「艦これ」いつかあの海で×ドリフトスピリッツ 第二幕 2024 -いつかあの頂で- 作:カービィ改二
アメリカに行くまでの幕間です。
艦これ12周年に何とか間に合いました(笑)
時雨の前に立ちはだかる影、そして迫る「怪獣」たち。
BGMもそれに乗じたものになっています。
―――奈美子の父親「相楽ヒュウガ」は、東京・首都高を席巻した後、アメリカ・ニューヨークへと渡航していた。
あまりにも遠いと諦めかけていた2人に、龍崎グループの社長トシゾウ、現「ライジング・サン」の所有者エニシ、更には北関東の強豪チームの連合「御伽走子」のリーダーたち…四傑の合計6人が力を貸すことになる。
残り2カ月近くという時間的制約の中、時雨と奈美子はアメリカ渡航の準備を整えるのだった。
だが、そんな中でも時雨は大幅な状況変化の前に一人困惑し躊躇、動揺していた…。
これは、渡米までの2週間の間に起こった出来事である。
―――ライジング・サンとのバトルから5日が経った。
時雨と奈美子は雇い主であるハルカに状況を説明し、2ヶ月間の休職を依頼。
奈美子の父親がニューヨークに何をしに行ったのかを知る…そんな目的を話したが、同時に武者修行であることも伝えた。
首都高で名を上げていることを聞いていたハルカは、それを快く送り出してはくれた。
勿論、期限付きで必ず帰ることも伝えたのだが…時雨は5日たった今でもどこか乗り気ではなかった。
というのも当然と言えば当然である。
元々は首都高で武者修行をするだけだったのだが、それがまさかのアメリカ・ニューヨーク行き。
あまりの想像の変化の事を考えると、時雨としてはかなりの不安を抱くのは無理もなかった。
「(先生たちにも無理を言ってアメリカ行きを許してもらったけど…本当に大丈夫なのかな…)」
時雨と奈美子は今回の事情を、レーシングチーム首脳陣のDr.ソウイチと神風のトオルに相談はしていた。
2人はその事情に驚くことしかできなかった。
東京で武者修行をしているという話は聞いていたが、そこからまさかのアメリカ行き。
トオルは「マジかよ」と驚いていた。
ソウイチも「まあ、いいだろう」とは答えてくれた。
だが時雨にとってはあまりにも不安がありすぎた。
そしてそれは同時に、「武者修行も目的とは言え、ニューヨークにまで行く必要があるのか?」という疑問にもなっていた。
だが多くの人間が自分たちを支援してくれる以上、もうニューヨークには行くしかない。
それでもやっぱり2ヶ月で戻ってこれるのかが不安なのである。
仮に最初に出場する予定のレースに欠場するとしたら、それこそ周囲の期待を裏切ってしまうことにもなりかねない。
相棒の勝手な振舞いとはいえ、自分もついて行ってしまう以上連帯責任だ。
そう思うと時雨にとってはウジウジ考えるのは当然と言えば当然だった。
奈美子は自分の代わりに必死になって頭を下げてくれた。
まあ彼女の父親が何をしに行ったのかを知りに行くためなのだから、彼女が頭を下げるのは当然と言えば当然なのだが…
「(先生たちに迷惑をかけたくもないけど、ニューヨークにも興味はある…金銭面は何とかなると思うけど、本当に…いいのかな…)」
時雨が一番気にしていたのは時間的制約だった。
残り2カ月弱で自分はレーサーとしてデビューすることが決まっていた。
もしその期間内に帰ってくることが出来なかった場合、チームには迷惑をかけてしまうことだろう。
何せチームの首脳陣は、「ドリフト競技部分」に関してはソウイチとトオルの2人でなんとかなる。
だが、それ以外…ラリーやゼロヨン、サーキットレースといった別の競技には別の首脳陣がいるので、許可を通さなくてはならない。
一応雪風との再会から4か月間、それこそ残りの2ヶ月は自由にさせてくれてはいるが、それ以降はいくら下位クラスとはいえサーキットレースなどにも参加する可能性が非常に高いため…もし箱根にいないとなれば、それこそ損失を生みかねない。
それくらいなまでに自分たちが期待されているのは時雨でも把握している。
そしてそうである以上、時雨にとってはプレッシャーが重くのしかかるのも無理のない話なのであった。
「(頭がこんがらがりそうになる…)」
だがそれ以上に大変だったのは英語の習得の取得である。
国際免許自体は神奈川県内の警察署か運転免許センターに申請を出せばあっという間に手に入るからともかく、アメリカという文化の違う言語の違う国に行く以上、英語を学ぶのは必須。
トシゾウの紹介により英会話の集中レッスンに参加こそしているが…これがとんでもなく大変だった。
何せ元々時雨がいた時代では英語を学ぶ機会はほとんど無かったのである。
幸いにも彼女自身の順応性の高さから英会話自体は身についていくのだが…
それでも時雨にとっては疲労困憊となるのも無理もない話ではあった。
おまけにアメリカではこの国と違って右側通行。
いくらニューヨーク以外に目的地は特にないとはいえ、市内を走る場合でも免許は必須なのである。
「(英会話も大変だし、準備もいろいろしないといけない。でも仕事もサボるなんて許されない…)」
英会話、準備に加えて時雨は仕事も忘れていなかった。
整備士業の仕事であるが、それを疎かにすることは全くもってなかったのである。
だが同時にそれは、時雨に対してとんでもない負担を与えることにもなった。
下手な人間であれば過労で倒れてもおかしくはないだろう。
そうである以上最悪整備士業は休んでもいいと思われる。
だが時雨にとっては世話になっている人間の下で働いている以上、下手に休むことは時雨自身のプライドが許さなかったのである。
「(こんな身勝手を、みんな許してくれるのかな)」
結果的に時雨の生活がどうなってしまうかというと…
朝は整備士業、昼間はアメリカ行きの手続きや準備、夜にかけて英会話、そして時には峠でバトル。
そんな過密スケジュールの四重生活となるのは無理もない話ではあった。
そしてそれが段々と時雨の精神を追い詰め、憔悴させる大きな要因ともなりかねなかった。
異文化生活への不安、減っていく時間、戻って来る保証のなさ、周囲からの期待。
それらのマイナス要素が時雨の精神を蝕むのは当然と言えば当然だった。
だがそんな時雨に、新たなる影が迫る…
―――翌日、夜。
カーファクトリー・ピット。
「(やっと帰ってこれた…)」
この日も、時雨は朝は仕事をこなした後、昼は手続きや準備、夜は英会話に通っていた。
食事は食べたとはいえ、時刻はすでに22時半。それ相応に疲労がたまっていた。
何とかワンエイティを運転し、「ピット」のガレージに車を入れる。
バックでガレージに入れ、エンジンを切った。
「(今日はもう寝てしまった方がいいのかな…)」
エンジンを切り、ワンエイティから降りた時雨。
すると、エンジン音を聞いたのか住居スペースの方からハルカが飛んでくるかのようにやってきた。
「し、時雨さん!大変です!」
疲れが出ていた時雨だったが、ハルカはそれ以上に慌てていた。
どうやらただ事ではないようだ。
「ハルカさん…?どうしたの?」
「こんな封筒が、時雨さんに!」
そう言ってハルカが右手に持っていたのは、1枚の封筒だった。
そして封筒の表面には…大きく「挑戦状」の文字が書いてあるのだった。
「これは…挑戦状!?」
「は、はい!」
「見せて…」
もらった封筒の封を破き、中身の手紙を確認する時雨。
そこには非常に単純に、こう書かれていた。
「本日23:00、柄ノ浦かもめラインに1人で来い……?」
文字通りの時雨への挑戦状だった。
こういう手紙形式での挑戦状は今までにも経験があったので珍しいものではない。
しかしながら久々と言えば久々だった。
「差出人は?」
「ええっと…」
ハルカが気になったことを口にした。
挑戦状である以上挑戦者がわからなくては何とも言えない。
すると、手紙の左端にある文字が書かれていた。
それは時雨にとって驚愕させるのには十分すぎる4文字だった。
「初代、皇帝……ええっ?」
「こ、皇帝って…ショウさんの事ですか!?」
「た、多分…」
差出人…「初代皇帝」。
皇帝と言えば、自分こと「箱根の時雨」の事でもあるし、先代のドライバーである相楽翔…ショウの事でもあるが…
だが、ショウは言っていたはずだ。
ショウの前に「皇帝」を名乗っていた人物は病気で亡くなった、と。
では、誰か?
ショウの前の皇帝が亡くなっていることを考えると、やはりショウ以外考えられなかった。
「…でも、どうしてだろう?」
「え?」
「こんな回りくどいことをしなくても、僕に会いにくればいいのに…」
そう、ショウは東京在住とはいえ会おうと思えば自分に連絡を取って会いに来れるはずだ。
時雨は普段からガレージで働いているのだから、ガレージにそのままやってくるのも一つだ。
だが、今回はなぜか手紙形式だった。
それによく見ると封筒に切手が貼っていない。
おそらくわざわざ「ピット」に自分の足で出しに来たのだろう。
一体どうして、何のために?
疑問が渦巻いていく。
だがここでハルカがこう口を開いた。
「時雨さん、このバトルは1人で来てくれ、って書いてあります…これ、怪しくないですか?」
「1人で…?どうしてだろう…」
普通バトルとなればサポーターである奈美子が横にいるはずだ。
だがこの手紙には1人で来いと書かれている。
ハルカにとってはこれも怪しさを感じざるを得なかった。
敵の罠なのではないか?
そう思われても仕方のない事ではあった。
だがそれでも、自分は「皇帝」の名を継いだ走り屋だ。
そうである以上どんなドライバーが相手でも、どんな条件でもバトルをしなくてはいけない。
そんな使命感が時雨にはあった。
「僕、行ってくるよ」
「む、無茶しないでください!これってかなり怪しいですし、それに時雨さんは今日も手続きとかで…」
時雨の使命感を察したハルカが、「無茶しないでくれ」と引き留めた。
時雨が普段から忙しい事、今日も疲労困憊で帰ってきたことを察していたのだ。
そしてそうである以上、時雨にとってはあまりにも不利。
そんな条件でバトルするのはあまりにも危険すぎる…そうハルカは察したのだ。
だが時雨はそれに対して「そんなことはわかっている」と言わんばかりの表情でこう言った。
「…ハルカさん、ありがとう。僕も覚悟の上さ。でも、それ以上に僕は…ショウさんから名を継いだ、『皇帝』だから…!」
「時雨さん…」
自分は「皇帝」であり、「箱根の時雨」である。
そしてそうである以上、どんな条件でも、どんなドライバーが相手でも、必ず受け立たなければならない。
そんな使命感に時雨は完全に包まれていたのだった。
「ちょっと、行ってくるね」
「む、無茶しないでくださいね!」
「…ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」
そう言った時雨は、再びワンエイティに乗り込んだ。
そしてそのままイグニッションキーを入れてワンエイティのエンジンを始動させるのだった。
「(出発の前に、目的地だけ決めておこう…)」
時雨は挑戦状に書かれていたコースの名前をカーナビに打ち込んだ。
「柄ノ浦かもめライン」。聞いたことのないコースだ。
カーナビに道路の名前を打ち込むと、例のコースの場所が示された。
「(山から海へかけてのコースなのか…)」
そのコースはおそらく峠だと思われる。
だがコースの片端は山の中、もう片端は海に面していた。
こんなコースがあるのか。
そう思って距離を確認すると、一般道で行くと30分ほど時間がかかることがわかった。
随分と遠いコースだ。
だが言い換えてしまえば、これは相手への殴り込みともとれる。
先日まで首都高に行って武者修行をしていたことを考えると、これも悪くないのかもしれない。
「(…行こう)」
カーナビの目的地を設定した時雨は、ワンエイティをガレージから出庫して目的地へと向かうのだった。
―――30分後。
「(随分と山の中にきてしまった…)」
「柄ノ浦かもめライン」は、峠道からさらに分け入った場所にある…いわば脇道だった。
車2台分が通れる道路ではある。
だが、あることが今までと違うのだった。
「(路面が舗装されてない…?一体どうしてこんな場所に?)」
そう、ダートの砂利道だったのである。
今までのバトルはずっと峠道や首都高。そしてそれらの道路は必ずコンクリートで舗装されていた。
だが今回は全くもって舗装されていない。
砂利道…正確に言えばダート路面だった。
この先に本当に挑戦者がいるのか?もし挑戦者がいるのならば、なぜこんな道に自分を呼び出した?
