病街録   作:とうぶん

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いつも読んでいただき、誠にありがとうございます。
また、近日中公開予定といいながら遅くなったこと、大変申し訳ございません。



【吉良√・下】みにくくいとしい貴方のままでいて

『どう?学校は』

 

『宍戸さんが卒業してから、ずっと一つの絵の構想を練っています。…美術部も、数人入部者が来ましたよ』

 

『それは賑やかになりそうだな。…もし完成したらその絵を僕に見せてくれ』

 

『…完成するのはいつになるかわかりません。でも待っていてください。必ずご覧になっていただきますから』

 

『楽しみにしてる』

 

『…あと、絶対宍戸さんの後輩になりますからね。こっちも待っていてくださいね。約束です』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「暑い…酷暑だ」

 

「仕方ありませんよ。もう暦の上では盛夏ですから」

 

「日陰にいるのになぁ…まるで意味がない」

 

「私たち毎回こんな話してませんか?」

 

夏休みが徐々に近づく7月中旬。

強まる炎熱により屋上の床が湯だっているように錯視する。

…その割には隣の吉良は相も変わらず汗一つ流れていない青白い顔で、本当に血の通った人間かよと思う。

 

「…最近、私を呼ぶ回数が増えましたね。どうですか、学校生活は?」

 

「わかってて聞いてんな…お察しの通りだよ」

 

正直、もうバカどもとやり取りをするのにも限界が来ていた。

絶え間のない弄りと称した貶め。

精神が焦げ付き、炭のようになるのも時間の問題だった。

 

「…やっぱり私が言ったとおり、無理するのやめましょうよ?」

 

角砂糖が溶け込んでいるような声質で、僕の耳元で囁く吉良。

本当に僕と同じぐらいの暑さを感じているのかどうか怪しいその顔と二の腕は、ひたすらに目に毒なのだが。

 

「…あぁ、暑いな。誰かさんがこんな近距離で顔を寄せてるからかも」

 

「自分で呼んどいて、その言い草。お顔が厚いですね」

 

「面の皮は厚くない」

 

「ふふっ…さっきから色んなところに視線感じますよ?全然説得力ないです」

 

「…気のせいだろ。暑さのせいで視線が定まらないだけ…」

 

「仕方ないですね…そういうことにしてあげます」

 

愉しそうにこちらを見つめながら目を細める吉良。

本当に柔らかい表情をするようになったな…

昔を思い出しても、ふとした時に笑うことはあれど、どこか冷めた表情をしていたのに…

 

「宍戸さん、もうすぐ夏休みですね」

 

「ああ。全高校生の夢や希望が詰まってる期間だな」

 

そう。一月という長い解放期間が俺たちには設けられている。

部活に入っていない俺にとってはまさに楽園期間。

…社会経験としてバイトをしてみるのもいいだろう。

色々な妄想が膨らんでいくものの、実行に移せるかはまた別問題ではあるが。

 

「宍戸さんはこの夏休みはどう過ごすおつもりですか?…お友達もいないでしょう?」

 

「……お前なぁ」

 

実際、あのバカどもに呼ばれたところで失うものはあれど得るものはまるでない。

アホらしい。

…そう考えると、僕に友達はいないんじゃないかと思う。

 

空は果てしなく続いていて、細切れの雲が好天の空に気持ち良さそうに漂っている。

それに反して、僕はどこか閉塞感を覚えていた。

得たかったものは得れていない。

紛い物、それよりも劣るガラス細工のような日々を過ごすしかない自分が、辛くて悲しくて。

結局のところ何も自分は変わっていないことに打ちのめされる。

 

「…まだ何も決めてないからな。せいぜいバイトでもしてみようかってぐらいなもんだ」

 

「宍戸さんにきちんとした労働ができるのか、甚だ疑問ですが」

 

「社会不適合者って言いたいのか?」

 

「正しくは、社会不適合者予備軍ですけどね。…宍戸さんの今の状態を見れば、予備軍を疑われたっておかしくないでしょう」

 

瞬間、衣が擦れたような音がするとともにぴとっとした感触が肌を通して伝わってくる。

そこには肩を寄せる吉良がいて、思わず飛び跳ねるように距離を取った。

 

「お、お前っ、なにしてるんだ!」

 

