「弟子入りするつもりはありませんか?」
王国に戻って数日、唐突に邸宅に訪問してきた元始天尊は褪せ人に向かってそう言い放った。
言葉の意図が読めず、無言を貫く褪せ人のもとにヘリューズがやってくる。
「お茶を淹れてきました」
「おや、ご丁寧にどうも。それにしても、亜神にお茶汲みをさせるとは随分と豪胆なものですね」
「好きでやってる事ですから。タラニアもいかがですか?」
「えっ、うん……いただきます」
ソファで遠目から様子を伺っていたタラニアは唐突に水を向けられて返事をする。
半ば日常と化しているとはいえ、当たり前のように亜神が集中するこの邸宅は何なのだろうか。
そして、お茶汲みをする死氷の亜神の姿を元始天尊に指摘されるまで疑問に思わなかった自分がどれほどこの環境に毒されていたか。
今この屋敷の者を怒らせれば、王都は嵐に沈み、死者は溢れ返り、圧倒的な力で蹂躙されるのだ。ついでにぬりかべが無限に増える。
「そんな事はしませんよ」
「心を読まれた!?」
「そういう顔をしてましたから」
元始天尊はお茶の味に感心したように頷く。褪せ人は、そんな元始天尊へと口を開いた。
「どういうつもりだ」
「どうもこうもありませんよ。貴方には仙人になる見込みがあり、私が気に入った。それだけの事です」
気に入った、という言葉にヘリューズが警戒の視線を向ける。その視線に元始天尊が興味深そうに目を細め、微笑んだ。
「やはり、英雄の器なのでしょうね。先に王子の方にも声を掛けてきたのですが、あちらは少し意思が固い。その点で言えば、貴方の方がまだ可能性がありそうです」
王国の王子、あれもまた英雄の器であり、また仙人としての才を元始天尊が見出した男だが、どうやら人間である事に強いこだわりを持っているらしい。はっきりと告げられた訳ではないが、不老不死の術を授かる事に対して随分と消極的であった。
対して、この男はどうだろうか。この男は人であるという事に強い執着はない。結果的に力が手に入るのならば、人を外れる事を躊躇わない。無論、現時点でどの程度人間なのか、という問題もあるにはあるのだが。
「ただ、懸念点が無いわけでもありません。貴方と私では、どうやら師弟という関係の定義が違うようです」
褪せ人はその言葉に、過去を思い起こす。
褪せ人が師として教えを請うた者は多い。信仰、戦技、魔術、使えるかそうでないかに関わらず、貪欲に力を追い求めた。
褪せ人にとっての師弟というのは、存外軽い関係性である。
対価を支払い、その見返りとして知識を授ける。無論、それが全てではないが、褪せ人にとっての師弟とはそうした利害関係に過ぎない。
「対して、仙人の師弟関係とはそれほど淡白なものにはなりません。師の教えを受け、修行を積み、時には与えられた課題をこなす。一朝一夕で身につくようなものではありません」
これに関しては、褪せ人という存在が特殊であると言う他ないだろう。
他ならぬ褪せ人の師の一人は言った。戦技とは死した戦士達の英雄譚であると。武具に刻まれた英雄譚を知り、力に変える事が出来るのは狭間の地ではごく当たり前の事であっても、この世界においては異端であると言う他ない。
「……そのような時間はない」
褪せ人は元始天尊の申し出を受けるつもりはなかった。力を得られるのは悪くはない。だが、今はそのような事をしている時間はない。力とはあくまで手段に過ぎない。そこを履き違えるつもりはなかった。
「ええ、勿論今はそうでしょう。ですので、私が提案したいのはお試し期間です」
「……お試し期間?」
横で聞いていたタラニアが首を傾げる。最強の仙人を師とする事に反してお試し期間とは何と胡乱な響きだろうか。
元始天尊は褪せ人へと口を開く。
