今の自分に、そんな真似は許されない。
今の自分の生き方を知ったら、どんな風に彼女は思うのか。
昔と変わらない眼差しで受け入れてくれるのだろうか。
ない。
そんな綺麗なこと、ありえない。
怖い。
今の自分を見られたくない。
会いたいけれど、会いたくない。
でも。
けど。
だって。
「ここで見ていくか?」
「え?」
「二度は聞かないよ」
「…………いえ……戻ります……」
「そうか」
「……ありがとうございます……アイシャさん……」
「軽々しく頭なんて下げるんじゃないよ。女が腐る」
ふんと鼻を鳴らし、灯りを掲げた女、アイシャが先行していく。
「…………」
振り返る。
名残を惜しむかのような女々しい自分に嫌悪感を抱きながら。
まだ少し自分に失望したと言うのに、春姫の瞳には、一目見たいと願う姿は映らない。
「老婆心から言っておくよ」
振り返る。
今の居場所で共に生きる、姉貴分のような人の横顔が、春姫の瞳に映る。
「イシュタル様の前では言うな」
ぶっきらぼうな言葉の裏に潜んでいるものがなんなのか、春姫にはわからなかった。
* * *
大鐘の音とイブリの実況が開戦の時を告げ、オラリオのあちこちから歓声が上がる。
「さて……どう出て来ますか……」
そんなものなど届かない戦地。
リリはアルテミス派の団員幾人かと共に、持ち込んでいた遠眼鏡を覗き込み、塔の最上階から全方位を警戒している。
敵方がお行儀良く正面からやって来るとは限らない以上方角や数などなど、相手の初動の早期発見。
何せ、リリとライラとフィン。それにアストレアやフレイヤたちも。
今回の
「来ました!」
アルテミス派の団員から早速報告が上がる。
常日頃より大自然の中での索敵行動を行っている彼女たちならば間違いないだろうとリリの采配により配置されたのだが。
「方角は!?」
「零時! た、単独です!」
その配慮も必要なかったかなと思ってしまうくらいに清々しい人影が、城の正門の真正面に一つ。
凄まじい速力を発揮し勢いよく砂塵を巻き上げ、躊躇いなく城目掛けて突っ込んでいるのがリリも目視で確認出来た。
「あれは……!」
恐ろしく速く、そして躊躇いがない。接敵まで猶予はないだろう。
しかし、リリたちの瞳を奪っているのは速度などではない。
「あれが、もしかしたらあり得るかもと指揮官さんの言っていた光ですか!?」
「本当に金色の光を纏ってる……!」
戦地の真ん中を単独で爆速する人影は、黄金の輝きを帯びている。
リリはあの輝きを、よーっく知っている。
「やはりイシュタル派の介入アリですか……! 後続は発見出来ませんか!?」
ライラ等と戦術を練り上げる過程でイシュタル派の介入、及び十八階層でゴライアスを包んでいた輝きを誰かが纏う可能性にまで散々っぱらに激論を交わしたリリは大した驚きも見せず、アポロン派の策を読もうと更なる情報を求めた。
「まだ何処にも……いや! 見えた! 零時! 黄金の人影の後方! 多数! 数は…………大体八十!」
「あちらは三日間じっくり戦うつもりはないみたいですね……!」
気が合いますね。
内心で呟きながらリリも遠眼鏡を覗き込み、情報を集める。
「顔を隠している者は何人くらい見えますか!?」
「ほとんどいない……いえ! 一人もいないかと!」
「一人も!? それでしたら、一団の中にアマゾネスの姿がどれくらい見えるでしょうか!? ヒューマンとの判別は難しいでしょうから勘で結構です!」
「えっと…………十人もいないかと!」
「私には六人くらいに見えます!」
「アタシは九!」
「リリの目には五人に見えます!」
長期戦を行うつもりなど微塵も考えていなさそうな特攻を仕掛けて来ているようにしか見えない戦士たちの姿を眺めながら思考を加速させる。
イシュタル派の眷属にはアマゾネスが非常に多い為、リリが集めたアポロン派の団員の情報よりアマゾネスの数が劇的に増えていれば、つまりはそういうことなのだろうと判断するつもりだった。
事前情報では、アポロン派に所属しているアマゾネスの団員数は五。リリが目視した人数と同数。
顔を隠している者は清々しいくらいにいないし、イシュタル派の眷属が身分を隠すなり
「これはどう見るべきで」
「んニャーっ! 指揮官殿ーっ!」
ブツブツと独り言を吐き出すリリの遥か下方から、よくもまあここまで届くものだと感心してしまうほど大きな声が聞こえた。アーニャの声だ。
「もういいニャー!?」
自分を見上げるアーニャが、合図を欲しがっている。
「ふぅ……!」
考えることも迷うことも大切だが、囚われてばかりもいられない。
「指揮官を務める上で大切なことは多くあるが、今の君に足りていなさそうなものを一つ、教えておくよ」
脳裏に過ぎるのは、同族たちの光たる冒険者。
「迷っても揺らいでも、己で決断をすることだ」
「アーニャ様! 皆様! ゴー!」
碌な付き合いもなく、大して信頼もされていないだろうに、それでも自分を指揮官と認め、自分のやり方に付いていくと言ってくれた者たちの背中を押すように、ありったけの力を込めて、リリが声を張り上げた。
「まっかせるニャーっ!」
「よっしゃぁ行くぞこらあああ!」
「同僚たちが脳筋過ぎる件についてーっ!」
それを受けて急発進するのは、豊穣の女主人の娘たち。速力に優れるアーニャを先頭にルノアとクロエがその背後に続き、他の娘たちは横に広く展開し、一緒になって城外へと飛び出して行った。
「あの数なら間違いなく伏兵もいますが、今は何より正面の戦力の対処! 乱戦になったら数で劣るリリたちの方が後手を踏みます! その辺りも踏まえて! レトゥーサ様! お願いします!」
「了解! 我々も続くぞ! 酒場の従業員たちに簡単に置いて行かれるなよ! お前たちっ!」
鬨を上げながら塔を下って行くアルテミスの娘たち。
「頼みます……皆様……!」
リリはその場に残り自分のやるべきこと。伏兵探しに意識を集中した。
そのアルテミスの娘たちが持ち場を離れ酒場の娘たちに追い付こうと駆け出した直後。
両陣営の先頭同士が、早くも衝突しようとしていた。
「わざわざ前に出て来るとはな!」
黄金の輝きを纏い一人爆走しているのは、ヒュアキントス。彼はこちらへ突っ込んで来るアーニャたちを見るなり抜剣。
相手陣営の最高戦力はLv.4に届いているという、元フレイヤの眷属だったり賞金稼ぎだったり暗殺者だったりと、クセのある経歴を持っている酒場の娘たち。直前になりアルテミス・ファミリアの合流が確認されたと聞いたが、月の女神の派閥にLv.4へ届く者はいないらしい。ならば指針は変わらない。
「ここで一枚落とす……!」
故にヒュアキントスは、最初の衝突で酒場の最高戦力を絶対に一枚落とすと。自分一人で落としてやるのだと胸に期している。
三人のLv.4の相手が務まるものなど後続にはいない。この身を包む屈辱的な輝きに身を捧げたとしても、彼女たちを上回れる可能性があるのは派閥の中に自分だけ。
敗亡条件に関わっている大将が単騎で突撃など本来ならばありえないのだろうが、派閥の団員たちにどれだけ反対されようと、彼はこのやり方以外を選ばなかった。
彼の身を這う無数の恥を早急に注ぐにはこれが手っ取り早いから。
同時に、この恥には、十五分という消費期限があるから。
二度も味わうなど御免であるこの恥を受け入れられなければ、富んだ力を有する酒場の娘たちを突破出来ず、敬愛する主神に勝利を捧ぐことは叶わないから。
だから、彼にとってここが山であり分水嶺。
真紅に染まった
「「アーニャ!」」
一切速力を落とないヒュアキントスに呼応するよう、低い姿勢で槍を構えたアーニャも速度を落とさないどころか、寧ろ加速していく。
「わかってるニャ!」
同僚二人に答えながら更に速度を上げるアーニャ。
小さな身体小さなストライドが生み出す力強い軌跡は宛ら、
『正面衝突だーっ!』
オラリオ全土に熱を帯びたイブリの声が駆け抜けた、ちょうど今。
「はああああっ!」
凄まじい速度から放たれる凄まじい一撃が、アーニャを強襲。
その一撃を充分に引き付けて。
「ふっ!」
アーニャは飛んだ。
猫を切り損ねたヒュアキントスの刃が地面を叩き割る。
「何……!?」
付き合ってやる気満々みたいな雰囲気を出しておきながら、実に猫らしい軽い身のこなしで、ヒュアキントスの頭上を軽々と飛び越えてしまった。
「貴様っ……!」
それを屈辱や侮辱だと受け取ったヒュアキントスが急旋回。舐めた真似をしてくれた猫へ刃を突き刺すべく全力で踏み込む。
「待つニャ!」
何故か足を止め、こちらに向き直った猫が、寝惚けたことを言い始めた。戦地で待てだやめろだの、冗談じゃない。
「おミャーとはやらんニャ」
「何!?」
彼の自尊心が更なる傷を負う。
「自分一人で充分だから向こうの団長さんは素通りさせろって、うちの若大将がね」
武器を持たない代わりに黒く染まった拳具を装備しているルノアが更に、彼の自尊心を殴り付ける。
「そもそも、ミャーたち三人がおミャーとやり合ったら一瞬で終わっちゃうニャ。そんなのつまらんニャー」
先端がくくっと曲がったダガーを手にするクロエは尻尾を揺らしながらにゃふふんと笑い、二人が付けた傷に毒を塗り込む。
「ふざけたことを……! その舐めた口が聞けぬよう首を刎ねてやろう!」
「出来もしないことゆーニャ」
「インチキしたってよーやくミャーたちと同じレベルにしかなってないくせに!」
「な!?」
見抜かれている。
この光を纏えば、自分のレベルが一つ上がるのだと。
「インチキしてLv.4になったような小物が偉そうなこと言うニャ」
「いやいやあんたら言い過ぎ。けどまあ、正面衝突で私ら三人をどうにか出来るみたいなツラ出来んのはよくわかんないね」
「ってゆーか何をそんなブチキレてるニャ?」
「十五分しか猶予がないから焦ってるのかニャー?」
「この感じは、誰かの力を借りてるってことに折り合い付けられてない感じじゃない?」
「なんだそれー! プライドとの折り合い付けるの下手すぎニャ!」
「っていうかその前髪なんとかしろニャ。なんか腹立つニャ」
「あと香水臭い! 付けすぎニャ! 鼻が曲がるニャー!」
「関係ないことギャーギャー言うな馬鹿猫共!」
不本意ながら他者の力を。他派閥の力を借りてしまった。自分の実力では、この三人を突破出来ないからと。
それだけの屈辱を浴びたとしても、お前では自分たちに敵わない。
このふざけた娘たちは、そう言っているのだ。
ヒュアキントスは知った。
「ぐ……っ……ぁぁぁぁ……!」
更なる上があることを。
屈辱に、果てなどないことを。
「つーかもう行きなよあんた。時間ないんでしょ?」
「ミャーたちもアルテミス様の眷属たちもおミャーには手を出さないニャ」
「おミャーをボコボコにするのは、うちのベルニャ!」
「…………後悔させてやる」
「あそ。いってらっしゃーい」
「精々がんばってー」
「ベルー! しっかりやれニャーッ!」
尚もふざけた調子の三人娘の誘導に従ってしまう屈辱に歯噛みしながら急発進。酒場の面々から遅れて来た他の従業員やアルテミス派の眷属たちはヒュアキントスの進む道を開けるように展開し、彼の爆進に見向きもしない。
「殺す」
全てが屈辱。
「お許しくださいアポロン様……アポロン様のご意志には添えません」
脳裏に浮かぶは愛しい主のお姿。
いつだって自分に向けてくださる晴れやか笑顔を曇らせてしまう。そんなことはわかっているけれど。
「絶対に殺すっ……!」
ベル・クラネルは、必ず。
血走った眼のヒュアキントスが駆け抜ける先には、何のつもりか開放されたままの城門。
「何処までもふざけた真似を……!」
その直下に、人影が一つ。
「死ねええええぇ!」
一切速度を緩めず、一切の躊躇いを捨て、全開の殺意を込め、その影目掛けて切り掛かった。
「っ!」
とてつもなく重い初撃を防いだのは、交差する二本の短刀。
左手の黒。右手の白。
「殺すっ!」
その持ち主に肉薄し、ヒュアキントスが吠える。
「都市の子供たちだって見てるんです。乱暴な言葉は控えてくださいよ……!」
既に頬に汗を浮かべている、まるで余裕を装えていないベル。
推定Lv.4の攻めの大将と、Lv.2の実質的な守りの大将が、早くも激突した。
* * *
アルテミス・ファミリアと合流し、会場となるシュリーム古城跡に物資を運び込んでいる最中。
「この
アーニャが、ベルたちを捕まえた。
「今回の騒動は全部おミャーたちから始まってて、悔しい思いをしたのもおミャーたちにゃ」
アーニャの瞳の先にはベルと、頬に痣を残したままのリリ。
「ミャーたちとアルテミス様のとこのみんながいれば勝てるニャ。絶対勝てるニャ。でもそれは
「いやいや、ケンカも何もないニャ。派閥の主神様たちがそーゆー風に」
「それは神様たちが決めたことニャ。ベルたちのケンカを取り上げて、違う名前にしちゃっただけニャ」
「まあ……うん。アーニャの言いたいことはわかる。自分のケンカを誰かのケンカに奪われたり、誰かのケンカの代わりにされるのは面白くないって思うよ、私だったら」
クロエが首を横に降り、曖昧ながらも首を縦に振るルノア。
らしくもなくまともなことを言うアーニャの主張に、誰も彼もが耳を傾けている。
「こんなこと言えるのは、数が増えたからニャ。そうじゃなかったらミャーも言わなかったニャ。今なら、ベルたちが望んだ決着に手が届くはずニャ。そう出来るようミャーたちも全力を尽くすニャ。だから……聞かせるニャ、ベル」
「うん」
「本当は、どうしたいニャ?」
笑いたいのをベルは堪えていた。
なんか、お姉ちゃんみたいだなって。
そう思えたら、空気を読めないってくらいに笑いたくなっちゃったから。
「……今回のことの全部、リリが傷付けられたことから始まったんだ」
「知ってるニャ」
「僕は……それを許せない」
「だから?」
「正直に言うと……僕かリリが殴り返して終わらせたいって、ずっと思ってた」
「決まりニャ!」
「いや決めないでください!」
決定事項にされる前に割って入るのは、事の始まりを痣という形で頬に残しているリリ。
その後、あくまで理路整然と戦うべきだと主張するリリとアーニャの議論はヒートアップ。特にアーニャの側は議論だなどと呼べるほど理屈の通ったものではなかったけれど。