自分のワンエイティのライト以外に明かりは全くもってない。それくらい真っ暗な道だ。
そしてそうである以上、時雨はワンエイティを30キロ以下でゆっくりと走らせるほかなかった。
するとしばらく砂利道を走ったその時だった。
「あれは…」
ワンエイティのライトが照らしたのは、左端に駐車されている薄い青色のセダンのマシンだ。
日産のロゴがトランクにあり、小さく「CEFIRO」と書かれている。自分のワンエイティと同じ日産車なのは間違えない。
そして間違えなく、自分を呼び出したドライバーが駆るマシンだ。
時雨はワンエイティを減速させ、マシンの後ろに停車した。
サイドブレーキを引き、パーキングにギアを戻したところで時雨はワンエイティから降りた。
「……」
時雨がワンエイティから降りたところで、右ドアからドライバーと思わしきドライバーが降りてきた。
ドライバーはレーシングスーツを着ており、顔もレーシングヘルメットを着けていて何者かが分からない。
手には縦長の紙を持っている。
対峙する2人。
時雨が質問を口にする。
「あなたが…僕を呼び出したのか?」
ヘルメットの人物はコクリと頷いた。
「あなたは、『初代皇帝』なのか?」
時雨は続けて質問を口にした。
するとレーシングヘルメットの人物は、大きな紙を持って時雨に見せた。
「『我が名は初代皇帝』…」
大きな紙には大文字でそう書かれていた。
少し見せた後、その人物は紙をめくった。
そしてそこにはこう書かれていた。
「『私と勝負しろ』…?」
言うまでもない、宣戦布告だった。
ヘルメットの人物は紙をめくった。
そこには「この先の砂浜まで勝負だ」と書かれている。
「(どんな相手であっても、現に『皇帝』の名を継いだ僕が断わるわけにはいかない…)」
そう認識した時雨は、こう口にするのだった。
「わかった…僕と勝負だ」
宣戦布告を受け入れた時雨。
するとその人物は再び紙をめくった。
「勝負はこの先の砂浜の小屋まで。このレースは走行レーンを問わない」
そう紙には書かれていた。
今まで箱根におけるバトルでは、コイントスやじゃんけんなどで左レーン・右レーンを決めていた。
そして今回のバトルもおそらく箱根でのバトルに含まれるのだろう。
だがその人物は今回のバトルは走行レーンを問わないことを明言していた。
どういう意図なのかはわからない。
だが、首都高をずっと走っていた時雨にとってはそちらの方が好都合だったりした。
「…わかった。始めよう」
「初代皇帝」らしき人物の提案に答えた時雨。
その言葉に対し、「初代皇帝」はこくりと頷き…その人物のマシンに乗り込んだ。
それと同時に時雨もワンエイティに乗り込み、相手のマシンと横並びになるようにするのだった。
―――vs謎のドライバー
推奨BGM:HIGHWAY STAR(from 電車でD Shining Stage)
柄ノ浦かもめラインは先にも記載した通り、全面ダート路面。
スタート直後の緩い右カーブから左ロングヘアピン、次の右ロングヘアピンを超えたらしばしのロングストレート。
そしてその先は…まあ、お楽しみとさせていただく。
相手の車は日産・セフィーロ。
ワンエイティとほぼ同時期の日産のセダンだ。
スタート時のポジションは左レーン、セフィーロ。右レーン、ワンエイティ。
草木が生い茂る中、2台は並走状態になるよう停止していた。
「……」
時雨にとっては不安材料があった。
何者かわからない相手に対し、全くもって初めてのコース。
おまけに地面の感覚が全くもってわからない。
どう攻めればいいのか、どう走っていけばいいのか?
時雨にとっては疑問ばかりしかなかった。
「(どんな相手であっても、僕は皇帝だ…そう簡単に負けることは、僕自身が許さない…!)」
時雨にとってはどこか気負う感覚もあった。
伊達に先代の皇帝…ショウから受け継いだその異名。
箱根の時雨として、そして箱根の皇帝として…そう簡単に負けるわけにはいかない。
そう考えると、時雨の心の中には責任感というものが確実に生まれつつあるのだった。
そしてそんな中で、カーナビのスタートシグナルが確実に数を減らしていく。
3
2
1
GO!
「―――!!」
「……」
スタートと共にアクセルを全開に踏み込む時雨。
だが、思うようには加速しない。
地面がダートロードである以上、タイヤが空転気味なのだ。
ほぼノーマルであろうマシンに比べれば圧倒的にパワーでは有利なのだが、それが機能していない。
「(前には出れたけど、マシンが思うように加速しない…!)」
時雨にとってはこれはあまりにも予想外だった。
アクセルを全開で踏み込んだことがかえって罠だったのだ。
過度に与えられたパワーによって、ワンエイティのタイヤが空転してしまっていたのである。
だがそれでも結局相手のマシンはノーマルであろうセダンマシン。
チューニングカーのワンエイティが先行するというのは当然と言えば当然だった。
「(目の前に第1コーナー…左ヘアピンカーブだよね?)」
緩い右高速コーナーの先にライトが照らすのは左ヘアピンコーナー。
かなりの角度だ。だが先行して逃げてしまいたい。
ここは慣れていないコースとはいえ、攻め込んで後ろのセフィーロとの差を広げたい。
そう時雨は認識した。
「(攻め込んで後ろとの差をつける!)」
前方のヘアピンコーナーが確実に迫ってくる。
そんな中で時雨はアクセルオフからブレーキを踏み込む。
そして軽く右に曲げたかと思いきや左に曲げた瞬間だった。
「(なっ…!?)」
軽くハンドルを切っただけではあるが、勢いがついていたためなのかドリフトアングルが異常についてしまっている。
路面がダートということもあり、タイヤがグリップアウトしてしまったのだ。
普段ならドリフトでも問題ない速度だが、ダートという摩擦係数が低い路面でドリフトしてしまったがゆえにタイヤが滑りすぎてしまっているのだった。
ワンエイティは完ぺきに左端の壁の方を向きつつも、ドリフトしていく。
「っ…!!」
急いでハンドルを右に曲げ、カウンターステアによって付けすぎたドリフトアングルを修正する。
おまけにスピンしないようにブレーキも軽く掛けた。
だが、今度は右に90度近く切った瞬間だった。
徐々にワンエイティは左から右へと向きを変えたのだ。
再び時雨はハンドルを左に切り返す。
ワンエイティは左側から右側へと進路を変え、そのまま第2コーナーへと飛び込んでいく。
時雨自身雨や霧のコンディション自体は得意なのだが、完全に非舗装路となるダートやスノーロードとなると話は別だった。
全くもって経験したことがない路面である以上、苦戦は必至と言えば必至だった。
「(地図を見た時、最初のカーブの後は右コーナー…なら……!)」
ワンエイティは左向きから右向きへと方向を変え、速度を回復しつつそのまま第2コーナーの右ヘアピンコーナーへと飛び込んでいく。
先にカーナビで地図を確認していたのが大きかった。
最初のコーナーは左ヘアピン、次のコーナーは逆の右ヘアピンであることをわかっていたのである。
そのままの勢いでコーナーへと飛び込んでいく。
カウンターステアを当てながらワンエイティはドリフトしていく。
速度は100キロ台だが、初めてのコースにしては上々だろう。
「(このまま立ち上がりで差をつける…!)」
時雨にとってさっさと大逃げしてしまった方がいいのだろうと思っていた。
その方が、慣れないコースでミスをしても追いつかれる可能性が低くなると思っていたからだ。
攻めれるところで攻め込んで、とにかく逃げに徹する。
今の時雨の方針は固まっていた。
第2ヘアピンをインベタの状態でドリフトしていくワンエイティ。
カウンターステアを当てながらアクセルを踏み込み、ドリフトし続けていく。
そして目の前の視界にストレート区間が見えた時だった。
「―――!」
アクセルオフからカウンターを当てるべく左に曲げていたハンドルをニュートラルに戻す。
そしてドリフトが収まったところで再びアクセルを全開にして大逃げの態勢に入る。
相手に自分の実力を見せるわけにはいかない…とにかく逃げてしまおう。
そう時雨は思った。
そしてワンエイティはダート路面でタイヤを空転させつつも加速していく。
ワンエイティは下り坂のストレート区間を駆け抜けていく。
「……!?」
2つのコーナーを駆け抜けたワンエイティ。
だが、セフィーロは後ろにいた。
ドリフトで差をつけたかと思いきや、テールトゥノーズでワンエイティに食らいついているのである。
見かけノーマルのマシンであるが、かなりチューンされたワンエイティに食らいついている。
一体どういうことなのか?
相手のマシンのスペックがこのワンエイティと同等なのか、それとも相手の技量が自分よりも上なのか?
こんなことは、以前箱根でショウとバトルした時以来だった。
それほどまでに衝撃は大きかった。
第2コーナーを抜け、下り坂を下っていくワンエイティとセフィーロ。
だが、次の瞬間だった。
「!?!?」
目の前に現れたとんでもなく大きな水たまり。下り坂を下っていたワンエイティはフロントから一気に突っ込んだ。
2台がそれぞれバシャーッと激しい音を出し、水たまりの水を跳ね上げながらワンエイティは加速していく。
そしてそれに食いつくかのようにセフィーロも加速し続ける。
水たまりを抜けたところで今度は上り坂のストレートだ。
ダート路面の道路を走り続ける2台が上り坂に侵入し、そのままの勢いで加速していく。
速度は140キロを出していた。
「(っ…ガラスが!)」
先程の水たまりでガラスには水が吹き飛んできた。
おかげで夜闇の中更に視界不良になった。
時雨はレバーを操作して急いでワイパーを動かし、前方の視認性を回復する。
視認性を回復した時、ワンエイティは上り坂を上っていた。
下り坂で大きな水たまりを吹き飛ばしたかと思いきや、今度は上り坂だ。
あまりにも高低差が激しすぎる。こんなコースがあるとは…
そう時雨は思わざるを得なかった。
「(後ろには…まだいる!)」
ワンエイティの車内のバックミラーには上り坂を上りつつ追いかけてくるセフィーロの姿があった。
悪戦苦闘するワンエイティに対し、セフィーロの走りは完全に涼しい風。
初めて走るドライバーに対し、相手は完全に走りなれているようだった。
地元のドライバーか?だがこんなコースを極めるドライバーなんてものがいるのか?
時雨にとっては相手が何者なのかが全くもってわからなかった。
だがそんな中で先行するワンエイティの前に右直角コーナーが迫る。
コーナーの中間部までは上り坂、中間部からコーナー出口までは下り坂という変則的なコーナーだ。
「っ…!」
速度は140キロ台。
ブレーキを踏み込み、ハンドルを右に曲げる。
だが動揺したのか、その角度はヘアピンコーナー並み。
滑りやすい路面ということもあり、ワンエイティはあっという間に真横を向いた。
「(しまっ…!)」
慌ててハンドルを右から左に切り返し、スピン寸前の角度を維持しながらドリフトしていく。
だがそのドリフトアングルは明らかに付けすぎと言わざるを得ず、高速コーナーなのに関わらず明らかに角度を付けすぎていた。
20度くらいで十分60度くらいつけていたと言えば明らかに角度の付けすぎといってもいいだろう。
速度は140キロ台から110キロ台まで減速する。
そしてそんな中で…時雨はあることに気が付いた。
「―――!!」
セフィーロはワンエイティの右サイドにギリギリまで迫っていた。
文字通りのパラレルドリフトだった。
自分が相手を動揺させるためにやっていたそれをまさかこんな状況でやり返されるとは思っていなかった。
相手は間違えなくこのコースの事を知っている。明らかに相手に分がある。
これは正攻法では勝てないだろう…
そう思いつつも、時雨はアクセルオフからハンドルを左に曲げ続けてワンエイティの態勢を整える。
ワンエイティが徐々に立ち上がる中でセフィーロは追い越さずに徐々に引き下がっていく。
とにかく逃げないといけない。
コーナー出口からの下り坂を下るワンエイティの中で、静かにそう認識した。
「ハアー…ハアー」
下り坂…レーンで言ったら右半分の位置をワンエイティが下る中、時雨の心臓の鼓動が異様に速くなる。
後方からのプレッシャーを感じていたのだ。
いくら自分がこのような悪路は初めてであるということを差し引いても…チューンされているこのワンエイティに食らいついてくるドライバー、一体何者なのか?
それに加えて、ショウと同じくらい…いや、下手をしたらそれ以上のプレッシャーを時雨は感じていた。
おまけに先ほどのパラレルドリフト…下手をしたら事故を起こしかねない行為を、あのセフィーロのドライバーはやってのけた。
このドライバーは間違えなく速い。だが一体何者なのか?
時雨の脳裏に疑問が渦巻く中、ワンエイティはコーナー出口からの下り坂を降り切ったと思いきや再び上り坂を上っていく。
だが、その時だった。
「(…地面がない!?)」
ライトが照らしたのは…目先の夜空。上り坂の地面がないのだ。
一体どういうことなのか?
だが後方から迫っているセフィーロから逃げるためには何としてでも走り続けなくてはならない。
アクセルを踏み続けた次の瞬間だった。
突如としてワンエイティのタイヤの設置感がなくなった。
「(タイヤが地面を走っている感覚がない…飛んでいるのか!?)」
目の前のバンプからの大ジャンプ。
今までほぼほぼ平坦な道路でばかりし続けてきた時雨にとっては、驚愕せざるを得なかった。
何せあまりにも高低差がありすぎる。一体何メートル飛んでいるのか?
