ゲームとRTTTの設定が混ざっており、またアヤベさんの心境の変化に対する解釈のまとめ的なものなので、ご注意ください。
1
菊花賞の後から休養に入り、季節はすっかり冬になってしまった。暑さがいつの間にか消えて、だんだんと肌に冷たさが突き刺さるようになる。それは同時に、人生で一度きりのクラシックレースが幕を降ろしたことを意味していたのだが、どうにも考えるべきことが尽きないせいで惜しむ気分にもなれなかった。
特に、私の走る理由だった妹のこと。あの子の存在はもう感じられなくなってしまった。私はあの子の代わりに生まれてきたことの価値を示さなければならなくて、そのためにこの身を捧げるべきだと思っていたのに。
今にして思えば、初めは違ったんだろうとも感じる。もっと純粋に、あの子に走る喜びを伝えたいだけだったのかもしれない。初めてレースで勝ったときの涙は、温かくて心地の良いものだったから。
そんな小さなころの想いは生かされた意味を求めるほど薄れていって、その意味が解らなくてただ償おうとして、それができないなら赦されないのだと恐怖すら覚えて——いつしか自分の人生だなんて、考えるのを忘れてしまった。
それなのにあの日、勝利以外の全てを諦めて臨んだ菊花賞で最後の声を聴いて、私は道標の星を見失った。あの子のための人生が突然終わって、暗闇に放り出されてしまった。
初めは解放されたとさえ感じる自分への苛立ちと、あの子が遠ざかってしまった不安とに駆られていたが、トレーナーや同期の子たちがやはり放っておいてはくれなかった。
目に見えないものに詳しい子——カフェさんやネオユニヴァースさん、それに少し胡散くさいけれどフクキタルさんに相談してくれたこともあった。一応その面々からは良い兆しを感じるとのお墨付きをもらったから、あの日聴いた、運命を持っていくという声を信じるべきなのだろう。そして……自分のための人生というものを、今になって考え始めるべきなのだろう。
しかしその答えを得るよりも前に、レースへの復帰も考えなくてはならない。
もうあの子のことを走る理由にはできなくなってしまったが、「走りたくないのか」「勝ちたくないのか」と問われれば、それは違う。
走れと願い合うライバルができてしまった。こんな私に。
渇望をぶつけ合って駆ける歓びを知ってしまった。こんな私が。
クラシックで戦った子たちの狂熱も、トップロードさんの真っ直ぐな言葉もよく覚えている。
こうも恵まれてしまったのなら走るべきだと、本能で感じている。ここでおとなしくなれるほど、ウマ娘という生き物はできていないらしい。だからあとは理性──以前とは違う、自分のために走る理由を見つけたい。
2
その第一歩として、今後の相談をすべく私たちは新月の夜に、いつもは星を見る場所で火を囲んでいた。いつもなら無いはずの火が、いやに熱く眩しく感じる。
あの子を近くに感じられないのだから、もう天体観測に意味はないかもしれない。だけどあの子を忘れたいとも思えない。私とあの子を繋いでいた、習慣ともいえる行為に何か意味を持たせたいと足掻いた結果が、この現状だ。
「私、星とかは全然わからないけど……同期の子とか、カレンちゃんじゃなくてよかった?」
「別に賑やかにしたいわけじゃないわ。それに、あなたに聞きたいことがあったから」
トレーナーのことをよく知っているわけではないが、ウマ娘のことを──私のことを、いつも考えている。あの子のためだけを想ってきた私と似ているはずなのに、私だけがこうして躓いている。この妬ましいほどの差の理由がわかれば、次の一歩に繋がる気がしていた。
「率直に聞くけれど、新しい目的を見つけるにはどうすればいい?私には何が足りないと思う?」
「そっか……妹のためだって言ってたもんね。確かに復帰する前に見つけたいけど……レース以外で好きなものがあったりはした?」
「ないことはない……かしら。天体観測も、楽しいとかではないけれど続けていたから」
「その中でもっと極めたいとか、レースを通じて広めたいとかはないかな」
「そういうのは全く……というかレースに直接関係ないことなら、あなたが考える必要ないでしょう」
「まあ無理に関わらなくていいのかもしれないけど、私は担当の子にレースを通して何かを掴んで欲しいって思うんだ。最後にどれだけ自信を持たせられるかで、私の価値が決まると思うから」
「変な仕事ね。それだとゴールが遠すぎる気もするけれど」
