絞首台の街、安楽死の少女   作:東雲佑

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3.あなたもこれを使いに来たのかしら?

 バスはなめらかなカーブを描いてロータリーをなぞると、バス停前の消えかけた停止線の中にぴったりと停車した。

 プシュっという圧縮空気の音があたりに響き、車体が少しだけ後方に揺り返し、そのあとで乗降口の扉が開いた。

 一連の動作には習慣性のようなものがあり、日常的な自然さがそこには漂っていた。

 

 しかしもちろん、それは日常的なことでも自然なことでもなかった。

 バス停は遠い昔にその役割を終えた場所だったし、街に残された最後の自動車は十年以上前に完全にその機能を停止させていた。

 実際に動いて走る自動車を、カッコーは幼い頃以来はじめて目にした。

 

 それから間もなく、バスは来たときと同じようにゴトリと揺り返して走り出した。 ハイビームの前照灯がロータリーを眩しく照らし、もう一度圧縮空気の音が闇を裂いた。

 エンジンとタイヤの音は次第に遠くなり、やがて完全に聞こえなくなった。

 そうしてすべてが一瞬の夢であったかのようになにもかもが元通りになった。

 

 たった一点だけ、バス亭に一人の乗客が降り立っていたことだけを除いては。

 

 バスの乗客はしばらくその場にとどまって市街図の案内板を眺めていた。

 体格は小柄で、時期にはほんの少し早い厚手のコートにすっぽりと身を包んでいる。手荷物は大きめの旅行鞄が一つだけで、コートのフードを目深に被っているため年配のほどは見て取れない。

 

 やがて市街図に背を向けると、その乗客は幾度か周囲をきょろきょろと見渡し、それから街路灯の下をゆっくりとした足取りで進みはじめた。

 道なりに植樹されたナナカマドに沿って進めば、ほどなく錆び付いた鉄製の門に行き当たるはずだった。

 カッコーは乗客の姿をぼんやりと目で追った。それからその歩みが止まるはずの場所に視線を先回りさせてみた。

 それがどこなのか、何故だか彼には確信のようなものがあった。

 

 

   ※

 

 

 広場の入口からは真っ直ぐに丘の頂上を見上げることが出来る。そこでは冬の澄んだ星明かりを浴びた絞首台が、常にも増した神聖さで周囲の空間を染め上げていた。

 台座に据え付けられた低い十三階段を上った先には、街の歴史の中で数え切れないほどの人々を救済し続けてきた木組みの執行者が鎮座している。

 園内灯の一本が幻想的なまでに淡い灯りをその頭上に降らせている。

 

 そんな一種荘厳ともいえる空気の中に、一つの異物が混在していた。

 

 膝を抱えるようにして座り込んだバスの乗客は、魅入られたかのようにじっと身じろぎもせずに絞首台を見上げていた。

 壇上の教祖を見上げる熱心な信者さながらに。彼が手にしていた旅行鞄は近くの芝生の上に無造作に放り出されている。

 もうずっと、一時間以上も彼はそこでそうしていた。

 

「こんばんは」

 

 カッコーは座り込む背中に挨拶を投げた。

 声をかけたあとでなんだか妙な気まずさがやってきた。居心地の悪さを誤魔化すように、彼は靴のつま先で地面を何度か叩いた。

 俺はいったい何をしてるんだ? とカッコーは思った。

 

 熱心に絞首台を見つめるフードの影を、彼もまた窓辺からずっと見ていた。

 街に、そして彼の風景の中に忽然と現れた異邦人の姿を。

 どうせすぐにいなくなるだろうと、最初はそう思っていた。しかしいつまで経ってもその人物はどこかへ立ち去る気配を見せなかった。

 

 いつしかカッコーの内面に「彼と言葉を交えてみたい」という欲求が持ち上がっていた。

 それは焦燥を伴った強い衝動だった。

 彼と言葉を交えなければならない。手遅れになる前に。

 ベッドに脱ぎ捨てていたコートを掴むと、カッコーは足早にアパートの階段を降った。

 彼が他者への興味や関心に突き動かされて行動するのは、この三年間ではじめてのことだった。

 