「くふふっ。宍戸さん顔真っ赤にしてますね。…なんてことない、肩が触れただけなのに。…かわいらしい先輩」

 

およそ後輩とは思えないほどの艶やかさに、玉のような汗が一気に吹き出る。

おかしい。胸の鼓動が速くなっている。

確かに大切な後輩ではある。僕がみっともなく弱っている時に寄り添ってくれている。

…少なくとも憎からず思ってくれているのはわかるが…

 

「…ふぅ、宍戸さん。夏休みの予定、空けといてくださいね」

 

「空けとけって…」

 

「私が宍戸さんの望みを叶えてあげますから。お願いしますね?」

 

艶やかな笑みを携えながら有無を言わさないような口調で言う吉良。

女性として加速度的に成長している後輩に対して、首を縦に振るしかなかった。

 

 

 

つまらなく腐りきったクラスでの僕を晴らすために気がつけば毎日のように吉良を呼び出してしまう。

そうして束の間の昼休みを過ごしていくうちに、当たり前のように吉良が刷り込まれていく。

 

自分でも分かっている。僕は遅い高校デビューに失敗した情けないやつで、知り合いの後輩を捌け口にしていることぐらい。

でももう耐えられなくなってきている。

自尊心を失いかけているところを、柔い刺が上手くはまって、僕を絡めとっていく。

 

加えてどうにもこの後輩が見るたびにより洗練され、初めは無機質な印象だったはずの彼女が色めいて見える。

 

ああ…おかしくてしかたがない。

情けなさとそれを上回るほどの包容が、麻薬のように僕の体に染み込んでいく。

 

今の僕をモデルとして描くのであれば、どんな画になるのだろうか。

ある種の中毒者として、滑稽かつ悲哀を帯びた画だろうか。

 

ただ一つ言えるとすれば。

僕は相当に、吉良を失うことを恐れているということだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

夏休みがついにやってくる。

あの後取り付けられた約束のために軍資金も稼がなければならない。

 

夏休み前のHRも終わり、期待を胸に三々五々に帰っていくクラスメイトたちの中にはバカどもも含まれている。

やはり奴らにとって僕は「仲間」ではなく、都合のいい「道具」に過ぎなかったことを示唆していた。

 

別に悲しくもないのに、胸にぽっかりとした空洞ができたようで、ああ別に悲しくなくても虚無はしっかり感じるのだと自嘲した。

 

ただしかし、隣の席の阿澄は動く様子もなくスマホに目を落としていた。

そうして時折こちらに視線を寄越してはスマホに視線を戻すという往復が何を指しているのか。

というか指先で机を不規則にトントンとしてどことなく圧を感じてしまう。

もう気を遣うのも辛いし先約もあるから荷物を纏めようとした瞬間だった。

 

「ねぇ、宍戸」

 

緩慢な動作かつしびれを切らした様子で立ち上がる阿澄。

圧の強い冷たい声にぶるぶると空気が震える。

 

「…あのさ、その…なんというか」

 

「…宍戸さん。お迎えに上がりました」

 

歯切れが悪そうに言葉を繋げようとする阿澄の先に、恭しくも頭を下げた後こちらを見据える吉良がそこにいた。

 

「明日から夏休みですね。今から本当に楽しみです。…予定を立てましょう。帰り道で」

 

「は?」

 

僕の傍にいた阿澄が低い声を出す。

まるで毛が逆立っているペルシャ猫のように見え、思わず跳び跳ねるように距離を取る。

それを吉良は意に介すことなく半目で微笑むばかりで、奇妙な緊張感が漂っている。

 

「どうしたんですか?早くこちらへどうぞ。時間は有限なんですから」

 

「今私が話そうとしてるの見えないの?…アンタ、順番って知ってる?」

 

「…生憎、宍戸さんのお時間に関しては先に私が予約していたもので。阿澄先輩が入り込む余地はないかと」

 

「…!!」

 

ついに痺れを切らした阿澄が吉良へ挑発するような口ぶりで言葉を発したかと思うと、吉良は阿澄へ余裕綽々でゆったりと言葉を返す。

そこには見えていない火花が散っているようで、身が震える。

 

…というか、吉良のこの様子を見るに以前話していた言葉は謙遜ではなく本当に"そんなことない"ということだったのだろう。

 