しかし、筋は通っているなと、リリも含めた全員が認めてはいた。
「でしたらこうしましょう。開幕して間もなく敵大将が突っ込んで来たならば、アーニャ様の案の通りに『
「おっけーニャ!」
「ではそれでいきましょう……はあ……」
今日になるまでライラやフィン、ノインやリャーナ等から戦術面の手解きを受け、相手側の情報を集め、自分たちにやれることとやられたら嫌なことなどをとことん突き詰めたのに、その全てを無駄にしてしまうかのような脳筋スタイルへ開戦直前に変更。そりゃあ吐き出す溜め息も深くなる。
「そんな顔すんなリリスケ」
「成せばなります! 何事も!」
「わかっています……一度決めた以上、もう覆す真似はしません。アーニャ様たちやレトゥーサ様たちは敵大将と他の戦力との分断。可能な限り『
会場に移動する時間などを駆使してあーだこーだと話し合ったこの戦いの為だけの
「ライラ様とフィン様に怒られてしまいますね……」
それが嬉しいやら複雑やら何やらで、リリの横顔が静かに綻ぶ。
「一応言わせるニャ。使ってくる可能性があるかもって
「うん。わかってる」
「勝てるの?」
リリだって、確かめておきたかった。
気紛れなクロエだから、リリの思いを汲んでくれたかなんてわからないけれど、それでも彼女は聞き辛いことを、ベルにぶつけてくれた。
「勝つよ」
「どうやって?」
「頑張ってどうにかする!」
「はぁ!?」
「二つもレベルが離れてるんだもん。小細工なんて通じないだろうし、それしかないでしょ」
「アーニャの馬鹿がベルにも移ってるニャー! 終わったニャー!」
「どういう意味ニャー!?」
ギャーギャー喚く酒場の連中を見やるアルテミスの眷属たちが唖然としているのがわかる。
どいつもこいつもガバガバ脳筋プランを軸にしちゃったけど、マジで大丈夫なのかこいつら? とでも言いたげな者さえいる。
「はあ……ベルのとこの団長そっくりだったよ、今のベル」
「でしょ?」
「得意気に笑うとこじゃないのに笑っちゃうとこもね」
「あてっ」
ルノアの拳がベルの肩を小突く。既に拳具を装備しているもので、結構痛い。
「私らの前で勝つって言い切ったんだからさ、カッコいいとこ、見せてよね」
「うん。任せて」
らしくもない勝ち気な笑みを装備して、ベルはしっかりと頷いた。
「なんてやり取りしてそー」
こんな感じだろうなという、極めて核心に近い妄想から現実に帰って来たライラが小さな手を額に当てて呻く。
「見せ物としてはダレない展開なのありがたいけどさあー」
「守りの側が取らなくていいリスク取ってどーすんのさー」
「確かにリターンは多いけどね」
「戦力はとんとんかそれ以上でも長期戦になればなるほど数の不利が厳しく働くし」
「言っても三日間だしそこまで意識しなくていいと思いますけどね」
「いいじゃない。本当にあのピカピカの魔法を使って来たのだからー」
「しかしこれは好奇でもあるんじゃない? ゴライアスの時と同じなら効果は十五分。フレイヤ様のとこの鬼畜エルフとかめちゃすご範囲の回復魔法使えるヘイズじゃあるまいし」
「ぶいっ」
「術を掛け直すのだとしたら、ヒュアキントスの近くに寄らなければならないはず」
「それはつまり」
「規格外の能力を有する術師を炙り出せる」
「そういうことね!」
フレイヤの隣で得意気にピースをしているヘイズを横目に、アストレアの娘たちが可能性の話を拡げる。
「掛け直しはないと思うわ」
「私もアストレアと同意見」
その可能性に異を唱えるのは、女神二柱。
「アタシも同意見。秘密裏に撤退出来るルートを作ってんじゃねーかな」
「あの術の効果とその異常さを見抜けない神などこの都市にはいない。腕のいい子供たちの多くもあの術の効果に見当を付けられるでしょう」
「術者の姿を晒すなんてあり得ないわ。絶対に」
「みゃー」
ライラ、アストレア、フレイヤの言う通りとでも訴えるようにシロが添える。
「何れにしても」
「何故、見せる?」
バベル三十階。
アストレアの言葉が聞こえていたかのようなヘルメスの独り言がアスフィの前に落ちる。
「神々はもちろん冒険者たちだって察せられるだろう。
この戦いの結果に関わらず、今日以降アポロンの子供たちはマークされる。規格外の何かを持つ眷属がいると発覚するから。
それを狙った? 都市の派閥の多くの目がアポロンに移ることを?
わからないでもないが、だったらハナから見せなければいいだけの話。
見せることで明確な得がある? それとも何かしらの契約の履行? ベル・クラネルを表舞台に引き摺り出したことへの報奨? それは割とアリな感じがある。しかし。
「ただの娯楽ってのが一番しっくりくるんだよなー」
チラリとイシュタルに目を向けるが、
「こりゃあ、この戦いであのキラキラに関して情報を得られることはあまりなさそうだ」
「あまりと言うと?」
「今回の件でわかった。あの術の対象は一人だ。複数人同時には出来ない」
「何故そうだと?」
「複数人纏めて対象に出来るのなら使うだろう、普通に。その方が見せ物としての価値も跳ね上がる。どんな理由であれ衆目に晒す以上、その特異性を強く訴えることに意味がある。見える効果は曖昧だけど目を疑いたくなるほど凄いことがラベルに書いてある商品より、持ち得る効果全てを実証する様を見た方が疑念を捨て易いだろ?」
「言いたいことはわかりますが……そうであるなら」
「ああ」
「この戦いは、僕たちの知っているヒュアキントスではないヒュアキントスをベル・クラネルが制することが出来るかで趨勢が決まる」
ロキ・ファミリアの
「あの輝きはなんじゃ?」
「アーディのスキルと似ている? いや……単一の質だけで見るならば、アーディの比ではないか……?」
「なんかよくわかんないけどベルーっ! みんなー! かんばれーっ!」
「負けんじゃないわよ!」
「頑張って、ベル」
「けっ……質のわりぃ見せ物だぜ……」
「ぐぎぎ……アイズさんたちが応援してくれているのに負けるなんて許せませんけど……勝つのもまた許し難い……ぐぬぬ……!」
「しかし……決断したんだね。僕たちの言葉より自分の考えを。自分の意思を優先することを」
幹部級がズラリと揃い
「正しい選択とはとても言えないけれど、悪くない。何より……」
「フィン……?」
「嫌いじゃない」
鏡を見上げる『
「期待しているよ。勇敢な同胞」
鏡に一瞬映った同胞の必死な姿に、
* * *
強い。
多分、僕じゃ勝てない。
実力差も、この意地の張り合いの結末も、ある程度ベルには見えてしまった。
「はっ!」
そんなの関係ないと言わんばかりに攻める。とにかく攻める。
何せ相手はLv.4相当。本来なら正面から勝負を挑むことそのものが誤りと言わざるを得ない戦力差。
故に攻める。そうするべきなのだと今日までに重ねて来た訓練の日々から学んでいる。
全てにおいて相手が上である以上、受けに回ってもいいことない。それくらいならばまだ前に出て、魔法なりスキルなりなど、強者の持ち味を封じることを考えるべきだ。
ベルは少し特殊な側だが、魔法には詠唱が欠かせない。だったらそれを阻害する。
相手が平行詠唱を体得していたとしても、攻め続ければ中断させることが出来るかもしれない。
相手の持ち味を少しでも削り、相手の癖や得意な形を少しでも覚える。
五年前から毎週末。今でも定期的に行われている輝夜との訓練で、その大切さを学んでいる。
初めて輝夜に浴びせることが出来た一撃だって、輝夜の姿は見えないけれど、あの日までの反復で輝夜の癖を理解した結果なのだから。
「粋がっている割に大したことないな小僧!」
都市でも屈指の美形と言えるだろう青年ヒュアキントスだが、今の彼は獰猛な肉食獣宛ら。この場でベルを食い荒らすことしか考えていないかのような暴れっぷりである。
「その光が剥がれるまであと十四分位で合ってましたかね!?」
「遺憾ながらその通りだ! 時間切れでも狙ってみるか!?」
「そんなことしませんよ……!」
いや。するべきである。
罠を張るなどして、城内という環境を最大限に活用し時間を稼ぐ。
ファミリア内でも慎重派と言えるだろうライラやノインやリャーナなどならばそう言うのだろう。
しかし、ベルは拘る。
「この状態の貴方に勝てば少しは自分が強くなれたんだと思えるし、貴方の屈辱は万倍くらいになるんじゃないかなって!」
らしくないことを口にして、その理由を開示する。
「兎も殺せないような腑抜けた面構えのくせに言うじゃないか! なぁ!?」
「ぐぅっ!?」
「この私に生意気な口を聞いたのだ! 無様に逃げ出すような真似をしてくれるなよ! ふんっ!」
目で追うのに苦労する横薙ぎを『
「これをあと十四分か……!」
体勢を立て直しながら呟く。
十四分。
彼我の戦力差を考慮すればこそ、ベルにとっては途方もないほどの長時間。
姉たちとフレイヤの子供たちのおかげで敏捷と耐久にはそこそこ自信があるけれどこの戦力差で逃げ切れる気がしないし、一度掴まったら戦闘不能になるまで耐えられる気もまったくしない。
自分では勝てないからとヒュアキントスを行かせてしまえば、リリが躱し続けられるか否かと言う危険な賭けに全てを託すことになってしまう。
気付けば脳筋思考に基づいて行動しているベルたちではあるが、それは論外。
この戦い方を選んだ以上、ベルがヒュアキントスを抑えないことにはどうにもならない。
となれば、ヒュアキントスが放棄しているように、ベルも長期戦の選択肢など捨てるしかない。今の戦力差であの金光が剥がれるの待つ余裕などあるわけがないからだ。
ベルに求められているのは長時間逃げ回ることではない。
圧倒的不利を覆す、火力アイデア脚力とにかく全てに求められる、圧倒的な瞬発力だ。
「始まった……!」
遥か遠くで酒場の面々と、アルテミス派の面々がアポロン派の後続と戦端を開くのを確認した。
「どくニャーッ!」
荒々しい轍を戦地のど真ん中に刻み付ける小さな戦車と化したアーニャ。
「オラオラどしたぁ! こんなもんかぁ!?」
襲い掛かってくる者全てを豪快に殴り倒して暴れ狂うルノア。
「ニャふふーん。この子にはパンチのある毒が塗ってあってーって、聞いてる?」
見るからにヤバそうな愛刀で切り付けられ蹲る者を嗜虐性全開の眼差しで見下ろし恍惚とした横顔を晒すクロエ。
流石の強さである。というかあそこまでの力を備えていたなんて知らなかった。正面からケンカしたら絶対勝てないと改めて思い知らされてしまったベルの横顔に一瞬だけ、悪くない笑みが浮かぶ。
わかっていたことだ。アーニャルノアクロエがいれば最前線は大丈夫だと。彼女たち三人の背中を庇うことさえ意識していれば、自分たちが遅れを取ることはないだろう。
その確信をより強固にしてくれているのが、アルテミス・ファミリアの存在だ。
単純に頭数を増やしてくれたからではない。
月と弓矢のエンブレムを
都市外のファミリアの戦力はオラリオに属するファミリアより圧倒的に劣ると言われて久しい。実際その通りなのだろう。
定住地を設けない彼女たちはオラリオ所属の派閥と違い、ダンジョンへ潜って
オラリオに属していない派閥が大きな力を有することが難しいと言われる要因はここに依るところが大きい。
しかし彼女たちは、暗黒期と言う時代の土壇場にも、エルソスの遺跡という下界の未来が掛かっている戦いの渦中にも飛び込み、全員が生還を果たしている。
どちらも立ち位置としては末席、後衛、露払いなどが役割であったのは間違いないが、時代と世界の全てが天秤に載せられた舞台から生還したのは決して伊達ではない。
加えて、彼女たちが得意としているものは、狩り。
獲物を囲い、追い込み、充分に安全を確保した上で仕留める。
巻き狩りなどと呼ばれる集団での狩猟は狩りの基本中の基本。
短く見積もっても五年前より一人の死傷者も出すことなくアルテミスと共に世界各地で狩りを続けている彼女たちの連携は、オラリオに属する派閥に遅れを取ることなどないと手放しで言えるほどに逞しく、同時に精密だ。
猪突猛進気味で連携なんてほとんど皆無であるアーニャたちの背中を、あの人たちなら支えきれる。
「よし……!」
そう信じて憚らないベルは目の前の強者を叩き伏せること、その他一切を意識から切り離した。
「余所見とは余裕じゃないか!」
「しんどいのは間違いないですけど、まあそれなりには!」
「強がりはよせ!」
「ぐっ!?」
ステイタスの上昇云々ではなく、日々の鍛錬に裏打ちされた実直な攻めに押し込まれる。瞬間移動宛らな高速移動と並行して繰り出される体術のキレも凄まじく、前に出ることこそ突き詰めているが攻めに転じきれない。
「見ろ! 防戦一方ではないか! 派閥の者たちが貴様に教えたのは戦い方ではなく低俗なお喋りだけらしいな!」
「おーおー言われちゃってんぞー末っ子ー」
「低俗なお喋りだなんて、嫌ですわぁ」
「口の悪さに関して言われるのであれば間違いなく貴方たちの影響でしょう……」
星屑の庭。
鏡にデカデカと映るベルとヒュアキントスの戦いを眺めながらライラ、輝夜がニヤ付き、半眼になったリューがぼやく。
「お喋り出来ちゃうくらいにはちゃんと付いて行けてるじゃん」
「レベル差二つあっても付いて来られちゃってるってことをヒュアキントスはもっと重く見た方が良さそうなものだけどね」
「っていうか……あれってさ」
「でしょうね。間違いないと思います」
「試運転はしていなかった、ってことかしら」
「その時間はあったろうになー」
イスカ、リャーナ、ノイン、セルティ、マリュー、ネーゼがとある可能性に気付き、既にそれは確信へ変わっている。
「やりようはある! いけるわよ! ベル!」
「負けてないよ! ベル頑張れーっ!」
「みゃうー」
アリーゼとアーディとシロが届かないとわかっている声援をそれでも送る。
「はっ! こ、のっ!」
聞こえない声援に背を押されたのか。ベルの左手で光る『
「ふん……!」
そんな程度何するものと微塵も動揺を見せることなくヒュアキントスは攻める攻める。ベルも負けじと応戦。
「がっ!?」
即座に右手の『
「まだまだぁ!」
それでも止まらない。取り落としそうになった『
後退した方が負けの意地の張り合いでもしているのかと言うくらいの超至近距離で、持てる全てを発揮する両者。