下手をしたら高さは20メートル以上はあるのではないか?それくらいの超大ジャンプだった。
夜闇を駆ける2台の大ジャンプ。
傍から見るとあまりにも衝撃的な光景だった。
だがそれは日が昇っていたらの話。
真っ暗である以上、ライトも限定的であるがゆえにギャラリーからしても何が起こっているかはわからないだろう。
「(うわ~~~っ!!)」
ワンエイティが前にわずかに傾きながらも、地面へとそのまま落下していく。
そして次の瞬間には、着地した地面に存在する大きな水たまり…それも先ほど以上に大きいそれに着水していた。
前かがみの姿勢で着地したことでカナードが軽く擦ったが、それでも何とか外れてはいない。
だがジャンプの反動で前輪が浮き、一瞬制御不能になった。
それでも時雨は必死にハンドルを握り続け、何とかワンエイティをコースに留まらせている。
「(間一髪…!少し操縦をミスっていたら、すぐにコースアウトだ!もっと集中しないと…)」
水たまりの水を激しく吹き飛ばしながらも加速していくワンエイティ。
後方からのバシャーッという音はする。
後ろのミラーは見ていなかったが、間違えなく食らいついてきている。
水たまり部分を抜けたら再び軽い下り坂だ。
「(舗装されてない道路で、余裕を持ちつつもマシンを手足のように操る…いったい何者なんだ!?こんな走りをする人が、箱根にいるのか!?)」
時雨にとっては相手のドライバーが何者なのかが気になっていた。
オフロードという自分が初体験のコースとはいえ、ここまでの走りをするとは。
それも、かなりのチューニングが施されているワンエイティに対して向こうのセフィーロは見たところほとんどノーマル。
一体どういうことなのか。何故食らいつくことが出来るのか。
単純に自分が遅いのか、あの車がモンスターチューンドなのか。
下り坂を下った後に再び上り坂をワンエイティが上っていく中で、時雨はバックミラーを確認する。
だが、ここである違和感があった。
「(き、消えた…?いるのか…!?そこに!?)」
先程までワンエイティの真後ろにいたセフィーロが、いない。
正確には夜闇に隠れてしまったというべきか。
某北関東を舞台にした峠走り屋漫画風に言えば、ブラインド・アタックというべきだろう。
相手のマシンは完全に夜闇に隠れてしまったのだ。
そして夜闇の中、時雨はワンエイティの左サイドにセフィーロがいつの間にかサイドバイサイドで並んでいることに気が付いた。
「(ヘッドライトを消してる!?そんな走りをするなんて…!)」
だがセフィーロに気が付いた時、目の前には既に次のコーナー…左の高速コーナーが迫っていた。
今度のコーナーはコーナーの中間部までは下り坂、中間部からコーナー出口までは上り坂という変則的なコーナーだ。
だが時雨がインコースを取られてしまったのを認識した直後、セフィーロは再びヘッドライトを照らした。
「っ……!!」
140キロ以上の速度で飛び込んでいくワンエイティ。
だがそんな中で時雨はアウトコースである以上、フェイントモーションでドリフトすれば向こうよりも速く走れるのでは?
そう感づいた。
咄嗟にブレーキを踏んでハンドルを右に曲げ、そこから一気に左に切り返す。
時雨の得意技、フェイントモーションである。
ワンエイティは一瞬右を向いたかと思いきや、そのまま左へと向く。
しかしいくら高速コーナーといえど今回は知っているのは今までとは違うダートコース…オフロード。
そんな状況で過度にハンドルを切りすぎたらどうなるか?
ハンドルを左に曲げたままアクセルを踏んだ結果は…
タイヤが予想以上に滑り出してしまったのである。
あっという間にワンエイティは60度以上まで角度をつけてしまう。
「(し、しまった…うわ〜〜っ!!)」
本日2度目の悲鳴。
ワンエイティはグリップを失い、左回転でスピンしてしていく。
ブレーキを全開で踏み込み、ハンドルを右に曲げ続けるもワンエイティはスピンを止めない。
だがそんな中で、セフィーロはワンエイティのスピンを予見していたかのようにコーナーをインベタのわずかな角度のドリフトでコーナーを立ち上がっていった。
タイヤのグリップを失ったワンエイティだったが、ブレーキを踏み続けたこともあって何とかコース上に留まって停車した。
「はあ…はあ…」
紙一重だった。
下手をしたら前方を防ぎかねない状況だったにもかかわらず、あのセフィーロは自分のスピンを予見していたかのようにあっという間にオーバーテイクしていった。
コース全体を使ってスピンすることで何とかコースアウトは防げたが、それはあのドライバーが避けるために素晴らしい判断とドライビングをしたからというのは言うまでもなかった。
自滅とはいえ隙間部分を駆け抜けていったあの車は、あのドライバーは一体何だったのか…
下を向いてハアハア息をついていた時雨だったが、前方を見ると…セフィーロはコーナーの先の上り坂のてっぺんでハザードランプを出して止まっていた。
「止まってる…なんで?」
セフィーロの右サイド窓から人の右腕が出ている。
進行方向に対し人さし指を差し、ジェスチャーで「先に行け」と言おうとしている態度だった。
一体なぜ、そこで待っているのか?
それを考えたところ、非常に単純明快な理由が時雨には浮かんだ。
「(そうか、これはバトルなんかじゃない…教習なんだ)」
時雨にとってはそう認識するのも無理はなかった。
一言でいえば手加減。
相手は間違えなくこのコースを熟知しているに違いない。
そしてそうである以上、自分にこのコースの走り方を教えようとしているのかもしれない。
そう時雨は認識した。
推奨BGM:TENDERLESS(from 電車でD Climax Stage)
「(ならば…あの車に少しでも、食らいつく!!)」
ハンドルを右に曲げてアクセルをゆっくりと踏み、態勢を立て直す。
ワンエイティが道路と同じ方向を向いたところで時雨はアクセルを踏み込む。
前方の坂道の頂上でセフィーロが止まっていたが、ワンエイティが加速していくのを確認したところでセフィーロも加速していく。
2台はサイドバイサイドの状態でストレート区間を駆け抜けていく。
速度は130キロ台。
ストレート区間を駆け抜けていくと、緩い左のコーナー。
そしてその先には右の直角コーナーがあった。
2台はサイドバイサイドの状態だったが、右直角コーナーが迫る中で時雨はアクセルを抜いた。
セフィーロを先行させるつもりだ。
「(教えてくれ…こういうコースの攻め方を!)」
超スリッピーなダート路面において、あのセフィーロは何の躊躇もなく駆け抜けている。
おそらく自分と同じFR駆動のマシンであるが、それでいて何故あそこまで踏めるのか?
自分の経験不足ももちろんあるが、何故チューンドのワンエイティにほぼドノーマルのセフィーロが食らいつけたのか?
間違えなく自分とあのセフィーロには走りで大きな違いがある。
そう認識した時雨は、相手の走りを「模倣」することを選ぶのだった。
先行させたマシンに対して同じ走りをすれば、理論上は食らいつける。
何せこちらはチューニングされたマシン。
あの車の事はよくわからないが見かけはほぼノーマルである以上、食らいつけないなんてことはないのだ。
セフィーロが道路の右側に寄って、2台の関係がサイドバイサイドからテールトゥノーズの状態になったところでセフィーロがコーナーへと飛び込んでいく。
「―――!」
コーナー直前、セフィーロのブレーキランプが点灯した。
それに応じて時雨もアクセルオフからブレーキを踏み込み、距離を取る。
スローインで飛び込んだセフィーロが、後輪を滑らせてドリフトしていく。
だが、ドリフトアングルは明らかに抑えめ。
それでいて何故かセフィーロのコーナーリング速度は徐々に速くなっていく。
カウンターの角度も明らかに抑えめだ。
そのドリフト状態を真似するべく、時雨もハンドルを右に曲げる。
後輪が滑り出したところで再びアクセルオン。
とはいえ先行するセフィーロに追いつかないようにアクセルはハーフスロットルである。
ハンドルは左に曲げてカウンターを当てる。
そんな中、時雨はある「気づき」を得ることになる。
「(そうか…わかってきたぞ。このコースの、滑りやすい路面の攻め方が…)」
先行するセフィーロの姿を見た時雨は、ダートのように滑りやすい路面での攻略法に気が付き始めていた。
ドリフトしていくセフィーロを追いかけ、徐々にアクセルを踏みつつハンドルをわずかに左に曲げてカウンターを当て続ける。
パワー差もあって徐々にワンエイティはセフィーロに接近していく。
セフィーロはコーナーを立ち上がり、再び加速していく。
ワンエイティもそれを追いかけてコーナーを立ち上がる。
「(路面が滑りやすいダートの路面なら、速度域が低いヘアピンとかならともかく…直角コーナーくらいならフェイントモーションをする必要はないんだ)」
滑りやすい路面において、下手なフェイントモーションは車の挙動が不安定な要因になりかねない。
何せ車の重心が…例えば左コーナーであった場合フェイントを当てると車の左後方へと移動するが、切り返すと当然一気に振り回されて右後方へと持っていかれる。
この「振り回す」動作は普通の路面やヘアピンコーナーならまだ何とかなるかもしれない。
しかし摩擦係数が明らかに低いダート路面において、直角コーナーや高速コーナーでの過度なフェイントモーションは明らかにやりすぎなのだ。
切り返しすぎてスリップしてしまう。
今までは直角コーナーでもフェイントモーションを使っていたこともあって、それだけで何とかなると思っていた。
だが実際のところダートの直角コーナーや高速コーナーでは明らかにフェイントモーションはやりすぎていた。
時雨はそう認識するのだった。
そして同時に時雨はある走り方についても気が付く。
「(コーナー手前できっちり減速して、それで立ち上がりでアクセルを踏み続けて加速していく。これだ……!)」
スローイン・ファストアウト。
コーナーリングの基本と言えば基本かもしれないが、時雨はその王道のやり方が今回のような路面では速いのではないかと認識するのだった。
アクセルを踏み続け、ワンエイティはセフィーロに接近する。
テールトゥノーズの状態で、次の左ロングヘアピンに2台が迫っていく。
「―――!」
「(さっきまでは直角コーナーだった…でも、次のコーナーは…ヘアピン!?)」
セフィーロがブレーキランプを点灯させ、減速する。
だが時雨はそれを見てハンドルを軽く右に曲げる。だがすぐに時雨もブレーキを踏み込んだ。
速度差もあってセフィーロと横並び…まさにサイドバイサイドとなり、2台がコーナーに突入する。
セフィーロの速度が140キロ近くから90キロ台まで減速するが、ワンエイティも140キロ台から100キロ近くまで減速する。
左側のセフィーロはブレーキをリリースし、アクセルを踏み込んで軽くハンドルを左に曲げる。
摩擦係数が低いということもあって右側に移動した時雨のワンエイティ。
時雨もコーナー突入と共に右に曲げていたハンドルを左に切り返す。
グリップを失ったワンエイティは、後輪を滑らせてドリフト状態へ。
アウトコースとはいえ、大外刈りの状態でワンエイティはセフィーロを追い抜こうとしていく。
「……!」
セフィーロのドライバーはどこか焦ったのか、ハーフスロットルだったアクセルを踏み込んでワンエイティを追い抜かさんと加速していく。
それに合わせてハンドルもカウンターの角度をさらに深めていく。
右に曲げていたハンドルをさらに曲げて、ドリフト状態を維持させる。
だが、性能差では明らかに上だったワンエイティはコーナー出口であっという間に追い抜いてしまった。
コーナー出口でドリフトを抑えたワンエイティは、再び真っ直ぐ加速していく。
速度は120キロ台から150キロ近くまで加速する。
「(よし…抜けた!)」
セフィーロを追い抜かしたワンエイティ。
車間距離としてはテールトゥノーズというべきか。
だが、ヘッドライトが前方を照らすと…最後と思われる右ロングヘアピンが現れた。
2台が最後のコーナーへと飛び込んでいく。
「(直角コーナーでは角度を付けすぎていたのかもしれない。でも、ヘアピンなら…!)」
フェイントモーションは有効かもしれない。
そう時雨は認識した。
ハンドルをわずかに左に曲げ、ブレーキをかける。
速度は150キロ台から120キロ台まで減速する。
インベタのラインを描くべくハンドルを右へと曲げ、アクセルを踏み込んで後輪を滑らせる。
だが過度のアクセルオンは後輪が必要以上に滑ってしまう。
そう思った時雨は、アクセルをハーフスロットルの状態で踏み続けてハンドルを左にわずかに曲げ続ける。
適度なパワーを与えられたワンエイティは、後輪を滑らせつつもある程度のドリフトアングルを維持しながらドリフトしていく。
やはりカウンターの存在も大きいだろう。
「(常に全開でよかった峠や首都高とは違って、過度なパワーが時に足枷になることもあるんだ…)」
今まで時雨は峠や首都高で走り込んできたが、それらの道路は必ずコンクリートの路面だった。
だが滑りやすいダートの路面では過度にパワーを与えてしまうとタイヤが必要以上に滑ってタイムロスの要因にもなりかねない。
そこで求められるのが適切なアクセルワーク。
今まで時雨はタイヤマネジメントやマシンマネジメントに関しては秀逸だったが、路面ごとにアクセルの踏み分けやハンドルの曲げ方などに関しては知識が不足していた。
だが先ほどのスピンで何かを感じ取ったのだろう。
スピンした際は焦りもあってかアクセルを過度に踏み込んだことでタイヤが暴れてしまったが、今回はハーフスロットル以下。
その状態であればマシンは確実に安定していた。
ワンエイティはインベタのラインを描きながら、右ロングヘアピンを120キロ台の速度を維持しながらドリフトしていく。
そしてドリフトしていく最中、コーナー出口に差し掛かろうとしたところで時雨はコーナーの先にあるものがあることに気が付いた。
「(最後のストレート…)」
コーナーを徐々に立ち上がっていくワンエイティ。
コーナーの出口は海沿いの砂浜だ。
だがそんな中で砂浜の先にあるものが移ったように見えた。
おそらく廃小屋だろう。
そこのそばを駆け抜ければおそらくゴールだ。
「(ここまで来たらもう容赦はしない。これで最後だ!)」
ゴールの存在を認識した時雨は、ハーフスロットルだったアクセルをリリースしてハンドルをニュートラルに戻す。
滑走状態になり、ドリフトが収まっていくワンエイティ。
そしてタイヤの滑りが完全に収まったところで時雨は再びアクセルを踏み込む。
だがそれでも、過度に踏んでしまうと空転してしまうだろうということを認識した時雨は徐々に踏み込んでいく。
「(あまりやりたくはなかったけど…勝つためには仕方がないよね)」
単純なマシンパワーでは圧倒的に時雨のワンエイティが上である以上、セフィーロはぐんぐんと引き離されていく。
砂浜を駆け抜け続けるワンエイティは、確実にセフィーロを振り切りかけていた。
勝負は既についていたが、ワンエイティは小屋のすぐ横を通過するのだった。
「(終わった…)」
ゴール地点となる小屋の横を駆け抜けたワンエイティは、そのまま減速して…小屋のすぐそばの駐車場で停止した。
サイドブレーキを引いた時雨だが、先ほどのスピンもあったのか…異様に疲れていた。
ここにきてどっと疲れがたまったようだ。
だがそんな中で時雨の脳裏にはある疑問が浮かんでいた。
「(さっきのあのドライバーは、確実に本気を出していなかった…)」
時雨にとっては相手は間違えなく本気を出していなかったと認識するのは当然と言えば当然だった。
自分がスピンして停車しても、そのまま振り切らずに停車したかと思いきや「先に行け」とジェスチャーをした。
手加減というべきなのか、熟練度の差からの舐めプレイなのか。
いや、それらとは明らかに違う。
まるで講習のようだった。
自分に走り方を教えてくれるような、そんな走りだった。
それに加えて、あのセフィーロは自分の判断できる範囲から一瞬「消えた」。
正確に言えば、ヘッドライトを消されてブラインドアタックをやられた。
仮に舐めプレイであったのならば、そんなブラインドアタックなんて博打はするとは思えない。
一体何のためにそんなことを?
