斉天大聖は詰んだ。
(そうじゃ。もはや我は詰んでおる……)
斉天大聖・孫悟空としての仮面を斬り飛ばされ満身創痍。『弼馬温』脱却の鍵であったまつろわぬ大鯰も寸でのところで露と消えた。
斉天大聖の復活劇は尻切れとんぼのごとく幕引きとなった。
そのはず。
そのはず……だが。
(……何故じゃ?)
何故、我は昂っておる……?
進退窮まり八方塞がりとなったはず。なのに何故か大聖は気持ちのいい解放感と高揚に満たされていた。
不思議な解放感だった。
まるで牢獄のなかから計略と勇気でもって苦難の末に脱獄し、雨の中で手をいっぱいに広げる冤罪受刑者のごとく。
背をかがめ。
両の足を肩幅に開き。
いきり立つ肩と剥き出しの犬歯。
だらりと下げた手を……渾身の膂力で握りしめる。
激する胴部が熱を生じ、赤熱していく。二色に破れた世界の片方から降りそそぐ雨が蒸発し、湯気を燻らす。
草薙護堂……おぬしに答えがあるのか……?
残心する大敵。今代の若き魔王へと視線を向けると、未だ衰えぬ闘志を宿した瞳とかち合う。
濛々と烟る白い湯気が風によって護堂のもとへ向かい、そしていくつかの影を猿王は見出した。
──怪力乱神の顕現たる義兄・牛魔王。
──高貴なる流浪の青年神・二郎真君。
──魔教を率いる麗貌の女魔王・羅濠教主。
威風堂々たる草薙護堂の背後にふと、
あぁ……。
猿猴の王はついに思い出した。
戯曲神としての仮面を破壊され、浮き出てきた《鋼》の仮面が歓喜に打ち震えている。
地上に顕現して以来、思い出すことのなかった故郷の風景を思い出した。
(感謝するぞ草薙護堂よ……我が四百年の無聊と倦怠。よくぞこれを洗い流す戦を我の前で演じてくれた。我は真なるまほろばへと帰還できた……)
まつろわぬ神は思い出した。
猿猴神君となり四百年の間封じられ名とともに忘却していたからではない。まつろわぬ身となり、強敵と干戈を交えたことはなかったために。
故に忘れていた。
百年前、不完全燃焼で終わった女魔王ならばあるいは、とは思うが……。
だが現実に我を故郷へと帰還させたのはこの者。今、そうなったのは──草薙護堂という若き神殺しによって。
まつろわぬ斉天大聖・孫悟空の故地。
その名を──逆境。
血に狂い、地を穢し、闘争に憩う。馬を従え草原を無心に駆ける戦士の在るべき場所。
ああ、たしかに《鋼》の故地はそこにもある。
だが最も奥底にあって、山嶺の頂上のごとくたどり着けない。
本当の故地こそ……此処。
我は、帰ってきたぞ──ッ!!!
猿猴の王は立ち返った。
この時、ただ一個の戦士として在った。
猿の王は言霊を誦する。
静かに。ゆっくりと。迷いなく。
もはや肚は決まったのだ。
「なむからたんのう、たらやーやー。なむおりやー、ぼりょきーちーしふらーやー。ふじさとぼーやー、もこさとぼーやー。もーこーきゃーるーにーきゃーやー……」
言霊を謡う。
死にかけの神が選べる──最後にして最強の切り札。
呪いの言霊──己を殺す呪詛を。
(なんなんだ……この感覚は……)
斉天大聖は詰んだはず。
だけど、まったく安心できない。
心がかき乱される。とんでもない焦りと、恐ろしい間違いを犯したのではないかという不安すら浮かぶ。
(俺は……この感覚を知っている……)
そうだ、護堂は知っているはずだった。
草薙護堂はこの感覚を間違えることはない。だって、毎日毎日感じてしまう、それほどひどく慣れ親しんでいるものだったから。
その感覚は時折、肩に止まり忙しなく話しかけて来る時もあれば底知れない知識にて苦難を助けてくれることもあった。
その感覚は時折、胸に抱いて無邪気に笑う事もあれば誰かを困らせて遊ぶのが本懐なのだとイタズラを仕掛けてくることもあった。
そう……メリッサと百合若からの感覚とよく似ている。
超越者たるカンピオーネ草薙護堂は、知っていた。
メリッサと百合若は本質を見失ってはいない。
どんなに見窄らしくなろうと神は神。力が衰え、身体を散逸させ、記憶をなくそうとも、己の最奥にある本質だけは決して損なわれてはいない。
護堂はメリッサたちを『弱い』存在だと決して思ったことはなかった。
明らかに手負いゆえに彼らを懐に入れ、面倒を見てはいたが。だけど……一度だって侮ったことはなかった。一度だって与し易い相手だと記憶したことはなかった。
かつてイタリア・サルデーニャで軍神ウルスラグナの『少年』と出会った。今思い返しても彼が『弱い』と思えない。
その理由がはっきりと明示された。
彼らは本質を忘れていない。
本質のためなら永生の命さえ簡単に捨て去ってしまう。
壮絶なる決意がある。
カンピオーネは手負いになればなるほど恐ろしい。だが手負いとなって恐ろしいのは何もカンピオーネだけの特権ではない。
猿王は惜しまない。
不死なる神の最後の切り札──命さえも惜しまない!