「くそぉ……!」
致命傷こそ受けてはいないが、ベルの被弾が増えていく。冒険者でなくともどちらが優勢であるのかなど一目瞭然。力関係が正しく可視化されていくようである。
しかし。
外套の一部。
その下の
遂には、頬。
生傷を増やしていくベルよりも少ないが、ヒュアキントスの被弾もまた、少しずつ増えている。
「これは……やはり……!」
ヒュアキントスも気付く。
ステイタスに差はあるはずなのに、それでも眼前の格下を御しきれない理由に。
己が思い描く通りに動きを作りきれない理由にも。
「ふっ!」
「はあっ!」
ヒュアキントスの剣とベルの二刀が衝突。鍔迫り合いよろしく押し合う格好になる。
「やっぱりそれ、ステイタスじゃなくてレベルを上げるものなんですね」
「何!?」
あくまで必死の形相であるベルの言葉にヒュアキントスが苛立ちを見せる。
この黄金の輝きに殺されかけた経験のあるベルの推察通り。
この輝きは能力を強化するのではなく、レベルを上げるもの。つまり、強制的に
それならば、ベルより強くベルより速いはずのヒュアキントスがベルを押しきれない具体的な理由の一つに検討も付く。
「感覚、ズレてるんですよね?」
「!」
核心を付く一言が、ヒュアキントスの顔色を変える。
器の昇華を果たした上級冒険者がほぼ必ず通る道。
冒険者たちの間で感覚のズレなどと言われている現象が、無理矢理にレベルを引き上げられたヒュアキントスの身を苛んでいるのだと、ベルやアストレアの娘たちは看破したのだ。
「速いですし強いけれど何処かチグハグ。確かにレベルの差はありますけど、あんまり怖くないです。今の貴方は」
「お、お前ぇぇ!」
言いながらヒュアキントスの剣を押し返してくる姿に苛立ちが急加速。
「ファイアボルト!」
『
「っ!?」
しかしヒュアキントス、背を逸らして回避。恐らく彼の器が昇華していなかったら回避の出来なかった一撃であっただろう。
「がっ!?」
上体が崩れた所を押し込もうとするベルの動きを無理な体勢からの蹴りが咎める。ヒュアキントスは蹴り抜いた勢いのまま後方へ跳躍し着地。
「聞いた通りの魔法だな……忌々しい……!」
間一髪で炎の魔法を躱したヒュアキントスの前髪の一部が、焦げている。
「けほ……そこまで知ってるんですね……」
回避に必死だった故かヒュアキントスの蹴りは浅く、致命傷には遠い。これが彼にズレが発生していなければどうなっていたことか。
人が魔法が剣が矢が飛び交う戦場に於いて、とにかく前に出ていた二人は一呼吸。まだ余裕の見えるヒュアキントスも、息を荒くしているベルも、互いの姿から視線を逸らさない。
「いいのか、悠長に構えていて。私がこの光に適応するまでもう間もないぞ?」
ベルの気を逸らせるようなヒュアキントスの言葉。
「構いません。何も問題ありませんし」
それを受けてもベルは眉一つ動かさない。
「理由を聞いてやる。答えろ」
「貴方は、今日まで僕に訓練をしてくれた誰よりも弱いから」
揶揄うでも嘲笑うでもなく淡々と、自分の中の真実をベルが口にする。
「貴方は僕より強いですけど、僕を訓練してくれる人たちは貴方よりもっと速いし上手いし容赦がないし怖いし、強い」
「…………」
「だからですかね。貴方に勝てる絵は見えないままなんですけど、貴方に負ける絵も見えて来ないんです。正直、ちっとも怖くありません」
慢心も油断も誇張も見栄も何もなく、ただ自分が持っている情報を整理しただけの言葉からは、微塵の躊躇いも迷いもなかった。
今頃オラリオではそれはそうだろうと、多くの者が首を縦に振っている頃かもしれない。
例えば、自派閥の姉たち。フレイヤを支える勇士たち。他にはシャクティやアスフィ。ヒリュテ姉妹にアイズなど。
あくまで訓練であることは失念出来ないがしかし、こと対人に於いてベル・クラネルは、ほとんど格上との対戦しか経験して来なかった。それも、圧倒的に格上な者たちばかりとである。
朝起きたらアリーゼにボコられ、傷が癒えた昼にはオッタルにボコられる。
翌朝にはアレンにヘディンにヘグニにガリバー兄弟にヴァンにメルーナ等にボコられ半ベソで家に帰り、そしてリューアーディライラ等にボコボコにされる。
そして毎週末には、輝夜にとことんまでボコボコのボコにされる。
そんな日々を五年間。ほぼ毎日である。
本人の才覚も今の実力もさておくとして。
ベルがオラリオでも最高峰の環境で、最高峰の訓練を受け続けてきた事実を、ベルを取り巻く誰もが認めている。
ベルを虐めた面々が本当の全力を発揮してくれたことなど片手の指を全て使うかどうかすら怪しいところだが、相手に全てが上回られているという状況に極めて長時間晒されて来たのは、ベルの強みの一つと言える。
言ってしまえば、虐められ慣れているのだ。
故に、この程度の土壇場でベルは臆さない。臆する理由が一つとして存在してないのだ。当然である。
「……ふっ……ふふ……」
言うだけ言われたヒュアキントスはどうしてか、笑い始めた。
「くく……ふはは……いやはやこれはこれは……そうか、その様な姑息な手を使うのか……!」
「姑息?」
「貴様、私を激昂させようとしているのだろう?」
「はい?」
「なんとも下劣で浅はか。しかし卑怯とは言うまい。力で劣る者が己を上回る強者を御そうと言うのなら使えるものは全て使って然るべきだ」
「何の話をしてるんです?」
きょとん。
「べ、ベル様ぁ……?」
伏兵に警戒しながらも高所からコソコソとベルの様子を見ているリリがぽかーんと口を開けてしまうくらいの、きょとんであった。
「今のは…………ああそうか! そういう考えもあるんですね! えっと……そういうのは特に考えもしてませんでした。ただ思ったことを口にしただけなので……」
ドヤ顔で指摘した内容がどうもピンと来ないもので言葉に迷いながら返事をしたベルから、幾許かの申し訳なさが滲み出ている。
「それに、僕言ってるじゃないですか。貴方は僕に訓練をしてくれている誰よりも弱いって。だって言うのに、どうしてそんな回りくどい真似をしなければならないんです?」
遂には、心底意味がわからないみたいな表情で不思議そうに首を傾げ始める白髪の十四歳。
鏡越しにその姿を見ているアストレアの姉たちも、ベルをよく知るあの人があの神が、リリよろしく口を開けてしまっている。
「……そうか……そうかそうかそうか!」
ベルを知る者たちがポカーンとしている中、唯一人ヒュアキントスは、震えていた。
「私は学んだよ! 屈辱がそうであるように! 怒りにも! 果てなど存在しないのだな!」
ヒュアキントスの手足は震え、額や頬には血管が浮き出て目は血走っている。
「思えばあの時からそうだった!
「…………」
「敬愛する主以外に道を敷かれ、こうして屈辱に塗れ! お前のような不調法者の相手をせねばならない! 全てに怒りを覚えた! これが怒りでなくて何と言う!?」
自分に酔っているかのよう、大袈裟な身振りと共に吠えるヒュアキントス。
「はぁ……」
その有様を眺めるベルの瞳が、鋭さを帯びる。
「この屈辱を! この怒りを! お前如きに理解など」
「吠えるな」
空気が冷たくなった。
いつの間にか、誰かさんたちの口癖が移ってしまったらしいベルとヒュアキントスのやり取りを眺めている者全員が、そう感じた。
「貴方の怒りなんて知らないしどうでもいい。結局全部自分自身が弱いから苛立っているんでしょう? わかりますよ。僕も同じだから」
ヒュアキントスが、事の発端から怒りに身を任せていたのだとして。
もう一人いた。
「僕がもっと強ければ……ちゃんとしていれば……守ることが出来たんだ……!」
事の発端に抱いた怒りに身体の内を焼かれ続けていた危険な少年がここにいる。
今日までずっと、我慢をしていた。
本当は、アポロンの元に殴り込みたかった。
本当は、
本当は、自分一人でこの男を叩きのめし、リリに対して詫びを入れさせたかった。
全て全て全て。我慢をした。
神様たちがそう決めたから。
自分一人ではどうにもならないってわかっていたから。
自分がこんなものに呑まれて暴れ狂うことを望まない人がたくさんいるってわかるから。
しかし、もう手遅れ。
とっくのとうに限界を越えているのは、お互い様である。
「貴様の怒りなど見当違いも甚だしい! お前のような未熟者一人があの場にいたとしても結果は何も」
「お喋りですね貴方は」
「なんだと……!?」
「口以外に達者なものは何もないんですか? 派閥ではお喋りの訓練しかしていないんですか? 強くなりたいとか、強くなることへの誇りとかってないんですか? ああ、ないから平気で第三者の力を借りられるんですね。それも直に時間切れだって言うのに、そんな所で突っ立っていてどうするんですか?」
「貴様ぁ……!」
「貴方とのお喋りはつまらないです。もう飽きました。だからさっさと続きをしましょう。大丈夫ですよ、僕は逃げも隠れもしませんから。貴方に逃げるなと言われたからじゃない。貴方如きに背中を向ける理由がないからです」
「ベルくんが不良になってるー!?」
「ヒュアキントス落ち着け! 心を乱すな!」
バベルの三十階でヘスティアとアポロンが仲良く取り乱す。
「べ、ベル……私のベルがあんな物騒なことを言うなんて……!」
「私のベルって」
同じ空間内、ヘルメスの背中に立つアスフィが身体を震わせ、なんなら瞳に涙を溜めていたりする。
「十数分後の貴方に興味ありません。今の貴方を倒すことにしか価値を感じないので。時間がありません。さあやりましょう。貴方たちがこの都市から叩き出される前に、出来るだけ無様に。みっともなく。その安いプライドを叩き割ってあげます。だから……」
右手の『
「さっさとかかってこい。三流」
最後のダメ押しを、ベルは叩き付けた。
『
オラリオ全土に響くイブリの声が、次のラウンド開始のゴング。
「殺すっ!」
ヒュアキントスが急発進。
「はっ!」
ベルも負けじと全速力で詰める。
「死ねえええええ!」
「はあああああっ!」
二人の怒りが乗った獲物同士が衝突する音が、鏡越しにオラリオを激しく揺らす。
「あ、あららー?」
「ととととととんでもないことになってしまいました……!」
「だ、誰あれってレベルでブチギレてるじゃんベルぅ!?」
「輝夜とリオンの口癖移ってるし!」
「本人ド真面目に怒ってるだけなんだけど、結果的にめちゃくちゃ効いてる煽りになってるのがベルらしいと言うか……いやさっきから全然らしくないんだけどさ」
「お、怒った顔も可愛いーっ!」
「私にゃ無理だ……目の前でベルにあの怒り方されたらファミリアやめると思う……少なくとも心は壊れる」
「えーそーおー? わたしはあんな怒り方されたらもっと好きになっちゃうって言うかもっと怒ってほしいと言うか……てへへ……!」
「うちのドワーフとんでも性癖生えてんだけど」
「ベルも男の子なんだなあ……」
などなど、アストレア家が色んな意味で騒然となっている中。
「貴方たちの言葉遣いがあの子に移ってしまったの。わかる? あの子はそういう路線に行く必要なんてないの。ああいうベルは解釈違いなの。その辺り本当にわかっているのかしら? ちょっと、聞いているの?」
「「「申し訳ございませんフレイヤ様」」」
輝夜、ライラ、リューの三人は、激おこフレイヤ様にお説教をされていた。
私は二人と違って口が悪いなんてことないのにとリューが思う横で、まさかこんな形でフレイヤに怒られると思っていなかった輝夜とライラは居心地悪そうに背中を丸めている。
「アレン様の影響と酒場勤めが長い影響もありそうですねー」
「またあの子はフレイヤ様のお心を掻き乱して……」
けらけらと笑うヘイズがベルに悪影響を与えているだろう筆頭たちの顔を思い浮かべ、フレイヤの心を掻き乱すことがとっても上手な少年にヘルンママ、ちょっとだけおこ。
一方、黄昏の館では。
「だはははははははっ! 様にならねえなああの兎じゃあよぉ! あー腹痛え……!」
「流石に笑い過ぎですよベートさん……」
一連のやり取りを見ていたベートが爆笑し、その珍しい姿にレフィーヤが半眼を向けていた。
「ベルに足りないのは雄らしさだと思ってたのよ! もっと言ってやんなさい!」
「わかるけどさーあ、なんかベルらしくないし、今日だけでいいかなー。でも頑張れーっ!」
「ベル……不良になっちゃった? 不良は、ジャガ丸くんを……作らない……? 不良になったら……ジャガ丸くんはもう……うぅ……」
ティオネはノリノリ。ティオナはノリノリだけど少し心配そう。アイズは見るからに狼狽。よくない未来が見えるのか、プルプルと身体が震えているくらいだ。
「エイナの狼狽える姿が目に浮かぶようだ……」
「うわっはっはっは! 小僧が一丁前に吠えるではないか!」
「らしくはないけれどね。けどまあ、盤面の構図をより単純にしたのは間違いないね。あとは、彼の背を固めている彼女たち次第かな」
リヴェリアが微妙な表情を浮かべ、ガレスが豪快に笑い、フィンが状況を整える。
「はわわ……ベルが……俺のベルが……超不良になっちゃった……!」
尚、
「わわわわれ我らが奉じます大聖樹お許しください大聖樹ベルくんの豹変に慄きながらきゅんを覚えてしまっているこの身を許してマジで大聖樹ほんとお願いしますからっ……!」
アスフィと同派閥のエルフのローリエさんは自派閥の
「ベルくんが……不良に……わ、私の教育方針が全部間違って……あっ」
「わーっ! エイナが倒れたーっ!?」
ギルド本部内ではベルの先生、
「まーまーフレイヤ様! フレイヤ様もわかっていますよね!?」
「まあね。ただ、そういう駆け引きとは言え、ああいう面を見せることには不納得なの」
「複雑な親心ですねー」
「貴方は違うの? アーディ?」
「このまま本当にベルがグレちゃったらどうしようと思うとふるえがとまりません」
「複雑な姉心ね……」
「私たちとフレイヤの子供たちと。あの子を大切にしてくれる人々と重ねた研鑽の日々が、あの子にあんな一面も与えてくれた」
引き攣った笑顔のままカタカタと震え続けるアーディの頭を撫でながら、アストレアが鏡を見上げる。
「本当に逞しくなったわね……ベル……」
アストレアの微笑みが見つめる先。
掛かった!