「…もう良いでしょうか?阿澄先輩ほどの方なら別に宍戸さんでなくともお付き合いしてくれる方々がいらっしゃるのでは?」

 

「ぐっ…」

 

変えず絶えない笑みを浮かべる吉良と歯噛みしている阿澄。

気がつくと少なくないギャラリーが僕たちを遠巻きにして見ており、すっかり衆目に曝されていた。

 

しかし吉良は全く気付いていないように見えるほど僕の方に視線を向けており、対して阿澄は周囲の視線に動揺しているようにも思える。

二人の差は火を見るより明らかだった。

 

「宍戸…まさか、私より吉良を優先させるなんてことはないわよね?」

 

吉良への返答に窮したのであろう阿澄は、僕に言葉を振ってくる。

その様子は、焦燥が明け透けに見えてなぜか哀れみの感情を僕にもたらす。

それがなぜかはわからないけれど、僕が阿澄のことを大切に思っていた時期があったからではないか。

 

「宍戸さん」

 

続いて吉良が僕の名前を呼ぶ。

ただそれだけ。

…けれどただの五文字が僕を大きく縛ると共に、軽い陶酔を僕に与える。

 

気がつけば僕は阿澄から目を切って、吉良の方へ歩みを進めはじめた。

衆目はいまだにさざめいているけれど、今そんなものはどうでもいい。

 

「…ふふ。行きましょうか」

 

「ああ」

 

この場を掌握していた吉良は僕に対して出来の良い生徒を見るような視線を向けている。

 

「…宍戸ぉ」

 

衆目を横目に教室を出ようとした時、後方で弱々しく僕の名前を呼ぶ声がした。

…それを記憶から消そうと、吉良の腕を軽く触る。

 

僕を必要としてくれる人は隣に確かにいる。

 

「良かったです。また宍戸さんが道化にならなくて。…優しさって、救いにもなれば罪にもなるんですから」

 

校門を出ると瑞々しい日差しが僕らを照らしていて、気がつけば吉良の腕と僕の腕は絡み合っていた。

それが輝かしい夏休みの到来を告げているような気がした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ごみごみした街中で僕はスマホで時刻を確認する。

夏休み期間に入ったはいいものの単発アルバイト以外の日は存外暇であったことを知った。

 

多くの人が行き交う中で、小遣いとバイトで貯めた金を握りしめて街の象徴である猫像の前で待つ。

 

「…宍戸さん。お待たせしてしまいましたか?」

 

「い、いや、今来たところだ」

 

「嘘ですよね。20分前くらいからここで待ってましたよね?」

 

「…見てたのか?」

 

「口からでまかせです。…早く来てくれて嬉しいです」

 

その姿は、日常からかけ離れた姿。

髪は艶のあるロングヘアを男が想像するよりも時間のかかるであろう編み込みが施されており、灯るさがもたらされている。

視線を下に向けると、オフショルダーのトップスにより普段絶対に見ることのないデコルテが露になっていた。

それに加えてシックなデニムパンツが合わさって、一瞬吉良ではない誰かと見間違えてしまうところだった。

 

チラチラとせわしない視線をこちらに向ける吉良に、僕は最低限先輩として言わなければならないことがあると思う。

 

「いつもに加えて綺麗だな」

 

嘘偽りのない言葉を述べる。

学校で知り得ていた少々陰のある吉良だからこそ、この衝撃は計り知れない。

 

「…ありがとうございます。…こんな姿、宍戸さん以外の男の人に見せたことないので正直緊張してました」

 

吉良の陶磁器のような真白い肌に、紅をさす。

刺さる人には刺さる容姿だと思っていたが、こうして目の前にいる吉良は多くの人を魅了する姿だと考えを改める。

 

「宍戸さんは…今日もいつも通り変わらないままですね」

 

「よくない言い方だな…」

 

「良い意味ですよ。…私の言葉、もっと深く考えてくださいね」

 

小舟を出すようにしっとりした言葉を交わしながら、最初の目的地に向かう。

 

あの日屋上で交わした言葉に加えて、夏休み前の下校で告げられた吉良の考えは想像していたよりもシンプルだった。

 

曰く、宍戸さんと私で青春を楽しみましょうとのこと。

その一つとして、まずは始まりとして映画を見ることになった。

 

