絞首台の街、安楽死の少女   作:東雲佑

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4.とても良いお兄さんだったのね、と少女は言った

「何日も乗り物に乗り続けたって言ったでしょう?」

 

 女は――少女は言った。

 

「混み合っているバスや列車は人いきれが凄かったし、それに周りを気にせずに平気で煙草をプカプカさせる人と乗り合わせることもあったから。そうすると降りたあとでもなんだか匂いが気になって、それでフードに髪をしまうようになったの。最後に乗ったバスには乗客なんてわたし一人しかいなかったけれど、これはもう習慣みたいなものね」

 

 カッコーは曖昧に相槌を打った。

 フードを取った彼女とカッコーのあいだには頭二つ分近くの身長差があった。解放された色素の薄い赤毛はほとんど腰の近くまで届いている。

 

「それで、まずはどんなことからお話しする?」と少女が言った。

 

 カッコーはほとんど迷いなく答える。

 

「君が何歳なのか教えて欲しい」

 

 彼は相手の顔をまじまじと観察する。

 整った、それでいて印象的な顔立ちをしている。

 しかし美しいと形容するには、時間による洗礼が決定的に不足してもいる。

 

「何歳に見える?」

 

 少女が反対にカッコーに尋ねた。

 いたずらっぽい口調だった。彼女は会話そのものを楽しむつもりらしい。

 

 少し考えてから、カッコーは「十七歳」と答えた。

 しかしそこにある不吉な暗示に気付き、すぐに取り消して「十八歳」と言い直す。

 十七歳は弟が死んだ時の年齢だった。

 

 少女は口元を左右に引き延ばすと、歌うように節を付けて「ふ・せ・い・か・い」と言った。

 

「でも十八歳に見えるなら嬉しいかも。正解はね、十四歳」

「十四歳?」

 

 カッコーは驚きもあらわに復唱した。

 

「そっ、十四歳」

 

 彼女はその反応を喜ぶようにもう一度繰り返した。

 

 信じられない思いでカッコーはもう一度じっくりと相手を見た。

 それは別に、彼女の外見が十四歳には見えないというのが理由ではなかった。

 むしろそうと明かされたあとでは、青く未熟な容貌や無邪気に過ぎる態度、そのほかこの少女を形作るあらゆる要素が十四歳に相応した趣を備えているように感じられた。

 彼女の年齢に関して疑うべきところは一欠片もない。

 

 カッコーにとって信じがたく受け入れがたかったのは、そんな十四歳のあどけなさすら残す少女が、ただ死ぬ為にこの街にやってきたという事実のほうだった。

 

「あなたは何歳なの?」

 

 今度は少女がカッコーに尋ねた。

 

「二十二歳」

 

 答える時に少しだけ間があいた。その一瞬に彼は自分の年齢を思い出していた。

 そうか、俺は二十二になったのか、と彼は思う。

 

「二十二歳にしてはなんだか老成した雰囲気ね」

 

 少女は悪気のない口調で感想を口にし、それから言った。

 

「ねえ、わたしからも色々聞いていいかしら?」

「構わない」とカッコーは答えた。

 

 少女は実に多くの質問を次々にカッコーに投げかけた。街の成り立ちや住人の生活に彼女は多大な興味を示した。

 問われるままにカッコーがそれに答えると、少女は丘の上から見渡せる限りの街並みを見渡し、それからそっと瞳を閉じて感じ入るように夜の闇に耳を澄ませた。

 彼女にとって斬新ななにかがそこにはあったのかもしれない。あるいは自分が暮らしていた場所とこの街がそれほど違わないことを実感し、その共通性に感動していたのかもしれない。

 

 しばらく夜を感じていたあとで、少女は伏せていた顔をあげて再び絞首台を見た。

 

「これを使う人はどのくらいいるのかしら?」と彼女は言った。

「おそらく君が考えているほどには多くないだろう。こいつがあるおかげで街の自殺者はむしろ少なく抑えられている」

 

