「深海棲艦が緻密な連携をし始めている……と?」
「はい。今回、内地からお呼びしたのはそれが理由なんです」
長旅の休息を終えて数日後、瑞鶴らはトラック泊地本部の会議室にいた。この場所で何が起こっているのか、また提督らにはどのような役割が期待されているのかを深尾の口から喋ってもらうためだった。その場に戦闘員である者らがいるべきなのかは甚だ疑問ではあったが、瑞鶴は文句も言わずにただ座って話を聞いていた。
「……南方ではもうそこまで奴らも進化しているのですか。連携と言いますと……連合艦隊を組んでいるとか……? いやでも──」
「いえ、そうではなくて」
深尾は提督のぼやきに反応する。疑念の視線を送る彼に彼女ははっきりとした口調で答えた。
「
「…………」
周囲で話を聞く加賀、時雨、川内など北方襲撃での当事者であった面々はその言葉に一抹の心当たりを感じているようだった。南方で本来ならば見られるような深海棲艦が現れる──おおよそ一年前に経験した衝撃は色褪せてはいない。
もちろん後々の調査でそれが北方海域に古来からいる敵だったことを確認したとはいえ、事実として他の海域との協力の増加が海軍の未来において危険因子であることは火の元を見るよりも明らかである。何より瑞鶴には呉で起きた襲撃自体がその答えとして強烈に瞼の奥に焼きついていた。
「北方でも同様の事例が起こった──と私は上層部経由で耳にしています。しかもその相手は特に南方でも凶悪な名で広く知れ渡っている隻眼だったそうじゃないですか」
提督同士の情報網。瑞鶴はその広さを秋季演習で思い知った。本州のつながり、規模の大きい南方であれば基地内でのつながり。これらの関係が深尾を北方襲撃事件に導いたのだろう。南方の最前線で戦い抜くために、生き抜くために必要な術を学ぼうとする姿勢は瑞鶴としても評価に値した。
「泊地を守りきり、民間人に死者も出さなかった。昨今の襲撃事件の中で有数の防衛事例として南方でも参考にされてるんですよ」
羨望にも似た眼差しを向ける深尾の純粋さにどう返答するべきなのか選びあぐねているのか、提督はうんうんと唸りながら話を聞く。深尾は勢いそのまま提督へ歩み寄る。もやっとした何かが瑞鶴の背筋を流れた。
「──だからこそ、新しくなりつつある敵の戦術に適応するためにも私はぜひ椃木さんのお力を貸していただきたいんです」
「その件については了解しました。ですが──」
熱い視線から目を逸らしながら提督は控えめな声量で言い放つ。
「島嶼防衛するにしては……準備が済んでいないかと」
現実を突きつける一言は深尾に突き刺さったようだった。
「そう……思いますよね」
暗く落ち込んだ彼女の影は先ほどまでの柔らかな空気とは異なり、鋭利な刃でつけられた傷を彷彿とさせる悲哀があった。その暗がりに思わず提督が声をかける。お人好し──口の中で瑞鶴はそう舌の形を作った。
「…………事情を聞いてもいいか」
静かな語り口だった。軍人としてではなく一人の人間として、トラック泊地で一度敗走した者として。そんな含みがこもっているような彼の口調が無意識に瑞鶴を加賀の顔へと引き寄せる。同じことを考えにしていたのか、視線がばったり出会う。咄嗟に交差した矢は互いにはずれた。
「私から説明させてもらってもいいかしら?」
そんな中、重い空気を突き破って五十鈴が手を挙げる。無言の肯定で提督は返事を送った。その意図を汲み取って彼女は語りはじめる。
「そうね……どこから話せばいいかしら」
悩む彼女は沈黙をつくる。数秒の逡巡の後に五十鈴は顔を上げた。
「私は前任の担当していた泊地所属の艦娘なの。生憎、秘書艦ではなかったけれどそれなりに前線には出撃していたわ」
前任。深尾が口にした内地の病院にいる提督。結びつく糸が思わず瑞鶴の持っている古い記憶を引き出した。今まで意識半分だった夕立や川内の姿勢もくっとよくなる。別の時代の生き証人に周囲は敬意の念を込めた眼差しで出迎えていた。
「トラック泊地が中部海域で最重要の拠点であることは知っているわよね?」
「あぁ、南方に支援も出せる上に攻略の心臓をになっているからな。戦線維持における前線基地と支援拠点の重要性は嫌というほど北方で学んだ」