脳内で叫ぶベルの瞳からも表情からもとにかく全てから、怒りの色は鳴りを潜めていた。
この人は、試合を切り離した。目の前にある自分との勝負だけに全ての意識を向けた。
しかしベルは違う。
勝負より試合に拘っている。
これは、自分一人のケンカじゃない。
怒りに任せて理性を手放すなどあり得ない。
そんな姿を見せてしまったらみんなを心配させてしまうもの。
怒りは本物。発した言葉に一つの嘘もない。
ただちょっと頑張って、普段の自分なら言えないような言葉を言ってみただけ。
「やっぱり僕の師匠たちは頼りになる……!」
輝夜。ライラ。アレン。ヘディン。ガリバー兄弟。少し水を開けられているけれどリューなどなど。
お口があまりよろしくないよなあと思わざるを得ない人たちとの訓練の日々が、この人たちと共に生きてこなければ思い付きもしなかっただろう煽り文句をベルの脳に作ってくれた。
「何をほざいているっ!」
「ぐっ……あぁぁぁ!」
憤怒に身を焼くヒュアキントスが上段から力任せの一撃。衝撃を殺しきれないと踏んだベルは二振りの獲物を落としてしまわないよう手指に力を込めながら後方へ跳躍し衝撃を逃がす。ちょうど城内に飛び込んでいく格好となった。
「はっ!」
すかさず城内へ追い縋る強者。今度も全力の大振りがベルを襲うも今度はしっかり回避。ヒュアキントスの一撃で爆砕した石床の破片が二人の頬に傷を増やす。
よし。
頬の痛みの内側。口内で弾けるのは、この状況への肯定。
ベルがヒュアキントスを抑える。それは変わらない。
ヒュアキントスを抑えている間に、他の勝負を決めてもらう為に。
ただ。
贅沢を言うことが許されるのならば。
試合にも、勝負にだって、勝ってみせたい。
向こうの方が強い。そんなの悔しいくらいにわかってる。勝ち方も選べるような実力も、一人で勝利を呼び込めるほどの実力も持っていないけれど。
「まだまだ倒れないでくださいよ!」
「何!?」
「貴方を思いっきり殴らないと! 僕の気が収まらないんだから!」
怒りだってもちろん忘れていない欲張りな末っ子は、試合も勝負も自分のものにするべく、真っ向勝負に全てを注ぎ込んだ。
* * *
「右舷! そのまま包囲! 内側に飛び込むな! 外から狙っていけ!」
間もなく勝負が決しようとしている最前線の戦いの渦中でも、アルテミス派の団長レトゥーサは微塵も気を抜いていない。
一人に対して一人を当てることをとにかく避け、敵の包囲の外へ外へと逃げ、しかし内側から敵陣を崩していく。
「あれで最前線を退いて久しいとは……凄まじいな、豊穣の女主人……!」
内と外の関係性に矛盾を産むとっておきの異物が、アルテミス派の包囲とアポロン派の陣形よりも内側で暴れ狂っている。
「はああああああっ!」
とにかく駆け回り、とにかく引き倒す。
この戦場で最速のアーニャ。
「おらあああああっ!」
アーニャの背を守るなど考えず、とにかく人の前に立ち、とにかく殴り倒す。
アーニャが刻む轍から逃れようとする者たちを、ルノアが逃さない。
「世話が焼ける、ニャッ!」
そんな二人の取り零しを丁寧に摘んでいくクロエ。そして酒場の同僚たち。
実力伯仲の三人のLv.4の動きが、アポロン派の陣形の外へと展開していくアルテミス派の面々に気を割くことを一切許さない。
言うなれば、アルテミス派が逃げ道を塞ぎ、酒場の娘たちが獲物を追い立てる猟犬である。
アルテミス派の面々は、連携を確立するまでに至っていない酒場の娘たちからアポロン派が逃げられないような包囲を作り維持することを念頭に置いていた。
その成果は上々どころか抜群。
こちらの戦いの勝敗は、既に決したも同然である。
「こちらは間もなく片付くか……あとは……」
「団長! 見つけました!」
「ランテか! 何処だ!?」
戦闘はある程度他の団員に任せ、城の周囲を入念に観察していたアルテミスの娘、ランテからの報告にレトゥーサが飛び付く。
「東! 城からなら大体三時! 高い草木に潜んでいたみたいです!」
「数は!?」
「約二十!」
「伏兵全員いるとみて良さそうか……!」
来ると思っていた。
アポロン派からすればヒュアキントスの敗北はそのまま派閥の敗北である以上、ヒュアキントスの様子の見えない城内戦になるのは上手くない。
加えて、ベルの奮闘が伏兵たちの焦燥感を煽っていた。
実力で劣っていながら一つの致命傷もなし。なんだか知らないがいきなり始まった口喧嘩でもまあ完勝と言ってよさそう。
実力差があるにも関わらず巧みに耐え凌ぐベルに城内で時間を使われてしまい、あの妖術の効果が切れてしまったとしたら、最悪の結果もあり得る。
そうなる前にヒュアキントスに加勢。もしくは伏兵たちでリリを討つ。暴れ回っている酒場の従業院たちが役目を終えて戻って来る前に。
ヒュアキントスが特攻を仕掛けてしまった以上、悠長に仕掛けている時間などアポロン派にありはしないのだ。
「そのまま陣形を維持! ランテも加われ!」
「向こうへの合図は!?」
「私に任せろ!」
「了解!」
全幅の信頼を置いているレトゥーサの言葉に従い、ランテも陣形に加わり包囲を強める。
「さて……!」
矢筒から一本矢を取り出し鏃の周りに細工を施す。その細工から長く伸びている導火線に火打石で着火。直ぐに矢を番え、ランテが発見した伏兵たちのいる方角を睨む。
「アルテミス様の眷属が矢で恥を晒すわけにはいかない……」
自分に圧を掛け、緊張感も集中力も高める。
風を読み、伏兵たちの速度を読み、彼らが狙う城門とその進軍ルートを読む。
燃え尽きていく導火線がレトゥーサの気を逸らせるが、レトゥーサは心を乱さない。
「すーっ…………ふっ!」
深く吸って、鋭く吐きながら、今正に導火線が燃え尽き、鏃に付けた発煙筒から赤い煙が放出され始めた矢を射た。
赤い煙は鋭く飛翔する矢に付き従い弧を描き、戦場の直上に赤い橋を掛けながら着弾。
「何っ!?」
伏兵たちの戦闘を走る冒険者、リッソスの爪先の少し先に、突き刺さった。
「注文には応えた。あとは頼むぞ。指揮官殿」
放った矢が完璧な仕事をした余韻に浸る間もなく、月の女神の眷属たちを引っ張り続ける勇ましい背中は戦乱の中へ身を躍らせていった。
「お見事!」
「あれだけの距離を……!」
「素晴らしい腕だ」
「すごいね、あの子」
眷属たちと共に
「来た!」
赤い橋の先端。赤い煙が空へと登り始めたのが見えた。間もなくリッソスの足により踏み潰されてしまったが。
「ナイス過ぎますレトゥーサ様っ!」
伏兵の接近とその位置を完璧に伝える一矢をリリは見逃さなかった。弾かれた様に駆け出し、隠密行動を暴かれた伏兵たちの接近がよく見える位置を取る。
「数は約二十! この伏兵はヒュアキントスの指示の外! 戦闘を走るリッソスが最高戦力! 彼らの狙いはリリ! 速力に長けた者たちを配置してベル様たちがやり合っている間にリリを潰して試合に勝とうとしている!」
言葉に起こしながら状況を整理するリリの右手が、ずっと腰に挿していた魔剣、
「ここしかない……!」
こちらが城内にほとんど人を配置していないことなど既にバレている。故に。
「城内に入られてしまう前に抑える!」
それしかないと、
「くっ……!」
緊張と焦燥が、リリの額に汗の玉となり浮かび上がる。
敵は予想より横に広く展開している。これでは一点集中で全てを潰せない。薙ぎ払うように打つしかない。けれど今までそんな使い方をしたことがない。そもそもこの魔剣の一振りが、こちらへ迫る全ての命を焼き尽くしてしまわないだろうか。加減も何もない全てを滅する為の力でそんな器用なことが出来る? いや無理だ。振るう者が何とかするしかない。直撃ではなく掠める程度に。炎で飲み込むのではなく熱波で意識を奪わせるように。
「リリに……」
出来るの?
手が震えているのに。
何が出来る?
言葉が出ないのに。
何なら出来る?