 退屈な文章を読み上げるような口調でカッコーは言い、それから、今度は少しだけ感情の入った声で続けた。

 

「しかし、皆無ではない。そうだな、だいたい半年に一人か二人はこいつを使う。利用者はみんな決まって夜中にやってきて、そしてひっそりと自分の存在に決着をつける。だから騒ぎになったりはしない。朝になって誰かが異変に気付いたとしても、その時はもうすべてが済んだあとだからだ」

「随分よく知っているみたい」

 

 少女は素直に感心して言った。

 

「もしかして絞首台の利用状況について広報誌でも発行されてるの? 『何月は何人が絞首台を利用しました。彼らの死を悼み冥福を祈りましょう』みたいに。それともあなたが特別詳しいだけなのかしら?」

「広報活動なんかされちゃいない。だから絞首台の実際について、街の人間でも知らない奴はほとんどなにも知らない。そういうもんだ」

 

 まさしく、知らない奴はなにも知らないのだ。

 三年前まではこの俺もまたそうであったように。

 

「俺はたまたまこの近くに住んでいて、それで人よりも少しばかり事情に通じてるだけだ」

 

 少女は「ふうん」と呟くと、口に手を当てて黙り込んだ。

 ここまでの会話の内容を頭の中で整理しているという感じだった。その沈黙に付き合うようにカッコーもまた口を閉ざす。

 

 この娘は何者だろう、と彼は考えた。彼女の正体をカッコーは知りたいと思った。

 それは別に、彼女についての公正で客観的なプロフィールを求める意識ではない。たとえばこの少女が外からこの街にやってきた異邦人である事実、それも彼にとってはどうでも良いことだった。

 

 彼の関心は極めて個人的な観点から出来したものだった。

 彼女はこの俺にとって何者なのか、この俺にとってどんな意味のある存在なのか。

 

 暫定(ざんてい)的な印象が代わる代わる持ち上がりこれまでのところその答えを秘匿(ひとく)している。

 しかし、もう少しでそれに手が届きそうな予感があった。

 

「君はこの絞首台で死ぬためにやってきた。そうだな?」

 

 カッコーは唐突に問いを発した。

「ということはつまり、この街の存在は外の世界でもそれなりに知られているということか?」

「全然」

 

 少女はきっぱりと答えた。まだ片手を口元に当てたままだ。

 

「きっとわたしの周りにいた誰一人として知らないでしょうね。この街の存在も、そしてこの絞首台のことも」

「しかし君は知っている。知っていた」

 

 カッコーは食い下がるように言った。

 

「それはつまり、君も誰かから聞いて知ったということじゃないのか? それともなにかで読んだのか?」

「どっちも違うわ」

 

 少女はこれも否定した。

 

「誰かに聞いたわけじゃないし、なにかで読んだわけでもない。わたしはただ知っただけよ。他のなにかから教えられたわけじゃない」

 

 また少しの沈黙。

 そのあとでカッコーはもう一度だけ質問を重ねた。

 

「だとしたら、どうして君はこの街の存在を知ることが出来たんだ?」

 

 彼は彼女がどうやってこの街について知り得たのか、その手段や経緯を尋ねたつもりだった。

 しかし、あるいはやはりというべきか、彼女の回答は彼の質問の意図とは噛み合わない。

 

「必要だったからよ」

 

 断言する口調で少女は言った。

 

「必要だったからわたしはこの街と絞首台について知ったの。わたしの死にはどうしてもこの絞首台が必要だった。この絞首台で死ぬのがわたしの人生に用意された唯一無上の死だとわたしは知った。だからわたしはこの街にやってきたのよ」

 

 それだけ言い切ると、彼女は再び絞首台に視線を据えた。

 達成感と期待を綯い交ぜにしたような陶然とした眼差し。そこに死への畏れや人生への未練は一滴も感じ取れない。

 元々いた場所を旅立つ際に、彼女はそれらを一切合切(いっさいがっさい)置き去りにしてきたのかもしれない。

 

