プロデューサーの娘になってしまった 作:だだ甘鏑木Pすこ
家に戻ると、ルビーの靴だけが残されていた。ミヤコも壱護も戻ってはいないらしい。ずぶ濡れとは言わないけど、濡れた上着と靴下を手早く脱いで脱衣所に置いていく。さっさとシャワーでも浴びたいが、着替えを取りに部屋にいかねばならない。一人暮らしなら楽なのにとは思ったけど、今の歳じゃそもそも出来ない。
ルビーは部屋にいるようだ。なんとなく顔を合わせづらいので気持ち忍び足になる。
通り過ぎる最中に、ふと思った。
『気が付いた……訳ないか』
手渡してと渡されたもの。
亡き母であるアイからの遺言。
そして、俺のなかではかなりの呪物とも言えた。
階下に降りて、脱衣所へ。
全てを脱ぎ去ってシャワーを浴びる。少々熱めだが、思ったより心地よい。
『愛していた……か』
あのDVDの中で、アイは間違いなくそう言った。それが嘘でないのなら、愛していた男の策謀によって彼女は殺された訳だ。業界の闇がどれほどのものなのかは分からないけど、愛された筈の男がその女を殺すようになるとは到底思えなかった。
『嘘、か』
万事に嘘が撒き散らされると、どれがホンモノなのかは分からなくなる。だが、あのDVDの独白まで嘘だとは思いたくなかった。
『アレが本心だとすると……』
報われないと、思った。
いっそ憎んでいたと語られたほうがしっくり来るくらいだ。どこかに齟齬がある筈だが。
『伝わってなかった……?』
そんなことがあり得るのか?
身体を重ねた間柄の男女で、そんなことが?
……あり得るか。
よく考えたら、愛情の有無と肉体の関係は全く別だ。嘗ての、雨宮吾郎の所業を思い返してみれば歴然である。
愛がなくとも、子供は出来る。
それは痛いほど分かっている。
出産の折に亡くなった母から逃げるようにいなくなった父。
自身の身に起きた事なのだ。忘れるはずもない。
だからこそ、
『あの親子……』
脳裏に浮かぶのは円満とは言えないがまともな親子。片親とは言え溢れんばかりの愛情を注ぎ込む父に、それを一身に受けて健やかに育つ娘。
『ああいうのは、レアケース……だよな』
自身の身や、その周りの親子らがろくでもない人たちばかりだったせいなのか。そう思えて仕方がない。
『そういや、黒も仲間入りしたんだっけ』
多忙を極める芸能プロデューサーという職にありながら、見ず知らずの子供を引き取るとは。あいつはひょっとすると聖人とかなのかもしれない。俺を睨む時の顔とか、正反対なんだけど。
『……そりゃそうか』
あんな顔をされるのも仕方ない。あの人からみれば、大事な娘に纏わりつく害虫のようなものだから。結果的にそうなってる、という話ではあるけど。
あの人みたいな人間が父親だったなら。
母が死んだとしても置いていったりはしなかっただろう。少なくとも親の愛情というものに疑問を抱くことは無かったと思える。
仮定に仮定を重ねるとはまったく意味の無い話だ。これはノイズというべきだろう。感傷に浸る暇はない。
温まり過ぎたかもしれない。
少し火照る身体を冷ますため、上半身は裸のままで脱衣所を出る。
すると、ルビーと鉢合わせた。
「わ、お兄ちゃん。なんてカッコ?」
「風呂上がりだよ、スマンな」
髪を拭きながらそう答える。
ルビーは立ち去らずに怪しい視線を送ってくる。
「……せんせ。いいカラダしてるね」
「おゐ」
ゾクリとした。
そういえば、中身はさりなちゃんだった。それ以前に、妹だとしても気軽に見せるものではなかった。
睨みつけると、あはは、と笑うルビー。
「ジョーダンだって。私だって、分かってるもん」
「……」
「血の繋がった兄妹だもん。結婚してって言っても、どうやってもムリだもの」
ほんの僅かな辛さをにじませた表情。『さりな』としての本懐が、決して叶わないものだと理解している。その気持ちは痛いほどよくわかるが、安堵している自分もいる。
仮に雨宮吾郎として生きていて、病の治ったさりなちゃんと再び会う事があったとして。『十八になったよ、ケッコンして♪』と言われたとして。
僕にはその覚悟は持てない、と思う。
彼女にとっては僕しか見えないのかもしれないけど、僕からすればそういう対象ではなかった。それは、『アイ』に対するものと同じような。つまり、『推し』だ。
『推し』と結婚したいと思うファンもいるだろうけど、僕はそういうのじゃない。有り体にいえばそれは『崇拝』としての対象。手を触れてはいけないものだ。