そしてなぜ自分をこんなところに呼び出した?
そう思っていた時だった。
「あ……」
先程の対戦相手のセフィーロがワンエイティの右隣りに駐車したのだ。
セフィーロのドライバーはマシンのエンジンを切ったかと思いきや、そのままセフィーロから降りてきた。
ドライバーの存在が気になった時雨も、ワンエイティから降りた。
「あ、あの!」
ワンエイティから降りてどこかに向かおうとしていたセフィーロのドライバー…レーシングヘルメットを被った人物に時雨は声をかけた。
すると、振り向いたセフィーロのドライバーは持っていたバッグから紙を取り出して懐中電灯をその紙に向かって付けた。
「見事なり、『箱根の時雨』」
紙には大きくそう書かれていた。
どうやらドライバーにとってはすべてが計画通りだったようだ。
わざわざこんな紙まで用意されているとは…時雨はそう思わざるを得なかった。
だが、その人物が紙をめくるとそこにはあることが書かれていた。
「奈美子の話は本当のようだな」
奈美子…自分の相棒。
このドライバーはどうやら自分の相棒の事を知っているようだ。
「奈美子のことを知っているのか…!?」
ヘルメットを被った人物はこくりと頷いた。
だが同時に、時雨はあることにも気が付いていた。
「…何となく感じる…あなたはショウさんじゃ、ない…?」
「……」
先代の皇帝こと、相楽翔。
伊達に皇帝と呼ばれていた彼の実力なら、自分を倒しても何の違和感もない。
だが、時雨は不思議な雰囲気を感じ取っていた。
ショウからは強い意志みたいなもの…それこそオーラに近いものがあったが、このドライバーからは感じられなかった。
何より、自分のことを愛してくれている彼がここまで回りくどいことをするのか?
もしそうでなくても、ここまで彼が回りくどいことをするとは思えない。
普通に彼なら自分のもとを訪ねてきてもおかしくはない。
一方で知り合いのドライバーとなると…あまりにも数が多すぎて1人には絞れない。
目の前にいるドライバーは一体何者なのか?
時雨にとっても限界は近かった。
「教えてくれ!あなたは…あなたは、一体誰なんだ!?」
荒らげる時雨の声に対し、その人物はこくりと頷いた。
両手でその人物はヘルメットを外していく。
そしてヘルメットを外し現れた顔は―――
「―――ふふっ」
奈美子と瓜二つだった。
否、正確にはちょっと違う。
奈美子の青髪ではあるのだがロングヘアー、おまけに奈美子よりも年齢は上。
そんなドライバーだった。
だがその姿に対し、時雨は驚嘆の声を上げるしかなかった。
「な、奈美子の……お母さん!?!?!?」
そう、奈美子と翔の母親…相楽美奈子だったのだ。
「フフフ、久しぶりね。時雨ちゃん」
「ど、どうして…どうして、奈美子のお母さん…美奈子さんが…!?」
不気味な笑みを露にする美奈子。
相手のドライバーの正体に動揺する時雨。
対峙する2人。
だがどこか緊張の糸が切れた時雨は、へなへなと砂浜に両ひざをつくのだった。
「ち、ちょっと大丈夫?」
「あの、いや、その…えっと……」
時雨に駆け寄った美奈子。
だが、時雨は動揺しまくりで何も答えることが出来なかった。
口もパクパクとしか動いていない。
緊張の糸がほぐれたのか、真実を知って動揺したのか、日ごろの疲れがどっと出たのか。
おそらく全部だろう。
「お母さんと一緒に、ちょっとお話しましょうか」
「あ、あの…」
「いいからいいから。まずは落ち着いてから…ね」
「……はい」
そう言って美奈子は時雨の肩を支えた。
疲れのあまりか、時雨はほとんど動くことが出来なかったが…美奈子の支えもあってなんとか砂浜の波打ち際の方へと向かっていった。
―――砂浜。
「……そうだったんですね。美奈子さんが、『皇帝』を初めて名乗ったんですね」
「そういったところかしらね。まあ、自分から名乗り出したわけじゃないんだけどね…ハハ」
月の光が静かに照らす中、2人は砂浜に座りながら夜の海を見ながら互いに話していた。
砂浜に押し寄せるさざ波の音が静かにこだましている。
「あんな走りをされたら、僕なんか敵いませんよ…」
全ての真相を聞いた時雨はあまりのショックのあまり、体育座りのまま頭をがくんと下げて落ち込んでいた。
相楽奈美子、翔の母親である相楽美奈子は…箱根で初めて「皇帝」と呼ばれたドライバーだったのである。
翔と奈美子を生んだことで一線を退いたが…それまでは後の旦那であるヒュウガともトップ争いをしていたという。
「でも、筋は悪くないと思ったわ。経験を積めばきっと速くなれるわよ」
「…そうでしょうか」
「もしかして、負けたことがないから落ち込んじゃってるの?」
「いや…ショックなのはそうなんですけど、どこか納得してるんですよ」
「納得?」
「ショウさんが皇帝と呼ばれて、ヒュウガさんが世界各地をかけるテストドライバーで、お母さんが初代皇帝で…って。なんとなく、そういう遺伝…?みたいなものって、あるんだな…って」
「アッハッハ!そうかしら?まあショウはまだまだプロの世界でも甘いけれど…時雨ちゃんだったらプロの世界でも活躍できる素質はあるわよ」
時雨の実力を認めるかのように、美奈子は言った。
「そんな…僕はショウさんに、勝てる見込みはありませんよ」
「でも、以前ショウとバトルして勝ったのは事実でしょ?」
「そうかもしれませんけど…本当に、僕だけの力じゃないんです。あのバトルにおいて、車はソウイチ先生が用意してくれたし、僕とともに走ってきた人たちが特訓に付き合ってくれたし、あとは勿論奈美子も…僕だけじゃ、ないんです」
「……なるほどね。まあ、わからなくもないわ。でも、そういう人脈や運、才能も含めて…あなたには素質があると思うの。実際それだけの関係があるのは、私としても素晴らしいものだと思うし」
「美奈子さん…」
時雨にとってはある疑問を口にした。
「そういえば、美奈子さんはヒュウガさんとはどういう形で出会ったんですか?峠で一緒にバトルしたとか?」
「そこを聞いちゃう?…まあいいけど。実は違うの。旦那と私は同じ日産自動車に勤めていたのよ。職場恋愛って奴かしらね」
「日産自動車に…?それで、職場恋愛…」
「ええ。旦那は元々日産のテストドライバー、私は事務職だったんだけど…旦那が『もっと世界を知りたい』ってことで日産を退社して独立することを決めたの」
「じゃあ、美奈子さんはそれについていく形で…?」
「ええ、そういったところね」
「……そうだったんですね」
「まあでも、もう20年近く実家の足は踏んでいないわね。あの人も自由人だから…別に私も自由にやってるからいいんだけどね」
「…そうなんですね」
座っている2人。
やはりさざ波の音は夜の浜辺に響いていた。
すると立ち上がった美奈子が時雨にさらに言葉を続ける。
「それにしても時雨ちゃん、オフロードレースは初めてだったんでしょ?初めてであれだけ攻められたなら、『皇帝』の名を継げたのも納得出来ちゃったわ。やっぱり素質はあるわよ、あなた」
「いや、僕は別に…」
「何も言わないでいいわ。私が手加減したと思っているんでしょ?」
「そんなことは…」
そう時雨が口にした時、時雨は立ち上がって核心ともいうべき質問を口にした。
「あの、どうして美奈子さんは…こんな芝居を?」
「芝居?」
「だって、芝居じゃないですか。僕をこんな形で呼び出したなんて…」
「そんなつもりはなかったけどね…まあ、あなたの力も見てみたかったし?アッハッハ!」
「僕の力を見たかったから、ですか?」
「まあ、ね」
すると海の方を向いていた美奈子は時雨の方を向いた。
「それにね、奈美子が日頃からお世話になっているからね。元からあなたを励ますつもりだったの」
「僕を、ですか?」
「ええ。その上で…あなたのお悩み相談にも乗ってあげたくてね」
「お悩み相談…」
美奈子は時雨の右肩をポンポンと左手で叩いてこう口にした。
「あなたがこれからニューヨークに行くことは、奈美子から勿論聞いているわ…」
「……」
「でも、あなたの走りからしてどこか不安のような感情も垣間見えた」
「…全部、お見通しだったんですね」
「まあ、走りを見て直感したくらいだから…図星かもしれないって思ったけど。でももしよかったら、お母さんに何が不安なのか、話してごらんなさい」
「……」
そう時雨が口を閉ざした後、時雨は再び砂浜に座った。
美奈子も話を聞くために砂浜に座る。
「僕、いろいろと不安なんです」
「不安?もっと詳しくいってみて」
時雨の言葉に、美奈子はさらに核心を突きたそうに言う。
美奈子に対して時雨はゆっくりと栗を開き始めた。
「美奈子さんは、僕がレーサーとしてデビューすることは知っていますか?」
「ええ、奈美子から聞いたわ。大体2ヶ月後なんですってね?」
「はい…」
「それで?」
「一番に僕が不安なのは…本当に2ヶ月で事が済むのか、ってことです」
「……」
時雨は水平線の先の上にある月を見ながらそう言った。
「アメリカで大変な目にあわないか、アメリカの生活に馴染めるのか、ヒュウガさんの手がかりが見つかるのか…本当に、不安だらけなんですけど、レーシングチームはそれこそ僕だけの独断でどうにかなる問題じゃない。スケジュールはもう決まっているし、そこに私情を挟み込むなんて…いくら挨拶をしたとはいえ、本当に大丈夫なのか…不安になっちゃったんです」
時雨としてはやはり不安があった。
雪風と出会って4ヶ月、つまり今からだと2ヶ月ちょっと。
次のレースに出ることは前々から決まっていた。
本来はそこに向けて自分たちなりの独自の特訓を組むべきだ。講習会に参加してライセンスとかも取るべき必要があるだろう。
前年度の活躍もあって「D1ライツ」のライセンスは自動発行される見込みだとはいえ、複数台で競争をするレースに出場するためには国内ライセンス…それこそ国内A級ライセンスの取得が必要だ。
国内B級であると、モータースポーツにおいては限られたものにしか出場できない。
ラリー、ダートトライアル、サーキットトライアル、ドリフト、ジムカーナ…ドリフトなど、「個人種目」には参加可能だ。
だが、実際の複数台で競争するレースは国内A級ライセンス以上は必須。
時雨は一応国内B級ライセンスは持ってはいる。
加えて時雨のメインはドリフトだから実際の競技…それこそD1地方戦やD1ライツで一定の成績を出せばそこまで重視する必要はないし、チームの規模も大手に比べれば明らかに小規模。またスポンサーもあってないようなものなのでそんな未来のことまでは考える必要もないのだが…今後ステップアップをしていくうえでは間違えなく国内A級ライセンス、国際C-Rライセンス、あわよくば国際B級ライセンスも必須になってくるのは違いない。
そのスケジュールが狂ってしまったら、迷惑がかかるのは自分だけじゃない。チームの首脳陣もそうなのだ。
一応時雨側のまだチームの首脳陣は2人だけ。だが今後丹陽…雪風のチームとジョイントが決まっている以上、それこそとんでもない大物が介入することが決まっている。
雪風の後ろには大物スポンサーがいるということを聞いている。詳しくは知らないが、噂ではコンツェルンの御曹司らしい。
そんな彼が元ゼロヨンチャンプの下にある事情で居候していた雪風の才能を見出し、同時に雪風に家族の命を救われたこともあり…あのV37スカイラインを差し出したという話もある。
そんな大胆なことをする相手である以上、こんな身勝手をその関係者たちが許してくれるのか。
相手を怒らせてジョイント解消なんていわれたらそれこそ話にはならない。
時雨が不安になるのも無理はない話だった。
「…なるほどね。まあ元よりレーシングチームはレーサーだけじゃないからね」
美奈子もどこか同情するかのようにそう口にした。
だが、美奈子は立ち上がったかと思いきや続けてこうも言葉を続けた。
「でも、時雨ちゃんはその悩みに1人で考えすぎている節があると思うわ」
「僕が、ですか?」
「ええ。今回の事情はきっと特殊ケースよ。時雨ちゃんだけじゃないチームとは言え、時雨ちゃんが『何をしに行くのか』をちゃんと伝えたのならば…きっと大丈夫だと思うわ。私が保証してあげる」
時雨の立場については理解しながらも、美奈子はそう言った。
理由を伝えたのだから問題ないだろう、それが美奈子の考え。
美奈子はさらに口を動かす。
「何より変にウジウジ悩むくらいならば、その場で言って考えればいいわ。当たって砕けろの精神よ」
「当たって砕けろ…ですか」
「ええ。私も様々な人間とバトルしてきたけど…私の人生なんて常にその場凌ぎばかりよ。周りからそう呼ばれていただけだけど、私もよく『皇帝』なんて名乗れたものだと今でも思ってるわ、アッハッハ!」
「は、はあ…」
美奈子にとってはやはり「当たって砕けろ」の精神が一番だと考えていた。
トラブルもその場しのぎでクリアすれば何とでもなる。
どこか美奈子は楽観的にそう答えた。
「時雨ちゃんのことを私はまだ…詳しくは知らないけど、周りの人から期待されているってことは…きっとそれ相応の才能があると思っているわ」
「そう、なんですかね?」
「そこはもっと胸を張った方がいいわよ。折角『皇帝』なんて呼ばれるようになったんだから」
「よく、言われます」
