ユウタは優しい笑顔を浮かべるやつだった。少なくとも僕が今まで見た中で一番。
子供の頃はそのユウタの笑顔を、僕は優しいとしか表現できなかった。けれど、今僕がその笑顔を形容するならば、それは儚いと言うべきだっただろう。
子供ながらにして、そんなユウタに惹かれた僕は、ひとりぼっちだった彼とよく遊ぶようになった。
ユウタはあまり話そうとはしない子で、そのせいできっと周りのやつはあんまり面白くないと思って彼と遊ばなかったのだろう。でも彼の表情は言葉以上に雄弁で、だから遊ぶ時に僕の一挙手一投足が彼の表情をコロコロと変えることができる事実が嬉しかった。
そして僕には、彼と遊ぶ時に何よりも好きな時間があった。日が落ちて夕方になり、学校のチャイムがなる頃。僕たちは家に帰るよう先生たちに催促される。僕はそんな時間が一番好きだった。
ユウタはチャイムが鳴るとうんと哀しそうな顔をする。それは給食で残していた一番の好物を床に落とした時みたいな。その顔があんまりにも大袈裟に哀しそうなもんだから、僕は笑ってしまうのだ。そして僕は決まってこう言う。
「ユウタ、また明日!」
ユウタはそれを聞くとさっきまでの哀しそうな顔をゆっくりと変えて微笑む。そしてユウタもこう返すのだ。
「リョウくん、また明日!」
ユウタの笑顔が夕日に照らされて、赤みがさす。まるで照れているようなその笑顔と校舎が、夕日に輝くその景色が。自分が見た中で一番綺麗な風景だった。
何よりも僕がきっかけでユウタがこんなにも綺麗に笑ってくれるのが嬉しくて、僕も笑うのだ。
そんな日々が楽しくて、ずっと遊んでいた。ずっとこのままだと信じてやまなかった。でも、そうではなかった。
小学三年生の頃。いつものように学校に行くと、ユウタがいなかった。その頃、僕とユウタはクラスが違うので、わざわざユウタのクラスの担任に話を聞きに行くと、どうやら体調不良らしいとだけ言われた。
ユウタが体調不良になることなんて一度もなかった。だから珍しいな、と思いながら、ユウタがいないから特にやることもないのに学校に夕方まで残った。
ふとそこで校庭を見ると人影があった。気になって見に行くと、それはユウタだった。その顔は蒼白で、寂しそうな、哀しそうな含みを感じた。
僕は合点がいった。体調不良でもまた明日と言ったから来てくれたのだと僕は思った。
だから「ユウタ、体調が悪いなら来なくてもいいのに。まずはゆっくり休もう」と言うと、ユウタはただでさえ哀しそうだった顔が、みるみるうちに泣きそうになっていき、泣き顔を見てまずいとは思ったものの、僕はユウタに謝る時間すらなく、そのまま走り出してどこかに行ってしまった。
そんな哀しそうな顔は見たことがなかった。なにか心が締め付けられるような、しこりが残るような思いがした。ユウタにかけた言葉がユウタを思ってのことであったがために、余計にその感情は強くなった。
それから数日間、ユウタが学校に来ることはなかった。
週が変わって、月曜日。ユウタが死んだということが全校放送で伝えられた。
自宅の階段で頭を打ったそうだ。しかし僕は、それどころではなかった。
ユウタが死んだのは、初めて学校を休んだあの日の前日だったという。少なくとも、僕が最後にユウタに会った時には、すでにユウタは死んでいると言うのだ。
嘘だ。そんなわけがない。だとしたらあのユウタは幽霊ということになってしまう。きっと死んだだなんてドッキリだ。ユウタがふざけてるだけなんだ。
僕はそんな感情を、周りにぶちまけた。泣いた。暴れたような気もする。先生に取り押さえられ、ユウタと会ったことを必死に伝えても、先生には錯乱しているのだと思われた。