「我が飛翔なる武と千変万化なる仮面に誓おう。草薙護堂よ、これより我が武と契りにておぬしを討つこと能わねば、我は死を得ん……!」
ガキんッ! と強かな金属音が響き、金の心胆が砕けるのを知る。
だが流血はしない。
潰れた心臓は妖王たる彼が奥義を使うための先払い。全身全霊を賭けて草薙護堂を殺められなかったその時。
──まつろわぬ神は死という取り立てを受ける。
だが。
轟、轟!
轟、轟、轟!!!
大聖の呪力が──天井知らずに膨れ上がる。
呪力の噴火。荘厳なる中華の城、月光闘勝宮から空恐ろしいほどの呪力が猿猴の王者へと贈与される。
これほどの呪力量、先日アレクと護堂の前でまつろわぬタタリ神が見せた呪力の異常増幅と同じ……否、それ以上だ!
「これは……っ!」
『──いけません! 斉天大聖・孫悟空さまは己の命だけではありません。弼馬温で供給される日本各地の呪力さえ奪い取り、力と変えています!』
「なッ!?」
まつろわぬ神を封じた『弼馬温』は日本各地から呪力を供給することで成り立つ畢生の大呪術。それを逆にハッキングし、己の力と変えているのだ。
己が命を代償とし、日本中から呪力を強奪する。
ギシギシと世界が軋む。神の意地が天を鬧し、大地を揺する。《盟約の大法》すら超える莫大な呪力の出現によって壊れかけの空間が明滅する。
保有する呪力量は《盟約の大法》の時の三倍はある!
あまりのデタラメ。さしもの猛虎じみた胆力のカンピオーネすら驚愕する。
斉天大聖は笑った。
そうか、草薙の。おぬしはまだ驚いてくれるか。
我はおぬしを驚かせられる
満身創痍。これほど呪力を抱えようともはや……。
だが負けない戦いはできる。
敵の心胆寒からしめる戦いはできよう!
猿王は闊達に笑う。
智慧の剣で詳らかに我がはらわたをぶち撒けられ、恥辱と栄光の過去すら隅々に知り尽くされ。
けれどかの若き神殺しは"化かせ"れたのだ。
神や仏や仙人である以前に。
斉天大聖・孫悟空はひとつのアイデンティティがある。
奇怪にして異様。正体不明。
決して介せぬ者……我は
草薙護堂の驚嘆からアイデンティティを急速に拡大させ強固に確立させていく。
"戯曲神"斉天大聖・孫悟空ではない──……。
「我、石より産まれし猴王にして神通無限、変化は
石山岩窟より生まれし──"妖王"として
「我ら妖王は『七大聖』を号す! 我、称するは『美猴王』なり!」
『美猴王』はおもむろに額に手を当て、縛めたる緊箍児を投げ捨てた。
聖秘儀の参加表明のそれは王冠。『王』を形容する王冠という枠組みを破棄した。
『美猴王』は──否、美猴王はこれ以上ない究極のベストコンディション。
まつろわぬ神はその無眇性を疑わない。そして極まった精神やモチベーションで、個としての強さが大きく上下する。
心震わす大敵との対峙している。そして完膚なきまでに打ち倒す。これを目前にして高ぶらない方がおかしい。
そして勝利をもぎ取ったその瞬間、まつろわぬ神は何人の束縛からも解放される。これに勝る自己肯定の法はありはしない!
一心不乱に降魔を約す触地印に降三世印、忿怒印、転法輪印……無数の印相を高速で切っていく。
力の塊だった呪力が形を得る。
魔王討滅のための誓約を果たすために。
己の妄執、自己証明、そしてプライドのために!
護堂は激しい気力を見せる美猴王を風上にして、吹きすさぶ風を感じた。風紋のごとく斉天大聖の後背に六つの影が見える。
合わせて七つ。
あれらは旧き王。彼らに比べれば現界最古の魔王デヤンスタール・ヴォバンですら年少の小童でしかない。
兇悪無残なる天界へと挑んだ旧き七大魔王の御影。
「おん、さーはらはーえーしゅうたんのうとんしゃー。なむしきりーといもーおりやー。ぼりょきーちーしふらーりんとうぼー、なーむーのーらー……」
まつろわぬ美猴王が唱えていた言霊がいよいよ意思を持つ。神の意思を備えたロゴスへと。
まつろわぬ美猴王の神威に触れ、千切れ乱れた空間が強固に結び直されていく。男体山をはじめとした山々が、深山幽谷たる大質量の山嶺へと再形成されていく。
「……おぬしが驪山老母、巫枝祁聖母、通天大聖、要要三郎……。我れが鉄頭銅背の《鋼》と化し肉親を失ったことを
美猴王の舞台で披露される演目は──旧き魔王どもの跳梁跋扈。
陀羅尼の言霊が結ばれ、まつろわぬ神招来の儀は成る。
天と地が目ばゆい光におおわれ狂瀾怒濤の祭宴が始まる。旧き七大魔王どもたちが入り乱れる演目・
「言霊の剣よ、輝く勝利にて
史上最悪の焦燥感が護堂を吠えさせた。散開していた『剣』を集合させ、とぐろを巻くムカデとする。今打てる最硬の一手……だが、欠片も防御できると思えない!