時雨の方を見ていた美奈子だったが、海の方を見ながら独り言をつぶやき始めた。
それを見た時雨も立ち上がった。
「私はね、あなたみたいな若い人がとてもうらやましいの」
「羨ましい、ですか?」
「ええ。私もあと20年若かったら、きっと喜んで海外遠征に行っていたと思うわ。でもそれをするにはもうあまりにも時間が経ちすぎた。あなたのそのフットワークの軽さは、私にもないものだから…その力は、自分のために大切に使った方がいいと思っているわ」
「フットワーク…」
「私には守るべきものが増えすぎたし、当時の私では海外遠征をするだけのお金もなかったと思う。でもあなたは守るべきものがまだ少ないし、資金援助の見込みもある。そしてそうである以上、経験できる物事はきっと少なくないはずよ」
「………」
美奈子ももし機会があれば海外のレースなどにも参加してみたかった。
だが、事情が許してくれなかった。
ヒュウガと結婚するまではよかったが、結婚後すぐにショウを妊娠、出産。
おまけに数年後には奈美子も出産し、峠の走り屋どころではなかった。
結果的に走り屋としての活動は自動的に自粛。
おまけに旦那は世界各地を回っているので、家のことは守らざるを得なくなってしまった。
そんな事情がある以上、海外での公道レースというチャンスがある時雨に対して美奈子はどこかジェラシーに似た感情を持っていた。
だが同時に実力を認めた以上、自分ができることは後押しして送り出すことだけ…そうであるということも認識していたのだった。
「希少なチャンスは最大限に生かさないと。行ってきなさい、ニューヨークに。チームの人たちには私からも説得しておくわ」
「美奈子さんが…」
「ええ、お母さんに任せて。旦那のことも踏まえれば納得してくれるはず」
「……」
美奈子の言葉に対して、時雨はまだ「それでも…」とウジウジしているようだった。
すると美奈子は畳みかけるかのようにこう口にする。
「それに今回のバトルで、きっとわかったはずよ」
「え?」
「あなたには乗り越えるべき壁がまだまだたくさんある、ってことを…ね」
「……」
乗り越えるべき壁。それは美奈子自身もそうだ。
経験と技量の差を見せられ、試合にこそ勝ったが勝負には負けた。
雪風の時と同じ感覚だ。
どんな方向性であっても車で挑戦をし続けなければ、雪風に置き去りにされてしまうだろう。
そう時雨は認識した。
すると畳みかけていた美奈子はこうも口にする。
「もしニューヨークに行けば…それこそ、あなたは走りの腕も磨くことも出来ると思うけど、それ以上に人間としても多くの経験を出来ると思うわ」
「人間としても、ですか?」
「ええ。アメリカは人種のサラダボウルと言われるくらい多くの…それこそ様々な人がいてね。きっとあなたの価値観や経験にも強い影響を与えてくれると思うわ」
「価値観と、経験…」
「ええ。こんな機会、人生で1回あるかないかだと思うんだけど、どうかしら?」
時雨の方を向いた美奈子。
その表情はどこかにこやかだった。
すると美奈子は再び右手で時雨の左肩をポンポンと叩きこう口にした。
「与えられたチャンスは最大限に使わないと、それこそ損をするわよ。ここは思い切りも大切だと思うの」
「思い切り…」
「ええ。あなたは確かに多くの人間に期待されていると思う。でも、あなたは結局あなたなの。どのような方法を取って己の進化を、走り屋としてどう成長していくかを選ぶか…それをじっくり考えなおしてみてほしいところね」
走り屋としての成長。
サーキットレースも大切だが、自分が一番感触をつかみやすいのはやはり公道でのレースだ。
峠や首都高を何べんも何べんも走って、時雨にとっては少しずつ自分の実力が伸びているようにも感じていた。
そしてそう思った以上、時雨にとっては選択肢は自然と絞られた。
自分が走りなれた、公道という特殊な環境で自分の腕をさらに磨いていく。
そう決めた以上、時雨は美奈子の目をはっきりと見てこう口にした。
「美奈子さん…ありがとう、ございます」
「フフッ…腹を決めたようね?」
「はい。僕、ニューヨークに行ってみたいです」
「いい判断よ。あなたならそう言うと思っていた。そのための一押しが足りなかったみたいね」
美奈子はどこか自分事のように喜んでいるようだった。
時雨はそれを見て、海の方を向いてこう言葉を口にする。
「美奈子さんと色々話して、なんだか僕の喉のつまり…って言うんでしょうか、そんなものが…なんか、無くなった気がするんです。僕は周りの人の事ばかりを考えていたのかもしれない…時には自分で決断をすることも大切なのかな、って。僕は思いました」
「ええ、その意気よ。あなたは結局あなた。速くなりたければ…挑戦していくのが一番よ。それこそ、異郷の地に行けばきっと普段よりも多くの物事や機会に触れることになると思う。そうすれば、箱根や首都高の時以上に多くの経験値を積むことが出来るはずよ。そしてそのチャンスを生かすか殺すかは…あなた次第なのだから」
「美奈子さん……」
すると時雨共々海の方を向いていた美奈子は、時雨の方を向いてこう提案してきた。
「どうせなら時雨ちゃん、私もあなたの渡航費用にお金を出すわ」
「いいんですか?」
「いいのいいの!普段から奈美子がお世話になっているくらいなんだから、私も何かしらのお礼をしなくちゃね」
「…今日のバトルもそうですし、僕を励ましてくれた上にお金も出してくれるなんて…本当に頭が下がるばかりです」
「アッハッハ!いいのよいいのよ。あなたには私が出来なかった経験を積んできてほしい…そんな思いもあるからね」
「美奈子さんが出来なかったこと、ですか?」
「ええ。勝手かもしれないけど、奈美子たちが生まれたことで私が出来なかった海外への挑戦を…あなたにはやってみてほしいと思っているの」
「それって…本当に、いいんですか?」
「いいのよ!お母さんもやりたくてやりたいから、ね」
「…ありがとうございます。本当に、何から何まで」
そう言って時雨は頭を深く下げた。
「アハハ、そんな頭を下げなくてもいいのよ…ああ、そうそう。実はね…ショウがあなたに会いたがっていたわ」
その言葉に対し、時雨は頭を上げる。
「ショウさんが…?」
「今ショウはヨーロッパにいるんだけど、2日後に一時帰国するって聞いているの。どう?たまにはショウに会いに行ってみたらどうかしら?」
「……」
自らを心から愛していた男、相楽翔。
彼はヨーロッパに渡っていたが、どうやら一時帰国するようだ。
「ああ、そうそう。もし来るなら電車とバスで来てくれ…って、言っていたわね」
「え…車じゃ、なくてですか?」
「ええ。なんでも車を用意したとかなんとか」
「……」
「何だか色々用意してもらってるみたいだから、会いに行ってみなさい」
美奈子からの予想外の提案。
それは、今欧州にいる元皇帝であり、時雨や艦娘達を心から愛している男の存在…相楽翔に会いに行くこと、だった。
美奈子からの提案を受けた時雨は静かに頷き、その提案に乗ってみることにするのだった。
―――2日後、20時。
東京、成城学園前駅。
時雨たちが生活する箱根から東京都心へ向かうには、車なら東名高速や圏央道、第三京浜や一般道を使うのが基本だ。
だが電車となれば…小田原方面に出るか、箱根から私鉄列車に乗っていく必要がある。
そして相楽翔の住居があるのは…東京都世田谷区は、成城エリア。
ここに行く以上、私鉄列車に乗って移動するのは当然と言えば当然だった。
そして今回、時雨は相楽翔の要望により、成城学園前駅の北口の交差点付近にいた。
「着いたね…時間通りかな」
「ええ、ここで待っていれば迎えの車が来るって…」
成城学園前駅から目的地までは歩いて10分程度。
だがショウはそこに迎えの車を用意していた。
それはやはり、時雨に対する一種の愛情というべきだろうか。
すると、T字路交差点の前方から2人の方向へ…見覚えのある車がやってきた。
「…クーパー?」
黄色のミニ・クーパー。
どノーマルのマシンではあるが、時雨と奈美子には見覚えがあった。
交差点を曲がったところで、クーパーは2人を乗せるかのようにハザードランプを点灯させて止まった。
「おーいお二人さん!早く乗ってくれ!」
左ハンドルであるクーパーの窓を開けて、時雨と奈美子を呼ぶブロンドの天然パーマな髪型、白いスーツを身に着けている男。
その姿に時雨と奈美子は見覚えがあった。
「ツバサ!?」
「あの人がもしかして…?行こう、奈美子!」
「え、ええ!?」
2人は急いでクーパーの方へ向かいドアを開けて、それぞれ後部座席の方へと座った。
運転席側に時雨、助手席側に座ったのは奈美子だ。
奈美子がドアを閉め、ツバサが後方を確認したところでクーパーは発進した。
「2人とも待っていたよ!時間通りで何よりだ」
「先生、もしかしてショウさんから頼まれて…?」
「ああ、そうさ。今回の件は僕も関わってるからね」
「でも、どうしてここに?兄さんと知り合いだったの?」
「実は彼とは長い付き合いでね…しばらく音信不通だったけど、君たちが出会ってからようやっと連絡が取れたってところさ」
「そうだったんですね…ショウさんと知り合いだったなんて」
「フフフ、まあそういったところだね」
白鳥ツバサ…"人形遣い"のツバサ。
作詞作曲、文筆業から映画監督、フィギュア造形にバラエティ番組の司会まで幅広く活動するマルチタレントであるが、本業はセラピストで心理学の博士号を持つ秀才。
美しく整った顔つきにブロンドの天然パーマな髪型、今は外しているが白いシルクハットと白いスーツを身に着けている。
彼の愛車は日産GT-R(R35)ニスモなのだが、セカンドカーとしてはこのミニ・クーパーを所有している。
R35ニスモは2人乗りのため、2人を乗せられるこのクーパーで迎えに来たというわけであった。
仕事の合間の気分転換に箱根を訪れているが、時雨と出会った時は一騒動起こした問題人物でもある。
そんな彼ではあるが、実はドラテクでもかなりの実力を持つ。
先代皇帝である相楽翔…ショウとも面識、交友関係があるようだ。
「でもツバサは兄さんと知り合いだったのね。ちょっと意外だわ」
「ああ。今回の一件に関しても、僕は協力したいと思っていてね…」
「協力?」
「まあ、詳しい話はショウ君のところに行けばわかるよ。すぐ着くから待っていてくれ」
「……」
交差点を曲がったクーパーは、そのままショウの住居へと向かっていくのだった。
◇ ◇ ◇
大通りから少し離れた小道、そしてその先。
住宅街の中において、近くの家々と比べても一際土地を取った比較的広い土地。
明らかに横に広い、高級住宅街においては他の住宅よりも大きい一軒家だった。
横に幅広いその家は、まるで車を整備するためのガレージが備え付けられているかのようだった。
実際家の入口はゲートで封鎖されており、厳戒態勢の中で車が止められているようだ。
家の入口ゲートにおいてクーパーは停車し、ツバサが降りてインターホンを鳴らしに行く。
「…先生か?」
「ああ、例の2人を連れてきたよ」
「すぐ開ける」
ツバサがインターホンを呼び出した後、ゲートが横に動いていく。
開ききったところでクーパーはゆっくりと中へと入る。
中に入り、住居スペースのそばにあるガレージ横に駐車する形で…クーパーは停車した。
「さあ、着いたよ。2人とも、降りてくれ」
「あ、はい」
「はい」
クーパーから降りた3人。
すると目の前にやってきたのは…時雨を呼び出した張本人だった。
「やあ、ショウ君。例の2人を連れてきてあげたよ」
「ツバサ先生、本当にありがとうございます。何から何まで…」
「フフフ、いいんだよ。僕もやりたくてやったんだ。例の件は期待しているよ」
「…ありがとうございます」
ツバサとショウが軽く挨拶代わりに会話した。
そして会話が終わると…時雨と奈美子の方へとやってきて対峙した。
「兄さん…」
「ショウさん…」
「……」
するとショウは、右手を上げて肘を右斜めにし、人差し指を頭に当てていた。
いわゆる海軍式の敬礼だ。
「よく来てくれたな、時雨…」
「「…!」」
静かに、そしてどこか愛情を込めたかのようにショウはそう言った。
その態度に対し、時雨も慌ててショウと同じポーズをとる。
時雨にとっての「あの時代」ではよくあるものだったが、まさかここにきてやることになるとは思ってもいなかった。
だが…奈美子はというと、右肘を真横に、右手の人差し指と中指を頭に当てていた。
言ってしまえば陸軍式敬礼もどきだった。
「…奈美子、それは違うぞ。時雨の方が正しい」
「え、ええ?」
「フッ、まあいい。お前はマネしなくてもいいさ」
奈美子に指摘した後、敬礼を整えた。
それに応じて時雨も敬礼を整える。
「フフフ…ショウ君は随分と時雨君にご執心のようだね。やはり時雨君がショウ君に勝っただけはあるようだ…」
「…そうじゃなきゃ、今日俺はここに呼び出しませんよ」
様子を見かねたツバサがどこかからかうようにそう言ったが、ショウは「それは事実」と言わんばかりにこう続けた。
すると今度は時雨が話しかける。
「あの、ショウさん…今日は、一体?」
その言葉に対し、ショウはこう促した。
「…今日の要件を話す前に、少しお茶でもしよう。俺についてきてくれ。奈美子と先生もな」
