絞首台の街、安楽死の少女   作:東雲佑

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2.街に完全な夜が満ちたあとで

 どれほど深く意識を配ってみても、やはり秋の気配は街のどこにも感じ取れなかった。

 数日前までは確かに存在していたはずの美しい季節が、今となっては幻であったかのように消え去ってしまった。

 

 街全体が目には見えない領域でいくつかの色を失い、雲一つない空は秋晴れと呼ぶには寒々しく高すぎた。

 秋はすでに息絶えてしまったのだ。

 

 俺はいつも秋が終わってから冬の到来に気付くんだな、とカッコーは思う。

 いや、気付かされるのだ。弟の命日と、それを告げる福祉局の贈り物とによって。

 

 弟の死と新しい部屋への転居から一月(ひとつき)後、カッコーはそれまで働いていた職場を辞めることにした。

 無断欠勤を十日以上も続けたカッコーを同僚たちは誰も責めず、退職の意思を伝えたときには一丸となって引き留めてくれもした。

 しかし彼は最後まで辞職の意を翻さなかった。

 

 あの朝の老人や巡査たちと同じように、同僚たちもまた自分を「弟思いの兄」と見なしているのだということに彼は気付いていた。

 カッコーにはそれが耐えられなかった。もはや彼らの中に自分の居場所はないのだと、カッコーはそう認めざるを得なかった。

 

 こうして職を失ったカッコーに新たな働き口として図書館の仕事を紹介してくれたのは、これもまた福祉局だった。

 

「前年度に新しい図書館が設けられましてね。そちらに取られるような形で旧図書館には司書が不足しているんです」

 

 福祉局の若い職員は拝むような口調で言った。

 

 それが方便だったことには働きはじめたその日に気付かされた。

 確かに旧図書館には今の館長である老人一人きりしか職員はいなかったが、それでも仕事量に対して働き手が不足しているとは到底思えなかった。

 新しい図書館に取られたのは司書ではなく利用客だったのだろう。そこはいつでも閑散としていて、二人の職員の為に存続させているという以上の意味をカッコーは見いだせなかった。

 

 カッコーは館長の言葉を思い出す。

『福祉局は街の人々を代表して我々を気遣ってくれている。彼らの親切は統一された街の意思だ』

 それを拡大解釈であると笑い飛ばすことなど、カッコーには出来そうもなかった。

 

 帰り道の途中にあるカフェで簡単に食事を済ませると、結局どこに立ち寄ることなく真っ直ぐにアパートへと戻った。

 部屋に入るなり、カッコーはなによりも先にまず窓をあけて絞首台をその視野におさめる。

 それから部屋着に着替え、ラジオの電源を入れ、最後にようやく福祉局からの小包を開封した。

 

 今年の贈り物は腕時計だった。革のベルトがついた高級感のある品だったが、余分な装飾はどこにもない。

 カッコーはひとまず時計をテーブルの上に置き、次にメッセージカードを開いてみた。

『時の流れがあなたを癒してくれると信じて』と、そこには印刷のものではない綺麗なペン字でそう書かれていた。

 

 福祉局からの贈り物には毎年なにかしらのテーマが込められているらしく、一年目と二年目にもカードにはそのテーマに沿った言葉が記されていた。

 去年の贈り物は紺色のコートで、カードの言葉は『どんなに厳しい冬もやがては春を迎えます』だった。

 一年目のトランジスタラジオには『あなたは一人じゃありません』というメッセージが添えられていた。

 

 ラジオとコートは今でも使っているし、カードもすべて引き出しにしまってある。

 この日届いた時計とカードも当然それらに加わるはずだ。そのようにして三年目は加算される。

 

 三年目。

 

 もうそんなに経つのかと、カッコーは少しだけ意外に思う。

 そして同時に、まだそれしか経たないのかという驚きも覚える。

 

 三年という時間は口にして言うほど短くはない。実際に今この瞬間からの三年後を想像してみると、それは途方もなく遠い未来のことのように思える。

 しかしその反面で、弟の死をつい最近の出来事であるかのように感じもしている。

 

 弟が死んでからの自分の生き方を振り返ってみると、なんとなくそうした感覚には説明がつく気がした。

 空虚な人生は、生きてみれば一日一日が苦行のように長く感じられる。

 しかし空白に空白を重ねたところで結局そこにはいかなる色彩も生じないのだ。

 

 思い起こすべき記憶のない平坦な過去。

 遮蔽物もなく見渡せる乾いて閑散とした三年。

 そこに生きた実感など生まれようはずもない。

 

 なんで俺は死んじまわないんだろう?

 

 しばしば、カッコーはそうした疑問に囚われる。

 自分は、厳密には死を求めているわけではないのかもしれない。しかし人生への意欲はもはやなにひとつとして見いだせない。

 死の瞬間の苦痛を想像すると背筋が冷えるが、終わりなく無意味を積み重ねるだけの人生を思うとまた別の恐怖に襲われもする。

 

 いつか自分もあの絞首台を使うに違いないと、そんな予感だけが頭の中にずっとへばりついていた。「ひょっとして今がそのときではないのか」と、そう思いながら実際に広場に出向いてみたこともこれまでに幾度かはあった。

 しかし、結局は死ななかった。

 答えの出せない疑問を頭の中にぐるぐると廻らせながらただ絞首台を見つめ続けるだけの毎日を、無益と知りながら終わらせてはいない。

 

 弟が死んでからしばらくのあいだは人がましい部分もまだ少しは残っていたように思える。なにも感じなくなった自分の心に焦りを覚えもした。

 しかしそうした感覚も既に過去の物となって久しい。俺の心はもう完全に死んでしまったのだ、とカッコーは思う。

 

 ――ならば、どうしていますぐ広場まで出かけていかないんだ?

 

 カッコーはため息混じりに首を振って雑念を払うと、過去の二通が入れてあるのと同じ引き出しに三年目のメッセージカードをしまった。

 それから彼は窓辺まで立って行き、三年間毎日そうして来たように絞首台に視線を据えた。

 

 物静かな午後の街にあって、絞首台だけが秋の不在をものともせずにそこにあった。

 

 

   ※

 

 

 やがて太陽が傾き西日が眼を射っても、カッコーは窓辺を離れようとはしなかった。

 目をすがめ、手でひさしを作りながら、彼はそれでも絞首台を眺め続けていた。

 彼はいつだってそうして時を過ごす。彼にとって時間とはただやり過ごすものでしかない。

 

 

 陽が沈み、園内灯が絞首台を照らし、街に完全な夜が満ちたあとでバスがやってきた。

 

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