「まずは小手調べじゃ! ──駆神大聖・禺狨王! 短兵白打こそ貴様ら神殺しには一番有効と知れい!」
美猴王の横に黒い影が出現する。
それも一体ではない。十を超え、百を超え、千を超え、幾万を超え。
護堂はゾッとした。圧倒的な呪力を背景のした遊びのない純粋な数の暴力。
毛むくじゃらの猿の軍団が己の足や拳が砕けようとも構わず、最大の一撃を残して去っていく。
剣が消耗する。
輝きが滲んでいく。
とぐろを巻くムカデの甲殻にヒビが入る。その間から白き槍のような貫手が差し込まれる。鉄槌のごとき殴打がヒビを広げる。
周囲には猿の猛威が終わることなく満ち、逃げ場はない。
「移山大聖・獅駝王」
何度目かの瞠目。峨峨と聳える弩級の深山幽谷の背後……その先に筋骨隆々とした獅子の獣人がいる。豪、と一気呵成に山を押したかと思えば、木々を、湖を押し潰しながら護堂のいる戦場ヶ原の地表へと激突。
っぉおおおおおおおおおおおお!?
護堂の苦渋に満ちた咆哮すら圧壊し、土砂の中で錐揉み回転。鎧を着ていても外圧からは逃げられない、砕けた骨がさらに粉砕されていく。
「まだまだ二手目じゃぞ!? 新しき現界の魔王よ、我ら七大聖の稜威、受け切ってみせい! 覆海大聖・蛟魔王!」
獅子の獣人と入れ替わり、今度は蛇の魔人。
いくつかの印を切れば、瞬きのあとには天を擦るほど巨大津波。
濠、濠、濠。山嶺よりも倍する質量が猛り狂って一心不乱に魔王へと。大口を開けた蛇さながらの全てを呑み込む洪水が、未だ痛みから抜け出せない護堂を濁流の渦へと封じる。
土砂と水中。息継ぎする間もなく繰り出される暴威が、塞がったはずの戦傷を開き出血を強いる。内臓がいくつもお陀仏になる。
息が! 痛みよりも空気を渇望してもがくとそれを手玉に取るように美猴王は叫んだ。
「空気が欲しかろう。ならばくれてやる! 通風大聖・獼猴王!」
ぎゅるぎゅると大気が結晶化し顕現したのは、美猴王と同族と思わしき狒々じみた猿人。猿人はそのまま呻吟する護堂のもとへ一直線に降下。
第一宇宙速度を超え、第二宇宙速度へと至ると護堂へと衝突。爆風が世を満たす。強風に煽られる水面のごとく海がトランポリンさながらに波打ち、世界が軋む。
全ての形あるものが崩れていく中、その中心部で黄金だけが形を保っていた。
「くぁ──ーはは! よくここまで耐えたものじゃ。ではそろそろ本気と行こうかの! 混天大聖・鵬魔王!」
猿人の後に現れたのは金色の鳥人。
邪気の一切ない光の化身が翼を広げた。
きゅっ。
『──────────』
目と耳が潰れた。
純粋で、尋常ではない光子の波動。濃密な電磁波が可視光線も、紫外線も、x線の枠組みも貫きガンマ線バースト。
常軌を逸した白き極光が、それまで生み出された山も海も風も粒子として滅ぼす。それは頑強な魔王であっても。
「ぁぁあぁあああああああああああああああ゛ああ゛ああぁあぁぁあァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
肌が焼ける。カンピオーネの抵抗力もものとせず滴り落ちた血液を煙と変え、肉を焼け爛らさせる。剥き出しの骨の数々が、黒々と焦げて燻されていく。
「平天大聖・牛魔王ぉおぉおおお!!!」
満々たる夜空が、動いた。
いや、違う。夜空にも等しい巨躯の黒き午頭の魔王が、下界を睥睨しているのだ。その威容は八百万の神々も及ばない抜きん出た異形の大魔王。
牛魔王が拳を振り下ろした。
大気の鳴動。滅びすら予感させる衝撃。圧倒的な熱。その後に天高く立ち上る象徴的な雲さながらの爆煙。
ありえない質量移動が物質の原子核にすら異常を強要させる。
核分裂か、核融合か。大魔神の拳が核爆を引き起こす。
それを──百。
雪崩討つ暴虐の拳撃が、星を苦しめる。
……後に残ったのは、無。
寒々しいまでの静寂が落ちる。月がいやに輝く夜のもと、護堂は数瞬意識を飛ばしていた。
戦場ヶ原で野ざらしになった戦死体のごとく身も世もなく転がった護堂は呻くこともできず浅い呼吸を繰り返していた。
痛覚はいつの間にか感じなくなった。痛覚の消失どころか五感すら曖昧。生気の薄弱になった護堂は戦いどころではない。
そのはずだ。そのはずなのに。
美猴王が叫ぶ。
「フゥーっ、フゥーッ!! ……どうした草薙のォ! 草薙護堂ォ! なぜそんなところで無様を晒しておるか!?」
(くそっ、無茶言うなよ……。もうあんたの馬鹿みたいな攻撃でこっちは指先一本動かせないんだ。勘弁してくれ……)
「なぜ立たぬ!? 立てぃ、立ってみせいッ!」
(…………)
「五指を動かせい! 拳を握れ! 腰を落とし、地を踏まんか! 意志を高ぶらせ、智慧を絞れぇ! おぬしは我を倒し、この国を守護する王となる者であろうが! 悪神の一柱や二柱、倒してみせぃぃぃ!!!」
五感もなくなった護堂に、『戦士』が美猴王・孫悟空の胸中を心に伝達してくる。
──痛烈に。
──峻烈に。
(分かって……いるさ……ッ。すまん、許してくれ。あんたの強さに参ってたんだ、膝を付くくらいするさ)
身体がぐちゃぐちゃだ。だがそれがどうした。カンピオーネの飽くなき闘志と反骨心が不可能の壁を登攀して見せると燃え上がる。
(でももう無様は晒さない!)
