よい子テスト~悪い子は死んでください~ 作:崖の上のジェントルメン
……廊下の奥へ行けば行くほど、日の光が届かず、仄暗くなっていく。
それが、私の不安そのものを暗示しているようだった。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
浅倉の言う一番奥の部屋とは、今は使われていない旧一年生の教室だった。
(藤山!)
その教室の扉が開いていたので、直ぐ様飛び込んだ。
「!」
ミノタウロスの二体は、藤山と藤山の友人(海斗と呼ばれていたかしら?)を、黒板際へ追い詰めていた。
海斗は藤山の左肩を担いで、ミノタウロスたちを睨んでいた。
藤山は苦悶の表情を浮かべて、汗だくになっていた。
彼の右肩からは、血が垂れていた。
「藤山!」
私が叫ぶと、藤山たちもミノタウロスたちも、こっちへ顔を向けた。
「た、谷口!?ダメだ、こっちに来たら死ぬぞ!」
藤山は私へそう言ったけど、もう戻るつもりはなかった。
「あ、あんたたち!こ、こっち来なさいよ!」
私は手前にあった椅子を掴んで、ミノタウロスたちに威嚇した。
「ヴオオオオオオオオオッ!!」
「グオオオオオオオオオッ!!」
「………………」
ミノタウロスたちの雄叫びが、私の身体に浴びせられる。
それだけで、吹き飛ばされそうな気持ちだった。
早くもここへ来たことを、後悔しそうになった。
ヴオッ!!
「きゃっ!!」
ミノタウロスの内の一体が、私めがけて斧を振り下ろした。私は咄嗟に持っていた椅子で顔を守りながら、後ろに仰け反って躱した。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
対峙するだけで、どっと汗が吹き出る。
心臓を思い切り鷲掴みにされて、強く握られているような感覚。
(ど、どうする!?考えるのよ!どうしたらこのミノタウロスたちを回避しながら逃げられる!?)
制限時間を確認する余裕もないけど、もうきっと2分くらいしかない。
(何か!何かいい方法は!?)
「ヴオオオオオ!!」
私が逡巡するのを許さないミノタウロスたちは、同時に斧を振り下ろしてきた。
「きゃーーーーー!!」
私は持っていた椅子を放り投げて、後ろ向きに走り、教室から出た。
ガバァンッ!!
投げた椅子は斧に当たり、ぐにゃぐにゃにひしゃげた。
だがそのお陰で、斧の軌道がズレて、私には当たらなかった。
「はあっ!はあっ!はあっ!」
床に尻餅をついた私は、顎先から落ちる汗をそのままにしていた。
わからない、私じゃどうしようもない。どうしたらいいかわからない。
歯がカチカチと、音を鳴らしていた。
やっぱり止めておけばよかった。こんなところで死ぬのは、嫌だ。あんな椅子のようになるのは嫌だ。
死にたく、ない。
死にたくない。
死にたくない。
死にたく──。
「こ、こっち見ろ!ミノタウロスー!!」
「!」
その時、私はミノタウロスに向かって、上履きを投げる人物を見つけた。
吉田だった。
彼の足腰は生まれたての小鹿のように震えており、声も半泣きの状態だった。
「よ、吉田くんまで何してるんだ!早く逃げてくれー!」
藤山の声へ答えるように、吉田は「俺、情けねえよ!」と叫んだ。
「お、俺、友だちから、『絶対来てくれると思ってた』って言われたんだ……!見捨てようと思ってたのに!俺だけ助かればいいと思ってたのに!」
「!」
「ちくしょーー!俺、俺!自分が情けなくて!!恥ずかしくてしかたねえ!!」
「ヴオオオオオオオオオッ!!」
一体のミノタウロスが、吉田の方へ近づいていった。
「ひ、ひぃっ!!」
彼はその場にへたりこんで、身動きが取れずにいた。
「おらあっ!!」
ドッ!!
そんなミノタウロスの背中へ、海斗が飛び蹴りを入れていた。
「グウウッ!!」
「浮気はよくねーなミノタウロスちゃん!俺のこと忘れてもらっちゃ困るぜー!」
「ウオオオオオオオオッ!!」
そうして、海斗はミノタウロスからの攻撃を綺麗に避けながら、教室の中で鬼ごっこを続けていた。
(はっ!そうだ、藤山は海斗に担がれてたはず!)
