「はぁ……はぁ……!」
鬱蒼と生い茂った森。辺りは暗く、人はいない。風が吹けば木々の枝が揺れて葉が擦れる音だけが聞こえるだけの静かな森。
そこに立つのは、一人の少年。所々ほつれたマントとクリーム色の髪を風で揺らし、荒い息を吐きながら左腕を抑えて、流れ落ちる赤い液体を少しでも止めようとする。流血していても尚、痛みに顔を顰めることなく、確固たる強い意思を持って翡翠色の瞳を光らせる。
少年の瞳が、横を向く。それを合図するかのように、草むらが揺れる。
そこから現れたのは、二つの赤い光。いや、それは光ではなく、目。凶悪な意思を宿す赤い目は、少年を睥睨し、身体から触手めいた体毛を蠢かせ、唸り声を上げた。
動物か、はたまた別の生き物か……それはこの際、少年にとってはどうでもいいことだった。
「くっ……!」
少年は、右手を翳す。その手に持っている赤い、丸い宝石を対象の生物へと向けた。
『グオオオオオオオオッ!!』
瞬間、生物が飛び出す。真っすぐ、少年へ向かって。少年は怯えることなく、口を開く。
「栄えたる輝き、光となれ! 許されざる者を、封印の輪に!!」
少年の眼前が、幾何学模様に輝きだす。それは幾つもの文字列が円を作り、やがてそれは魔法陣という形となって現れる。そして、
「ジュエルシード、封印!!」
魔法陣に、生物がぶつかる。輝きが、少年と生物の間で弾けるように強くなる。時間にして数秒程度、少年にとっては長いような時間、拮抗していた。が、
『グゥゥゥ……』
生物が、大きく跳躍。身体から身片を飛び散らせながら、少年から距離を取っていく。
少年が、後を追おうと動く。だがその瞬間、少年の膝が地に着いた。
「逃がし、ちゃった……追いかけ、なくっちゃ……ぅ」
そこまでが、限界だったのだろう。少年の身体は、完全に地に伏した。かろうじて右腕を前に伸ばして足掻きを見せるが、もう生物の姿はどこにもない。
「誰か……僕の声を、聞いて……」
呟く。その声はか細く、力なく……それでも、誰かに届けと、残された力を振り絞る。そして、
「力を貸して……魔法の、力を……!」
少年の身体が、翡翠色の光に包まれていった。
「そんな感じの夢を見たんだけどどう思う?」
「とりあえず、うどんの食いすぎとかじゃねぇ?」
「あ、そっかぁ……」
「いやそれで納得するんかい」
海鳴市にある大学のテラスにて、昼休みの喧噪の中で木製のテーブルに座り、そこに弁当を広げながら話す宮下コウジは、向かい側に座る友人の返答を聞いてのほほんとした雰囲気のまま頷いた。超適当に考えた理由に納得してしまうコウジに呆れながら、弁当の中の卵焼きを一つパクリ。
「う~ん、けど触手生やした化け物に襲われる美少年か……やっぱこんな夢に見るなんて不思議だなぁ」
「確かに、まるでお前がそっちの気があるようにも聞こえるしな」
「マジで? すげぇな、ウチ守備範囲広かったんだ」
「だから納得すんなって冗談だから。友達がそっちに目覚めたら俺どんな顔すりゃいいのかわかんねぇよ」
「大丈夫だって、世の中多様性だから受け入れてやろう?」
「おう、お前がそれ言うのおかしいだろが。なんで俺が目覚めたみてぇな立場んなっとんねんはっ倒すぞ」
和気藹々にちょっとだけスパイスを利かせた会話を繰り広げる男二人。
「しっかし、化け物に襲われる美少年の夢って、結構ファンタジーだよな。もしかしたらお前、何かすごい力に目覚める前兆なんじゃねぇか? なんて」
「おお、それならうどん50人前ペロリと平らげられるような力がいいな」
「お前フードファイター目指すん?」
「いや流石に半分は冗談」
「半分本気じゃねぇか」
「けどうどんなら普段のウチでもいける気がするんよ。朝昼晩うどんでもいい。なんならうどんを常に携帯しておいていつでも食べれるくらいでもいい」
「そこまで行くともう好物うどんなんじゃなくてうどん中毒患者じゃねぇか」
「そんな、誉めんなよぉ」
「誉めてねぇよぉバカタレが」
はっはっは、と笑いながらミニかき揚げ(細かく刻んだうどん入り)を頬張るコウジ。眉間を抑えながら呆れる友人。
「ま、俺らのような人間はすごい力とかそういうのには無縁ってなもんだな。精々、やがて来る就職活動という地獄が待ってるくらいだ」
そういう友人は、脳裏に浮かぶスーツを纏って汗水垂らして走り回る自身を想像し、うえぇという声と共に苦々しい顔をした。
「うーん、そーだなー……」
対し、コウジも友人に同調して頷いた……ただ、視線は露骨に他所へ向いていたが。
「ってか、就活って言ったらお前どういう職種希望してんだ? 俺は医療関係目指してんだけど」
「ウチ?」
きょとんとするコウジ。やがて「うーん」と人差し指は側頭部をポリポリと掻きながら考え込んだ。
「今んとこは機械とか専門に進んでこうかなーとは思っとるべ」
「あれ、意外だな? お前のことだからうどん屋にでもなるもんかと。うどん好なんだし」
「いやウチ食う専。必死こいてウチがうどん作ったんを目の前で客に食われるんをただ見てるだけなんて拷問じゃろがい」