アイに対してもそう感じていた。だから頑なに授乳を避けて、風呂でも目をつぶる事を意識した。キモいって? そりゃそうだろう。けど、それが僕のスタンスなのだ。そして、それはそう簡単には覆らない。
「あなたを苦しませるのは、本意じゃないから」
「……そう言ってくれると、助かるよ」
そう言って身体を離すと、彼女は話題を切り替えた。
「そういえば。お兄ちゃん、私の思い出箱に勝手に入れたでしょ」
「……見たのか?」
見つけたのなら聞くべきだろう。と、思ってたら思いもしない言葉が返ってきた。
「つーちゃんと一緒に見たよ♪」
「なんで、そーなる!」
思わず声を張り上げてしまったが、俺は悪くない、と思う。身内の事を記したものを、なぜ赤の他人と視聴するのか? コレガワカラナイ。
「私に理解力を求めるの? その点、つーちゃんなら事細かに説明してくれるし」
「おい、お前。年上だよなぁ……」
我が妹ながら、つくづく呆れ果てる。いくら前世で年若くして亡くなったとしても、これはどうなのか、と。
「私、ママのことは大好きだけど……あれは納得できない」
「ルビー?」
そう呟く彼女の瞳に、黒い輝きが宿る。そら恐ろしくなるような何かが取り憑いたような。
「相手が潰れちゃうから別れるって分からないし。それでも好きなら別れなきゃよかったじゃん」
「まあ……そうだな」
そのとおりだ。アイが本当に好きだったなら、別れるべきではなかった。別れるという選択をした結果、彼女はストーカーに殺される事になった。
「それに、気付いてるんでしょ? ママを殺した奴に教えたの。その父親だよね?」
「……ああ」
先ほどはああ言ったけど、さすがのルビーでもその事には気付くか。あのタイミングで引っ越した先の住所を知る人間はかなり絞られる。ミヤコやバイト君()以外はアイ本人からの漏洩しか考えられない。
そしてアイがそれを教える相手など、限られるのだから。
「どう考えても、振られた腹いせにストーカー送り込んだとしか思えないよ。復縁なんか出来るはずない……ママは時々考えが足りないことがあったけど、コレは笑えない」
「悪い冗談、としても受け取れないよな」
アイは相手の立場を理解出来ていなかった。自分が望んでいるなら相手もそうだと考えてしまった。
このズレが、相手にとっては耐えられない屈辱になったのではないか。捨てたのなら放っておけばいいのだ。なまじの未練から声をかけ、一目子供の顔を見れば考えも変わるとか考えて、替えたばかりの住まいを教えた。
おそらく、ミヤコやバイト君にもこの事は知らせてはいなかっただろう。すれば反対されるに決まっているから。ドームライブを前にスキャンダルとか有り得ないからな。
「もし、父親が現れたりしたら……わたし、何するか分からないかも」
「バカな考えはやめろ」
「だって」
「お前はアイドルになるんだろう? そんな奴のために、夢を捨てるのか?」
「うっ……それは……」
ルビーにそんな真似はさせられない。
それを行うのは俺でなくてはならない。
だから少々卑怯な手で思い留まらせる。
手を汚すのは、俺だけでいい。
言葉を詰まらせたルビー。
俺はぽつりと呟いた。
「……愛なんて分からないもんだよな」
すると、その言葉に返事をするルビー。
先ほどまでの思い悩むような表情ではない。
「分からなくはないよ?」
「え?」
「人を好きになるってステキなことじゃん♪ それ自体は分かるでしょ、お兄ちゃんも」
煌めくような輝きを湛えた紅玉の瞳。
そこには暗い影は一つも見当たらず。
いつも見ていた輝きだけがあった。
「……そうだな」
星野
「それでぇー、誰が本命なの?」
「……」
楽しそうに聞いてくる妹。
だが、それには答えられない。
「そんなことにかかずらわってる場合じゃない」
「えー? なんでぇ?」
ついてこようとする妹を部屋のドアでシャットアウトする。ドアの向こうでぶーたれているのが聞こえるが、すぐにいなくなった。
濡れた髪はほとんど乾き、肌の火照りも収まっていた。ベッドに腰を掛け、頭にかけていたタオルを取る。
ちらりと脳裏に浮かんだアイツの顔が、やけに気になった。
「そんなわけ、ない……」
そう呟く自分の言葉に、自信が持てなくなる気がした。
もし、人並みな人生を歩んでいたのなら。そういうことにかまけることも出来ただろうに。
そんな事を考える自分もイヤになりそうだった。
そして、思考することもやめて、ひたすらに横になっていたら。いつの間にか眠りについていた。
「ぶえっくしょいっ!」
夜中に大きなくしゃみを放つと、強烈な寒気が襲ってきた。
『やべ……そのまま寝てたから風邪ひいた……』