私はすぐに、藤山の姿を探した。
彼は教室の隅に座らされていた。
「藤山!」
私が彼の元へ駆け寄ろうとすると、もう一体のミノタウロスが邪魔してきた。
「グオオオッ!!」
ブオンッ!!
大きな腕を使って、こん棒のように振るってきた。
「ひっ!」
私は間一髪でそれを躱し、でんぐり返しの要領でミノタウロスの股の間を通った。
「はあっ!はあっ!っんく、はあっ!」
自分がまさか、こんなカンフー映画みたいな動きをすることになるとは、思わなかった。
「ふ、藤山!」
そしてすぐさま立ち上がり、彼の元へ駆けつけた。
「藤山!しっかりして!」
「た、谷口……」
藤山は激痛に苦しむ顔で、私を見つめていた。
右手はもう血にまみれていて、赤黒く光っていた。
「どうしたのよ!?なんであなたがこんな傷を!?」
「ミ、ミノタウロスのやつ、意外な習性があってな……」
「意外な習性?」
「あいつら、どうやら人間のことしか認識できないらしい」
「え?」
「あれだ、見てくれ」
そう言われてから、私はもう一度ミノタウロスたちに目をやった。
「ウオオッ!!」
「グアアッ!!」
確かに、人間のことは目で追っているのに、ミノタウロス同士は見えていないようだった。
その証拠に、互いの身体がぶつかっても、何も気にする様子がなかった。
「な、なんで……そんな習性を……?」
「たぶん、天使側がそういう風に作ってんだ」
「え?」
「例えば、ミノタウロス同士が偶然ばったり会って、お互いに喧嘩をおっ始めたら、テストにならないだろ?」
藤山は「いてて」と、怪我の痛みに顔をしかめた。
「それに、俺たちみたいに喧嘩させようとするやつのことも、考えてたんだろうな。あいつらに先回りされて、対策されてたんだ」
「そんな……」
「俺も気がつくのに時間がかかっちまった。なんとかお互いに喧嘩をさせようとしたんだが、それで焦ってた時にざっくりいかれてな……」
「……ごめんなさい、私のせいだわ。私が喧嘩させようだなんて提案しなければ……」
「いいんだよ、あの時は最善だと思ったんだ。そして、俺はそれに乗っかった」
「藤山……」
「最善を尽くして失敗するなら、上等さ。後悔はねえよ……」
「ヴオオオオオオオオオ!!」
ミノタウロスが、私たちめがけて襲いかかってきた。
「きゃーーーー!」
「そらっ!!あっち行ってろ!」
ガンッ!!
藤山が目の前にあった机を蹴って、ミノタウロスへぶつけた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
藤山は身体中に汗をかいていて、制服がびったりと肌に吸い付いていた。
「谷口、もう……生け贄組は、みんなグラウンドへ出たか?」
「え、ええ!みんな無事よ!」
「そっか……。それならよかった」
「バ、バカ!何をもう終わる気持ちでいるのよ!?制限時間だってあと30秒もないのよ!?早くグラウンドへ行かないと!」
「いいんだ、これで。お前と吉田くんが来てくれたから……」
「いいわけないでしょ!?何を言うのよ!?私!まだ、まだあなたに何も返せてないの!」
「………………」
「もう!あなたが動かないなら、是が非でも連れていくわよ!」
私は彼の手を取って、根の張った植物を引き抜くように引っ張った。
しかし、藤山は全く動く気配がない。
「ねえ!何してるのよ!早くグラウンドへ行かないと、死んじゃうわよ!?クリアできないのよ!?」
「………………」
「ねえお願い!しっかりして!こんなところで、あなたが負けるはずない!」
藤山とのことが、走馬灯のように過ぎ去っていく。
『これ、やる!』
『早く!もう時間がないぞ!』
「ねえ!お願いよ!」
『目の前で人が死ぬのが嫌だっただけだ。お前のことを特別に感じてるわけじゃない。あの場にいたのが違う人だったとしても、俺は同じことをした』