「リリ殿!」
「!」
多くの疑問符と重圧に呑まれ掛けるリリの意識を引っ張り上げてくれる頼もしい声。
「信じてください! 我々が信じている、リリ殿自身のことを!」
リリと同じく伏兵の位置を察知し、その一団の前へと飛び出した
「ヴェルフ殿の情熱を!」
ヤマト・
リリもヴェルフも、間にベルを挟んで彼女との付き合いが生まれたのが割と最近。
年齢やランクが近いことも手伝ってか、頻繁に言葉を交わす間柄になった。
それでもまだまだ共に重ねた時は短く、知っていることより知らないことの方がそれぞれ多いかもしれない。
リリともヴェルフとも、友情という意味でも信頼という意味でもまだまだ途上の関係値にある
リリを。ヴェルフを信じろと。
自分が信じているからと、声高に。
そしてもう一人。彼も言うのだ。
「
「ヴェルフ殿!」
「任せとけ!」
言葉と視線で互いへの信頼とこれからのことを確かめ合い、
『掛けまくも畏き、いかなるものも打ち破る我が
位置を下げた
「詠唱!?」
「潰せ!」
その歌の正体は見えずとも、歌の果てに厄介が待っていると理解した伏兵たちの戦意の矛先が
『尊き天よりの導きよ。卑小のこの身に巍然たる御身の神力を。救え浄化の光、破邪の刃』
自身に殺意が向けられようと
『払え平定の太刀、征伐の
「させるか!」
伏兵の一団。その先頭を行くエルフが懐からダガーを取り出し、
彼の名はリッソス。種族はエルフ。彼はアポロンからも団員からも信頼を集めている団員だ。ヒュアキントスが暴走気味な今、彼ともう一人のとある女性団員が中心となり、この戦いの統率を執っていた。
その女性団員と意見を交わし、ヒュアキントスの意思の外である伏兵による敵大将の撃破を成そうとしていた。
「おらぁ!」
その目論見に割って入ったのは、ヴェルフ。
『今ここに、我が
詠唱の最中だと言うのに、自分の前に現れた逞しい背中をこつんと殴り、
「へへ……!」
大人振るにはまだ青い笑声を響かせ前へ。飛んで来る矢を逸らし投擲された斧を明後日に弾き飛ばし、今日の勝利を得る為にヴェルフが猛る。
『天より
自分と同格かそれ以上しかいない戦地で、自分が信じる者たちが走る道を作る為に。
『神武闘征!』
最後の一節を
「さあ! デケェの行くぞ!」
それを煽り立てるよう、ヴェルフが勝ち気な笑みと共に大刀を振り回し接近してきた者の足を止め、自分は
「高くなくていい。広く。遠く」
自身の狙いを確かめるように呟く
「敵が集まった!」
上から見下ろすリリが狙い易くなるよう、敵を一箇所に集めること。
『フツノミタマ!』
気合いの乗った
その中心に
ダンジョン内での使用は控えろ。使うとしても規模を誤るな。
彼女の元主神であり、これからも敬愛し続ける男神、タケミカヅチより、特にダンジョン内での使用で細心の注意を払うよう厳命されている
「ぐっ……ぐぐ……ぅぅ……!」
突き出した右手にも、それを支える左手にも過度な力が籠る。広く展開しようとしていたアポロンの眷属全員を掴む為、ぶっつけ本番で魔法の範囲をより広くするという無茶を進行形でやっている
「
自分を信じてくれた仲間たちの勇敢な姿は、リリの心に火を付けた。
出来るとか出来ないとかじゃない。
決断し、やる。
いいや。やりきる。
リリが望むのは、単なる指揮官じゃない。
自分を信頼してくれる者たちと。
自分が信頼している大切な人たちと。
肩を並べ、共に戦える。
そんな、
「リリはなるっ!」
袈裟から左薙へ構えを変えながら跳躍。力み過ぎかなってくらいに力強い眼差しで、信頼を託してくれた仲間が屈強な冒険者たちを縫い留めている光景を見下ろし、大きく息を吸う。
「ぐっ……ぁ……!?」
魔法を維持していた
「先に言っとくぞお前ら!」
ヴェルフの腕だった。
「死ぬほど熱いぞ!」
安定を失い魔法の行使を止めてしまった
「
馬鹿げた規模の炎の津波が発生し、見る者全ての瞳を焼いた。
リリの振るった
勢いの衰えない炎の渦は止まることなく駆け抜け大地を、大気を焼いた。
「これが……クロッゾの魔剣……!」
「こんな物見せちゃったら、これから大変なことになるぜ? ヴェルフくん?」
その破滅的なまでの威力にアスフィが冷たい汗を流す前では、これからのヴェルフに付き纏う苦労に。そして、彼が有する大きな可能性に目を細め、ヘルメスが笑う。
「伝説が蘇ってしまったな」
「これまで見てきたクロッゾの魔剣を遥かに凌いでいる……複雑な気分だ……」
フレイヤの庭ではヘディンとヘグニが揃って、顔を顰めた。
彼らを始め、この戦いを見守る多くのエルフたちが怒りや恐怖に端正な顔を歪める中。
「ヴェルフくんなら大丈夫です。彼は、力の使い方を誤ったりなど絶対にしません」
「いつか、どうか一人でも多くの同胞に、それを知ってもらいたい」
ヴェルフ・クロッゾという青年のことをよく知る二人のエルフ。セルティとリューは、尚も波打つ炎に目を灼かれながら、それでも断言をした。
『クロッゾの魔剣』は知らないが、『ヴェルフ・クロッゾの魔剣』が我々の帰る森を奪うことはないのだと。
「……なにこれ」
リリは、唖然としていた。
自分が振るった
「な、なんですか……これ……」
炎の津波に飲み込まれ石煉瓦が。微かに残っていた草木が。大きな水たまりが。
全て、消え去っていた。
傷付いた大地の真ん中にはアポロン派の団員たちが倒れ込み、誰一人として動いている者はいない。
「ま、さか……全員……」
「心配すんなリリスケ! お前の読み通り、こいつら全員サラマンダー・ウールを着込んでやがった!」
「傷が深い者は多いですが命を奪うまでには至っていません! リリ殿の狙いが正確だった証ですっ!」
まだ余熱が残り蜃気楼の見える中に踏み込んだヴェルフと
「そ、そうですか……よかったぁ……!」
その報告を受けたリリの全身から力が抜け、気を抜くには早過ぎると言うのにペタリと座り込んでしまった。
サラマンダー・ウール。
精霊の護布と呼ばれる物の一種、
炎の精霊サラマンダーの魔力が編まれている一品は炎に対してとても強い耐性を誇っている。
リリは戦前より、特に最前線に立つ多くの者はこれを装備しているだろうと睨んでいた。
恐らくというか間違いなく、ベルの持つ魔法の情報がアポロン側に知られているだろうから、という理由で。
案の定と言うべきか、流石の財力と言うべきか。彼ら全員が装備の下にサラマンダー・ウールを装備していた。
敵だと言うのに何を、などと言ってはいけない。
相手の命がどうなろうとという思いは確かにあるが、誰かの命を奪うことを望んでいるわけではない。そんなことをしてしまえばこの禍根は消えない痣となり、永遠に自分たちを苛むことだろう。
それに、ここで多数の死傷者を出してしまったとしたら、これから先この都市に、ヴェルフの居場所は本当の意味でなくなってしまうかもしれない。
結果論かもしれない。たられば話の延長かもしれない。
しかし、『クロッゾの魔剣』が誰も殺さなかったという事実が残ることは大切なことなのだ。
特にエルフたちから見れば、目に映らないくらいに小さなことかもしれない。どれだけ積み重ねたとしても同族意識の強い彼ら彼女らには何の価値も持たないかもしれない。
それでもいつか、その積み重ねに気付き、ヴェルフと対等に接してくれるエルフが現れるかもしれない。
セルティとリューのように。
ヴェルフの心を大切にしているのは、ヴェルフだけではないのだ。
「いけない……まだ終わってない……!」
感慨も物思いも今じゃない。ブンブンと首を振って雑念を払い、ヴェルフと
「近くの拠点からガネーシャ・ファミリアの方々かディアンケヒト・ファミリアの救急隊が彼らを回収してくれます! ヴェルフ様も
「おう!」
「わかりました!」
早速駆け出す三人は、共有し合わずとも次の役目を理解している。
伏兵たちを潰し、大勢は決したと言っていい。
しかし、決着はこれから。
互いの大将はまだ健在だ。
「しゃあっ!」
「このぉ!」
古ぼけた城に備わっている窓の向こうが一面の炎で埋まろうと互いから目を逸らさず戦い続けている二人の元へ、リリたちは急いだ。
一方、最前線。
「まだやるニャ?」
油断なくアーニャが構える槍の先端が、気の強さが滲み出ている吊り目が印象的な短髪の少女の鼻先でピタリと止まっている。
「やらない……強いね……あんたたち……」
身体のあちこちに傷を負った少女の名はダフネ。ダフネ・ラウロス。
リッソスと同様、部隊の指揮を任されていた少女だ。
「もうウチらは何もしない。というか、動けるヤツほとんどいないし」
ダフネの周囲には、彼女と同じ派閥の者たちがあちこちに転がっている。死者は出ていない模様だが、肉体的にも精神的にも継戦可能な者など皆無と言ってよさそうだ。
「わかったニャ」
「はあ…………あーあ!」
鋭い眼差しのままのアーニャが槍を下ろすなり、大声を上げながら地面に仰向けに寝っ転がるダフネ。
「あーもう……やってらんないわよ……」
数で圧倒的に勝り質で圧倒的に劣るという神時代では致命的となるこの状況をなんとかしろという無茶なオーダーにそれでも応えてみせようと奮闘したのだが。
「各々バラバラに動きたがるヤツらの指揮を取れなんて……こんなに指揮官冥利に尽きない現場初めてよ初めて」
早々に暴走を始めたヒュアキントスと、彼の背中に付いて行くんだと走り始めた彼に信を置く者たちは、どんなに諭そうとしても聞く耳を持ってくれず前述の通りに突貫。
彼らを捨て石にすることも考えたが、それでは折角こちらが優っている数の有利がまるで活かせなくなる。残された約半数の者たちで酒場のLv.4たちを御せる未来もまるで見えず、ハナっから出た所勝負の博打的な戦法を取らざるを得なくなってしまった。
どうにかしてリッソスを説得し、彼に付き従う者を別働隊とすることは叶ったが、今頃どうなっているんだろうか。なんだかヤベー炎の洪水見えたんだけども。
「こっちもそっちも私情を優先するヤツ多過ぎ。なんなの? 神にでもなったつもりなの? 付き合わされる方のこともちょっとは考えてよね。嫌になるわこんなの」
「そっちもって?」
「おたくら、『
「わかっちゃったニャ?」
不機嫌を隠さないダフネの前にルノアとクロエもやって来た。彼女たちの周囲では意識を取り戻すなり暴れようとする者たちを酒場の娘たちがもう一度意識を奪ったり、アルテミスの娘たちが重症者の傷を癒したりと、すっかり戦争ムードではなくなっている。
「わかるわよ。折角ヒュアキントスとウチらを分断したならより強いあんた等酒場の面々をヒュアキントスに当てるでしょ普通。勝ちたいならそうするでしょ絶対。大方、事の発端に関わった子たちの手で決着を、みたいなことでしょ?」
「そのとーりニャ!」
「よく見えてるなあ」
「やめてよ。今褒められたってなんも嬉しくない。しかも一応は敵からなんて」
変えることは叶わなかったが、それでもこの戦況の真ん中にある物をを正しく見通していたダフネにルノアが素直に賞賛を送るも、ダフネはブスっとした表情に変わってしまった。十八歳の娘らしい、素直な有様である。
「たらればだけどさ、もっとなんとか出来るって思った。三日掛ければなんとかなるって、結構マジで思った。それなのにこれだもん。ウチの能力の至らなさも、信頼されてないんだってこともよくわかっちゃったなあ」
「そ、そんなことないよダフネちゃんっ!」
ずっとクロエにダガーを向けられていた為動けずにいた、吊り目で長髪という、ダフネと正反対の特徴を有する娘が、寝っ転がるダフネの元へ飛び込んで来た。
「ダフネちゃんは頑張ってたよ! 一生懸命考えて一生懸命に戦ってたもん!」
「それを結果に繋げられないんじゃしょうがないのよ、指揮官ってヤツは」
「そ、そんなに卑下しなくていいのにぃ……!」
「あんたにだけは言われたくないわよ、カサンドラ」
強者たちに囲まれオロオロ瞳もウルウルな少女の名は、カサンドラ・イリオン。アポロン派に所属するLv.2の冒険者であり、自分勝手に走ろうとする者たちに頭を抱えるダフネの直ぐ隣にずっと立っていた
「手札を効率良く、相手が嫌がるような使い方を出来なかった。指揮官対決はウチの負け。っていうかそっちの手札が強すぎんのよ! インチキよインチキ! どうして何処にも属してない上級冒険者がこんなにいんのよっ! しかもこの短い期間で都市外の戦力も呼んで来ちゃうし! ルールに反してないのは確かだけど気持ち的にはアウトでしょアウト!」
「お、落ち着いてよダフネちゃぁん……!」
「はあ……まあいいや。ウチらはもう何もしない。主神様の意向に沿えないけれど、ウチらに勝ちの目がないのは本当だし。そもそもウチら全員がこの戦いを望んでいたわけじゃない。これはこれで派閥から離れるいい機会と思ってるヤツもいるくらいなんだから。始まる前から破綻してんよのね……だから、あとは向こう次第でいい。あんたたちもそのつもりなんでしょ?」
「うん」
「だニャ!」
「どっちが勝つかニャー」
「ウチらが用意した伏兵たちがうまくやれればこっちにも結構可能性あるけど、さっきの魔剣っぽいのでだいぶ削られたろうし。さてどうなるかなー」
「伏兵ね」
「そりゃあいるよニャあ」
「そりゃ置くでしょ。止めなくていいの?」
「いいニャ」
迷わず断言したのは、アーニャ。
「最初っからこの戦いは、ヘスティア・ファミリアとベルと戦いニャ。ミャーたちが全部終わらせるのは違うニャ」
「あーはいはいそれねそんな感じね。あーあ」
「で、でもいいのダフネちゃん? 私たちも団長さんに加勢した方が」
「何? この酒場の人たちに斬られたいのあんた?」
「ひいっ!?」
寝っ転がるダフネの身体にしがみ付いてブンブンと横に首を振るカサンドラ。
「だったら大人しくして、お得意の夢だかなんだかでも見てなさいよ」