情けない砕けた骨の代わりに強靭な意思でもって骨子として、四肢に力を込める。白濁として濁った視界、けれど獣の猛々しさだけは失わない。
護堂は理解していた。
この戦いはただのまつろわぬ神と神殺しの魔王の争いではない。あるいは浜離宮恩賜庭園での最初の戦いの時から自覚していたかもしれない。
孫悟空という神格と干戈を交えるほどその思いは強くなっていく。
──まつろわぬ斉天大聖・孫悟空は日本の守護神だ。
好悪は別として、本人が強要されたものであってしても。その行いこそ真理。一種のプラグマティズム的な行動の結果には敬意を払わなければならない。
護堂は鹿島神宮で誓ったはずだった。鹿島立ちともに護国守護を。
そして弼馬温に封じられた守護神は、その役目の終わりを悟ったように護堂の前に現れた。
護堂と孫悟空の戦いはただの殺し合いではない。いわば現任者から候補者へと役目を渡すための継承戦に等しい。
それが弼馬温に封じられた神としての仮面を嵌めた孫悟空。護国を誓詞したカンピオーネ草薙護堂。
二者の間で言葉もなく達した結論。
「これにて我が大法の締めとしよう──斉天大聖・美猴王」
煌々と輝く月が消えた。
天に張り付いていたはずの月が戦場ヶ原の地表に叩きつけられ、蠢く。
護堂は喉を鳴らした。
月と思っていた物は月ではない。
金属でありながら流体。隠秘術、錬金術、煉丹術……古今東西、あらゆる外法や不老不死の妙薬のために槍玉にあげられたいわく付きの物質。
中華にて不老不死の妙薬とされながら幾人もの皇帝を殺害せしめた猛毒。化粧として肌に乗り込み幾人もの貴顕の令嬢婦人たちを殺めた隠毒。
名を、水銀。
「我はただの闘神でもなければ芝居する猿でもない。親兄弟を捨て、肉の身体を捨てた。己が身体を鉄へと鍛えた我は煉丹術の神でもある……」
煉丹術すなわち錬金術の神でもある孫悟空は十全にその権能を発揮した。まつろわぬ大鯰から奪いに奪った蛇の神力が水銀に形を与える。月色の鱗が実体と質感を備えていく。
流体の金属がやがて生命を得た。
角は鹿に似、頭は駱駝に似、眼は鬼に似、うなじは蛇に似、腹は蜃に似、鱗は魚に似、爪は鷹に似、掌は虎に似、耳は牛に似る。
龍に九似あり。
「
──GOAAAAAAAA!!!
ゆえにこの怪物は、
五行において猿と龍蛇は水に配置される。されど龍はキマイラの一種ゆえに馬としての仮面もはめる。
故に火の側面も合わせ持つ。
厩猿信仰という概念があるように猿は馬の守護神。水のエレメントにて旺火の馬を制御する。
白銀の鱗で満ちたる背に乗り込み、騎馬民族の血を引く《鋼》の混淆神はついに疾駆した。
水銀の龍と金鋼の猿。
荒ぶる意馬心猿が猛然と護堂を打ち倒さんと大地を駆ける。
護堂は思わず激賞しそうになった。
己に流れる戦士の血がそうさせるのか。もしかすると精神性が共感しているのか。
白銀と黄金の円環をなす一撃に感嘆を禁じ得ない。ともすれば己が命を狩り取る刃にも等しいのに。
そこには至高の美があった。
「──やるぞ」
だからこそ護堂もまた応じる。
全身粉砕骨折。走りたくても走れないこの窮状。だが護堂は臆さない。
動けないのなら、それでいい。絶体絶命のピンチからでも勝機を見出すのがカンピオーネ!
浜離宮恩賜庭園の戦い以来、『
代わりに蔵するのは太陽。ウルスラグナ第三の化身たる『白馬』の象徴。
以前も行使した民衆を苦しめる大罪人にのみ使える化身。草薙護堂の最大火力。
二郎真君に化けていた時は使えなかったが、今は天を脅かした猿の王。使えないはずがない!