そのまま家に帰された僕はあまりのショックにご飯を食べることさえできなかった。現実だとは思えなかった。信じることができなかった。
だから、いつものあの夕暮れ時に僕はこっそりと校庭に向かった。
どうやら僕以外の子も早めに家に帰されて、人影のない校庭の真ん中には、ひとりぽつんと体育座りをして、顔を膝に埋める子供がいた。顔を見なくてもそれが僕にはユウタだと分かった。
僕は泣き出してしまいそうだった。声をあげてしまいそうになった。でも、声を上げることすら、しゃくりあげてしまってできなかった。
だからかろうじてぼくは「ユウタ」と、名前をかすかに呟くことしかできなかった。
その声を聞いてユウタはパッと顔を上げる。その顔は泣きじゃくっていて、泣き出して走り去ったあの日のままだった。
たまらなかった。だから、走り出してユウタにハグをしようとした。しかし、その手はユウタの体をいともたやすく通り抜けて、僕はそのまま勢いよく転んだ。
何が起こっているのかわからなかった。擦りむいた手のひらをじっと見つめることしかできなかった。
もしかしてユウタが見えたのは夢だったのだろうか。そう思って恐ろしくなり、振り向いてみるとやはりそこに変わらず泣いたユウタがいる。
「ユウタ、死んじゃったのか」
ぽつり僕はそうつぶやいた。ユウタはその言葉を聞いてぴたりと泣くのをやめて、ただ一度だけコクリと頷いた。
ユウタが死んだ。やっと、その事実が胸の奥に落ちた。
実感が湧いてきたらもうダメだった。涙が止まらなかった。僕たち二人は触れ合うことすらできないのに、手を重ねて、体を重ねて、感触すらないのに抱き合ってひたすら泣きあった。
僕の涙が校庭の砂に黒いシミを作る。けれどユウタの涙は校庭の砂を通り抜けるばかりだった。それに耐えられなかった。ユウタの居場所はもう世界のどこにもないのだと言われている気がした。
どれだけ泣いただろうか。日はすっかりと沈んで、夜になり、星が見え始める。
そんな時間になってようやく僕たちは泣き止んだ。
帰らなきゃ。ママとパパが心配する。でも、帰ったらユウタがいなくなってしまいそうで怖い。
そこで思いついた。あの言葉さえ言えば、きっとユウタはいつまでもいてくれる。だから。
「ユウタ、「だめだよ」」
ハッとした。ここまでユウタが強い語気で喋ったところを聞いたことがなかった。
「それだけはダメ。リョウくん、ずっとここに閉じ込められちゃう」
「でも、ユウタ、消えちゃうかもしれないよ」
「うん、だからね」
ユウタはそう言ったあと、皮肉にも、今までのどんな笑顔よりもしっかりとした、儚さとはまるで対極にある満面の笑顔をして。
「また、いつか」
と言った。
僕にはその言葉を何度も噛み締めて、咀嚼して、そして同じように吐き出すことしかできなかった。
「また、いつか」
何度も何度もそう言った。その度にユウタはコクリコクリと頷いて、涙を流した。
少し時間が経つと後ろが何やら騒がしくなった。なんだろうと思って振り返ると、いなくなった僕を探す大人たちがいた。
大人たちは校庭の真ん中で一人うずくまっている僕をみると、すぐに駆け寄ってきてぎゅっと僕を抱きしめた。それはユウタとは違って、感触があって体温があった。
あまりにもその事実が残酷で、ようやく引っ込んだ涙がまた出てきて止まらなかった。
そのまま大人たちは校庭から出ようとする。ふとそこで後ろを振り返ると、ユウタはそこにはもういなかった。
それから僕は二度とユウタに会っていない。
あれから二十年と少し。僕は教師になって、母校で働いている。
そして僕は今でも校庭で、あの夕暮れ時になると、こう囁くのだ。
「また、いつか」と。
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