「そんな思考持ってる時点で確かに飲食業向いてねぇなお前」
「おうよ。そんで将来、好きを仕事にして理想と現実の違いに打ちのめされるのも乙なものよ」
「絶望の未来に思い馳せてんじゃねーよ」
そんなとりとめのない会話で、時間は過ぎていく。
ありふれた日常に、ありふれた光景。コウジが見た夢の中のような刺激的な事件など起こることなく、世界は回っていく。
(すごい力、なぁ……)
しかし、コウジは顔には出さずとも心のうちで少し複雑な思いを抱く。そうして、左手首に巻かれた、ブルーメタリックの塗装と中央を金の十字の装飾が施された独特なデザインの腕時計を、友人にもわからない程にさり気なく、そっと撫でるのだった。
「んじゃ、お疲れ。また明日なー」
「寄り道せずに真っすぐ帰るのよ」
「おかんかオメーはよ」
時刻は夕暮れ時。大学の講義が終わり、周りの同期たちに紛れるような形でコウジと友人が大学の正門から出る。そこで友人はコウジとは逆方向の家へ向かって、手を振りながら去って行った。それを振り返して見送るコウジ。
「……んじゃ、ウチ
言って、コウジも踵を返す。夕暮れに染まる道、車が走り去る横で、リュックサックを右肩に下げるような形で背負いながら歩道を歩く。遠くに見えるのは、夕日が沈んで空と同じ茜色に染まった海。
「それにしても、あの夢。なぁんか引っかかるんだよなー」
海に面するこの町、海鳴市に住まう者だからこそ見れる景色を眺めつつ、コウジはぼそりと呟いた。コウジの脳裏に浮かぶのは、昼間友人に話した少年がよくわからない化け物に襲われる夢。所詮は夢で、気にするだけ意味はないと頭ではわかっているコウジだったのだが、何故かあの夢が頭の片隅にへばりつくかのように気になってしまう。
それがどういう意味を持つのか、コウジにはわからない。
「クロスはどう思うん? こういう夢見るのって、なんかの予兆みたいなもんがあるんかな? なんかこう、めっちゃすごい力に目覚めるみたいな?」
ふと、コウジは声をかける。その相手はどこにもおらず、まるでコウジが虚空に話しかけているかのよう。偶然にも周囲に誰もいなかったが、もしここが従来のど真ん中ならば、白い目で見られることは確実だっただろう。当然、コウジに返ってくる声はない。
『その力、というのであれば、すでに目覚めているのでは?』
その筈なのだが、コウジの耳に……もとい、頭に響くように、落ち着いた男性の声が返ってきた。普通であればパニックになるであろう異様な現象、だがコウジはきょとんとするのみ。
「え、そう?」
『はい。私の
「いやでもお前とは結構長い付き合いだから、出会った時はそりゃあテンションアップアップだったけども今となっちゃ慣れちゃったっていうか、特別感がないというか」
『……慣れてくれたことに越したことはありませんが、その言い方は少し複雑ではありますね』
「めんご」
『謝罪の意が感じられませんが、まぁいいでしょう……それよりも』
不服、という感情がありありと伝わってくる声だったが、気を取り直したかのように話を変える。
『マスター、声に出さずとも念話を使った方がよろしいかと。私の声は周りに聞こえないので、マスターが独り言を喋っているように思われます』
「大丈夫大丈夫、周りだーれもいねぇべ?」
『いえ、油断なさらぬよう。マスターの気付かないところで見られたり聞かれたりする可能性もありますゆえ』
「ん~……確かに、壁に耳あり障子にメアリー、とも言うからな。おっけー」
『それを言うなら障子に目あり、です』
「そうとも……んん『そうとも言う』
口にしようとしたが、声の主に注意される前に頭の中で返答した。
『けどさ、やっぱあの夢が妙に気になるんよなー。なんでだろ?』
『……私には夢、という概念がよくわかりません。ですが、マスターは細かいことはお気になさらない性格であるということは承知しております。であれば、マスターが気になさるということならばそれ相応の理由があるということになりましょう』
『やっぱそう? けどなー、予兆にしろ何にせよ、夢見た理由が皆目見当もつかねぇや』
『ならば、今は置いておきましょう。それがいいにしろ悪いにしろ、判断材料がない以上は考えたところで致し方ありません』
『せやな』
そうして、コウジは思考を切り替える。夕暮れで染まる道、影を伸ばして歩くコウジ。その横を、三人の少女が慌ただし気に駆けていく。三人とも同じ真っ白な服を着ており、コウジはその服が近くの私立聖祥大附属小学校の制服だとわかった。
コウジが少女たちに抱いた印象はそれだけ。精々『子供は元気が一番だよなー』という微妙に年寄りめいたことを考え、三人のことなど今晩食べるうどんは何にするかということで思考が埋め尽くされたことで忘れていった。
コウジは、この時気付かなかった。三人の少女のうちの一人、衰弱してぐったりしているフェレットを抱きかかえていた栗色の髪を二つに結わえた少女もまた、気付かない。
後に二人は出会い、互いに背中を預け合って戦う相棒となるであろうことを。
戦闘は次回なんよなー