現在は幌筵島に陣取る中津原の泊地が北方攻略の最前部であると同時に外敵からの防波堤だが、その昔は単冠湾が同様の役割をこなしていた。そして提督や剣城がその支援を全面的に行っている。一航戦の面々からの情報と繋ぎ合わせた自身の泊地の歴史が瑞鶴の脳裏に浮かんでくる。何より提督がトラック泊地の戦術的価値を知らないわけがないという信頼が心の奥から湧き上がる。
「だったら話は早いわね。単刀直入に言えば敵からすればこの基地は格好の目標なの」
「だろうな。南方に影響力を持つ中規模の艦隊を保持していて、海軍の作戦実行に欠かせない地域となれば戦略的地位が上がるのは自然なことだ」
「えぇ、だからこそ襲撃が頻発する」
襲撃という単語に提督の瞳が曇る。負に塗れた感情が埋め尽くしていくその様は外から見ている瑞鶴からでもわかった。強く押さえ込むための切れた息が軽く吐かれる。殺意のこもった空気に背筋が凍る。
「つまり、前任も襲撃のせいで病院に?」
「貴方の想像とは少し違うけれどね」
提督は眼下に視線を落とす。想像との差異。瑞鶴の直感が告げる仮説が彼の口から流れる。
「戦争神経症……か」
欠損や重度の火傷といった外傷とは真反対の存在。その存在を正確に提督は言い当てた。驚いたかのように目を見開く五十鈴は問いかける。
「知ってるの? 内地は安全だから少ないって聞いたんだけど」
「内地勤務と言っても着任時期があるからな。初期の方は少なからずいたと聞いている」
経験の重みがずっしりと言葉に乗せられる。深尾や五十鈴が感心の視線を向けると同時に、他方では複雑な感情が向けられていた。
「提督の知り合いで見たことないよね」
「胆力が違うんじゃない」
ガヤを入れる川内と時雨に鋭い空気があたる。その主人は言うまでもなくこの場において貫禄を宿して、椅子に座っている加賀だった。
「嫌なら答えなくていいんだが……襲撃は凄惨だったのか」
「えぇ、まぁ。
「そうか」
提督は天を仰いで呼吸を整える。襲撃、犠牲。重すぎる代償がのしかかり、戦争に壊されてしまったのであろう一人の人間。もしかしたらたどっていたかもしれない未来に彼は一瞬の合掌をしたかのようにみえた。
「復帰の見込みは」
「ないわ」
「隔離か……」
場の空気が切り替わる。瑞鶴は彼の決意の瞬間を微かに感じ取った。
「事情はわかった」
はっきりと言い切って立ち上がる。間髪入れず、仕事に取り掛かる合図に呼応した加賀がそばについた。秘書艦として未だ至ることのない領域に、瑞鶴は心の中で悔しさを飲み込む他なかった。
「何をするにしても情報の整理からだ。本部にある全ての資料を会議室に持ってきてくれないか。目を通さなければいけない」
「全て……ですか?」
今までうんともすんとも言わなかった深尾が戸惑いと畏怖を含んだ声で提督に話しかける。ほっとしたような安堵がほのかに混じる視線に提督は返答する。
「『泊地を担う』とはそういうものですよ」
南方特務指揮官としての顔がのぞく。今に至るまで“彼女”へ注ぎ込まれていた熱意は再び息を吹き返していた。次は守り抜く──聞こえもしない言葉が瑞鶴の耳に奇妙に響く。
「っ……!! わかりました。今すぐお持ちしますね」
何かがピンときたのか、深尾はすぐさま部屋の扉を開けて外に出て行った。その様子を見て五十鈴が肩を落としながら背後で暇にしている瑞鶴らへと声をかける。
「荷物運び、手伝ってくれる?」
翔鶴や夕立は待機、いつもの面々が冷たい廊下に出て階段へ向かう。地下で厳重に管理された資料室に全ての記録が残っているとのことだった。下っていくにつれて無機質なコンクリートが顕になり、涼しい空気が舞い込んでくる。戦時であることを十分味わえる作りだ。
「貴女たちは椃木提督の付き添い?」
「うん。手足がいなきゃいけないからね」
五十鈴からの質問に軽く川内が返答する。
「ふ〜ん。緊急の用心棒ってこと」
「いや〜、あの人はそんなの必要ないと思う」
双方、腹の中を探るかのような物言いだった。不信感の裏返しか、はたまた実力を見計らっているのか定かではないが、確実に疑念は混じっている。