「え? き、聞いてくれるの!? だったら聞いて聞いて! この戦いが始まる前に見た夢なんだけど、真っ白な兎が太陽に噛み付いてそれで」
「あーはいはいわかったわかった! 明日聞くから! 覚えてたらね」
「ひ、酷いぃぃ……」
「っていうか、今援軍に行ったら背中斬られるよ。ヒュアキントスに」
「うえぇ!?」
「女の子が変な声出すなっての。姿は全然見えないけど……なんかもう、男と男の勝負って感じになっちゃってるじゃん。ウチらが出しゃばったって馬鹿見るだけだって」
遠目に見える城のあちこちから土埃が舞い、粉々になった硝子が飛び散り、爆音を奏で壁が崩れる様を見ながら、何処か呆れたようにダフネは言い切った。
「はあ……茶番だよなあ……」
「だ、ダフネちゃん……」
「ね、あんたはどうすんの?」
「ん? 何が?」
「この戦いの後のこと」
カサンドラにしがみつかれたまま首を傾げるダフネにふわりとした疑問を投げたのは、ルノア。
「
「そ、そうなの?」
「興味あるし。戦略も何もなくて逆に読み辛かっただろうに、それでもウチらの動きの大部分を抑えてみせた、そっちの指揮官さんに」
「ヘスティア様のとこならやめとくニャ。最低でも一千万の借金があるはずニャー」
「余計なこと言うのやめなよクロエ……」
「げ、マジ? じゃあなしで!」
「だったらさ、いつだって人手が足りてない酒場があるんだけど、おすすめだよ?」
「その酒場が人気の割に人手が足りないのは薄給、もしくはブラック過ぎる労働環境が原因でしょ。遠慮しとく」
「よ、よくご存知で……」
「っていうかやめよ、こういう話。勝負そのものに結着付いたわけじゃないんだから」
「だね。ごめん。ダフネって言ったっけ。あんたの予想は?」
「五分五分。今のヒュアキントスの出力に『
「でもそれって、ベルが一人ならって前提の話ニャ?」
「そ。だからわざわざ五分五分なんて言ったのよ」
「一人じゃないニャ!」
なんだか親しげになりつつあるダフネたちと並んで、少しずつ形が変わっていくかつて城だった何かを眺めながら。
「昔も今も! ベルは一人じゃないのニャ!」
ベルを一人にしなかった一人であるアーニャは誰かの勝利を確信しているみたいに、大きく笑うのだった。
* * *
周囲が静かになっている。
恐らくだけど、自分とこの人の戦い以外はほとんど決着したのだろうと、ベルは気付く。
だったら。
自分がこの人を制すれば終わる。
「鈍い!」
「うわっ!」
しかし、強い。
この人は、すごく強い。
「ファイアボルト!」
「微温い!」
ほとんどゼロ距離で打っても防がれるし躱される。
適応も進んで来たのか、手応えのある攻撃なんて一度も入れられていない。
わかっていたことだ。
この人は強い。
あの金色の光がなくとも強い。
才能など、自分とは段違いなんだろう。
一体誰だ。この人のことを三流なんて言った見る目のない野郎は。
「強いですね! 貴方は!」
「口を開くな! 貴様と比べられることそのものが不快だ!」
この人が、この人の自尊心を軽々へし折ってしまうような師匠と出会えたとしたら、この人は都市でも最上クラスの冒険者になれる。絶対になれる。
本当に強い人なんだなと、打ち合うたびに痛感させられる。
「ぐっ!?」
回避が間に合わず、ヒュアキントスの左拳がベルの右肩を捉えた。
とても重く鋭い一撃。耐えきれずベルの上体が揺らぐ。ようやく感じた強い手応えに、ヒュアキントスの踏み込みが鋭くなる。
「取った!」
勝ちを確信したのか、声を上げながら愛剣を平に構え真っ直ぐに突き出す。
その顔は怒りどころか、喜悦に歪んでいるようベルには見えた。
強い。
貴方は強い。
剣も拳も、全てが強い。
「なのに」
まだまだ強くなるだろう、立派な冒険者だ。
そんなに強いのに。
「その拳で」
リリを。
大切な友達を。
何の罪もない女の子を。
「殴ったのか……!」
隠しきれない怒りを目の前の強者に向けるベルの脳裏に、目の前の強者よりも更に強い強者の姿が浮かぶ。
美しく輝く金色の髪を揺らすその強者は言っていた。
止めの一撃は。
「油断に最も近い……!」
心臓狙いの刺突をギリギリまで引き付け小さくサイドステップ。
「んんっ!」
「な、っ!?」
すかさずベルが繰り出したのは、驚愕を浮かべるヒュアキントスの顔面への頭突き。ヒュアキントスの鼻が潰れ血が吹き出す。
「っああああっ!」
そのまま掴んだ腕を軸に独楽のように横回転。ヒュアキントスを思いっきり投げ飛ばす。
散々城内を駆け抜け壁を打ち抜き硝子を粉々に砕き天井を落とし床を叩き壊すなどを繰り返した二人は城内を一周していたらしく、ベルが投げ飛ばした先にあったのは、城の正門。
「ファイアボルトおおぉぉおっ!」
そこから飛び出していく格好になったヒュアキントスを追い掛け、六発の炎雷が殺到する。
「ぐ! おおおおっ!?」
放った全ての命中を確認。城外へ吹き飛ばされ大地に突っ込むヒュアキントス。土砂と煙が派手に巻き上がり、格下に噛み付かれてしまったヒュアキントスの姿を飲み込む。
数年前に教わり、つい先日に記憶しているか試されたばかり。
尊敬する先輩。アイズ・ヴァレンシュタインの教えを体現することが出来たベルだが、それを喜んでばかりもいられない。
「はぁ……はぁ……ぐ、ぁ……!」
身体が貫かれることはなかったが思ったより傷は深いらしく、全身を動かす度に左半身に鋭い痛みが走りベルの身体を鈍くさせる。呼吸をする度に大量の血が溢れ、ベルの身体を滴り落ちていく。
「今……行かなきゃ……!」
戦闘を開始してから何分経ったのかもわからない。向こうの残り時間もそうだがそれ以上に、自分にどれだけの時間が残されているかわからない。
致命傷はないが今の刺突で生まれた傷のような、決して無視できない負傷は数えきれないくらいに抱えている。
だから、ここで決める。
『我が名は愛』
「!?」
土煙の中から、声が聞こえた。
『光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ』
とても怒りに身を任せている者とは思えないような落ち着き払った声で、歌っている。
「魔法……!」
ヒュアキントスの魔法の情報は、リリやライラが用意してくれていた。
『我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ』
「ファイアボルト!」
ヒュアキントスの姿は見えないまま、それでもベルは魔法を乱射した。ただでさえ彼の魔法が脅威になると知っている上に、今はあの金光を纏っている。放たれる前に止めるのが一番安全であり確実だろう。
『放つっ! か、火輪の一投……!』
更に高くなる土煙と白煙の向こうから、途切れ途切れでも止まらない歌が聞こえる。
『き、きっ……来たれぇ……西方の風ぇっ!』
土煙の中で揺れる外套の影が見えた。あちこち穴だらけ。進行形で燃えているのか、少しずつ影が小さくなっていくのがわかる。
ヒュアキントスは無傷じゃない。ベルの魔法はちゃんと届いていた。
「受けてみろっ!」
しかし、強者の意地と誇りが、歌を止めてしまうことを認めなかった。
「クソっ……!」
間に合わなかった。止められなかった。
自分一人の力では、自分より遥かに強い人の切り札を止めることは敵わなかった。
そんなの、わかりきっていたことだ。
自分一人の力でこの人を完璧に抑え込むことなんて出来やしないって。
だからベルは、恥ともなんとも思わない。
この戦いで誰かの手を借りることは、恥でもなんでもない。
この戦いは最初から最後まで自分の為の戦いではなく、自分たちの為の戦いである。
『燃え尽きろ! 外法の業!』
ベルたちは、何も間違えていない。
『アロ・ゼフュロスッ!』
『ウィル・オ・ウィスプ!』
「何っ!? ぐっ! ああぁぁあぁ!」
ヒュアキントスが生み出した太陽が如く輝く大円盤が、ヒュアキントスの手元で爆発した。
『
魔法などの発動に際し、自身が産んだ魔力を制御出来ずに暴走、果ては爆発させてしまう現象。
カウンターよろしくタイミングを合わせ、その現象を無理矢理に発動。
「へへっ! タイミングバッチリだったろ!」
ヘスティア・ファミリアの団員。ベルの専属鍛治師の十八番。
「ヴェルフ!」
「余計なことしちまったか!?」
ヴェルフ・クロッゾのとっておきだった。
「まさか! 助かったよ! ありがとう!」
「礼なら後にしろ! 立ってくるぞ!」
大刀を抜きながらベルの隣に立つヴェルフは更に膨れ上がった土煙の行方に集中。ベルも油断なく両手の武器を構えている。
「が……は……っ……ああああぁああっ!」
煙を突き破り飛び出して来たヒュアキントスは、ボロボロの有様であった。
ベルに潰された鼻からは血が滴り、ベルの魔法の直撃を何発も受けてしまった際に外套も
「おの、れ……!」
それでもヒュアキントスは怒りに任せ右手で剣を振り上げ、咆哮を上げて迫り来る。
「おのれええぇえぇぇぇ!」
「そうカッカすんな! 色男が台無しだぞ!」
「殺す殺す殺すっ!」
怒りの矛先は得意気に笑うヴェルフに向いたのか、フラフラとよろめきながらもLv.2のヴェルフでは絶対に逃げきれない速力を発揮。ヴェルフの首を落とすべく真っ直ぐに突っ込んでいった。
「ヴェルフ!」
「わかってるよ!」
「ふっ!」
攻撃の矛先が自分でなくなったことを確かめたベルはヴェルフの名を叫びながら横っ飛び。力強い言葉で応じてくれたヴェルフとヒュアキントスから距離を取る。
「くそっ! 速えぇな……!」
Lv.2になったばかりの冒険者がLv.4の冒険者と打ち合いなんて以ての外。怒り狂うヒュアキントスの迫力に冷たい汗を流しながらとにかく距離を取るようヴェルフは足を止めない。
「がああっ!」
「っ……!」
しかし、距離を取り続けようにも相手が悪く、袈裟に振り下ろされた
わかっていたことだ。自分一人で、この男から逃げ切れるわけなどないことを。
「おい! 遠慮なんてすんな!」
「生意気を抜かすのはこの口かぁ!?」
押し返すだけで精一杯なヴェルフが叫び、それを挑発の類と受け取ったヒュアキントスの怒りのボルテージが更に上がっていく。
この男はベル・クラネルよりも弱い。負傷したこの身体でも、このまま押し切れる。
「はあっ!」
抱いた確信を現実のものにするべく、大刀ごとヴェルフを押し返し距離を開け、上体を半回転させた回し蹴りを叩き込む。
「ヤベ……っ……!」
鋭い蹴りはなんとか大刀で受けることが出来たが、後方へと吹き飛ばされてしまった。際どい所を凌いでくれた大刀もヴェルフの手を離れ、遥か後方へと弾き飛ばされてしまった。
「ヴェルフっ!」
元眷属の身を案じるヘファイストスがバベル内で叫ぶのとほぼ同時に。
「!?」
ヴェルフの背後に、誰かが着地した。
『神武闘征!』
その者は城内高所に場所を取り、ベルたちが飛び出して来た折から魔法の詠唱を始めていた。
この後に正念場が待っていると確信を抱き、同時に頼れる指揮官から、いつでも魔法を打てるよう待機していろと言われていたから。
「やれぇ!
『フツノミタマっ!』
弾き飛ばされ、後方へ倒れそうになっていた目の前のヴェルフの背中を受け止めたヤマト・
ヒュアキントスもヴェルフも
「なっ!?」
「ぐうっ!」
「っあ……!」
瞬く間に発生した重量の檻が術者である
遠慮なんて言葉をヴェルフが叫んだのはヒュアキントスを煽る為でもなんでもなく、距離を取ることが叶わなかった自分のことは気にしなくて良いと、
「う、動けな……が……!」
ヴェルフの眼前で急停止。真紅の剣を地面に突き刺して蹲ってしまうヒュアキントス。
「こ、こいつはキッツいな……!」
「たっ、タケミカヅチ様からお墨付きをいただいている魔法ですのでっ……!」
「ドヤってる場合かよっ……!」
ヴェルフはほとんどうつ伏せのようになってしまい、ヒュアキントスの怒りを買っているヴェルフを守るべく左手で愛刀を抜いているもまともに構えることが出来ず、倒れたヴェルフに寄り添うことで
「あ、あとは頼みます!」
それならばと
「ベル殿っ!」
詰めを担ってくれる仲間の名を叫んだ。
「『
わかっていると叫び返す代わりに、ヴェルフと並ぶ相棒の名を叫ぶのは、ベル・クラネル。
三人から距離を開けたベルは『
「っ!」
すると間もなく、白い輝きが溢れ始めた。
耳を澄ませなくともリンリンと、鈴のような音色が聞こえてくる。
「こ、れか……!」
ベル・クラネルのスキルが発動したのだと、ヒュアキントスは瞬時に理解した。
「私の計時では三分。それがあのガキに溜めることの出来る限界時間と見た。力を溜めている間は動けないのだろうな。代償は大きいのか、発動後は支えがあってようやく立っていられるみたいな様子だった。その分破壊力は凄まじい。強化に強化を施されたゴライアスを一撃で貫き、全てを終わらせてしまったのだからな。悠長にあのスキルを使わせてしまい火力勝負となってしまえばそこらの冒険者が百人集まろうがあの破壊力は越えられないだろうな。そして、これは不確定なのだが。あれだけの破壊力を生み出したのはあのガキよりも、ヤツの短刀に寄るところが大きいように思えた」
今回の事の発端。
ベル・クラネルに纏わる多くの情報の提示を条件に、今もヒュアキントスを包む金光を纏うことを強制してきた女神、イシュタルの言葉を思い出す。
開戦前より意識はしていた。そのスキルを使わせてはならない。その為にも常に前へ出て、
その隙が生まれてしまった。
いや。作られてしまった。
「勝ち方に拘ってるヤツがいるんだ……そいつの準備が出来るまで我慢くらべに付き合ってもらうぜ……!」
「自分も混ぜていただきますっ……!」
我が身を顧みなかった馬鹿者たちの献身によって。
「ぐ、っおおぉ……!」
知るか。馬鹿馬鹿しい。
「おおおああぁぁあっ……!」
ヒュアキントスが顔を上げた。
「ふぅっ……! ぬ、うぅあぁ……!