 背後から突然声をかけられても、バスの乗客は驚きもしなければ怪訝がるそぶりも見せなかった。

 座ったまま身体半分だけずらしてカッコーを振り返ると、相手は警戒心をまるで含んでいない口調で「こんばんわ」と挨拶を返した。

 その声には、反対にカッコーのほうがちょっとした驚きを与えられた。

 

「……こんばんは」

 

 少しの間の後でカッコーはもう一度言った。仕切り直しをするように。

 それから彼は正直に、いま与えられたばかりの驚きを口にした。

 

「随分小柄な男だと思ったんだが、なるほど、前提からして間違っていたんだな」

「どうして男だと思ったのかしら?」

 

 フードの下から楽しそうな響きを持った声がカッコーの耳朶をノックした。

 まだ若い女の声だった。

 

「……多分、そのいかつい旅行鞄と色気のないコートが原因だと思う」

 

 カッコーは適当な理由をこしらえて答えた。本当は別の理由があるような気がしたが、彼にもその正体が掴めない。

 

「それに君は座り込んだままずっと動かなかったからな。疲れ切った老人みたいに見えた」

「ずっとわたしを見ていたの?」

 

 相手が訊いた。見られていたことを気にしている様子は特になさそうだった。

 

「部屋から街を眺めていたら偶然君の姿が目に入ったんだ。俺はいつも窓から風景を眺めて過ごしてるんでね」

 

 眺めているのは風景ではないが、半分は嘘じゃない。

 それからカッコーはアパートの自分の部屋を指さした。消し忘れてきた室内灯が外から眺める窓辺を照らしていた。

 

 女はカッコーの指先を追って視線を走らせると、灯りのついた窓を眺めて小さく頷いた。

 

「当たり前だけれど、あなたはこの街の人なのね」と彼女は言った。

「ああ、そうだ」

 

 君以外の人間はみんなそうだ、と彼は思う。

 しかし敢えて口にはしなかった。

 

「ここで生まれて、ずっとここで暮らしている」

「わたしはついさっきこの街に着いたばかりなの」

 

 彼女は言い、しみじみと感慨を含んだ口調で続けた。

 

「本当に長い道のりだった。わたしの暮らしている場所はここからずっと遠くにあるのよ。この街にたどり着くには何日も何日もかかった」

「何日も何日もかけて君はこの街にやってきたんだな」

 

 カッコーは相手の言葉を繰り返す。それから付け加えた。

 

「バスに乗って?」

「そう、バスに乗って。バスだけじゃなくて鉄道もいくつも乗り継いでね。だから背中もお尻もすっかり痛くなっちゃった。今から思い出すとそれはそれで楽しい経験だったけどね」

 

 強張った筋肉をほぐすように軽く背伸びをしながら、相手はあっさりとそう認めた。

 

 しかしもちろん、街の常識から考えればそれは明らかに普通のことではなかった。

 この街は出口も入口もどこにもない。なにものも街から出ていくことは出来ないし、そして街に入って来ることも出来ない。

 人も物も、ラジオの電波ですらがその例外ではない。

 

 自分が目にしている異常な状況についてカッコーは改めて考えてみた。

 フードを目深に被った後頭部をまじまじと見つめ、夢のように走り去ったバスのことを思い出した。

 

 この女は街の外から来た。

 それは、間違いなく重大な変事であるはずだった。

 しかししばらくの黙考の末に、カッコーは自分がそれについて奇妙なほど拘りを感じていないことに気付いた。

 

 街の奴らに知られたらちょっとした騒ぎになるかもしれない。だけど俺はそんなのはどうだっていい。

 俺にとって大事なのはむしろ――

 ……むしろ、なんだ?