「私の武器はまだ持っていますね?」
「…………あぁ」
「滅茶苦茶警戒したね」
褪せ人は観念したようにグレイブを取り出す。返せと言われたならば返す他ない。王国まで持ち帰って来れた時点で問題ないと思っていたが、まさか取り返しに来るとは。
「いえ、それは貴方に預けておきましょう。貴方はその武器から仙術の一端に触れ、仙術の呼吸を取り入れる事に成功した。そうですね?」
「そうだ」
元始天尊は褪せ人の返事に頷く。褪せ人の使う『戦技』として落とし込まれた呼吸。元始天尊からすればあまりに拙い初歩の初歩であれども、そこに辿り着くには短くとも数十年は要する。
少しばかり邪道ではあるが、これならば手っ取り早い。元始天尊は再び褪せ人へと口を開く。
「その戦技による呼吸について、指導をしましょう。それから武術の手解きも。時間の空いたタイミング、ごく短いものになるでしょうが、仙術と技量の向上が見込める筈です」
褪せ人としては願ってもない話だった。彼女の実力の程は身をもって知っている。道を極めたという仙人の教えを受けられるのであれば、技量が身につくというのも納得ではある。
だが、その申し出に当然疑問が残る。
「……何が望みだ」
「ふふ、当然貴方はそう問うでしょうね」
元始天尊は笑みを浮かべる。太公望達から聞いた通りの男だ。基本的に他者の善意を信用しない。害意は無くとも、その善意の裏を探ろうとする。それはそれとして正面からそれを問う以外の方法を知らないのは愛嬌というものだろう。
「まずは崑崙の件についての誠意というのが一つ。そして、貴方への修行そのものがある意味で私の求めるものでもあります」
「…………」
無言で続きを促す褪せ人に、元始天尊が口を開く。
「元始天尊、あらゆる道を極め、最強の仙人と謳われる者。これは正しくもあり、間違いでもあります。道を極めたというのは単に私の歩みが遅くなっただけ。周りがどう思おうとも、私も未だ道半ば……」
でなければ、どうして亜神イコルに魂を縛られようか。油断していたとはいえ、神仙の頂点たる己にそのような事があってはならない。
「弟子は師に教えを授かりますが、師もまた弟子から学ぶ者。貴方には、我が道を拓く灯火になって貰いたいのです」
これが、元始天尊が褪せ人に求める利益。己を高めるには、己と伍する者と切磋琢磨する事こそが最も近い道だろう。
力は互角、武器の扱いに長け、己とは異なる独自の戦術眼を持つ。この男は、元始天尊が己を磨く砥石とするにこれ以上ない逸材である。
「……それだけか」
「不足ですか? ですが、こればかりは理解し難いでしょう。永きを生きる者にとって、己を高める機会などそうあるものではないのですから」
短き生を駆け抜ける人と違い、亜神は基本的に時間に追われる事はない。停滞とは毒なのだ。永遠を生きるが故に立ち止まれば、その足元は容易く崩れてしまう。
褪せ人にしてみれば一見何の見返りもないように見えても、その価値は元始天尊にとって計り知れない。
「……分かった」
「では?」
「取引だ」
褪せ人が了承の意を示す。もとより破格の条件、これ以上疑うよりは彼女の誠意を受け取る方が良いだろう。
褪せ人の返答に元始天尊は満足そうに頷く。
「善き哉、善き哉。では、早速明日にでも。以降の日取りは追々という事で……」
元始天尊と軽く今後の予定について打ち合わせると、褪せ人は鍛冶屋に頼んでいた武器の修理の確認に行くと言って邸宅から去っていった。
「むぅ……」
褪せ人が居なくなり、ヘリューズ、タラニア、元始天尊という風変わりな三人だけが残される。
話がまとまったにも関わらず、此処で不満を示したのはヘリューズだ。その様子に、元始天尊が可笑しそうに笑いながら言う。