そのまま、大地に突き刺した剣を支えとしながら少しずつ少しずつ、フツノミタマの効果範囲外を目指し、地べたを這いずり始めた。
自尊心も恥も忘れた今の彼は意地と、敬愛する主に勝利を捧げるその一心のみで、階層主級すら縫い止めてしまうような重力の檻から這い出ようと踠いている。
「おいおい……!」
「つ、強い……!」
少しずつ範囲外へ出て行こうとする強者と違いその場から動くことも出来ない二人には目もくれず、ヒュアキントスが少しずつベルへ迫っていく。
「ふ……ふっ……」
「くっ……!」
異様なほどの執念を漂わせるその姿に戦慄を覚え、それでもベルは
「ふっ……ふっ、ふっ……」
今飛び込めばヒュアキントスたちと同じく自分も
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……!」
それならば、
「ふぅん!」
「ヤバい!」
「ベル殿っ!」
驚愕に目を見開くヴェルフと
彼らの眼差しの先には、重力の檻からの脱獄者。
「はあっ!」
ベルの構築したプランに付き合うつもりなど毛頭ないヒュアキントスが、持ち得る全てを駆使して脱獄。そのままベル目掛け、真紅の剣を振り上げる。
「っ……!」
完全に虚を突かれたベルの反応は鈍かったが、ちょうど二十秒が経過した所で
ベルのステップは浅いものになってしまったが、正面から打ち合っていたさっきよりもヒュアキントスの踏み込みも浅い。これならば、この一撃は凌げる。
「しっ!」
などと、次の展開に思考を寄せたベルは、まだまだ甘ちゃんと言わざるを得ない。
ヒュアキントスの振り上げた剣が、軌道を変えた。
ヒュアキントスはもう、この白髪の少年を侮ってなどいない。
侮っていないからこそ一撃で胴を裂いて致命傷を与えるなんて贅沢は言わない。
踏み込みだって意識して浅くした。
本命を悟らせない為に。
ベルよりも長く本気の切り合いを経験している先輩冒険者の駆け引きが、ベルを上回った。
「このっ……!」
ヒュアキントスの狙いに気付いたベルが手首に力を入れ、『
「甘い!」
ヒュアキントスの駆け引きが、ベルの爆発力を封じた。
ヒュアキントスの狙いは胴ではなく、右手首。
女神イシュタルに危険と言わせた白く輝く短刀を振るうその手を狙った。
イシュタルから聞いていた情報通りなら、規格外の一撃を生み出すのはあの刃。しかし、その一撃を放った後に行動不能になる。
それはつまり、あの武器に多量の魔力を注ぎ込んでいる、ということなのだろう。
ならば、あの輝きを放つ武器を手首ごと奪ってしまえば、大量の魔力を無駄遣いさせることと同義になるはずだ。
これは予想。行動に移せば単なる賭け。
しかし、狙う価値は充分にあるとヒュアキントスは判断した。
ヒュアキントスの狙いに気付いたベルの反応は鋭く、どうにか手首を守ることに成功した。
しかし、足りなかった。
「しまっ……!」
手首を守ることは叶ったが、犠牲として差し出したのは、純白の相棒。
『
「ベル殿っ!」
魔法を解除した
「くっ……!」
切り上げた刃を左手に持ち替え、自分目掛けて振り下ろしている男が目の前にいるから。
どう動く? どう動けばこの一撃を避けられる? 左手の『
結論。
これは受けられないし、避けられない。
「アポロン様……!」
見ていてください、我が愛。
止めの一撃が隙になる。そんなことヒュアキントスだって理解している。なんならつい先ほど痛い思いを味わったばかりだ。油断などしてなるものか。
ただ、純然たる事実だ。
この一撃は、絶対に外さない。
絶対に外してなるものか。
ここで絶対に、ケリを付けてやる。
「ずああああっ!」
「ベル様伏せてっ!」
ならばその絶対を覆えすのは自分だと、小さな身体で吠え立てる娘が一人、城内から飛び出して来た。
万が一お前が狙われたらまずいから、ここしかないとお前が感じた時以外は前に出るな。
同じ派閥の一員となってくれた二人にそう言われた彼女はずっと、心の中で叫んでいた。
リリなら出来る。リリなら出来る。リリなら絶対に出来る。
出来る女になってやるんだ。
下ばかりを見ていた、生きているのに死んでいるような日々とはもうお別れしたんだから。
前を。上を向いて、堂々と生きる。
その隣にいつだって、大切だと思える人たちがいて欲しい。
その人たちを守れるような。
その人たちの信頼に応えられるような。
その人たちが敬っているあの女神様たちを納得させられるような、いい女になってみせるんだから。
その人たちを助けられる女に。
その人たちと戦える女になるんだから。
ここでやらないで、いつやるって言うんだ。
「やっちまえリリスケぇ!」
勇ましく吠える仲間が生んだ誇りの結晶と共に、仰角を整えるべく飛び上がりながら。
「
全てを飲み込む炎の大渦の銘を叫んだ。
勝負所を誤らなかった指揮官、リリルカ・アーデが産み出した炎の爆流は水平より少し上目掛けて爆進開始。
「ぐあっ……!」
慌てて姿勢を低くしたベルが異常な温度の熱波に晒され苦悶の声を上げる。
ベルが屈んだ先には、目の前の絶好機に全力を投じている最中のヒュアキントス。
「……!」
声を上げる暇もないヒュアキントスも慌てて身を屈め、最悪の結果は免れることが出来た。
しかしそれも、完璧ではなかった。
「っっぁぁあ……!」
攻撃姿勢を無理矢理に崩したヒュアキントスの喉から絞り出される悲痛な声。
一瞬の間に思考回路を全回転させたリリの角度の調節及びベルへの合図のタイミングも全てが理想的な一撃はヒュアキントスの左手の指先を焼き、その手が振り下ろそうとしていた真紅の
「やるじゃない」
神の鏡ではなく、バベルの三十階の大広間に取り付けられている窓硝子の向こう。
「ヴェルフ」
遠くの空を焼く輝きを左目一つで見つけた鍛治を司る女神が、頬を緩める。
窓の向こう。
空が、燃えている。
それは、天上の頂へ登らんとする愚か者共の道行きを照らす
「き、貴様ああああ!」
左手の激痛に喘ぐヒュアキントスの眼差しの先に、小さな影一つ。
「本当は!」
その影は、二度の使用でも罅一つ入っていない魔剣の先端をヒュアキントスへ突き出して。
「頬でも殴ってやりたかったんですけどね!」
笑っていた。
それは、最大級の意趣返し。
本命へ通ずる為の道具としての価値しか見ていなかった弱者が、強者の足元を掬ってみせた瞬間だった。
「お譲りしますね! ベル様っ!」
「はっ!?」
取り乱すヒュアキントスの下。
自分の身体の下へ滑り込むようにして駆け込んで来た、大きな影一つ。
その影は、白い髪を揺らし。
紅い瞳で自分を見上げながら。
仲間たちが、家族たちが繋ぎ、呼び込んでくれた好機を今度こそものにするべく。
「はああああああっ!」
白く輝く右拳を振り上げ、振り抜いた。
回避もガードも叶わず。
「ぐぅっ!?」
ベルのスキル『
「ぶっ……ぉ……!」
頬の骨が砕けるいやな音が鳴り、血や折れた歯をボトボトと落としながらヒュアキントスの身体は空を舞い、土煙を大きく巻き上げながら着地。勢いのまま地面を転がって転がって転がって、リリが描いた炎の轍がまだ消えない空を仰ぎ、意識を手放した。
倒れたまま微塵も動かないヒュアキントスの身体から、金色の輝きが消失していく。
それは、丁度十五分が経過した合図。
「ちゃんと……言ったでしょ……」
拳を振り抜いたままの姿勢で、荒く呼吸をする白い影。
「貴方を……思いっきり殴るって……ぁ……!」
「おっと!」
「お見事ですーっ!」
「ベル様ーっ! って! わわわわっ!?」
「あ、足に力があああ……!」
「あうっ!?」
前のめりにベルが倒れ、頼れる仲間たちがその身体を支えようとするも失敗。
四人で一繋ぎの影を作った子供たちが、激戦の跡が色濃い大地に倒れ込むと同時に。
『戦闘終了ーっ!』
オラリオ全土に
「はぁ……はぁ……僕たち……勝った?」
「勝っちゃいましたね……」
「勝ったな……」
「成せばなるものです……」
ベルがリリの。ヴェルフが
「……ねえベル様」
「うん?」
「さっきのパンチ……狙ってましたよね? あの距離まで呼び込むことまで含めて」
「想定通りには出来なかったけど、呼び込むのはそうだね。狙ったよ」
「そうなのですか!?」
「ヒュアキントスさんは僕の魔法のことを知ってました。それならスキルのことも間違いなくバレてるだろうから、僕がスキルを使う素振りを見せたら前に出てくるんじゃないかって思ったんです」
「なるほど……!」
「あちらは気付いてなかったみたいですが、ベル様のスキルで光っていたのは『
「そうか……だからさっき、『
「それに、お願いではなく、『
「全部お見通しだなあ」
「中庭の屋根の上に座り込んでいるベル様をずっと見ていましたから」
本人も意識をし、アストレアたちにも指摘されていたベルの課題の一つ。
『
それをベルは、
ちょろっと魔力を注入してみたり、刀身をいい子いい子ーと撫でてみたり、言うこと聞いてよーと情けなく懇願してみたり。
触ったり崇めたりとにかく話し掛けたり。
何してんのと姉たちに言われても大真面目に、相棒と向き合い続けた。
その結果辿り着いたのが素直に『お願い』をすることであり、その言葉を
スキルや魔法の発動に合わせお願いと叫ぶと、『
お願いスイッチを押さなければ『
その違いを開戦前より察知していたリリは、あの一撃にベルが全てを賭けているわけではないと気付いていた。
あの攻防で決着が付かなかった時の事まで織り込んだ上で、それでもここで全てを終わらせる為の罠を張ったのだと。
小手先を駆使しての駆け引きでヒュアキントスに勝てるわけがないと誰より理解しているベルは、小手先でもなんでもない日々の努力で掴んだ成果を信じ抜いた。
結果、見事に功を奏した。
この成功体験は価値のある財産となった。
これからは体力と
この使い分けを意識して行うことが可能になったことは非常に大きい。
「あーしまった……『
「気難しい相棒だな」
「まるで何処かの鍛治師さんのようですね!」
「ふざけろ。気難しいもんか。しかし……駆け引きに勝ったんだか負けたんだかわかんねえな」
「いやあ、僕の負けだよ。僕の動きが悪かったし、それ以上にあの人の動きがすごかった。あんなに早く脱出してくるなんて思わなかったもん。でも……僕がダメだった部分を、みんなが埋めてくれた」
「そんなのお互い様でしょう!」
「だな」
「……それなら……」
「お?」
「リリは……みなさんのお役に」
「ふんっ」
「あいたぁ!? け、蹴りましたねヴェルフ様ぁ!?」
「お前がくだらんこと言うからだ」
「くだらないとはなんですかーっ!?」
「リリスケがいなきゃ勝てなかった」
「ぁ……!」
「なあ?」
「言わずもがなかと!」
「リリのお陰だよね!」
「ほら」
「みなさま……」
「俺たちだけじゃない。酒場の連中も、月の女神様の眷属たちも、お前の師匠さんたちも、この戦いを見ていた全員がそう思ってるに決まってんだろう」
「…………ライラ様は、この戦い方を選んだリリを見て呆れているかもしれませんね……」
「呆れられた分期待されてたってことだし、同時に伸び代だろ。次も期待してるぞ、指揮官殿」
「こーゆーのはもう懲り懲りです……」
「だな……」
「自分もしばらくは御免です……」
「だね……そっか…………僕たち……勝っ」
「勝ったニャァァァァァァッ!」
「だっはぁ!?」
「のわーっ!?」
四肢を投げ出しぐてーっとしているベルとリリの上に、大きな猫が飛び付いてきた。
「すごいニャすごいニャー! ほんとにミャーたち抜きで勝っちゃったニャーッ!」
「アーニャさん痛い痛い痛い! そこ傷がいたたたぁ……!」
「あ、アーニャ様っ……つ、潰れ……リリ潰れあぅぅ」
微かに瞳が潤んでいる気がするアーニャを先頭に酒場の娘たちとアルテミスの娘たちがやってきて、歓喜の輪が一気に大きくなった。
「なんだか締まらな」
「やったじゃんみんなー!」
「アルテミス様もお喜びになられますーっ!」
「記念にベルの尻を触らせるニャーっ!」
「だー無理無理潰れる潰れる折れる割れる死んじゃう死んじゃうってばぁ!?」
アーニャを真似るように傾れ込んで来た娘たちの輪の中の真ん中かつ一番下で押し潰されて痛い痛いと叫ぶ少年の口元は、全身を苛む痛みの中にあって、満足気な笑みを描いていた。
* * *
「ふっふっふ……ボクたちの勝ちだぜ! アポロンっ!」
バベルの三十階。大広間の真ん中で、アポロン目掛けてヘスティアがドヤる。
「……ああ……私たちの負けだ」
「な、なんだか妙に殊勝じゃないか……こんなの嘘だー! とか! あり得ないー! とか! 叫び回ると思ったのに……」
「受け入れる他ないだろう。私たちの完敗だ。この結果は、開戦前から決まっていたのかもしれないな。
「お、おぅ……」
「鼻持ちならないと言いながら利用価値があると信念を曲げ、甘言に乗せられてしまったこの私が敗因だ。子供たちは懸命に戦ってくれた」
「……なあアポロン。もしかして君は……イ」
「みくびってくれるなよ、ヘスティア」
イシュタルにいいように利用されたんじゃないか?
遠回しな言葉で問おうとしたのだが、アポロンがそれを許さない。
背景は見えて来ないが、アポロンとイシュタルの間で何か取り引きが。契約のようなものがあったのだろう。
今更それに不義理をするような真似は出来ないと、アポロンの瞳が静かに語っている。
「どんな過程、どんな結果であろうとも、全て私が決め、私が選んだ。恥と煮湯を与えられたにも関わらずそれでもと私に付いて来てくれた子供たちの前でこれ以上恥を晒すなど断じて認められない」
「アポロン……」
「私の負けだ。ヘスティア。君に資産を全て譲渡し、私はオラリオを去ろう。ただ、一つだけ願いを叶えて欲しい。眷属たちのこれからを、子供たち自身に選ばせてやってくれないか? 子供たちは私に従っただけだ。あの子たちは素晴らしい子たちだ。あの子たちならば自分の可能性を伸ばし、高められる選択を掴み取ることが出来る。子供たちの為に、どうか頼む」
アポロンなりに確かな愛を持って愛でていた子供たちの未来を思い、アポロンは躊躇なく、ヘスティアへ頭を下げた。
「はぇ!? や、やめてくれよアポロン! 聞くから! それでいいからっ! ボクだって元から全員ボクのファミリアへ来ーい! なんて無理強いするつもりなかったし!」
「ありがとう、ヘスティア」
「なーんか調子狂うなあ……」
「敗者はただ去るのみ。どうか息災でな、ヘスティア」
「う、うん……」
多くの神が外野よりやんややんやと囃し立ててくる中を、堂々とした足取りでアポロンは進んで行く。
「すまない、やはり一つだけいいだろうか、ヘスティア?」
その足をぴたりと止め、半身だけ振り返るアポロン。
「……なんだい?」
「もう、手遅れだぞ」
「へ?」
悔恨滲む横顔に最後まで笑みを貼り付けられないまま。それでも堂々と。太陽のような輝きを放ちながら。
男神アポロンは、別離の道を歩いて行ってしまった。
「…………」
さっきまできゃっきゃと浮かれていたヘスティアはもう、微塵も笑えていなかった。
手遅れ。
一体何を指している? 自分の何が手遅れだって? そもそも自分に宛てられた言葉なのか? 自分じゃなくて自分に近い誰かの可能性もあるのか?