映画館に着いたあと、吉良が観たいと言っていた少女漫画が原作の恋愛映画を観ることにした。

 

正味恋愛映画なんて触れてきたことがなかったから面白いのかどうかもわからないけれど、吉良が恋愛映画に興味を示すとはあまり思っていなかったのだが。

 

「宍戸さん、何か食べますか?」

 

「…ポップコーンにするか」

 

「なら、大きめのものを買ってシェアしましょう」

 

とんとん拍子に、変な摩擦もなくスムーズに会話が回る。

余分な気遣いやストレスを感じることがないのは、やはり吉良だからなのだろうか。

 

「吉良はこうやって映画観にくるのか?」

 

「いいえ、ほとんど来ません。それこそ誰かと来るなんてなおさら」

 

「まぁ今は家でも手軽に観れるからな」

 

シアターに入り、取っておいた座席に隣り合って座る。

世間的には休日かつ昼間ということもあり、席は続々と埋まっていく。

 

周囲を見渡すと、恋愛映画ということもあるのか僕たちと同年代のカップルもかなり多く見える。

そんなことを考えていると、隣から腕を軽く触れられる。

 

「宍戸さん、あんまり周りを見渡すのはお行儀が良くないと思います。…見るならこっちを見ていてください」

 

「あ、あぁ」

 

次第に本編映画の上映前告知となり、非常灯が消灯される。

僕はこの映画の原作を履修していないのだが、どれだけ面白いものなのだろうか。

 

やがて映画本編が始まった。

有名なイケメン俳優と新進気鋭の女優が、高校生に扮してやり取りを交わしている。

ストーリーラインは鉄板と言っていいほど、甘く蕩けるような言葉の応酬に、意地悪なライバルヒーローの登場でフラフラと揺れる気持ちが映されていく。

 

物語がクライマックスに差し掛かると思った時に、肘掛けに置いていた手のひらにそっと重なる感触がした。

この重ねられた小さく柔らかい手から、感情の高ぶりが伺えた。

 

 

「本当にキラキラしていましたね」

 

「まぁ、フィクションだから脚色されているってのもあるな」

 

映画が終わった後、次の行き先まで感想を話しながら歩く。

街中は多くの人々が雑踏の中でそれぞれの物語の上を歩んでいる。

 

「宍戸さんは、ああいうものに憧れていたんですか?」

 

「…あそこまで綺麗に終わるのであれば、良かったとは思うけれど」

 

結末として意外性は不要とばかりにライバルヒーローは退場し、主人公とヒロインは円満に結ばれた。

…少し物足りなく感じなくもないが、きっと「これ」を求めているのだろうというのは、観客の反応が示していた。

 

僕たちが歩んでいる現実は決められたストーリーラインなんか無くて、大体が辛くて苦しくてほんの少しの行動のズレで運命は変わっていくのだから。

 

「…どうしたんです?こちらをじっくり見て。…やっぱり変だったりするんでしょうか…」

 

そこまで髪が崩れているわけでもないのに、軽く流すように髪を触る吉良。

 

「全然変なんかじゃないさ」

 

そう、ほんの少しのズレ。

中学時代の吉良を見ていたら、今の吉良は少しのズレによって変わった産物。

そしてそれは僕が関わったことによることも一因としてあると自覚している。

ただ、それが嬉しくもある。

 

「着きましたね…犬カフェ」

 

どうやら吉良は犬が好きなようなのだが実家では飼えないらしい。

そのため一度こういう場で触れ合いをしてみたいとのことだった。

中に入ると多種多様な犬がケージの中や床に寝そべっていたりする。

 

「かわいい…」

 

吉良は童女のように目をキラキラとさせていて、うるうるとした瞳のトイプードルと顔を突き合わせるぐらいに近づき、おっかなびっくりという感じでプードルを撫でる。

 

「すごいです…かわいすぎておかしくなりそう…」

 

一瞬でふにゃりとした顔で幸せそうにする吉良は、ちょっと引くぐらいに顔を崩していた。

そしてなぜか僕の方には犬たちは寄ってこず、吉良の周りにどんどん寄っていく。

 

気がつけば一人孤島に佇むようになっており、かたや吉良は人気アイドルの如く囲まれまくっている。

 

…まぁ吉良が満足そうならそれでいいんだけれど。

 