「我が元に来れ、勝利のために。不死の太陽よ、輝ける駿馬を遣わし給え。駿足にして霊妙なる馬よ、汝の主たる光輪を疾く運べ!」
化身を解き放つための言霊を唱える。
だが『戦士』をやめるわけではない。『戦士』もまた隠された盗人の洞窟へと貯蓄する。
蟲どもが喰らい合う蠱毒か、煮られた鍋か、あるいは融解する鍛冶炉か。
ふたつの化身をひとつに──。
「輝ける太陽の主ミスラよ、讃えらるべき者よ! 全ての敵を征服せんがため、最強なる我に千の光と千の剣をあたえ給え!」
『白馬✕戦士』
痛い。痛い。痛い。脳が割れるほど痛い! 焼きごてを頭皮も頭蓋も無視して差し込まれたように激痛が脳内で弾ける。
だがやめない。やめてなるものか。
孫悟空はこの
美猴王が《鋼》にて煉丹術を使うならば、護堂は呪にて錬金術を使う。
『白馬』は当然、馬を象徴する。ウルスラグナもまた《鋼》であるがゆえに騎馬民族の血脈を引く。
創造されるのは黄金の装飾で全身を覆われた悍馬さながらの大百足。無限に円環をえがくウロボロスのごとく戦場ヶ原の地表で鎌首をもたげて蠢く。
その頭部で護堂は黄金の外殻に包まれながら白銀と金色のコンビを睨み据えていた。孫悟空が人馬一体とするならば大百足と合体とすれば砕けた身体も関係はない。
傲然と胸を反らして、まつろわぬ孫悟空を迎え打つ。
「草薙護堂ォォォ!!!!」
「聞こえているさ! 孫悟空!!!」
月光──白銀の大龍蛇。
日光──黄金の大百足。
戦場ヶ原神戦譚に記されるがごとく、対峙するは異形の神々。
神々は地上へと顕現し、神話もまたの再現される。この度、披露されるは戦場ヶ原の伝説。大蛇と大百足の神話!
「「オオオオオオオオオオオオォォォ──ッッッ!!」」
戦術も戦略もへったくれもない喚声をあげて突っ込む吶喊攻撃。
しかし神と魔王の魂を込めた究極はもはや容易く常識を凌駕する。いとも簡単に第三宇宙速度まで達した二つのメテオストライクはついに激突を演じる。
空間がぶつかり合い、反発し合い、無数の波紋が生まれ世界が崩れていく。
大龍蛇と大百足の全面衝突は均衡を保ちながらも、じわりじわりと天秤が傾いていく。護堂が呪力を焚べるが、それでも差は縮まらない。
それどころか差は広がる一方。歴然たる呪力量が次第に護堂たちを土俵際まで押し込んでいく。
『護堂さん! 正面からではかの猿王は倒せません……かの王と繋がる糸を狙うのです!』
巫女の託宣。
凛然とした声が胸裡に響き、焦燥感に囚われていた護堂はハッとした。視界の隅に、一本の細長い糸が見える。
これは龍蛇と猿の絆。意馬心猿を実現する呪力の繋がりを、祐理の霊感にて視認する。
判断は一瞬。
「我は最強にして、全ての勝利を掴む者なり!」
刹那、大百足の口を砲として『白馬』の太陽光線と『戦士』の光球──レーザー砲を発射。一条の光線が大気を焼き焦がしながら水銀の龍の頭部と肩を消し飛ばしながら、彼らを繋ぐ糸も吹き飛ばした。
「ぬおっ!? なんちゅうデタラメか!」
美猴王が顔色を変えて龍の手綱を操るが、時すでに遅し。手網の先には焼け焦げ、千切れた跡しか残っていない。
その動揺はせめぎ合いの最中には、致命的な隙。
「オオオオオオオオォォォ──ッ!」
──GYAAAAAAAA!!!!
けたたましい猿の絶叫が木霊する。護堂の咆哮とともに東方の曙光を背負いて無数のお足でまつろわぬ美猴王を踏み砕く!
赤熱する劫炎が終わりなく降り注ぎ、足の形をした『剣』の刃はもはやギロチン。
千孔と万創をまたたく間に鉄の身体に刻みつける。美猴王としての仮面すら完膚なきまでに破壊した。
その確信はある。
だけど。
ためだ。倒しきれなかった。
「ぐ……!」
護堂は厳しい視線で猿猴の魔神を追った。黄金の大百足はすでに雲散霧消し、影も形もない。そして膨大な呪力で猛威を振るう孫悟空へ対抗を強いられ、呪力は枯渇している。
異常な治癒力を持つカンピオーネの肉体が悲鳴を上げ、骨折や裂傷の治りもままならない。指先の一本だって動かすのは億劫だ。
正直、もう限界だった。
一日と経たずに孫悟空と三度争い、辿り着いたこの果て。死にかける所か蘇りすら駆使しつつ食らいついた最強の混淆神との争い。
戦場ヶ原は荒れ果て、もはや荒野。
行き着くところまで来たはずなのに戦いはまだ終わらない。
やれるのか? まだ戦えるのか? 俺の手札で、かの孫悟空を倒せるのか!?
「ま、まだじゃ……! ハァハァ、まだ付き合って貰うぞ草薙の……!!!」
目は血走り口から漏れ出る血は際限なく零れる。あまたの神性を象った仮面はそのほとんどが砕かれた。これほどの苦戦や逆境、神話の世でも記憶にない。
だからこそ神猴は膝をつくことを良しとしなかった。
猿王も限界。
頼れるのは潤沢な呪力。だがそれがなんになる。限界のひとつや二つ、軽快に飛び越えてくるカンピオーネが相手なのだ。
「筋斗雲よ!」
水銀の龍を打ち捨てて、神殺しから奪われていた相棒を足元に呼ぶ。軽快な動作で雲へと飛び乗り、ふたたび突撃体勢に移行し──
──そしてまつろわぬ猿猴神君は……。
……まつろわぬ猿猴神君は…………?