今直ぐに解決出来そうにない無数の疑問符に支配された頭を動かし、大広間の中で悠々としているだろう女神、イシュタルの姿を探す。
「!」
目が合った。
「ふふふ……」
笑っていた。
「……手遅れか……」
子供たちの勝利がこんなにも嬉しいのに、浴びるほど飲んだとしても今は、勝利の美酒とやらには酔えそうにない。
* * *
「どうぞ」
三度のノックに返ってきた声は、平時よりも柔らかなものである印象を受けた。
「失礼します」
「いらっしゃいヴェルフ。呼び付けてしまって悪かったわね」
ヴェルフの感覚は正しかったらしく、自身のオフィスに元眷属であるヴェルフを招き入れたヘファイストスは、どうやらご機嫌な様子であった。
「いえ」
「なんだかお疲れね?」
「寝不足と飲み過ぎです。ご存知でしょう」
「まあね。昨日も祝勝会?」
「もう何次会かも分かりませんよ……」
「少しはサボってもいいのに」
「俺たちの為の祝いなんです。俺たちが行かないのは違うでしょう」
「真面目。ヴェルフらしいわ」
十五分という電撃的な決着を見た
その間。まあ色々あった。
オラリオに戻ったヴェルフたちは事前の約束通り、豊穣の女主人を貸し切って祝勝会を開催した。
ヘスティア・ファミリアの面々に加えてベル。我々はと遠慮し倒すアルテミスの娘たちも強制参加。ベルの姉たちも全員参加。
ただし、酒場の娘たちは参加を許されなかった。
「揃いも揃ってアタシに断りもせずに勝手を働いたんだ。その埋め合わせはみっちりしてもらうよ! さあ働きな! 馬鹿娘共!」
祝勝会だーやったー! のテンションで店に集まったミアの娘たちは制服へ着替えさせられ、本来なら共に盛り上がれたはずの祝勝会を輪の外から眺めつつ平常通りにお仕事に励むことを、店主のミアに強制させられてしまったのだ。
「おーぼーニャ! 酷いにも程があるニャー! ミャーはお休みを所望するニャーっ!」
「勝手に休んだからこうなってんだろ……こんなことになりそうだとは思ってたけど……はあ……」
「兄様……見ててくれたかニャ……ふニャ? な、なんでもないニャ! よーっし! 変なくーきを変える為にミャーが一曲」
「「潰せぇ!」」
「ンミャーッ!?」
祭りの余韻の中でも変わらない、いつもの豊穣の女主人の光景が戻って来た。
その日からヴェルフたちはあっちこっちで祝いの席を用意してもらい、勝利の美酒とやらの味をこれでもかと知ることとなった。
閑話休題。
「お説教めいた話も
連日飲み倒しまくっているヴェルフとは違う軽やかな足取りで、数多くの
「時宜を外してしまったけれど、私からの餞別よ」
「……いいんですか?」
「もちろん。その子が貴方のこれからの道行きを支えてくれるといいんだけど」
「ありがとうございます……」
フラフラしている自分に喝を入れてしっかりと跪き、ヘファイストスが愛用していた鎚を受け取った。
「それともう一つ、贈り物があるの。ちょっと待っててちょうだい」
言うなり、オフィスの裏側へと引っ込んで行くヘファイストス。跪いたままヘファイストスの戻りを待つこと数十秒。
「!」
「存在感が段違いだもの。流石に気付くわよね」
弾かれたように立ち上がったヴェルフの眼差しの先には、白いトレー。
そこに、布を被せられた何かが載っている。
「なんですかそれ……」
「これも、貴方への餞別よ」
「……受け取っていいヤツなんですか?」
「貴方が感じている通り、貴方がこれを扱うのは早過ぎる。けれど託すなら貴方しかいないの。なんて言ったってこれは、『
「『
「これの扱い方に関してならいつだって相談に乗る。遠慮せずに私の元を訪ねて欲しい」
「……中、見せてもらえますか?」
「ええ」
ヴェルフの眼差しがトレーに釘付けになっている。それはそうだろう。
深層の鉱石群。深層の階層主のドロップアイテム。
それらの素材がまだ優しく思えてしまうような、かなり異質で特殊なじゃじゃ馬。
「『
勿体ぶったような手捌きで捲られた布の下から姿を見せたもの。
「アンタレスの爪よ」
鈍い光沢を放つ禍々しい漆黒の爪が次なる高みへと、ヴェルフを誘った。
* * *
ギルドの職員たちはもっと褒められていい。
「エイナさんたち……頑張ってくれたんだなあ」
「にゃ」
星屑の庭の正面玄関前。最近あまり構ってあげていられなかった真っ白い親友を肩に乗せ、一緒になってぽけーっと街並みを眺めながら、そんなことをベルは思った。
急遽決まった
ただでさえいつも忙しくしている所にこれだもの。目の回るような日々であったことだろうな。
「エイナさんにお礼言いに行かなきゃ」
「みゃ」
「一緒に行く?」
「ゃーん」
「どっちなのそれは」
「んみゃ」
成立しているか怪しいやり取りにも飽きたのか、ベルの肩から飛び降りてしまったシロ。今日は星屑の庭に留まるつもりはないのか、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、大通りを真っ直ぐに歩いて行ってしまった。あの子にもご近所付き合いとか色々あるのだろう。
「気紛れだなあ…………はあ……」
前向きな溜息を吐き出しながら、真っ白な親友を照らしてくれる空を仰ぐ。
天気は快晴。初夏の足音が聞こえてくるような暖かな朝。祭の熱気も鎮静化した街並みはいつも通り。右を見ても左を見ても、これから冒険に行くのだろう人々が物騒な装備を身に付け歩いている。中には、チラチラとこっちを眺めてヒソヒソ話をしている人らの姿も見える。
「
その間に、多くの変化がベルたちを待ち受けていた。
ヘスティア・ファミリア。
アルテミス・ファミリア。
都市外にお一人で女神様を待たせるわけにいかないと、
ギルドからの許可は得ている。しばらくは都市の中で羽を伸ばせ。私もそちらへ向かう。
要約するとこの様な内容の手紙がレトゥーサの元へ届き、本来ならば古城跡地からそのままオラリオを発つ予定であった彼女たちはベルたちとともに都市へ向かい、しばらくオラリオで過ごすこととなった。
尚、手紙を届けたのは、ヘルメス・ファミリアのアスフィであった。
「ダメですからねベル。ダメです。そういうのは絶対ダメです。私が止めてみせますからね。貴方はそちら側へ行ってはいけません……!」
アルテミスの娘たちへ手紙を届けた際にベルと顔を合わせたアスフィさん、こんなことを言っておられたそうで。
「何の話ですか!? って、どうして僕の頭を……あのぉ……?」
一部では姉ンジャーズ裏番長扱いをされているとかなんとか言われているアスフィに頭を撫でられまくりで嬉しいやら恥ずかしいやらのベルくん十四歳。
ちなみに。
「ふーん」
しらーっとした目でその光景を眺めている酒場の娘がいたとかなんとか。
「なーにみょーちきりんな顔してるニャールノアッ!?」
「うっさい馬鹿猫っ!」
「いきなり殴られたニャーッ!?」
話を戻す。
アルテミスの娘たちの宿泊地は、ヘスティア派の
「すんごい部屋数だから君たち全員寝泊まりしたって余裕もヨユーだよっ! 遠慮なく使ってくれていいからね! その代わり」
「引越しの手伝いを頼もうとするその図々しさはなんとかなりませんかね」
「さ、サポーターくんっ!? どうして当たり前みたいに神であるボクの胸の内を読めているんだい!?」
「ヘスティア様だからです」
「だなあ」
「でございますね!」
戦前の約束通り、前向きな気持ちの団長に新たな髪留めを付けてもらった主神と団長と新たな団員二人と、オラリオ外からやって来た神友の娘たちが集う館は、連日連夜大賑わいであった。
アポロン・ファミリア。
アポロンの元を離れることとなってしまった眷属たちは、オラリオ内で新たなファミリアを探し回っているのだと聞いた。
しかし、ヒュアキントスやリッソスなどの団員たちは、アポロンの背中に付いて行ってしまったらしい。
ベルはあの戦いの後、アポロンともヒュアキントスとも一度も言葉を交わせていない。
何を言っても嫌味になってしまうかもしれないし、発端が発端が故に感謝を告げるなんてあり得ないけれど、何か伝えるべき言葉があったのではないかと、手持ち無沙汰になると考えてしまう。
そんな感傷では誰も救われないとわかってはいるのだけど。
ベル・クラネル。
アストレアに頼み込み、連日のどんちゃん騒ぎの隙間を縫って行われたステイタス更新。
「おめでとう、ベル」
背中に触れるアストレアの優しい声。
具体的なことは何も言わなくとも、大切なことはベルに伝わった。
「やっっっっっっったっ……!」
渾身のガッツポーズをアストレアの前で見せたベルは、次なる舞台へと足を踏み入れた。
Lv.3への
お祭り騒ぎの渦中に落とされたベルくん印の劇薬は、そろそろ飽きて来たなあ感のあったお祭り感を延焼。眠れない夜が更に延長されてしまった。
「Lv.3かあ……」
ただ。以前より感覚が鋭敏になったかなあ、の感は既にある。
「……ん!」
バッ! と振り返る。
「ヤバぁ……!」
「見つかったーっ……!」
「が、がんばってねーっ……!」
「何ー? やっぱりベルは私とデートを」
「はいアーディちゃんアウトー」
「罰ゲームぅー」
「ああぁぁああぁ……!」
ベル・クラネル過激派の姉たちに引き摺られていく姉ンジャーズ大隊長含め多くの姉が……もっと言うならば。姉全員に加えてアストレアまで一緒になって、門の前でぽけーっとしているベルの背中を監視していた。
ヤバーとか見つかったーなんて言う割に隠れるつもり皆無な堂々とした有様だ。輝夜やライラやアリーゼなどはわざとらしくニヤニヤしておられる。ああも露骨なのを見つけて感覚が鋭敏にーとか言っちゃうのは違うかー。
「しっかりね、ベル」
アストレアママに至っては手を振っていたりする。清々しいお母さんである。
「一緒に待ってたらいいのに……」
気を遣ってもらっちゃってるなあの気持ちと、それを圧倒的に上回る、絶対楽しんでるじゃんあの人たちの気持ちが同居。
まあいいかと割り切りながら、今日も腰のホルスターに鞘ごと収まっている『
「君も楽しみ?」
問い掛ける。シロと違い、『
「君の姿は知らないはずだから、君を見たら驚くだろうなあ」
愉快そうに笑う笑顔と陽の光を映して一層輝く純白の表面の具合を確かめる。
ヴェルフの手を借りて整備をしたし、ご機嫌を直しもらわなきゃと一生懸命に磨いたのだ。自分的にはバッチリ。毎日これを維持出来るならこの子に怒られることもないだろう。ないよね?
尚、『
「手持ち無沙汰をさせちまうが預からせてくれ。整備以外にも少しな。しばらく掛かっちまうかもしれないのは勘弁してくれ」
とのこと。
短時間で相当無理をさせてしまったし、念入りに手入れをした上で『
「次に『
顔の高さに掲げた『
「何? やっぱりここで朝ご飯食べるの?」
まだ遠くて聞こえないだろうベルの言葉に応えるかのよう、大きく尻尾を振りながら、大通りの真ん中を歩いてシロが戻って来た。
「なんだか今朝はご機嫌で……」
違う。戻って来たんじゃない。
「あぁ……!」
連れて来てくれたんだ。
シロの後方。多くの人影が、通りを埋め尽くした。
よく見ればその影を生み出している者は、全員が女性だった。
「みゃ」
「……ありがとう」
「んぅー」
『
「その子は、あの時の娘だな」
麗しの一団の先頭を堂々と歩く女性の声が聞こえた。まだ少しだけ距離があるからか、意識して声を張っているみたい。
「……そうです。あれからずっと、僕たちと一緒です」
その声に応えながら肩の上で尻尾を振っている小さな友達の背を撫でると、頬に頭を擦り付けてくれた。
「いつかの言い付けを守って、盗み食いは一度もしてないんですよ」
「そうか。いい子だ」
「にゃ!」
「大きくなったな」
「みゃーっ!」
この時を待っていたのはお前だけじゃないんだぞと言わんばかりに高く鳴くシロの尻尾が、ベルの後頭部をペシペシ叩く。
「……貴方も」
背後に己の眷属たちを引き連れる先頭の女性が、ベルの目の前で足を止めた。
「身長は並ばれたか……そちらが少し上回ってしまったくらいか」
微笑んでくれた。
その静かな笑みは、最後に見たものとそんなに変わらないように見えて、なんだか全然違う感じもした。
「本当に……立派になった」
そう感じてしまうのは、見上げてばかりだったいつかと違い同じ高さで、より近くで瞳を見ることが出来るからだろうか。
「
本番は夜ではあるが、ほとんど完璧に祭の用意が終わっているオラリオの片隅。
丁度五年前と同日。
神月祭当日。
大切な友達と交わした大切な約束を形に来る時がようやく来たことを祝い合うように。
「デートをしよう。ベル」
「……はい! アルテミス様!」
微かに頬を赤らめた女の子と少年は、五年の歳月を掛けて大きく大きく育った笑顔の花束を、二人で掲げた。