ひとしきり撫でたりおやつをあげたようで、ほくほくと上気した様子で幸せそうにしていた。

 

「宍戸さん、絶対にまた来ましょう」

 

「僕のところに犬全然来なかった…」

 

「なぜなんでしょうね?…まぁ、不憫な宍戸さんも可愛らしいですよ」

 

本日の最後のプランに向かう途中で、会話を交わす。

どうやら吉良は興奮冷めやらぬといった様子で、普段のイメージが壊れかねないほどにはしゃいでいた。

 

「いや、あの状況は結構寂しいものがあったぞ」

 

「…そうですか」

 

すりすりと柔い感触が僕の腕を伝う。

見ると、吉良が腕を絡ませていた。

 

「しょうがないので、私が代わりになってあげます。…暑いとか言わないでくださいよ?」

 

「…急にくっつくと心臓に悪い。人間だろ、お前は」

 

「ふふっ、従順な方だと思いますよ、私。…誰かとは違って」

 

 

そうして気がつけばあれだけ輝いていた太陽はすっかり姿を消し、代わりに街には煌々とライトが点り始める。

 

そうして僕たちは今日最後の目的地である、夏のイルミネーション展に辿り着いた。

散らされている大規模電飾が夏の夜風と共にカップルたちを包み込んでいて、幻想的な雰囲気を醸している。

 

「綺麗ですね…」

 

隣の吉良は感嘆し、その光景に見惚れていた。

そしてその吉良を見つめる僕。

 

これまで、色々なことがあった。

辛いことばかりだった。

苦しい気持ちを押し殺して、今がある。

 

この煌びやかな空間の中で、僕を支えてくれた美しい後輩が愛おしくて仕方がない。

もうアオハルとか、考えなくていいんだ。

だって、吉良がいるんだ。

彼女だけでいいんだ。

 

「宍戸さん、今日はどうでしたか?…少しは青春を感じてくれたらのなら嬉しいです」

 

僕が吉良を見ていたように、吉良も僕の方へ向き直る。

若干の暗さも相まって、逆に顔の造形が際立っている。

 

「とても良かった。…また色々な吉良を知ることができたから」

 

ベタな青春映画が好きなところも。

犬を可愛がりすぎるところも。

きっと道化のままでは知ることも無かった。

 

「…宍戸さん、手を出してくれませんか」

 

「あぁ」

 

僕が差し出した右手の甲に、吉良は優しく口付けをした。

唇の柔らかさが神経を伝っていく。

なんてぼうっと思っていたけれどキスされたんだ、僕。

 

「私の話、聞いてください」

 

「…うん」

 

周囲のカップルや夫婦であろう人々の会話が気にならないぐらい、吉良の言葉に重みがある。

 

「宍戸さんのこと…最初はちょっと変だけど、優しい先輩なんだなってぐらいの印象だったんです。…でも、告白された時から急に心がわし掴みされたように、宍戸さんのことを考えない日はありませんでした」

 

「あぁ」

 

「貴方は何をするにしても自分を道化にしたがる節があると思います。それに私は救われ…同時に心を痛めることにもなりました」

 

「そうかもな」

 

「そんな貴方だから、私は支えたくて…奉仕したいんです。これからも。貴方の代わりに道化になっても構いません。けれど私だけを求めて、感じてほしいんです」

 

純度の高い言葉がさくりさくりと僕に刺さっていく。

 

自分自身を肯定して、吉良の濃密な想いに応え、その献身をむしゃぶりつくしていいのか。

余分なことを考えずに、二人だけの世界へ。

 

「ありがとう。本当に…僕は吉良のことが好きなんだ」

 

お互いがゆっくり近づき、小さな吉良の細い体が僕の胸に収まる。

そのまま流れるように吉良は僕の背中に腕を回した。

忙しない鼓動が吉良に伝わっていることだろう。

 

人の温もりがこんなに心地よいのは、僕が承認欲求に飢えていたからなのだろうか。

 

…きっと違う。

吉良千秋という存在そのものが、僕に心地よさをもたらしているんだ。

ならば彼女のために、彼女のためだけに奉仕の精神を持とう。

そう強く思った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

実質的な愛の告白を交わした後、宍戸さんと帰り道を歩いていく。

どこかふわふわとして、現実感を帯びていなかったけれど。

繋がれた手が少しこそばゆくもある。

 