「あら、そうなの? 案外頑丈な人なのね」
「頑丈って言うのかな〜。一匹狼の方が近い気がする。身内でも手の内明かさない人だし」
本人不在であることをいいことに率直な意見を述べる川内に瑞鶴は思わず心中で苦笑せざるを得なかった。毎度、棘のある言い方で
五十鈴はその言葉を受けて何かを察して前を向く。
「……孤独な人なのね」
「いや、それは違う」
反応に時雨が否定する。普段の飄々とした彼女からは考えられない、食い気味の言葉に川内の視線が飛ぶ。
「訂正、随分と慕われてるのね」
足早に階段を下り切ると、五十鈴は鍵を取り出した。眼前にそびえる重厚な鉄扉の錠を開けて奥に押しやる。現れた空間からは、仄かに古臭い紙の匂いが漂った。
「提督、一人で運べないでしょう。手伝うわ」
「五十鈴! うん、そうしてくれると助かる」
地下にしては広い空間の中は書棚でいっぱいだった。トラック泊地の歴史について綴られた分厚い本や、戦闘詳報などが整然と並べられている。
「資料と言っても……どこから手をつければいいかな?」
「細かい書類はいいでしょ。提督が着任した時に読んだ物でいいんじゃない?」
五十鈴からの提案に同調して深尾は奥の書架へと足を進める。それに続くと重い空気をまとう棚にたどり着いた。
「『南方重大襲撃事件概要』……これってもしかして」
「えぇ、
数々の生存者からの情報をつなぎ合わせて作成された南方の血の歴史──五十鈴はその本をそう語った。
「南方の地域には必ずと言っていいほど置いてあるわ。地域によって内容がちょっと異なるのよね」
「これなら椃木さんも事情を知れるはず……!!」
五十鈴が本を取り出して川内へと渡す。油断していたのか、彼女の体が傾いた。
「おっも……」
「扱い気をつけてよ。大切な資料なんだから」
「言われなくても分かってるって」
瑞鶴も同様に五十鈴から受け取る。一冊だけなのにも関わらず、数多の血肉と歴史が詰まっている本は単純な重量の数倍、重く瑞鶴には感じられた。
下りの復路は上りである。一通りの目処がついた一同はその高さにため息を漏らしていた。
「これ登るの?」
「腰持ってかれそうよね」
覚悟を決めて足を踏み出そうとした時、背後で台車を持った五十鈴らがやってくる。
「上りはエレベーターよ」
「…………」
先に言えと言わんばかりの鋭い視線が川内から送られる。何より、台車に置けばいいだろうという考えが三人には浮かんだ。
「……重量オーバーするとタイヤ吹き飛ぶから呼んだのよ。悪かったわね」
ばつが悪い表情を浮かべて五十鈴が呟く。単冠湾の一同は先に行けと言わんばかりにエレベーターへと押し込まれた。
エレベーター内は人三人ほどで埋まる程度の空間で、無機質な壁面には少々の傷が刻まれている。使い古されたというには真新しい鏡が、妙に磨かれて輝いて見えた。
「南方襲撃の本ねぇ……」
「僕らも読みたいぐらいだけどなぁ、これ」
南方に一時的にでも着任した艦娘として、民間人を守る者としての責務を全うするために読むべきものであるのは確かだ。瑞鶴としてもトラック泊地の事情に詳しくなければ、川内や時雨と同じ感想を抱いただろう。
「昔の
「川内さんは知ってるんだもんね。北方海域を攻略してたころ」
「まぁね。でもこんなに分厚くなるほど戦闘はしてないなぁ、多分」
ぽんぽんと本を叩いて川内はトラックとの違いをアピールする。
「ま、提督は少なくとも大体知ってるでしょ。そんな雰囲気したし」
「うん。僕もそう思う。明らかに手慣れた感じだったからね」
港に着いてからの荷物の運搬までの手慣れた様子、本部庁舎内での迷いない行動の数々は提督が泊地を知っている人間と位置付けるには十分な証拠だった。
チリンという音とともに扉が開く。会議室に向かって三人は足を進めた。
とんでもない投稿遅れをしてしまって申し訳ないです。本当に最近、書く勢いに衰えを感じています……どうにかしたいんですが時間がないとやはり難しいですね。何より修正作業との両立が難しい(涙)。
さて、本編では色々トラック泊地の全容がわかってきていると思います。着任の新鮮さもだんだんと馴染んでいくことでしょう。