「あ、はい…」
そう言ってショウは時雨たちを住居スペースの方へとエスコートするのだった。
―――住居スペース、リビング。
「よく来てくれたな、時雨。そして奈美子。遠いところ本当にご苦労だった」
大きな机に備え付けられた椅子に、ショウとツバサ、時雨と奈美子がそれぞれ対峙するように座っている。
時雨の目の前には最中と湯呑に入った煎茶が置かれていた。
彼の事だから、おそらく伊良湖最中を用意したのだろう。
「今日お前たちを呼び出したのは言うまでもない。お前たちの今後の活躍を祈り、俺は新たな車を授けることを決めた」
「新しい車、ですか?」
「ああ、お前たちが首都高で活躍しているという話を聞いてだ」
「……」
ショウは時雨たちの活躍に関してSNSで聞いていた。
首都高最速と呼ばれるマシンを破った、という話はすでにショウ自身も聞いているのだった。
「お前の事だからあのRZ34に乗ると思っていたが、まさかワンエイティで首都高最速と呼ばれる男を破ったのは驚いたよ」
「ああ、いえ…僕の力なんて、ささいなものですから…」
「フッ、相変わらずだな時雨。謙遜する必要はない。お前は最速と呼ばれていた男を破ったのは事実だからな」
「ショウさん…」
ショウは時雨を褒めるかのようにそう言った。
軽くにやけた…それこそ時雨の活躍を自分の子供や配偶者の活躍のように、喜んでいるようだった。
クールながらも、彼はそうふるまいつつ時雨を見てこう口にした。
「だが、俺としてはあのワンエイティでD1ライツに出場することは難しいと判断した」
「え?」
「どういうことですか?」
奈美子と時雨がそれぞれ反応する。
それを見て再びショウが口を動かす。
「そもそも、だ。お前が優勝したD1地方戦はナンバープレートがある車での出場が認められている。だからお前は出場できた」
「あ…そうですね」
「だが、これからは話が別だ。D1ライツ、D1グランプリではナンバープレートを装着した車は出場ができない」
「……」
D1グランプリには細かいレギュレーションがある。
中でも改造の幅が少ないD1地方戦…つまり一番下のカテゴリであるが、同時にナンバープレート装着車両でも出場することが出来る。
だから時雨はあのワンエイティで出場できた。
だが、D1ライツ以上ではナンバープレートがある車は出場できない。
これは公式で決まっているレギュレーションだ。
「本来ならあのRZ34で出場するのも1つだろう。だが、あれをD1ライツの世界にもっていくのは反則レベルであるとも判断した」
「レギュレーションに引っかかるということですか?」
「それもある。だが明らかにオーバースペックなんだ。D1グランプリなら1000馬力級の猛者もいるから、何の不思議なことではない。だがそれより下のクラスでは明らかにやりすぎていると俺は認識したんだ」
「……」
時雨が所有権を持つもう1台のマシン…白銀のRZ34。
レーシングカー顔負けのチューニングが加えられ、700馬力以上。
それくらいの戦闘力があれば、D1グランプリでも少しは活躍できるだろう。
だがあのRZ34は、D1グランプリに参加は出来てもD1ライツには参加できるシロモノではなかった。
如何せん「改造されすぎている」のだ。
レギュレーション違反と言われても無理もないものだ。
ショウ自身はあの車の細かな改造を知らないが、自分のMY24式R35GT-Rにも追いつけた以上…モンスターチューンドが施されているのを予測するのは容易であった。
「あとはそうだね…君たちの車にはナンバープレートが付いているのは僕でもわかる。だがプライベートで使っている車に対して、レースのたびにナンバー失効や再取得を繰り返すのも野暮だろう。というか反則のはずだ」
「…確かに、そうですね」
「フフフ、そうだろう?僕だってそう思っているんだ」
ツバサの言葉に対し、時雨も納得したかのように言った。
たかだか1戦のためだけにナンバーを失効し、その後再取得というのはあまりにも面倒だ。
何よりレギュレーションに確実に引っかかるだろう。
そう考えれば、ナンバー失効前提のマシンを与えるのは当然と言えば当然だった。
「そこで、だ。俺はナンバープレート失効前提でマシンを用意するべきだと思った」
「ナンバープレートをなくす、前提で…」
「ああ。今のうちはストリートでも乗れるが、今後はサーキットのみで走れるマシン。俺はそれが必要だと考えたんだ」
「……」
ショウの考えは単純と言えば単純だった。
今後D1グランプリへの出場も含めた上で、それらに対応できるマシンをプレゼントしたいというものだった。
「でも、じゃあどうしてここにツバサ先生がいるんですか?」
「フフフ…実はだね時雨君。今回のマシン…素体に関しては僕が用意したのさ」
「素体…車を、ですか?」
「ああ、そうだよ」
「用意してもらったマシンに対して俺はそれぞれチューニングプランを考え…金を出して、実際にショップにチューニングしてもらった」
「まあ、実際マシンを用意しただけじゃなくて…ショウ君からチューニングプランを教えてもらって、僕もアドバイスをしたというわけさ」
「そうだったんですね」
ショウとツバサの言葉に対し、時雨は納得するようにそう言った。
ツバサはショウの依頼を受け、マシンの素体を用意した。
そしてチューニングプランをショウとともに検討、ショップに依頼してチューニングを施したのである。
いわば、時雨にこれから渡されるマシンはショウとツバサの協力によって生まれたマシンたちなのであった。
そしてそれらを話し終える頃、4人はそれぞれ用意されていた伊良湖最中と煎茶を皆飲み干しているのだった。
それを見たショウは、椅子を立ち上がってこう提案する。
「さあ、丁度いいな。用意したマシンをそれぞれ紹介したい」
「…どこにあるんですか?」
「今回のためにレンタルスペースをツバサ先生に用意してもらった。そこに移動したい」
「レンタルガレージ…ですか?」
「この豪邸でもやはり複数台置くとなると流石にガレージが狭くてね…今回、僕のプライベートのガレージを保存場所にしたんだ。そこに行こう」
「そうなんですね」
時雨にプレゼントされるマシンが置かれているのは、ツバサのレンタルスペースだった。
どうやらそこに行くには少しだけ時間がかかるようだ。
「時雨、お前は俺のR35に乗ってくれないか」
「え…僕がですか?」
「ああ。少しの間でいいから、乗ってみてほしい」
「僕が、ショウさんの…」
ショウの愛車、MY24式R35GT-R。
かつて時雨が乗った経験もあるマシンであるが、それにショウは乗せて連れていくという。
滅多にない経験である。
そしてそうである以上、時雨は断らなかった。
「…わかりました、お願いします」
「フッ、ありがとう。奈美子はツバサ先生の車に乗ってくれ」
「あ、うん…わかったわ、兄さん」
「それじゃあ、行こうか。例の場所までは僕が先導するよ」
「先生、お願いします」
そう言ったところで、4人はそれぞれのマシンに乗ってレンタルスペースへと移動を開始するのだった。
ーーー都道428号線、運転中の車内にて。
ツバサのクーパーに追従する形で、MY24GT-Rが走っていく。
方向としては桜上水方面だ。
「(…不思議な感覚。どこか安心感を感じる…やっぱり僕はこの車に乗ったことがあるみたいだ)」
ショウの車の助手席に乗っている間、時雨はどこか安心感を感じていた。
かつて時雨はショウの車に乗せられて、命を助けられた経験がある。
そう言ったこともあってか、ショウの車のバケットシートは不思議なくらいの安心感を感じていた。
あまりエンジンを回していないためか、騒音も意外とないこともあるのだろう。
するとここで、ショウが静かに口を動かした。
「時雨」
「は、はい?」
「俺の話を、聞いてくれないか?」
「えっ…?いいですけど」
前方を見ながらも、ショウは口を動かし始めた。
「今回、俺がお前に車を差し出す理由としては…お前が首都高で活躍したことが大きい」
「僕の活躍の事、やっぱり聞いていたんですね?」
「ああ、もちろんだ。俺はそんなお前の活躍に対し、それに見合った『報酬』として車を差し出したいと思ったんだ」
「報酬、ですか」
「…そして俺はその上で、報酬として差し出す車に対して様々なテーマを与えることにした」
「テーマ…」
そう時雨が口を動かしたとき、目の前のクーパーが信号で止まる。
R35もクーパーに続く形で止まった。
「ところで時雨よ」
「はい?」
「この国で生まれたGT-Rというマシン…それこそR32GT-R、R33GT-Rなどは…国内や海外のモータースポーツシーンにおいて、幾多の優秀な成績を残した」
「はあ」
「ある外国人によってスカイラインGT-Rは…面白い異名を持つようになったんだが、それは何だと思う?」
「…異名、ですか?」
ショウの問いかけ、それはGT-Rがアメリカでどのような異名を持つかを問うものだった。
「ああ」
「……帝王、ですかね」
帝王。
時雨の答えはそれだった。
その答えに対してショウはニヤリとしたかと思いきや、こう言葉を続けた。
「そのセンスも悪くない。だが、間違えだ」
「じゃあ、一体…?」
時雨がそう言うと、一呼吸おいてショウは口を動かした。
「『ゴジラ』、だ」
そう言ったところでクーパーが動き出し、ショウも再びアクセルを踏んだ。
「え…ゴジラ…?」
「そうだ。怪獣映画の名前であり、その映画に登場する怪獣だ」
「怪獣…映画…」
「ゴジラは1954年に初めて映画化され、今でもシリーズが作られている。70年にも及ぶ長い歴史があるんだ」
「1954年…じゃあ、あの戦争から…」
「ああ、10年後だ。その時、世界では水爆実験や核実験が問題になっていてな…」
「水爆実験と、核実験?」
「お前は…広島と長崎に原子爆弾というものが落とされた話は知っているか?」
「本で、読みました。少しだけですけど」
「そうか…だがそこから10年、水爆実験や核実験…つまり原子爆弾の延長線上とも言える実験が盛んにおこなわれていてな…ビキニ環礁沖でのそれに、この国の船が巻き込まれてしまった」
「船が…」
「ああ。巻き込まれてしまった乗組員の中には生還した人もいるが…その後しばらくして亡くなってしまった人も現れた」
「……」
ビキニ環礁での被ばく事件…水爆実験による死者を生んだ凄惨な事件。
そんな事件が、ゴジラを生む大きな要因となった。
「そしてその事件が、ゴジラを生む大きな要因となった」
「事件が…どのようにして、ですか?」
「その映画においての話だが…ゴジラは元々、深海で生き延びていた約1億4000万年前の恐竜だった。それが度重なる水爆実験によって眠りから覚め、水爆エネルギーを全身に充満させた巨大怪獣となって人類に襲いかかった。この怪獣は、最初に姿を現した島…大戸島の伝説によって『ゴジラ』と呼ばれた」
「水爆実験が、恐竜を怪物に…」
「ああ。後に東京都心を破壊したゴジラは最終的に、一人の科学者の手によって葬り去られるのだが…同時にこうも言われた。『あのゴジラが最後の1匹だとは思えない』…と」
「……」
時雨にとっては驚きでしかなかった。
戦後の知識はほとんどないが、まさかそんなことが起きていたとは。
そしてそれに関して、そんな映画があったとは。
そう思うしかなかった。
「まあ…忘れてはならないのは、これはあくまで映画であるということだ。現実との区別はしておいてほしい」
「映画…なんですよね」
「ああ。そしてその映画は世界中に大きな影響を与えた。今でも続編が作られるほどにな」
「……」
時雨が驚きながらも、ショウはこう言葉を続けた。
「だが、アメリカにおいてゴジラはもっと身近な存在なんだ」
「身近、ですか?」
「ああ。一部の設定を編集した作品としてアメリカで公開されてな…これが大ヒットした」
「……」
「この国でこそゴジラは『核の申し子』『現実世界への警告』という立ち位置でいわれることが多い。だがアメリカではよく、『巨大なもの』『すさまじいパワー』『とても強いもの』という比喩表現として、つまり物の例えとして使うことがあるそうだ」
「…同じ言葉でも、この国とアメリカでは意味に大きな違いがあるんですね」
「ああ。そしてそんな、海外において『ゴジラ』の異名を持ったマシン…R32スカイラインGT-Rの後継となる車…R35GT-Rに乗るのが…」
「相楽、翔…ショウさんと」
「フッ…そういうことだ」
かの国においてゴジラの異名を持つ車、スカイラインGT-R。
そしてその後継となるマシン…日産・GT-Rを操る、「皇帝」と呼ばれた男…相楽翔。
ショウはそこからさらに言葉を続ける。
「ゴジラは元々核の申し子的な立ち位置だったが…今の時代では怪獣同士の対決モノ、決闘モノの映画も増えた。時に子供のヒーローにもなった。言ってしまえば時代に合わせてその内容も変化しているんだ。その上で仮に、もし俺がゴジラを操る存在だとしたら、俺を破った時雨はその対となる…戦うべき相手。そしてそうである以上、お前が俺の対になるために相応しいマシンを用意したいと、俺は考えた」
「僕が、ショウさんの対になるように…車を用意したって言うんですか?」