──はて。我は誰だったかのう?
まるで痴呆症になったかのように猿神は己を見失った。魔王の放つ奇っ怪なる『剣』……あれはいかに複雑怪奇なる猿神の幹や連枝すらも切り倒してしまう鋭さがあった。
ゆえに彼は自失した。
……いや、もとよりそうだったにかもしれない。
無数に被った我が仮面。もはや真なる己などとうに見失った。
だが。
猿神は本質を忘れていない。
心の奥底から溢れて溢れて仕方のない汚濁のごとき感情が……一枚の仮面となって猿神の前に出現した。
そうか、我は……。
その仮面を前に孫悟空と呼ばれた神は躊躇した。この仮面を取れば、己は己ではいられなくなる。ひとつの感情を叫ぶだけの、つまらない神に立ち戻ってしまう。
しばし瞑目し沈思黙考した彼は……やがて目を開いた。
おもむろに仮面に触れる。
よかろう。今宵の我はこれを選ぼう。
征服神でもなく。妖怪の王でもなく。戯曲神でもなく。闘勝戦仏でもなく。神仙でもなく。煉丹術の怪物でもなく。大悪党でもなく。聖者に供する獣でもなく。
ここまで奥深く付き合ってくれた戦士への礼として。
数多に並べられた内なる仮面のひとつ。掴み取り──深く、深く、目深に被った。
最後に被ったのは……おどけた猿の仮面。
劫、劫。
まつろわぬ猿猴神君がそれまで蓄えていた呪力が……変容していく。
呪力は、西洋でいえば魔力とも呼ばれる有り体にいえば無加工状態の万能の力。
何にでも変わる千変万化の力だ。
猿猴の王が己の心臓すら捧げ、日本中の霊地からかき集めた膨大な呪力が……猿猴神君のひとつの感情によって染め上げられていく。
「────」
猿面の戦士が戦場ヶ原の草原をひたすら疾駆する。筋斗雲に乗り、如意棒を携えながら。
速度はない。それどころか傑出したものなんて何一つない。戯曲神としての美麗さもない。妖王としての恐ろしさもない。征服神としての勇壮さもない。
まるで猿が騎馬武者の突撃を猿真似するような、滑稽さすらあった。
韜晦なのか? 諧謔なのか? 語りなのか?
護堂は訝しみ──やがて『戦士』の言葉で俯いた。
今、目の前にいるのは……まつろわぬ猿猴神君。
ただ疾駆する滑稽劇のような疾走を目に写す。全てを理解した護堂は黙ってその様を目に焼き付けた。
(くそっ、なんで……っ!)
震えた。
「……それが……あんたの……」
護堂は気づけば空を仰いでいた。
神の、あまりにも痛々しい姿に耐えきれずに。頬に雨粒が弾けて、つるりと落ちていく。
「
護堂は滑稽すぎる一騎駆けを前に、気づけば涙を零していた。溢れて。溢れて。拭っても拭っても後から流れて来る。
──呪われよ……。
聞こえてくる。
まつろわぬ猿猴神君の心が聞こえてくる。
仮面で覆い隠した本音が、護堂にだけ吐露するように。ささやかに。
なぜ彼が最期の最後であの仮面を選んだのか……護堂は理解してしまった。
孫悟空の、いや、猿猴神君の心の裡を聞くのは初めてじゃない。
……ずっと聞こえていたんだ。
『戦士』の相手の心を読み取る能力がずっとまつろわぬ猿猴神君の素面の心を伝えていた。だから護堂は化身を変えられなかった。
──呪われよ……呪われよ……。
怨嗟が聞こえる。
己の封じこめ感謝もなく安穏とした日々を享受する……
殺意と。
憤怒と。
哀絶と。
……憎悪と。
様々に混淆したすべての負の感情が渾然一体となり、蠱毒の激情を募らせていく。
ありえないはずだ。なぜなら。
──
この徹底的な絶対法則が破れるのはまつろわぬ神が衰弱してこそ起きる。あるいはメリッサや百合若のごとく。
猿猴神君もそうなのだ。
彼は名を奪われ、力を封じられ、万里を駆け抜けるはずの自由闊達さは日光東照宮という世界の片隅に軛され身動き取れなかった。
封じられてより彼は人をずっと視界に収めていた。
呪っていることこそ、その証左。だって。呪うには誰かを認識し、強烈な負の感情を差し向けねば始まらない。
「まつろわぬ猿猴神君……。俺は……あんたに共感する……」
まつろわぬ神への哀絶が護堂に涙を流させる。健闘し、称え合った戦士のみに零す本音の吐露。
そして護堂もまた、ずっと抱えて隠していた本音をこぼした。
「猿猴神君……あなたは──俺だ…………」
ほろ苦い顔で静かに告げた。
「…………俺、なんだよ……」
『おかえり護堂。……その、エリカさんは一緒じゃないの?』
ニライカナイ島から戻った護堂を打ちのめしたのは幼なじみの明日香からの言葉だった。裏の世界なんて何も知らない……まるで友達を案じるかのような言葉が護堂には何よりも辛かった。エリカをみすみす手のひらから零れ落としてしまった護堂には何よりも。
だから護堂は逃げた。
エリカを知る徳永明日香から逃げた。
家は近所で顔を鉢合わせる実家から逃げて七雄神社へと転がりこんだ。
メリッサと百合若の庇護なんて都合が良かったからだ。義侠心なんて嘘っぱちだ。根津の実家から少しでも離れられるなら渡りに舟だった。
『…………』
祐理は静かに護堂から伝わる憎しみの意思をその身に刻みつけた。
護堂は以前吐いた言葉を思い出す。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だって?