宍戸さん…いや、一希さん。

もう付き合っているのだし、名前で呼んだってなんら問題がない。むしろ不自然だ。

足かけ二年ぐらいかかっただろうか。

想いが実を結ぶのには、相当時間がかかったことになる。

 

一希さんには色々な初めてを捧げた。

初恋、初手繋ぎ、初キス。

それはきっと、一希さんもそうだろうけど。

けど、けれど、一希さんの「初恋」は私じゃなかった。

今さらそんなことを考えても仕方がないのはわかっている。

だけど頭から振り払おうとしても、それは私の頭の中に巣くっている。

 

私は相当な恋愛至上主義で、ロマンスが好きなのだ。

でも現実は映画のようなストーリーのようには進まない。

諦め、折り合いをつけなければいけない。

 

…それでもダメなのだ。

これだけ幸せな気分の中で、大切な「初めて」が手に入れられないのは。

 

だって独占したい。

一希さんの脳内にあるあの人(阿澄さん)を全て取り除きたい。

一希さんの体も、これからの記憶も私が全部全部貰って、もう誰にも渡さない。

 

一希さんは私を家まで送ってくれて、その時も名残惜しくて思わず口付けを交わしていた。

私も血の通った人間なんだって確認できるぐらい、口内は熱くなっていた。

 

自室に入り、一息つく。

最高の気分なんだけど、まだ足りない。

一希さんだけの彼女であり、道化でいたい。

 

うねって曲がり続ける欲望を加速させるため、部屋内にあるイーゼルに立てかけたカンヴァスに向かい合う。

 

私は中学時代から使用している筆を持ち、入れていく。

描きたいものが明瞭になって、気持ちがこもって筆が乗る。

 

「一希さん…」

 

待っててください。もう少しで完成します。

私たちだけの世界が開いてきているんです。

苦脳の先には、尊い結末が眠っているはずですから。

 

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あの後、ちょこちょこと千秋とは会っていた。

やはり金の制約があるから毎日会うという訳にはいかなかったが、それがバイトへの意欲の糧となっていく。

 

「…一希さんって、呼んでいいですか?…ずっと、そう呼びたかったんです」

 

以前会った時に千秋が言った。

そういえば中学時代同じようなことがあったなと思い、懐かしく感じる。

苗字のままではあまりに恋人としてはよそよそしすぎるだろうし、純粋に名前で呼ばれた方が嬉しいというのもあった。

 

「あと、もしよろしければスマホって見せてもらえますか?…お互い隠し事とかはしたくないなって。…私のも見てもらって構わないですから」

 

「…ああ、もちろんいいよ」

 

パスコードを入力し、僕はスマホを渡す。

別に見られて困るものはないし千秋を否定することはしたくない。

渡されたスマホを千秋はじっくりと操作していく。

一瞬、苦虫を噛み潰したような表情を見せたけれど、すぐに元に戻りやがて僕にスマホを返してきた。

 

「ありがとうございます。…定期的に確認し合いましょうね?」

 

返されたスマホはなぜか少し重く感じたけれど、それが嫌かと言われればそうでもないのだが。

 

そんなやり取りを思い出しながら、これから始まる地域の大規模夏祭りの会場に着く。

千秋と一緒に行くつもりだったのだが、少し準備があると言って先に行くよう促された。

 

「…暇だ」

 

複数人の男女グループが僕の横を通りすぎる。

暖かい笑い声が空にこだまして、やがて遠くなっていく。

 

結局この夏、あのバカどもからも、阿澄からも連絡が来ることはなかった。

…あいつらは今楽しく過ごしているのだろうか。

僕がいないことで、自分たちに都合のいい人間を立てているのだろうか。

別に確認したくもないけれど、頭の中にぼんやりと浮かんだ。

 

夜が更けていく。

人通りが激しくなっていき、屋台の設営も完了しはじめていた。

それと同時に、千秋から連絡が入る。

もう近くまで来ているとのことだった。

 

辺りを見回して、姿を探す。

甚兵衛や浴衣を来ている来場者の中で、一際輝く紫陽花のような彼女を見つけた。

 

「すみません、お待たせしました…」

 

「その格好は」

 