「ああ。お前にはしっかり吟味した上で、アメリカに1台だけ持っていってほしい」
「………」
「『ゴジラシリーズ』に登場する怪獣を模した、4台のマシンをそれぞれ用意した。だがその方向性は大きく違う…ガレージに着いたら、ちゃんと吟味してくれ」
ショウが用意した4台のマシン、それは一体どんなものなのか…
疑問を抱く中、2台は目的地へと近づくのだった。
―――レンタルスペース前。
今回のためにツバサが借りたレンタルスペースの目の前に、クーパーとR35GT-Rが停車していた。
ドライバーたちと助手席の客人たちは既に車を降りていた。
「…ここ、ですか?」
「ああ、ここだ」
ガレージ前にはシャッターが下ろされている。
どうやらかなり厳重な警備が敷かれているようだ。
ツバサが警備システムを解除し、人用の入り口…ドアを開けて入る。
「さあ、入りたまえ」
それに次いで、ショウ、時雨、奈美子の順でレンタルスペースに入っていく。
4人が中に入ったところでガレージの照明が付くと、4つの車がスペース内に置かれていた。
カバーがかけられたマシンが4台ある。
1台はどこかで見たことのあるフォルムだが、それ以外は全くもって検討が付かなかった。
そんな中で、ショウはこう口にした。
「今回俺が用意したマシンたちだ。4台ある…1台をアメリカに持って行くとよい」
「4台…」
「兄さん、そんなに用意するなんて…」
「まあ、それぞれチューニングの方向性も性能も異なるマシンだ。じっくり考えて選んでほしい。4台のうち1台を、だ」
「ではそうだね…まずはこの車のベールから脱いで行こうか」
そう言って一番左に会ったマシン…形状からして外車のセダンのマシンのカバーをツバサが取り外した。
カバーを取り外した先に現れたマシン…それは
かなり外装に手が加えられた、極彩な青色のセダンだった。
「これは…」
「BMW・M6、グランクーペ。今回の4台のうち、唯一の外国車だ」
「BMWって…ドイツ車?」
「そうだ」
M6 Gran Coupe(6C44M)。コードネームはF06。
BMWの6シリーズの3代目、560馬力を誇るマシン。
カーボンボンネットということもあるからか、見た目自体はかなり派手に改造されているように見える。
全体的なエアロは勿論だが、如何せんリアウイングがかなりいかつい。
だがここでショウは意外な事実を口にした。
「初めに言っておくと、この車はパワー部分にはあまり手を加えていない。エンジン周りは尚更だ」
「そうなんですか?」
「ああ。何せこの車はノーマルでも560馬力あるからな」
「560馬力…!」
「これからのマシンに比べれば馬力自体は抑えめだけど、時雨君のワンエイティに比べると明らかに上だろう」
「…そうですね。何も手を加えてない状態で560馬力なんて、僕からしては…驚くしかないです」
M6グランクーペは初期でも560馬力。
そんなマシンである以上、チューニングを施せばさらに馬力アップはたやすいだろう。
だがここでショウはあることを言った。
「この車の方向性はオールマイティだ。ある程度速度が出て、その上で曲がるマシンにしたいと考えている」
「トータルバランスを考えた、ってこと?」
「ああ。闇雲なパワーアップではなく、マシンのパワーを生かしつつ旋回性や安定性を取ったんだ。まあ、冷却系など長距離走行に関して支障が出そうな部分に関しては手を加えているが」
「そうなんですね…」
ただでさえ560馬力を誇るM6グランクーペ。
この車は足回りの強化、冷却やトランスミッションなどの部品系の交換が重点的に行われていたが、M6の心臓部ともいうべきエンジンにはほとんど手を加えていなかった。
それは闇雲なパワーアップよりも、トータルバランスを考えた結果らしい。
するとここで、ショウが意味深なことを口にした。
「マシン名は『Guardian Moth』。訳すと『守護蛾』だ」
「Guardian Moth」。M6には守護蛾の異名をつけられていた。
その異名を気にした奈美子が質問する。
「蛾…?そこは蝶じゃなくて?なんでそんな名前…」
「ある特撮映画シリーズにおいて、蛾を模した怪獣がいるんだ。今回俺が用意したマシンたちにつけた名前は、皆その怪獣たちをモチーフにしている」
「怪獣…そうなんだ」
「……」
ショウは奈美子に対してそう言った。
読者の皆さんはモチーフについてもうわかるだろう。
ゴジラシリーズのくだりからして、蛾をモチーフにした怪獣。
そう、M6に付けられた名前のモチーフとなったのは…モスラである。
詳しく書くとさらに文章が長くなるので割愛するが、モスラの事に関しては各々調べてほしい。
「さあ、次のマシンを紹介しよう」
そう言ってツバサが次の車の方へ移る。
3人もその車の前にやってきた。
その外観に時雨はどこか見覚えがあった。
かつて時雨が操ったモンスターマシン、RZ34にどこか似ているのだ。
そう思っていると、ツバサがカバーを取り外した。
カバーを取り外したところで現れたマシン…それは、時雨でもやはり既視感があるマシンだった。
それに関して時雨がこう呟いた。
「これは…フェアレディZ、ですか?」
時雨の言葉に対し、ショウはフッ、と軽く喜んだかのようにこう言葉を続けた。
「ああ。だが細かく言うと違う。お前が以前乗っていたフェアレディZ…RZ34の2代前のモデル、Z33型だ」
「Z33型…」
日産・フェアレディZ(Z33)。
21世紀におけるマイナーチェンジで初めて現れたフェアレディZ。
21世紀を走るマシンとしてそれまでのZ32とは大幅なデザイン変更が施されており、エンジンもNAのみとなっている。
だが黄金色に輝くそのマシンは、どこか普通のフェアレディZとは異なる雰囲気を漂わせていた。
「兄さん、このエアロは一体?明らかにノーマルじゃないわよね?」
「ああ…この車のエアロは『ロケットバニー』のエアロだ」
「ロケットバニー?じゃあ、僕のワンエイティと同じ…」
「そうだ。同じブランドのパーツを搭載している」
Z33に装着されているオーバーフェンダーのエアロ。
それはまごうことなき、時雨のワンエイティと同じブランド…ロケットバニーのものだった。
だが外観だけでも大きく変更されているだけではない。
ツバサがさらに言葉を口にする。
「このマシンの特性としてはボルトオンターボを搭載し、レーシングプロペラシャフトを装着した強大なパワーと加速を特徴としているんだ」
「加速とパワー、ですか」
「ああ。多少のミスならその加速力でカバーができるマシンになっている。馬力は600馬力。普通のマシンくらいならひねりつぶせるだろう」
今回、Z33にはボルトオンターボが施されていた。
元々NAエンジンのZ33型フェアレディZだが、そこにボルトオンターボを装着して出力を向上させている。
当然エアロも軽量化されたそれであり、足回りに関しても細かく施されている。
すると、ここで時雨がある疑問を口にした。
「…あれ?でもRZ34ってターボが付いていたと思うんですけど、この車は…」
「ああ、Z33はノンターボだ。今回のためにターボを後付けした」
「そうなんですね…この車にも、名前があるんですか?」
「ああ…マシン名は『義努羅』。多少のミスならすぐにリカバリーできる程の力を持つ、そんなマシンになっている」
ターボの有無に関して説明した後、ショウはZ33にも名前が付けられていることを語った。
「義努羅」…ゴジラシリーズのくだりからして、龍をモチーフにした怪獣。
そう、Z33フェアレディZに付けられた名前のモチーフとなったのは…キングギドラ、それも破壊神を止めるために覚醒したキングギドラ…「千年竜王」である。
こちらも詳しく書くとかなり長くなるので、各々調べてみてほしい。
「さて、次のマシンに行こう。2台の詳細はあとで紙にまとめたものを渡しておく」
そう言ってZ33について説明した後、ショウは次の車の方に移った。
そのシルエットは、時雨にとってもどこか見覚えがあった。
今までの流線型のマシンたちに比べれば明らかに角ばっている。
それでも縦長のスポーツカーであるのは間違えない。
「次の車は…今回一番手を加えたと言ってもいい」
そう言ってショウがカバーをはがすと現れたのは…
灰色のR32スカイラインGT-Rだった。
時雨はおお、となっていたが…奈美子はそのマシンの面影にどこか見覚えがあった。
「R32の、スカイラインGT-Rですか」
「兄さん、まさかこの車って…」
奈美子が口にしたところで、それに答えるかのようにショウはこう言った。
「気が付いたか。俺が最初に『皇帝』を名乗った時に使っていたマシンを、改造したものだ」
「ショウさんが、皇帝を名乗った時に…?」
ショウが「皇帝」と呼ばれ始めた時、このR32GT-Rに乗っていた。
エアロ自体は時雨に車を差し出すにあたって手が施されているが、その素体自体はかつてショウが使っていたものそのものだった。
だが、その外観はGTウイングも含めてかなり派手な…それこそ、ブリスターフェンダーのエアロであった。
そのことに疑問を感じた奈美子が、ショウにこう質問する。
「かなり派手なエアロね…兄さん、この車もロケットバニー?」
「いや、違う。この車のエアロは『パンデム』だ」
「パンデム…?」
「ロケットバニーと同じ会社が出している別ブランドと言えばいいな」
「ロケットバニーとは、違うブランド…」
ショウが口にしたエアロパーツブランド、パンデム。
それはロケットバニーと同じくTRA京都から発売されているエアロパーツブランドである。
ロケットバニーは主にオーバーフェンダーのエアロを作っているが、パンデムは主にブリスターフェンダーのエアロを作っている。
カスタムのスタイルによってブランド名を変えているのである。
そしてそれぞれのブランドのエアロは、確実に異なる雰囲気を出しているのだった。
ショウは時雨に対し、さらに言葉を続ける。
「マシン名は『3rd Mecha-GTR』。3度目の改造を施したGT-Rだ。馬力は450馬力程度で、今回の4台の中では一番馬力が低い」
「メカ、GT-R…」
ショウからメカGT-Rと呼ばれたマシン。
すると、奈美子にとってはある言葉が引っかかっていた。
「…兄さん、ちょっと待って。メカって…あのメカ?」
「気が付いたか。この車のエンジンにはターボが装着されていない」
「ええっ!?本当にメカチューンってこと…!?」
まさかのノンターボのNAチューン。
RB26の心臓の一部であろうツインターボが取り外されているのだ。
チューニングの方向性に関して彼は詳しく話をする。
「この車のチューニングの方向性は、単純なパワーを加えたものじゃないんだ」
「どうしてそんな方向性に?」
時雨にとってはターボを取り外すというチューニングの方向性はよくわからなかった。
ショウに質問するのは当然と言えば当然。
すると時雨の目を見たショウは言葉を口にする。
「時に時雨よ」
「は、はい」
「この車にはモチーフとなった車があるんだ」
「モチーフ…ですか?」
ショウの言葉に疑問を口にする時雨。
するとそこで解説をし始めたのは…ツバサだった。
「時雨君、君は『フグZ』と呼ばれる車を知っているかい?」
「フグ?フグって、あの魚のですか?」
「ああ。アメリカにおいて、ある映画俳優がS30のフェアレディZを改造した。ノーマルの状態で購入したS30Zをベースに、俳優自身がカスタマイズ理想図をSNSにアップし、国内の企業がカスタム。特にエアロはロケットバニーの企業が手掛けたマシン…それが『フグZ』だ」
「…フグって名前からして、かなり危なそうですね」
フグZに関して、時雨は「危なそう」と答えた。
するとそれを見越していたのか、ショウは言葉を続けた。
「そうだ。『フグは資格を持った人が適切に調理をしないと命を落とすこともある。クルマもそれと同じで、どんなに素晴らしいパフォーマンスを発揮するように改造しても、知識と技術を持った人がしっかり改造しないと命を奪う危険がある…』という由来なんだ」
「そんな車が、あるんですね」
「ああ。そして俺は、その車を参考にこの車にチューンを施した」
フグZを参考にターボを取り外したR32スカイラインGT-R。
すると疑問を口にしたのは、奈美子だった。
「じゃあ、そのフグZ…もターボを取り外しているの?」
「ああ、そういうことになる」
「加えてこの車に全面FRP化の軽量化を施してあるんだ。R32は本来1.5トン近いマシンだったが、100キロ近い軽量化が施されている…」
「100キロ…!」
ショウとツバサが語ったR32GT-Rの方向性。それは軽量化とあえてのターボ外しによる安定性向上だった。
「この車の特徴はやはり…極限なまでの軽量化とそれに伴う旋回性重視。本来ヘビーでストレートの伸びとグリップに優れたR32では、ありえない方向性といってもいいだろう。コーナーでドリフトを決めた時の旋回速度は侮れないぞ。だが同時に、ドライバーにはかなりの技術が求められるということも注意してほしい」
「………」
ショウは時雨にどこか警告するかのように…だが一方でどこか、「この車を選んでほしい」と言わんばかりの口調でそう言った。