──ふざけるな!!!
飲み込んだ覚えなんて一度もない。今だって喉元で焼け付くような後悔と自責が牙のように突き刺さって離れない……ッ!
思い出したことだって一度もない。だって忘れたことなんて……一度もない。
エリカを失ったあの日の事を忘れるはずがない──ッ!!
まつろわぬ猿猴神君の憎悪に呼応して、理性で留めていた怒気が弾け飛ぶ。奥歯が砕け、拳から流血が溢れる。
己の弱さで起因する喪失。
だけど護堂もまた怨嗟を吠えた。この国の庇護すべき民衆たちへ。
──なぜあの日、エリカが供犠されなければいけなかった!
──なぜあの日、あの時お前たちはエリカを助けなかった!
──なぜあの日、神の恐ろしさに女の子一人助けられない奴らを俺が護らなきゃいけない!?
──なぜ、いけしゃあしゃあと慈悲と庇護を乞う奴らのためにッ!?
自分が不在でアレクサンドル・ガスコインが跳梁する間、主を探すエリカに誰一人だって手を差し伸べるものはいなかった。一握の情けすらかけてくれなかった。
逆にアレクへと擦り寄るものが山のように居た。
そいつらが今は俺にゴマすり庇護を乞う。
苛立ち、嫌悪が止まらない。いかにカンピオーネの懐をもってしても許せない。
お前たちこそ
草薙護堂の丹田の奥底で、抑え込み、降り積もって、煮立った憎悪、激憤、慨嘆……。
そして最後に残った感情が護堂を動かした。
まつろわぬ猿猴神君は、例え強要された役目だとしても民衆を守護し続けた尊崇すべき神だったはずだ。
けれど彼は今、悪神として討伐されようとしている。
そんなの納得できるわけないだろう。
義侠心が草薙護堂を動かした。
静かに不義を問いただす言霊を投げかける。
「言霊よ、彼らのもとに降り給え……。勝利のために、義を貫くべきことのために──」
『戦士』
猿猴神君の意思を自分のなかに流入させる。そして矢継ぎ早に化身を重ね合わせる。
「言霊の技を以て不義なる者、邪なる者を征す。これ勝利の天則なり……」
『山羊』
精神感応力で人々の夢に分け入り、煽動し。彼ら群衆の意志を力ずくで束ねる。
世を変異させた犯人を教え、煽るのでもなく。憎き大敵を討ち取るためでもなく。
意思を……。
猿猴神君の怨嗟を民衆へと流出させる。
「祐理、俺に付き合ってくれるか」
『はい。すでに我が身はあなたの思いのまま。我が心はあなたの膝下にあります……義なる勇士より。この言霊を子のため父のため。──同胞へと伝えるために』
『少年』
流出させる範囲を拡大していく。それは街から山を超えて、河川を飛び越え、平野へと広がりやがて海にまで達した。
『山羊』の精神感応の触手はもはや日本列島を縦断し、世を覆わんばかりに極まった。莫大な思考や感情を護堂は決して制御することなく、ただありのままの神の御心を落とす。
恐怖。拒絶。悔恨。陳謝。民衆に見せた悪夢の無数の声が触手に伝わる。
護堂を中継地とした『山羊』の精神感応は、まつろわぬ猿猴神君から民衆へだけではなくその逆も伝えあった。
6:名無しの権兵衛
なんなんだこの声……怖ぇよ……
7:名無しの権兵衛
いやっいやっ頭の中に入ってこないで! 叫ばないで!
9:名無しの権兵衛
悪魔だ……
10:名無しの権兵衛
ごめんなさいごめんなさい
11:名無しの権兵衛
なんでこんなのに頼ってたんだ!