「せっかくなので着てみたかったんです。…一希さんに見てほしくて」

 

かわいいって言ってほしくてと言葉を繋げる千秋。

その様子に思わず息を飲む。

 

紫陽花柄の落ち着きながらも涼を感じられる色合いで仕立てられている浴衣に、清純さを増幅させる白い帯。

その上でカラコロと鳴り響く下駄は少し少女らしさを残していて愛らしい。

 

「…どうですか?一希さんのために、最大級の青春を味わってほしくて。…着付けも結構大変でした。お母さんに手伝ってもらって」

 

口元を緩ます千秋になおも見惚れる僕。

僕のためだけにという自己肯定欲求を狂おしいほど撫でてくる。

前にも思っていた、すでに千秋は「後輩」ではなく「女の子」であることをまざまざと見せつけられる。

 

「くふっ。かわいいです…一希さん。その反応なら言葉は大丈夫です。行きましょう」

 

千秋が僕の手を取って歩き出す。

祭りの夜は始まったばかりだ。

 

 

「かき氷、いいですね」

 

「味っていろいろあるけど結局みんな同じって聞くけど」

 

「あ~、一希さんってそういうところあるんだから」

 

「べっ。舌青くなってるか?」

 

「青すぎです。薬剤かけられたみたいですよ」

 

「例え怖っ…うむっ!?」

 

「へへ。舌見てたら…キスしたくなっちゃって」

 

「お前さぁ…」

 

屋台を順番に冷やかし、夏らしいかき氷をチョイスする。

夜とはいえど暑さが残る中で、体を寄せあって口に運んでいく。

 

「…花火、楽しみですね」

 

「あぁ、だからベストポジションを探しておいた」

 

祭りの中心から離れた場所。

中心であれば確かにより迫力がある花火を見ることができるだろう。

しかし、僕はできる限りひっそりと二人で花火を眺めたかったのだ。

 

「嬉しいです…私もこっちの方がいいと思いました」

 

まばらな人の中で、密やかに身を寄せ合う。

やがて夏の風物詩が空に鮮やかに舞って、その様子に感嘆と歓声が巻き起こっていた。

 

 

数十発にわたる花火が惜しまれつつ終わり、僕たちが余韻に浸っている中で、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。

 

「おっ…あれ、宍戸じゃね?」

 

「…宍戸…?」

 

思わず虚を突かれた。

なんでコイツらがここにいるのか。

…いや、別にいてもおかしくないのか。

 

阿澄を筆頭に、バカどもがぞろぞろと金魚の糞のようにくっついているところに遭遇してしまうとは。

せっかく二人で余韻に浸っていたところで、余計なものが混ざってしまった感覚。

そんな苦々しい感情を処理しようとすると、バカどもの一人がこちらに声をかけてくる。

 

「えっ、てか隣の可愛い子誰?…なんで宍戸なんかといるん?」

 

「夏の思い出作りとしてどっかでレンタルしたんじゃない?ウケるんだけど」

 

「…あぁなるほどね!マジで寂しいやつじゃん」

 

好き勝手なことを言い出すバカども。

けれど思ったよりも心の中は平静を保っていた。

 

「あんたら、先行ってて」

 

その中で一人、異様な雰囲気を醸し出している阿澄が口を開いた。

視線は僕ではなく千秋に注がれている。

 

「えっ、なん「早く行け!!」」

 

バカどもの一人が声を上げたがすぐさま鋭く冷たい声で遮る。

その様子に不承不承といった態度でそそくさと歩き出す。

あまりに情け無さすぎて憐れみたくもなる。

 

「…邪魔者はいなくなりましたね」

 

「まだいるけどね、アンタが」

 

「私がですか?…はは。私にとっては阿澄先輩の方がよほど無法者ですよ。カップルの間に割って入ろうなんて」

 

静謐。

しかし炎獄のような空気感にピリピリとした痛みで頬がひくつく。

…いつか来ると思っていた。

それが少し早まっただけ。

この修羅のような状況に、いまだに僕は口を開けずにいる。

片腕は痛いほど強く締め付けられ、まるで大蛇に絡まれているかのような錯覚。

かたや夏なんぞ関係ないと言わんばかりの絶対零度の眼光で睨めつけている。

 

「宍戸から離れろ」

 

「怖いですね。やってること恐喝まがいじゃないですか。もう少し理性的になることをお勧めします」

 

「宍戸に何度も連絡したのに既読すら付かない。…これアンタやったんだろ!!」

 

れ、連絡?