『俺は……お前が生きてたらそれでいいんだ』
「お願いだから!生きて!諦めないで!」
『……ありがとな』
『お前がいてくれて、助かったよ』
「私の……私の……!」
「私のために、生きてって言ってるのよーーーー!!」
「……へへっ」
藤山は、私の左肩を掴んで、自分の方へ抱き寄せた。
「え?」
突然の行動に、私は一瞬固まった。
「だから、さっきから言ってるだろ?」
藤山はニッと笑って、こう告げた。
「お前と吉田くんが来てくれたから、“勝ったんだよ”」
「ウオオオオオオオオッ!!」
ミノタウロスが、私たちめがけて斧を振り下ろした。
「いやーーーーーー!」
私は咄嗟に藤山を庇うために、身体を前に乗り出した。
キーンコーンカーンコーン
その刹那、教室内にチャイムの音が鳴り響いた。
「……?」
なぜか、ミノタウロスの斧は、私たちへは届かなかった。
ちょうどその頭上で、ぴたりと止まっていた。
「こ、これは……?」
よく見ると、さっきまで獣臭い息を吐いていたはずのミノタウロスが、いつの間にか石像に変わっていた。
「ど、どういうこと?何が起きたの?」
「クリアしたのさ」
「そ、そんなはずないわ。だってあなたは制限時間内に外へ出れなかった。だからずっとミノタウロスたちは追いかけてきたはずよ?」
「タブレットのルール、見返してみな」
「………………」
藤山からそう言われて、私は床に落としていたタブレットを拾い上げ、メモ帳の中にあるルールを確認した。
・ノーマルクリア
一時間以内に、生け贄組を全員グラウンドへ連れ出す。成功報酬は+3点。
・トゥルークリア
一時間以内に、生け贄組、テセウス組ともに一人も死なず、生け贄組を全員グラウンドへ連れ出す。成功報酬は+7点。
「………………」
「俺な、このルールを最初に見た時から、ずっと違和感を覚えてたんだよ。なんでわざわざ、事前にトゥルークリアを公開するんだ?ってな」
「え、ええ、確かに前回のリンゴは、トゥルークリアは伏せられてたわ」
「それでな、ひとつピンッと来たんだよ。天使どもは、“これ”に気がつけって言ってんじゃないか?ってな」
「“これ?”」
藤山はこくりと頷いた。
「このテストのクリア条件は、よく見ると“生け贄組”がグラウンドに出ていることだと書いてある」
「!」
「なら、俺らテセウス組が最後まで校内にいても、なんら問題ないわけだ」
「で、でも、もうクリアしているはずなのに、どうしてミノタウロスは襲ってきたのよ?」
「トゥルークリアの条件はなんだ?」
「……誰も、死んでいないこと」
「そうだ。整理すると、生け贄組がグラウンドへ全員出た時点で、このテストはクリアしていた」
「………………」
「後は、俺らが死ぬかどうかで、ノーマルかトゥルーかに評価が分かれるだけだったのさ。天使どもは、これに気がつけって言ってるんじゃないかと思ってな」
「!」
「だから、制限時間を迎えるまでに死ななければ、俺たちはトゥルークリアで勝つってことだ。もちろん、俺たちもグラウンドへ出れれば一番いいが、怪我した状態でミノタウロスから逃げれる自信がなくてな……。やむを得ず、ここで時間稼ぎをしようと思ってたわけだ」
「………………」
「そして、その時間稼ぎを、お前が果たしてくれたってことだよ」
「………………」
タブレットの液晶に、雫が落ちた。
それは、私の涙だった。
「うっ、ううっ、ううう……」
「お、おい、谷口?」
「うううっ、うううう……!」
私は両手で、その涙を必死になって拭った。
それでも、私の頬が濡れることは止められなかった。
「……ありがとな、谷口。助けにきてくれて」
「うううっ!うわあっ!うわあああああ!!」
私は、子どものように泣き叫んだ。
恥も外聞も捨てて、ただ今沸き上がる感情をそのまま形にした。
……藤山が、死ななくてよかった。
本当に、よかった。