―――腹が減った。
俺の頭にあったのはこれだけだった。
ずっと、ずっと、ずっと。腹が減って仕方がなかった。
生き物達を俺は目に付く限り片っ端から喰らっていた。
―――申し訳なかった。
ある時から俺を滅ぼそうと六色の蜥蜴達が襲ってきた。
―――痛かった。
そいつらはしつこく、だが、着実に俺の事を削り続けた。
―――悲しかった。
ある時から、蜥蜴達の攻撃が俺の腹を満たしている事に気付いた。
―――驚いた。
俺は僅かに膨れた腹から空腹の本能に少しだけ抗える理性を手に入れた。
―――嬉しかった。
蜥蜴達が死なないように理性を働かせつつ、俺は蜥蜴達の攻撃を受け続けた。
―――楽しかった。
そして、ついに俺は蜥蜴達に敗れ、腹が満たされた。
―――ありがとう。
止めてくれて、満たしてくれて、殺してくれて。
これで、生き物を無闇矢鱈に殺さなくてすむ。
俺はこれ以上誰にも迷惑を掛けないように星の中心に留まることにした。腹が膨れたお陰で、俺は自身の本能を理性である程度は制御できるようになった。
だが、残念なことに満たした腹も時間が経てば減ってくる。制御できていたモノが少しづつ大きくなっていく。何百何千年経ったのかは分からないが、徐々に感じ始めた空腹に俺は焦燥を覚えた。
そこで考えたのが、理性が全て飛ぶ前に一部を外に出して暴れさせること。
この程度ならば、俺を滅ぼした蜥蜴達の誰かがなんとかしてくれる。かつて、人間だった頃に娯楽品にあった勇者という存在がいれば、新しく生まれた生き物達でもなんとかできる。
しかし、暴れさせたのは良いものの俺の腹を満たしてくれるような成果は得られなかった。逆に一部を解き放ったせいで更に腹が減ってしまった。
どうしたものかと頭を悩ませた俺の前に“扉”が現れた。
扉にはかつて人間だった頃に俺が使っていた言葉―――日本語で“洋食のねこや”と書いてあった。
衝撃だった。
扉には外の世界でエルフが使っているであろう魔術が施されている。しかも、その扉には、もう見ることなどないと思っていた日本語。俺は“扉”に入ることに決めた。
「おう。いらっしゃい」
「…………」
かつての人間の格好で扉を潜った先にいたのは、料理人の格好をした日本人の男。
「ここは、料理屋でいいのか?」
「おう。洋食のねこやってんだ。なんか食ってくか?」
俺は店を見渡す。小洒落た雰囲気の良い洋食屋。ファミレスにしか入らない人間であった俺ならまず入らなかったような店。店主であろう男は店をキョロキョロと見渡す俺を待っていた。
料理屋に来たのだから、なにか注文しなくてはならない。
「からあげ」
何を頼むのか考えようとしたら、自然と口から出ていた。
「ん?からあげ?」
「あぁ、からあげ。からあげが食べたい」
店主は俺の言葉に困ったように頭を掻く。
「あーっと、異世界のからあげってのは」
「アンタが思ってるのと一緒だ。鶏のからあげ」
「………あいよ。からあげね。空いてる席で待ってな」
店主が厨房に行くのを確認し、俺はカウンターに座る。目の前の厨房から聞こえてくるパチパチと油の揚げる音。漂ってくる味噌の匂いが鼻腔をくすぐる。
―――早く食べたい。
俺は静かに来るのを待っていた。少しでも油断すれば、暴れかねない程の空腹が数千年ぶりに俺を襲った。料理を待つ僅か数分が今まで過ごしてきた数千年より長く感じた。
「あいよ。からあげ、お待ち。それとライスと味噌汁な」
運ばれて来た物を見て、酷く懐かしい感覚に陥る。
四角い皿に載せられた茶色いからあげ。そのからあげに負けないくらい主張をする付け合せのトマトの赤と黄色い檸檬の黄。そして、からあげの茶色を際立たせる黄緑色の千切りキャベツ。からあげの乗る皿の手前側には、白い米と味噌汁がそれぞれよそわれた茶碗が置かれる。