思わずポケットに入ってるスマホを出そうとするが、腕を千秋がより強く締め付けるようにしてきて出すに出せない。

 

「憶測でものを言うのは本当にご法度だと思うんですけどね…まぁ、もう限界なんでしょう…哀れです。阿澄先輩。…ねぇ一希さん?」

 

「しらばっくれやがって…ムカつくんだよアンタ!なんでアンタが隣にいるんだよ!なんで私じゃないんだよぉ!…なんで私はあぁ!」

 

激情に駆られた阿澄が体をかきむしりながら叫声を上げる。

そこにはもう、普段の様子からは誰も想像できないであろう阿澄がいた。

 

「それは阿澄先輩が私に負けたからです。ただそれだけです。貴女はその尊大な精神に殺されたんです…道化の気持ちなんて理解できないんですから」

 

千秋の片手が僕の顎を慈しむように触れる。

何をしようとするのか何となくわかってしまう。

 

「引導を渡してあげます。…さよなら、憎き過去の人」

 

僕の口内と千秋の口内がゼロ距離になる。

ぬらぬらてらてらとした粘性のある唾液を舌を介して交換することに躊躇いはなかった。

 

至近距離で僕を求めるように蕩けた顔をする千秋(彼女)と、わずかに離れた場所で地面にへたり込んで啜り泣く阿澄(昔の想い人)

 

端から見れば絶望的な状況なのに、この甘美な感触を止めることはできない。

気がつけば僕はまるで見せつけるように強く千秋を引き寄せる。

彼女を選んだのだから、僕は道化として精一杯拙い愛を注ぐ。

 

あぁ、やっぱり僕、友達なんか出来ないやつだったんだって。

だけどそれでも、目の前の彼女が愛おしくて仕方がないのだ。

 

やがて名残惜しそうに離れる唇は、背徳を感じさせる。

まったくもって、みにくい感情。

 

…けれど、気持ちが良くてしょうがない。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

「一希さん、聞いてください」

 

「うん?」

 

激動の青春を過ごした後、大多数の人間が憂鬱になるであろう夏休み明けで、僕らはいつも通り屋上に来ていた。

 

…新学期になって阿澄は登校してくることはなかった。

当事者として、あの夜彼女を壊してしまったのかもしれないという思いはあったのだが、考えることをやめた。

 

どこまでも果てがあるのかどうかも疑わしい透き通った空の下で、千秋が口を開く。

 

「覚えていますか?絵が完成したんです」

 

「あぁ、まだ描いてたんだ。全然そんな気配なかったからなぁ」

 

僕と千秋が美術部だった頃が懐かしい。

二人きりの美術室で過ごした毎日が、関係性と場所は変われど今も同じように隣にいるのはなんとも感慨深い。

 

「そんなに大きなキャンバスじゃないので、なんとか持ってこれました」

 

「どんな絵を描いたのか楽しみだ」

 

もとより描くより見る方が良い。

別にどんな絵でもいい。

僕が好きに解釈すればいいのだ。

 

「へへ…どうですか?一希さん」

 

現された絵は、生命力に溢れる連理木が描かれていた。

一つの幹から二つに枝分かれし、また一つの太い幹へ。

決してまた分かれないように強く太く癒着結合してゆく。

 

「私、こうなりたいんです。一希さんとの縁を強く結びつけて、今世だけでなくてその次も、またその次もそうであってほしいなって」

 

清々しさすら感じられるその表情に、手に持つ絵画からは底無しの沼地のような想いが潜んでいる。

ただ、僕はそれすらも喜びとして受け入れられるほどに千秋への愛がとめどなく溢れている。

 

「余計なことを考えず、不純なものを入り込ませず、私たちだけで幸せになりましょう?」

 

とても健全とは言いがたい渦巻く独占欲。

…それは僕も同じだ。

誰にだって彼女を奪われたくない。

 

僕はどう考えてもみにくくて、良くない存在だけれど。

いとしい彼女のお陰で、希望を持って未来へ思いを馳せることができるのだ。

 

 

 

 

 

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