人が落ちきる寸前での思索 

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マジで落ちきる5秒前

 どうしてこんなことになったのだろう。

気がつけば私は屋上から身を投げていた。確かに自分の意思で行ったはずなのだが、いまいち実感が持てずにいる。何もいじめられていたとか、家庭環境が悪かったわけでもない。

ただ少し不運が続いて、それが自分が何をしようと変えられなかったもので、それが人生設計に多少なりとも影響してしまった。

そんな感じの、どこにでもある普通の不幸があっただけだ。それをどうやら私は重く受け止めて、このような行動に走ったらしい。

 確かについさっきまでは尋常でないくらいに鬱々としていて、その感情は今も思い出せる。つまり度が過ぎた憂鬱による気の迷いで私は屋上から足を踏み外し、そして地面に向かって落下している。

そしてそんな愚かな自分の行動に悲しんだり怒っていたりしているわけではない。

それにしても本当になぜこんな愚行に走ったのか、これが自分にもわからない。

生きていれば大体のことはどうにかなるし、いくら救いようのないバカでも生きていく道があるなんてことは職員室にいけばすぐに理解できるわけで、わざわざ今死ぬことを選ぶ必要はなかった。

それを知ってもなおこんな選択をした自分への失望はそこそこに、実際に落ちてみてこれまで聞いてきた俗説がどれだけ当人が不在のうえで作られたものなのかがわかった気がする。

なにも極限まで思いつめたわけでも、その先に幸福があると盲信したわけでもなく、何となくの粗雑な破滅願望と曖昧な好奇心にありふれた憂鬱が加わっただけでも人は死ねるのだと、実際に足を滑らせてわかった。

そしてここからどう足掻いても救えない命があることもわかる。こんなにも刹那的に人は死ねるのだからあらゆるセーフティーネットをすり抜けるものが存在するのも自明だ。

それでもなお人を救おうとしている人々はきっと美しいだろう。それがたとえ本当に人を救おうとしているわけでもなく、方法も結果に結びつかないものであったとしてもその理念と精神は美しいはずだ。間違いなく。

 

 こんなことを考えているうちに頭が下を向いてしまった。別に今さらこの状況から生きて帰ろうなどと思ってはいないため、どうでもいいといえばどうでもいいことだが、思考の時間が短くなるのは惜しい。折角の今際の際なのだからもう少し味わわせてもらいたい。

折角だからこの後どうなるのかについて考えてみよう。

もう死に向かうだけの自分のではなく、自分の身の周りにいた人のこの先について。

といってもそれについてもわかりきっている。

家族も友人も1、2週間は悲しむことだろうし、もしかしたらそれ以上悲しみ続けるかもしれない。

だけどそのうちその悲しみも過去のものとなっていつも通りの生活に戻るだろうし、そうあってほしい。

死んだ後でも他人の怠惰の責任を押し付けられるのは嫌だし、こんな尻軽な奴の死を悲しみ続けられるのは困る。もっと何かしら考えたかったが、この程度の考えしか浮かばない。

だがそれも恐らく当然で、結局周りには投身をためらわせてくれる人がいなかったのだ。

 もうすぐ落ちきろうというときに嫌な気持ちになってしまった。

こんなことならこの先のことなんて考えるべきじゃなかった。

そもそも今から死のうとしているのに未来について考えるなんて意味がないのに。

しかし無意味といえばこの命自体無意味だったのだからある意味お似合いの終わり方かもしれない。

最後に何か楽しそうなことを考えようと思ったが、それももうできなさそうだ。だってもう


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