「ふふ、貴方の心配するような事にはなりませんよ」
「……信用出来ませんね」
今は、そうかも知れない。だが、残念ながら彼には前科があり過ぎるのだ。
強さ、或いは彼の特異性に目を引かれ、近付いた末に惹かれてしまう。
そんなヘリューズの懸念をいざ知らず、元始天尊はからからと笑う。
「まぁ、私が弟子入りを諦めていないのは事実です。王子と違い、この世界の人類とは違うのでほんの少し寿命は長いようですが」
とはいえ、老いていく以上彼にも終わりはある。
彼女が王子と褪せ人を弟子にしたがるのは、気に入ったからという部分以外にも、不老不死の術を授ける為という狙いがあった。
人の生は短い。されど、かの英雄達は武を極め、正しく世を導く天に得難き者達である。そして、長命種から果ては神まで誑かす人たらしでもある。人の寿命で背負うにはあまりに重い。
「不老不死にも反対です!」
「……そういえば貴方は冥界の亜神でしたね」
冥界の亜神の前で不老不死の術など喧嘩を売っているとしか思えない。とはいえ今のヘリューズからはそんな越権行為以外の怒りも感じられたが。
タラニアは気軽に褪せ人の寿命の話をしている二柱の神を見て、やっぱり神様はスケールが違うなぁとぼんやり思うしかなかった。
タラニアとしては、褪せ人に女の子として見てもらえると万々歳である。独り占めはとうの昔に諦めたし、今の騒がしい関係が楽しかったりもする。
「でも、確かに待ってばかりじゃダメだよね。よし! 僕だって振り向いて貰えるように頑張らないと!」
「——今、頑張ると言いましたね!?」
タラニアが発した禁句に、この王国最凶の妖怪が呼応する。
「うわー!? しまった!!」
「素晴らしい! 何を頑張りますか!? 一先ず王都を50周くらいから始めますか!?」
タラニアが思わず助けを求めるように亜神達の方を見る。
ヘリューズがどこか死者を憐れむような視線を送り、元始天尊はタラニアの根性に感心したように頷いている。
神とは、肝心な時に助けてくれない。
「た、助け——」
「さぁ! 無限に! 頑張りますよー!!」
タラニアがカゴメに引き摺られて邸宅を後にする。彼女の悲鳴がこだましたのは、その直ぐ後の事だった。
聖女イリスは、草原の中で目を覚ました。
「ここは……?」
どこか茫洋とした頭で、周囲を見渡す。
王国の風景ではない。緩やかに起伏する丘陵、巨大な湖。遠く崖の向こうには王城よりも尚古めかしい様式の城が見える。
何より目を引いたのは、そんな城すらも小さく見える程の巨大で、黄金に輝く樹。
思わず圧倒されるその樹は、この幻想的で、しかし退廃的な世界を遍く照らしていた。
「おや、どうやら迷い込んでしまったみたいだね」
その声に、イリスは振り向いた。そこに居たのは、不可思議に浮かぶ虹色の泡にもたれかかる金髪の美丈夫。亜神ヒュープだった。
「貴方は……」
「安心して欲しい。僕にはもう敵意はないよ」
イリスの言葉に先んじて、ヒュープは告げる。オリュンポス第一層、眠りと夢を司る亜神。
敵意はないというヒュープに何処か安堵の息を吐きながら、しかしこの不可思議な空間についてイリスは問う。
「ここは何処ですか?」
「ここは夢の中さ。君達の英雄、その彼が見る古い英雄譚の夢」
それが誰なのかなど言うまでもない。ならば、この世界は褪せ人にとって元いた世界の記憶という事なのだろうか。
「どうしてそんな事を……」
「僕は彼を気に入っていてね。珍しく彼が深い眠りについているみたいだから、少し夢の中を覗かせて貰おうと思っていたのさ」
少しばかり悪趣味な自覚はあるけどね。そう肩を竦めるヒュープだが、それ程悪びれた様子はない。