 カッコーは深くため息をつき、それから押し出すように言葉を発した。

 

「正直なところ、俺には君の言っていることが何一つ理解出来ない。君はわけのわからない啓示のようなものによってこの街の存在を知り、わけのわからない理屈から――いや、あるいはそこに理屈などないのかもしれんが――この絞首台で死にたいと願うに至った。そして長い旅の末に、ようやくにしてここに辿り着いた。

 多分君は知らないだろうがね、この街には誰も出入り出来ないことになってるんだ。俺が知っている限りバスだって一度も来たことはない。つまり君の到来は、この街にとってはまるっきり普通じゃないことなんだ」

 

 カッコーは一息にそう言い切った。

 少女はまったく動じたところを見せなかった。

 それどころか、朗らかな口調で自信満々に応じた。

 

「それはつまり、他の人にはこの街に来る理由や必要がないってことね。でもわたしにはそれがあった。だからわたしは今こうしてここにいて、あなたとお話してるんじゃない?」

 

 簡単なことでしょ? と、聞き分けの悪い子供に教えるように彼女は言い切った。

 

 カッコーはもう一度ため息をついて首を振った。

 それから、それならそれで構わない、と自分に言い聞かせた。

 多分、それも俺にとっては重要なことではない。

 

「……君は十四歳で、はっきりいってまだほんの子供でしかない」

 

 彼は無理矢理に気分を切り替えて話を続けた。

 

「だというのに、君は死ぬってことについてある種の確信を抱いているように俺には見える。君は余りにも簡単に死を口にするが、しかし死という言葉が持つ悲壮美に酔っているというわけでは決してなさそうだ。君はごく自然体に死を語り、そしておそらくは一切の迷いもなくそれを実現してしまおうとしている」

「そんな風に言われると、ちょっとだけ照れるな」

 

 少女は嬉しそうに笑んで、ショートブーツのかかとをあげて小さく空を蹴った。

 別に褒めたわけじゃない、とカッコーは思った。しかしそれは口にはしなかった。

 彼は短く息を吸い込む。そして、意を決して核心部へと触れる。

 

「俺の弟もそうだったんだ」

 

 彼は言った。

 

「あどけなさを差し引いても違和感だらけの妙な陽気さ。曲がることを知らないような強固な死への意思。死ぬことを恐れるどころか、憧れているようなところ。君は、あらゆる点で俺の弟と似ている」

「弟さんがいるの?」

「いたんだ。……過去形だ、もういない」

「つまり、弟さんはわたしの先輩ってわけなのね。……あなたの弟さんもこの絞首台を使った、そうなんでしょう?」

 

 明晰に正解を言い当てて、少女はもう一度絞首台にちらりと視線をやった。

 そして彼女は言った。

 

「先輩の話を聞かせてもらえないかしら?」

 

 単なる好奇心ではない、真摯な関心を伝える視線がカッコーを捉えていた。

 

 

 カッコーは語りはじめた。

 彼は自分たち兄弟の生い立ちを語り、兄弟という所属を一歩離れた弟という個人を語った。

 彼という兄の目から見た弟の人物を語り、共通の友人や知人を介して知ったそれを語った。

 快活な弟。人気者の弟。そして、兄思いの弟。

 弟を誇る気持ちが胸の裡に膨らむ。それから、弟がもう永久に失われてしまったことへの痛みがそれに追随する。

 

「仲の良い兄弟だったのね」

「自慢の弟だった」

 

 本当に自慢の弟だった、とカッコーは思う。

 

 そして、目頭に不意な熱さを感じる。

 

 彼は驚いて自分の頬に触れ、そこが濡れていることに気付いて呆然とした。

 涙だった。

 もはや枯れたと思っていた涙が、彼の頬を濡らしていた。

 

「……あなたは」

 

 狼狽しているカッコーに向かって少女が言った。

 

「……あなたは、とても良いお兄さんだったのね」

 

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