 

 会話が途切れると、女はまた絞首台へと視線を戻した。

 会話の空白に気まずさを感じている様子はない。彼女の関心は絞首台にしかないように見えた。

 その様子はカッコーに言い得ぬ居心地の悪さを与えた。

 まるで普段の自分の姿を鏡映しに見せられているような感覚。

 

「……はるばる遠くから来たんだな」

 

 やがてカッコーは諦めたようにそう言い、さらに続けた。

 

「しかし、なんだってこんなところに来ようなんて思ったんだ? 着いたばかりの人間にこんなこと言いたくはないが、この街はそれほど素敵な場所じゃない。住民の誰もが仕方なく住んでるようなもんだ。俺もそのうちの一人だからわかるんだ」

「どこもみんな同じようなものよ。わたしだって元いた場所はそれほど好きじゃなかった。自分の住んでいる場所の良さなんて、結局自分じゃわからないものだわ。隣の芝は青く見える。隣の夕煙はひどく食欲をそそる。それに比べて我が家は……なんてね。それと同じよ」

 

 女は絞首台を見つめたままそう答えた。

 そういうものなんだろうか。カッコーは相手の言った内容を頭の中で検証してみようとしたが、彼にはうまく想像することが出来なかった。

 

「ねぇ」

 

 そのとき、出し抜けに相手が口を開いた。世間話の最中(さなか)に話しをしている相手にちょっとした親近感のポイントをを見つけた時のような、ほのかな喜びを含んだ声で。

 

「もしかして、あなたもこの絞首台を使いに来たのかしら?」

 

 仲間に対するような親しみを込めたニュアンスで彼女は言った。

 あなたも。

 

 カッコーはゆっくりと視線を女に定めた。

 気負いのない声と口調。なんでもないような言い方。

 やはりそれらは三年前の冬の夜をカッコーに思い出させた。

 

 胸の奥に、いよいよ呼吸が乱れはじめる予兆があった。

 

「君もこれを使いに来たんだな」

 

 カッコーは少しかすれた声で言った。

 疑問符のない、確認するような言い方だった。

 

「これを使って自分の命を絶つ為に、君はこの街にやってきた」

「そうよ。わたしはこの絞首台で死ぬ為に長い旅をして来たの」

 

 女はこともなげにそう認めた。

 それから、ほんのささやかな親切心を示すように続けた。

 

「でもそんなに急いで目的を果たしてしまおうとは思っていないから、お先にどうぞ」

 

 座ったまま、彼女は道を譲るように芝生の上を半歩分横に移動した。

 それだけの動作がカッコーにはひどく雄弁なものとして受け止められた。

 

 どうぞ、お先に死んで――。

 

「……俺は違う!」

 

 気付いた時には、カッコーは我知らず声を張り上げていた。

 その声の大きさにいちばん驚いたのは彼自身だった。女は肩をびくつかせることもなかった。

 

 焦燥を伴った予感。心をざわつかせる既視感。

 綯い交ぜになった期待と不安、そして畏れ。

 

 漠然としたそれらの観念や印象が、漠然としたまま輪郭を持ちはじめようとしていた。

 

「……俺はそれには用はない」

 

 落ち着く為に必要とした少しの時間の後で、カッコーは慎重に押し出すように言葉を発した。

 そして続けた。

 

「俺は、君と話をするためにここに来たんだ」

「わたしと?」

 

 女は呆気にとられたようにそう問い返した。

 

「そうだ」

 

 カッコーは重く頷いて言い、続けた。

 

「少しでいいんだが、ダメか?」

 

 短い沈黙が場を支配した。

 飽和寸前まで、たっぷりと緊張を含んだ沈黙だった。

 

 ややあってから女は、なにか新しく楽しいことを見つけたかのような弾んだ口調で言った。

 

「うん、いいよ」

 

 彼女は立ち上がるとコートの尻に付着した芝草を叩いて払った。

 それから、両方の襟に手をかけてフードを頭の後ろに落とした。

 

 大量の髪が夜風の中に舞うように広がった。

 フードの中には驚くほどたくさんの髪の毛がしまい込まれていた。

 

 両側からすくい上げるようにして長い髪を背中に流すと、灰色の瞳を柔らかく細めてカッコーを見つめる。

 園内灯に照らされたその笑顔は、いとけない少女のそれとしか見えなかった。

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