憎しみに憎しみで返すものたち。払うべき代価を無視して足蹴にするものたちへ怒りを覚え、まつろわぬ猿猴神君が威勢を強める。
護堂もまた同心した。
あんたは俺なんだ。でも……。
猿猴神君の走りが、揺らいだ。
状況が理解できない民衆たち。
それでも億のなかに千は……いや、もっと少ないかもしれないけど。
でも正の感情も確かにあったのだ。
12:名無しの権兵衛
ごめん。でもありがとな神様
13:名無しの権兵衛
分かんないけどあなたは立派だったと思う
14:名無しの権兵衛
俺のじいちゃんって多分神様に助けられたんだな
簡素で曖昧な感情たち。人を認識し呪う神様はだからこそその感謝を無視できない。
そして。
『弼馬温』の守護をになってきた九法塚の若き頭目、九法塚幹彦が深々と頭を下げて礼を述べた。
「猿猴神君さま。人界を護るために行った我が血族の蛮行。憎しみ給え。蔑み給え。我らを赦すこと能わず。ゆえにどうぞ──お休みくださいませ」
『官』『民』もない日本中の呪術師たちが揃って頭を垂れ、猿猴神君への感謝を奏上した。
『…………ぬぅぅ……!』
迷いの生まれた猿猴神君から圧力が減少していく。神は自尊心や妄執にてその強さを増減させる。その理論が本当なら……今の猿猴神君は。
明らかに弱体化したはずの神。それなのに護堂は喜べなかった。まるで役目を終えた者を見送る時の、羨望すらあった。
それでも。
猿猴神君はまつろわぬ神。
「──全ての悪しき者よ、我が力を畏れよ。今こそ我は、十の山の強さを、百の大河の強さを、千の駱駝の強さを得ん」
『駱駝』
ついに最後の化身を起動させる。それだけでなく、全てを同時行使を無理やり断行する。
『戦士×山羊×少年×駱駝』
粉砕骨折してどこに向いてるか意味不明な両足に、黄金のすね当てを展開し、無理やり直立する。砕けた骨を金色の呪力で接着する。
ぐらつく足を地面に深々と埋め、大地に突立つ鉄剣さながらに直立する。
右足は天へ。左足は地へ。天上天下。
轟轟轟!
《盟約の大法》と『弼馬温』の呪力。それすらも軽く凌駕する人々の呪力エネルギーが遠大にして強大なる雷轟を誕生させた。
『白馬』ですら見劣りする魔滅の光。
右足を夜の天空で烈しい雷光を放ち、エネルギーを滞留させる雷雲へと掲げる。意志を流し、天下る。
弩級の轟音が怒れる神の意志のごとく地を鳴動させ、すべての稲妻は護堂の掲げた右足へと集約された。
人の意志を束ねた『山羊』の呪術センス。足先に集約した莫大な電気エネルギーを束ねられないはずがない!
黄金のすね当てが金色に眩く輝き、その金糸さながらの装飾が腹部まで伸びる。弾ける雷光と赤熱する脚。
最大級の一撃を叩き込む準備が完了した。
カンピオーネ草薙護堂を生んだ遠因には、きっと『弼馬温』に呪縛された孫悟空があったはずだ。
東京で暴れた地竜──まつろわぬ大鯰を孫悟空が討伐しなければ。いや、それ以前にも二度も地母に連なる神を討伐している。
彼が守護し、繋いできた線が草薙護堂という王を生み出した。
ならばその集大成を見せつけねばならない。
邪智暴虐なるまつろわぬ神としてではなく、護国守護を成し遂げた軍神として。
あるべき場所へ送り届けねば。
「我は一撃の打撃によって百を! 一によって千を! 一によって万を撃ち砕く!」
「──勝利の聖印なり!」
「そうか」
戦場ヶ原で横たわった護堂と孫悟空。稲光りする神すら破砕させる凶悪な蹴りは、ついに斉天大聖・孫悟空の命を刈り取った。
受けた傷は甚大。下半身が吹き飛んだはずの孫悟空は地面に転がりながら痛みも訴えず、ぽつりとこぼした。
「我はもうやり終えておったのだなぁ。我はもう牢獄にはおらなんだ。草薙の……おぬしが王となったその瞬間に。ふくく……行き着く先はおぬしであった……そう思えば只の猿としての怠惰な暮らしも悪くはなかったか……」
孫悟空の穏やかな言葉。
これまでの烈しい彼ならば絶対に口にしなかった剽げた口調に、なぜか淋しさを感じた。
まるで人に仇なすまつろわぬ神という悪役の衣装を脱いで、観客にシュプレヒコールを贈られる俳優のように晴れやかな真なる神の顔。
「礼を贈るとしよう。草薙護堂。我が倦怠と惰性の日々はこの半日にも見たぬ猛々しき時間で満たして余りあるものがあった」
──解。
孫悟空が印を切った。
途端、黄塵のまう空間が消え去り猿だった人々が元の姿へ帰っていく。
「これはその褒美よ。我が創り上げた空間は消滅し、乗っ取る以前の世に戻るであろうよ」
「……もう、行くのか?」
「うむ、時間じゃの」
孫悟空は何かを思い出したように虚空を見上げた。
「ああ、そういえば……封じられた我の前に現れた白面の神がおった……。あれは少女のなりをしておった。そなたの縁者であろう」
「……。ああ」
「あれはまだ助けられよう。その余地はまだあると見た」
「……そうか」
「ならば我から簒奪する権能、使いこなして見せぃ……急げよ。所詮、人の躯体など脆いもの……長くは持たぬ……」
「…………」
まつろわぬ孫悟空は立ち上がり、一回転してとんぼ返りを披露つかまつる。
「──是にて御免!」
まるで演目の最後に見栄を切る演者のごとく。闊達に言い放った瞬間。
まつろわぬ神は色を失い、塵となった。肩に重石が増えた感覚。
偉大なる神は滅びたのだ。
祭りの終わった後の物悲しさを胸に遺しながら、神と魔王の闘いは終幕を迎えた。
2章終わりです。お付き合い頂きありがとうございました。
上手く書けずに忸怩たる思いがあります。
次章で最後です。
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