「まあそうだね。契約期間や現役の間には成果がわからないかもしれないし……だからもちろん、G1トレーナーになることも大きな夢だったよ。それは日本ダービーで叶えてもらったけどね」
「──な」
動揺なんて見せるつもりはなかった。それでもクラシックまでの私に「夢が叶った」なんて、前向きな感情を持っているなんてつゆも思っていなかった。
「叶えてあげたつもりはないわ。レースに出るためにあなたを利用して、勝手に走った。それでも夢が叶ったって言うつもり?」
「うん。全く私の手柄ではないかもしれないけど……それでもデビューからのアヤベの努力も苦しみも、かっこいい走りも一番近くで見せてもらったんだ。それに今はこうして頼ってもらえて、また一歩進めた。私にとって大事な時間になったから」
トレーナーは私を、そして私を信じられる自分自身を信じていたんだろう。自分の指導でウマ娘を勝利させるよりももっと純粋に、ただウマ娘に「走ってほしい」と願いを掛け、走ることを素直に喜ぶ心を持ち続けている。
私はどうだ。トレーナーも誰も信じられずに、独りで走ろうとしてきた。「あの子のため」と言ってはいたが、生を実感するほど私の中で生かされたことへの恐怖が膨らんでいた。身を削るように走っていた私が信じていたのは、きっとその恐怖が生み出した虚像の妹のほうだ。きっとこれが私に欠けているものなんだろう──けれど。
「私は……あなたみたいに何かを信じられないかもしれない。あの子の声ももう、何も聴こえなくて……」
「アヤベは、まだ妹さんのために頑張りたい?」
あの子が離れていったときの、空虚な感覚を思い出す。本当はあの子のことを逃げ道にしない、新しい目的を見つけるつもりでいた。それでもやはりあの子のことを忘れたくない。生まれてこなかったからといって、忘れられていいはずがない。
この感情を切り捨ててしまったら今度こそ空っぽになってしまう気がして、顔も向けないまま頷いた。
「だったらそうするのが一番いい。何をどこから信じればいいのかって、難しい問題かもしれないけど……でも菊花賞で全力を出せなくて、その代わりに今ここでまた走り出そうとしていられるのは、確かな事実だと思うんだ。だからそのきっかけの声を信じることから始めればいいんじゃないかな。ただ今度は、頑張って走る自分を好きになって、大切にしてほしい。これはトレーナーとしてお願いさせて」
「──ええ」
自分のための目的とは、他人に依らない目的だと思い込んでいた。でもまだあの子のために走っていいのだという。この身を滅ぼして償うためではなく、そうやって走る自分を誇るために。
そんなのなんて自分勝手で──眩しいんだろう。思えば私の周りの人たちはみんな勝手で強引な人ばかりで、あんなふうに真っ直ぐでいられることが、羨ましくもあった。今なら彼らに感じていた眩しさもよく理解できる。
「それなら私は……いつかあの子に頑張ったよって、胸を張れるようになりたい」
まだ小さな我儘を、絞り出すように呟いた。妹だけじゃない──きっと私は、トップロードさんが憧れるに相応しくありたい。クラシックの冠の一つを持つ者として期待に応えたい。私を担当したことをこの人が誇れるウマ娘に、なりたい。
でもそこまで自分勝手になれる自信はまだ無いから、今はこの一歩だけにしておく。それでも、火の明かりのなかで踏み出した確かな一歩だ。どれだけ離れようとも、足跡をたどればきっとここに戻ってこられる。今さら始まった私の人生の原点だ。
「こんなに遠い目標でも良かったの」
「どんなゴールでも、そこまでの努力とか気づきとか、色んな感情も、あなただけのものになるって信じてるからね。あとは中間の目標として、勝ちたいレースや相手が見つかったら増やしていってもいいし」
「そう。ならこの議題はここまでね。……ありがとう」
話に区切りをつけ、感傷的になった心を冷まそうと冬の空気を深く吸い込む。こんなにもゆっくりと息をしたのは、いつ以来だろう。いつもの温度を取り戻した頃には、異物だった焚き火の熱も不思議と心地よく感じられた。最初にあの子を感じた日の涙のような、優しい熱に。
「じゃあそろそろ天体観測する?」
「悪いけど、もう少し火にあたらせて」
立ち上がり、焚き火に手を伸ばす。何にも届くことのなかった手を取るように、熱が包む。
「——もう、大丈夫」
ずっと遠くを見上げ星明かりにすがるように走っていた私は、その道の先からも、傷だらけの脚からも目を背けて、破滅へと身を寄せていった。