ここで補足だが、この車の名称…「3rd Mecha-GTR」は、ゴジラシリーズのくだりからして、メカをモチーフにした怪獣。
そう、「Mecha-GTR」の名からしてR32GT-Rに付けられた名前のモチーフとなったのは…メカゴジラ。それも機体の基幹の一部にゴジラの骨を含んだメカゴジラ…「3式機龍」である。
やはり詳しく書くとかなり長くなるので、各々調べてみてほしい。
「さあ、最後のマシンだ。とりあえず車の方だけ紹介しておこうか、ショウ君」
「…そうですね。長々と話すのもよくないでしょう」
「じゃあ、早速カバーを外すよ」
「お願いします」
話が長くなりすぎていると考えたツバサは、早々に次の車のカバーを取り外した。
比較的丸いデザインのマシンだ。
だが同時に、これまでのマシンたちとはどこかメーカーのようだった。
カバーを取り外した後に現れたマシン。それは……
黒色の、GRスープラRZだった。
「この車は…正直反則級のマシンだと俺は考えている」
ショウはどこか自虐的にそう呟いた。
車の様子を見た奈美子が質問を口にする。
「これって…GRスープラよね?」
「そうだ。トヨタ・GRスープラ…俺はこの車に『Destroyer』の名を与えた。」
「デストロイヤー…」
黒く輝くそのマシンに対し、ショウは「Destroyer」の名をつけた。
時雨に対し、ショウはさらに言葉を続ける。
「それは…破壊者という意味であり、同時に『駆逐艦』という意味だ」
「破壊者…それに駆逐艦?」
Destroyerの意味は破壊者、そしてかつての時雨の艦種…「駆逐艦」。
だがそれ以上に思い入れがあるようにショウは言葉を続ける。
「そして何より…先に言った怪獣映画が、区切りを迎える…シリーズ完結を迎えることになった際、登場した怪獣をモチーフとしている」
「怪獣の名前…」
「それって、『デストロイヤー』という名前の怪獣ということですか?」
「そうだ。そして…シリーズ原点の作品で、怪獣を葬り去った兵器の名称でもある」
GRスープラに付けられた名前…「Destroyer」は、ゴジラシリーズのくだりからして、当時「ゴジラ死す」という衝撃的なキャッチコピーを持つ…当時のシリーズ完結を謳った映画に登場する怪獣がモチーフ。
そう、初代ゴジラを葬り去った兵器「オキシジェン・デストロイヤー」から生まれた生物…「デストロイア」である。
やはり詳しく書くとかなり長くなるので、各々調べてみてほしい。
「この車はチューンの方向性を決めた僕でも少し恐れを抱いたよ…R32が技のマシンだとしたら、嘸かしこのGRスープラは力のマシンというべきだね」
ツバサ自身、GRスープラのことについてはどこか恐れているかのようにそう言った。
「力のマシン…」
「じゃあ、パワー重視ってこと…?」
奈美子の言葉に対し、ショウはこう答えた。
「ああ。この車のチューニングの方向性は1にも2にも最高速重視。300キロ出すことだって余裕だ」
「300キロ…!?」
「先ほどのZ33の加速と最高速の比を7対3だとしたら…このGRスープラはおおよそ2対8というべきか。馬力も700馬力をゆうに超える」
「…本当に最高速重視ということですね」
「フッ、まあそういうことだ」
時雨の言葉に対し、同意するようにショウはそう言った。
すると奈美子も質問する。
「このエアロ、ロケットバニーでもパンデムでもなさそうだけど…?」
「ああ、これはリバティーウォークのエアロだ」
「リバティーウォーク…?」
「主に高級車を対象にボディキットを開発している企業だ。このショップは世界中で人気があるのさ」
「ランボルギーニやNSXといったスーパーカーも躊躇なく改造するくらいの凄いショップだ。このGRスープラも実際その類に入る」
「高級車をメインに、こんなにも派手なボディキットをメインに開発し続けるメーカー…」
「…すごい店ですね」
リバティーウォーク。愛知県の高級車専門中古車販売店だが、同時にエアロパーツブランドも展開している企業。
会社代表が影響を受けたとされる、昭和の「族車文化」を取り入れたアグレッシブなスタイルが特徴なエアロを多数開発しており、同時にいわゆるシャコタンやフェンダー改造を施した強烈な個性を持っている。
リバティーウォークの最大の特徴といえば、オーバーフェンダーをリベット留めしているところであろう。
何千万円もするスーパーカーのボディを何のためらいもなく切り落とした上でオーバーフェンダーを装着し、しかもそれを留めているリベット穴をわざと露出させる手法は当時のチューニングカー・ドレスアップカー業界に一石を投じ、ここまでやるのかと世界中から大絶賛を浴びた。
今回用意されたGRスープラも、例によってリベット留め丸出しのオーバーフェンダーが目立っていた。何せこのGRスープラのエアロブランドは「LB-WORKS」。“ワークスフェンダー”と呼ばれるオーバーフェンダーが最大の特徴となるフルボディキットを装着しているのだ。
派手なオーバーフェンダー、そしてそれに負けないくらいの主張をしている大型リアウィングとリア前後のパンパー。
ボディキット自体は既製品だが、それでもその派手さはロケットバニーやパンデムにも劣らない。
いや、性能面も含めてしまえば間違えなくこの4台の中では最強というべきだった。
そしてそのマシンは、これまでの3台に比べると明らかに異彩を放っていた。
「デストロイヤー」…否、全てを根底からひっくり返す「ゲームチェンジャー」と言うべきなレベルの派手さだったのである。
「さて…君たちに4台のプレゼントを用意したが、先にも言った通りアメリカに渡る際にはこのうち1台を選んでほしい」
スープラを見ていた時、ツバサは時雨と奈美子にそう伝えた。
「え…でも…」
「ちょっと待って!そんなすぐには決められないわ…!いくら時雨が天才だからって、そんなすぐには無理よ!」
ツバサの言葉に対し、待ったをかけたのは奈美子だった。
いくら時雨が天才的な才能を持っているからとはいえ、この場ですぐに決められるとは到底思えない…それが奈美子の考えだった。
するとそれを見透かしたかのように、ショウが口を動かした。
「落ち着け奈美子。すぐに答えを出せとは言わない…4台を首都環状で乗って、それで判断するんだ」
「首都環状、ですか?首都高…じゃなくて?」
時雨にはショウの言葉が気になった。
首都高ではなく、首都環状?
一体どういう事なのか?
「…首都環状は首都高の中の一部、それも東京都心部と神奈川エリアの一部という、今でも交通量が多いエリアの事だ。お前たちが走った黒羽根線、八重樫線、司馬庭園線はどちらかと言えばその都心部から少し離れた場所にあって、交通量が今は少ない。だが首都環状は今でも一般車両が昼夜問わずそれなりに走っているんだ」
「そんな違いが…」
「ああ。だが何も全開走行をしろと言っているわけじゃない。ある程度踏んで走った上で、どの車が一番自分に合っているかどうかを選んでほしい」
「……」
首都環状は首都高の一部だが、都心部にあるコースの事を中心に言うらしい。
今まで走ってきた黒羽根線なども確かに都会のコースではあるが、決して「都心」というわけではなかったのだ。
「わかりました…乗せてください」
ツバサたちに対し、そう口にしたのは時雨だった。
「時雨…大丈夫なの?」
奈美子は心配そうにそう言った。
すると時雨は持論を展開するように口を動かしていく。
「僕はこれから遅かれ早かれレーサーとしてデビューすることになる…そしてそうである以上、僕は与えられた車でより速く走る必要があると思うんです」
「時雨…」
「僕は4台全部を乗り比べて、どの車が一番…今の僕に適しているのかを自分自身で確かめたいです。ショウさん、協力いただけますか?」
時雨の意志ははっきりとしていた。
するとその言葉を聞いたショウは、「待っていた」というようにこう口にした。
「いいだろう…お前がより成長していく姿を、俺も見届けてみたいからな」
「ショウさん…」
「そうであるならばすぐに始めよう。夜は短いし、互いに予定もある。早速首都環状へ行こう」
ショウはすぐに首都環状へ行くように提案するのだった。
「わかりました…よろしくお願いします!」
ショウの言葉に時雨は頭を下げた。
するとその様子を見ていたツバサがこう言った。
「フフフ…頭を上げたまえ。僕たちは単にチューニングした車を用意しただけだからね。だが、ここから先は君の感覚が全てだ。僕たちにどんな選択をするか…見せてもらおうか!」
ツバサの口調はどこか時雨への挑戦を仕向けるかのようだった。
「…乗らせてください。走った上で、自分で判断します」
「フッ…いいだろう。俺はお前の横に乗る。お前の感想も是非聞かせてくれ…」
「わかりました…お願いします」
4台にそれぞれ乗ることで、どの車が一番彼女に合うかどうかの吟味が実施されることになる。
1晩かけての「モンスター選び」が始まろうとしていたのだった。
―――その後、時雨は4台のうち1台を選ぶのだが、これについてはまた後の話である。
―――エニシとの出会いから2週間ほど経過した後、羽田空港国際線ターミナル。
遂に旅立ちの日がやってきた。
移動用の荷物に関しては既に預けたため、あとはもう手荷物検査を行うだけになっていた。
羽田空港に送迎にやってきたのは…エニシと奈美子の母、美奈子だった。
「さて、もうそろそろ時間だな。2人とも準備はもういいか?」
「はい、大丈夫です」
エニシの言葉に時雨はそう答えた。
もう間もなく手荷物検査の締切時間がやってくる。
それを見越して、最後の挨拶をするのだった。
「エニシさん、本当にいろいろと助けてくれてありがとう」
「いや…問題ないさ。俺達が出来なかったことを、お前たちにはやってきてもらいたい。ニューヨークにヒュウガがいるとは限らないだろうが…頼むぞ!」
「2人とも、体だけは気を付けてね」
奈美子の言葉にエニシと美奈子は互いにそう答えた。
それを見た時雨と奈美子は手荷物検査場へと移動しようとしている。
「ありがとうございます。それじゃあ、僕たちはこれで」
「行ってくるね」
「ああ…頑張れよ!」
「気を付けて!」
時雨と奈美子が頭を下げ、上げたところでエニシと美奈子の前から去っていく。
そしてそのまま手荷物検査場へと向かおうとしていた時だった。
「グレー!」
「え?」
「…あれって!」
移動していた時雨と奈美子の前に現れたのは、例によって時雨の最大の相棒でありライバル…丹陽こと雪風だった。
彼女と奈美子、時雨が対峙する。
「ゆ、ユキ!」
「雪風ちゃん!?」
走ってやってきた雪風は、急いできたのか息切れしていた。
「よかった…何とか間に合ったみたいだね」
「どうしてここに?」
「チームの代表さんから聞いたの!グレが、アメリカに行ってくるって!」
「ああ、えっと…まあ、短期だけどね。2ヶ月くらいだし…」
「そっかあ…でもグレってすごいよ!まさかアメリカに行くなんて!」
「う、うん…」
どこか言葉が出ない様子の時雨。
するとそれを見たのか、雪風はあるものを取り出すために背負っていたリュックを地面に下ろす。
「そうだ!海外遠征をするって聞いたから、あれを渡しておきたかったんだ…」
「あれって?」
「一体?」
そう言って丹陽はリュックの小物入れから…時雨に対してあるものを手渡すのだった。
「これ、渡しておくね」
「これは…」
時雨が受け取ったもの、それは雪風の…雪風改二になった際に付けられる桜の形をした髪飾りだった。
「桜の髪飾り…これは一体?」
「えへへ、実はそれさ、『幸運を呼び寄せる』って話題なの」
「そうなの?」
「グレにはさ、向こうでも頑張ってもらいたいから…あと、無事に帰ってきてもらいたいから渡したかったんだ!」
「そうなんだ…ありがとう。受け取っておくよ」
「それと…」
そう言うと丹陽は唇を時雨の頬に近づけ、軽く目を閉じたかと思いきやそのまま軽く触れた。
文字通りのキスだった。
「ゆ、雪風ちゃん!?」
「ユキ…?」
数秒間時雨の頬に唇を当てた後、すぐに雪風は顔を離した。
「幸運の女神のキスだよ!グレも頑張ってね!」
「あ、ありがとう…?」
「お、おおお…」
雪風の思いがけない行動…いくら「あの時代」でも一回だけあったことを踏まえても、よもやこの時代で再びやるとは思えなかった行動に、時雨は多少赤面していた。
一方の奈美子も慣れない女の子同士のキスに対し、どこか羞恥心を抱いていた。
何せ空港のターミナルという公の場で場もわきまえずに一方的なキス。
最大の相棒であるということを考慮しても、そばにいるとどこか恥ずかしさがあった
すると、空港アナウンスが鳴り響いた。
どうやら保安検査場の締切時間が近いようだ。
「いけない!時雨、急ぎましょう!」
「う、うん。じゃあ、僕たちはこれで…」
「うん。アメリカでも頑張ってね!戻ってきた暁には、あたしとクルマで勝負しようよ!」
「ユキ…」
雪風は時雨がスケジュール通りに戻ってくることを見越しているかのようにそう言った。
互いに腕を磨いて、また戦おう…そう雪風は期待するのように言うのだった。
そして雪風に対し、時雨はこう口にした。
「ありがとう…今度は、あの『路』で会おうね」
(第11話End)