「君達が巻き込まれたのはただの事故さ。ほら、王国の書記官に他者の記憶に触れる事が出来る子が居るだろう? 僕の権能と、彼女の力が干渉した結果、彼と繋がりがある者達を此処に呼び込んでしまったみたいだ」
つまり、彼の覗き見に巻き込まれてしまったと。しかし、ヒュープの言によれば他にも巻き込まれた者達が居そうだが、自分とヒュープ以外に見知った者達は居ない。
「言ってしまえば、今の君達は同じ内容の本をそれぞれ違う場所で読んでいるだけに過ぎない。だから、夢を介して他の者達を認識する事はないよ。僕は例外だけどね」
そんな風にヒュープが語っていると、足音が此方に近付いてくる。金属音の混じったその音に、イリスが振り向けば、それは酷く見覚えのある男だった。
「褪せ人様!」
「無駄だよ。彼はあくまで記憶の産物、君達が干渉する事は出来ない」
そんなヒュープの言葉を裏付けるように、褪せ人がイリスの声に反応する事はない。
そんな褪せ人の姿は、今より遥かに草臥れ、頼りなかった。壊れかけた金属の鎧。胸当ての紋章は最早掠れ、薄汚れている。手に持ったロングソードは手入れもままならず、欠けてすらいる。
あまりに見窄らしい姿、今の褪せ人とはまるで違う。
だが、その兜から覗く眼だけは変わらない。迷いなく、ただ前だけを見据える英雄の眼だった。
「おや、貴方、まだ折れてはいなかったのですね」
迷いのない足取りで進む褪せ人に声が掛かる。何処か胡散臭い、此方を嘲るような声に、視線だけをそちらに向ければ、そこに居たのは白い仮面を被った男の姿。
「もしや、まだアレに挑んでいるのですか?」
呆れたような声音。褪せ人の進む先に居るのは、黄金の鎧を身に纏い、巨大な馬に跨った騎士の姿。
「アレはツリーガード。貴方達褪せ人を狩るように命じられた精鋭中の精鋭です。多くの褪せ人がアレに擦り潰され、心を折られ祝福を失いました。ましてや、『巫女無し』の貴方では……」
ヴァレーは終始馬鹿にするような調子だったが、言っている事は間違いではなかった。黄金樹の加護を受けた重騎士。狭間の地を訪れたばかりの褪せ人が、到底敵う相手ではない。
「…………」
ヴァレーの忠告を聞き、しかし褪せ人は歩む方向を変える事なく前へと進む。
さしものヴァレーも怪訝な声を上げた。
「貴方、狂っているのですか? 幾度となく潰され、殺されたというのに貴方にはまだ祝福が見えていると?」
ヴァレーはこの丘の上でずっと見ていた。愚かな褪せ人が、身の丈に合わぬ敵に挑み、成す術もなく殺される様を。
最初は嘲笑した。果たしてこの男は何度殺されて折れるだろうか。或いは、頭の回る褪せ人ならば戦いを避けるだろう。だが、幾度も擦り潰されては愚直にツリーガードに挑む様を見て、ヴァレーはこの褪せ人がこれまでとは違う事を確信した。
狂っているのだ、この男は。
「……次は、殺せる」
ただ一言、それだけを告げると褪せ人は再び歩き出す。
褪せ人の背をヴァレーは見送る。
狂った褪せ人は、最初に挑んだ時から見違えるように動きが変わっていた。
重装の騎兵を相手に、粗末なロングソードとヒーターシールド。一撃でも触れれば肉片と化すハルバードの一撃を、まるで未来でも見たかのように避けていく。
「何と愚かな……ですが、その血に飢えた様は我が主に仕えるに相応しい」
見極めようではないか。この狂った褪せ人が、単なる狂人に終わるか、或いは英雄となり得るかを。
ヴァレーの見つめる先、崩れ落ちたツリーガードから黄金のハルバードを奪い去る褪せ人の姿が見えた。
それは、後にエルデの王となる褪せ人の、英雄譚の始まりだった。
ちょっと過去編。前からやろうと思いつつ挟めなかった…。
ただ浸り過ぎると終わらないので次回で一旦切り上げ……たいなぁ。