遥か昔から見えていた星の光——でもその光は弱くて、冷たくて、手を伸ばしても届くことはなかった。
でも今は私の足元を照らす火が灯っている。星は少し見えにくくなってしまったけれど、眩しく燃えて周りを温め、次の一歩を踏み出すべき場所を示してくれている。だから少なくとも今は、迷わずに歩いていけるはずだ。
3
「世代の有力ウマ娘が集うURAファイナルズ!天気にも恵まれ快晴、良バ場の中、心躍る決勝戦を迎えることができました」
復帰後、シニア級での成績をライバル達と重ねて、この最高峰のレースに臨んでいた。歴史は決して深くないものの、高揚感と緊張感は尋常ではない。
出走する子たちの熱気、観客席のざわめき、芝の香りと感触。またあの子に伝えることが増えたな。
「アヤベさんなら決勝まで来るって信じてましたよ!憧れた走りを、ここで超えてみせます!」
「私も……またあなたと走りに来たわ」
菊花賞の前にも受けた、トップロードさんの真っ直ぐなセリフと真っ直ぐな紫色の瞳。あの日よりも、その目を正面から見据えられただろうか。
「はーっはっはっは!かつて鎬を削りあった
オペラオー。私が休養に入った後に覚醒を遂げ、圧倒的な戦績を打ち立てていた。
「おわっあっアヤベさん、そのっ、改めて復帰おめでとうございますぅぅ!」
何もない所で転びそうになりながら、ドトウも駆け寄って来る。泣きそうな顔なのはいつも通りなのか喜んでくれているからなのか分からない。
彼女はオペラオーに次いで2着という印象で語られることが多いが、年間G1無敗を達成するほどのオペラオーに食い下がり、覇道に足を踏み入れたその体力と精神力は、恐るべきものだ。
デビューの近かった彼女たちだが、私のいない間にも多くの経験を積んでいる。以前トレーニングアプリの開発に関わったウマ娘が、数多のレースを走った経験が自分の最大の武器だと語っていたが……それにならえばこの3人は今、間違いなく最強格だ。
「ええ、お互い良いレースにしましょう」
その彼女たちを前にしても、私の表情は以前より柔らかかったと思う。私をこのレースまで連れてきたのは呪いめいた使命感ではなく、あの子に吉報を届けるという希望だ。
「それに……今日はもう一人気になる相手がいるから」
振り返ると、ちょうどその子もこちらへ歩いて来ていた。
「アンタと走れるなんて夢みたいだぜ、ダービーの先輩ッ!復帰してからもスゲー末脚だって聞いてたからよ、存分に最強を競い合おうぜ」
ジャングルポケット。私の次の年のダービー勝者にして、オペラオーを正面から打ち破った新時代のウマ娘。彼女の同期はケガに悩まされる子も多かったが、その一瞬の輝きを讃え『烈光世代』と称されていた。
彼女が首に提げたペンダント──光を束ね、その内部で乱反射して輝く水晶体。それはまるで、彼女が見てきたあらゆる強さを吸収し、この場にぶつけるという意志のようにも感じ取れた。
「タキオンとかカフェはまだ様子見で来てねェけどよ……一足先にファイナルズの冠も頂いて、土産話にしてやるぜ」
「奇遇ね。私もいい報告をしたい相手がいるの」
剥き出しの闘志を向けるタイプは同期にいなかったから、新鮮な気分だ。それにダービーを獲った後輩……今まで無かった関係だから、少しそわそわする。
「世代の代表が揃うURAファイナルズ決勝戦、まもなくゲートインです!」
固く握手を交わし、それぞれのゲートへと向かう。
「このウマ娘なしには語れない!世紀末覇王テイエムオペラオー!」
歩いていく各々の目はすでに互いの顔ではなく、遠くゴール板までを見据えている。
「実直にして王道!曲げない走りで魅せるナリタトップロード!」
どれだけ道を見失おうとも、私たちが走るための形をして生まれてきたことに変わりはない。だからゲートに立てば目的地は自ずと定まる。
「隠れた実力で覇道を共にした、メイショウドトウ!」
そして、私たちは自分で願う以上に、誰かに願われなければ走れない。観衆か、トレーナーか、ライバルか。何かに応えたくて私たちの本能は姿を見せる。ウマ娘とはそういう生き物だ。
「府中に敵無し!新時代を拓いた烈光世代代表ジャングルポケット!」
ならば私に願った人たちのために、また走り出そう。あの日の焚き火の隣から、何度でも。
「休養を経て新世紀に巡り来た一等星、アドマイヤベガ!」
願う人のために走る私を好きになる。そのために何度でもゲートに立つ。
「URAファイナルズ決勝、今スタートです!」
だから、そこで見ていて。
もう一度星を目指す お姉ちゃん/あなたのウマ娘 を。