内から溢れてくる空腹に身を任せようとした時、思わず手が止まってしまった。
「………悪い、箸をくれ」
銀色の三又に分かれた銀の食器――フォーク。食器どうこうに文句を言うのもどうかと思うが、箸で食べるのがいいと思ってしまった。
「ん?わかった。ちょっと待ってな」
店主は不思議そうにしながら、俺に箸を持ってきてくれた。
「…………いただきます」
手を合わせ、昔は当たり前のように行っていた食への感謝を告げる。箸でからあげを摘み、口へと運ぶ。
「…………ッ」
自然と涙が溢れた。
カリッとした衣の歯ごたえと柔らかい鶏肉の食感。口にジワッと溢れてくる肉汁。
その中に感じるしょっぱい風味。これは、醤油の味だ。醤油の塩味が溢れる肉汁と共に口の中に広がっていく。少し強めにつけられたその味に自然と白米が盛られた茶碗へと手が伸びる。
噛むほど甘みを増す白米が口の中に残っているからあげを優しく包み込む。咀嚼すると、白米が残していった僅かなからあげの余韻が新たなからあげを欲する。
そこからは繰り返しだ。
からあげを食べ、白米を口に運び、再びからあげを食べ、そして白米を口に運ぶ。
かつて、人間だった頃の忘れていた記憶が溢れてくる。
気が付けば、絞ることのなかった檸檬と味噌汁だけが残されていた。ゆっくりと味噌汁を啜れば、味噌のしょっぱさが口の中をさっぱりとさせてくれる。
「どうだい?美味かったか?」
味噌汁が無くなった頃にここの店主が俺に話しかけてきた。俺は僅かに感じいた空腹もそれどころか、かつて蜥蜴達に倒された時よりも強い満腹を覚えていた。
「………あぁ。美味かった。今まで食べたなによりも」
「おう。そいつは良かったよ」
「勘定を―――」
そう言おうと思って、俺は口が止まる。金がない。今のいままで閉じこもっていたのだからそれはそうだ。しかも、恐らくここは日本だ。日本円など化け物の自分に持ち合わせてなどいなかった。
「おう、銀貨1枚だ」
「銀貨……?円ではなく……?」
「ん?お客さん、円を知ってるのかい?」
「…………いや、銀貨。銀貨か。どんなものか見せてもらえないか?」
「お、おう」
恐らく、あの扉は様々なところに現れているのだろう。故に異世界の価格で落とし込んでいるのだろう。店主の持ってきた銀貨を確認する。
店主の受け取った銀貨に発行番号のような者は確認できない。少し特殊な加工を施されているくらいだ。推測するに俺の今いる世界の技術体系は地球換算で1200〜1500年頃だろう。
「これでいいか?」
「おう。確かに。あんた今、何処から出したんだ?」
「作った」
「作ったぁっ!?」
「すまないが、金が手に入る環境に身をおいてない。食事分の金を作るくらい問題ないだろう」
「いや、あんたそれは………」
相手からしたら目の前で贋金を出されても受け取れるわけない。わかってはいたが、流石に駄目だった。
「…………じゃあ、こっちの方がいいか?」
「いやいやいや。そんなん貰えねぇよ!」
ならばと宝石を作り出して見るが断られる。価値が釣り合ってないのだろう。まぁ、からあげ定食が宝石に化けたら大変だろうからな。
「なら、こちらだ。恐らく普通に使えるぞ」
「払えねぇならツケでいい。いつか払ってくれ」
「…………わかった。次来る時に払う。ツケといてくれ」
「おう。いつでも来い」
「また来る」
そうして、俺は店を後にした。
店を出れば、見慣れた何も無い空洞の世界。俺が入っていた場所。
俺は準備をする。金なら外の世界の犯罪者から適当に奪えばいい。力の抑え方も覚えた。蜥蜴達にも近くで見られない限りはバレないだろう。
「さて、行くか」
ツケを払うため、もう一度からあげを味わうために。俺は久々に外の世界へと赴いたのであった。
「なぜ、貴様がおるんじゃ……!」
まさか、店の方で蜥蜴達の一匹に見つかるとは思ってもいなかった。