ある魔術師が都に向かう途中、毒沼の傍で休憩をしていた。
魔術師がいつものように竜の背に寝そべり、静寂に意識を浸していると、ぱちゃぱちゃと水音が聞こえてくる。
見ればいくつかある毒沼のひとつで小さなネズミが溺れかかっているところだった。
「助けてください、助けてください。なんでもして差し上げます。だからどうか助けてください」
静寂を邪魔された魔術師は怒って杖を向けたが、少し考えてから気が変わったのか、ネズミを救うことにした。
引き上げられたネズミは竜の背の上でぷるぷると身体を震わせ、汚れた液体を鱗の上に飛び散らせる。魔術師の外套にも数滴の染みがついたが、魔術師は何も言わなかった。
「それで、何をしてくれるんだい、おちびちゃん」
魔術師が問いかけると、ネズミは困ってしまった。彼にできて魔術師にできないことなんて考え付かない。だが、なにかしらのアピールをしなければもう一度毒沼に戻されることは明らかだ。なにせ穴の中で生活しているネズミたちにも知れ渡るほど、魔術師の冷酷さは有名だったからだ。
「ここをあなた様の完璧な休憩場所に仕立てあげます。緑を生やし、沼の匂いを失くし、甘い香りの果物を育てます。いかがでしょうか」
魔術師は顎に手を当てて考えると少ししてからうなずいた。
「いいだろう。きみを巨人に変身できるようにしてあげる。それでこの場所を整えてくれたまえ」
魔術師はネズミに魔法をかけ、都へと去っていった。
さて、ネズミは早速毒沼を改築することにした。魔術師に言われたとおり逆立ちになって三回跳んでから着地すると、すぐに自分の姿が今までよりもずっと大きく、森の大木だって片手で引き抜けるほど力強くなっていることに気付いた。
ネズミはまず、毒沼に草を生やすことにした。森の中に入ってシダのたくさん茂る場所に到着すると、その場にいたイタチたちに向かって言った。
「イタチくんたち、シダを貰っていくよ。魔術師さまに献上しなければいけないんだ」
イタチたちは巨人の襲来に怯えていたが、それが彼らが毎日いじめていたネズミの声だと分かり、猛烈に怒った。
「おまえ、ネズミだな。なんでおまえごときに俺たちのベッドを盗られなきゃいけないんだ。尻尾をかじられて逃げ回っているだけの臆病者はとっとと消えろ!」
そこでネズミは彼の尻尾の半分がイタチに食べられてしまったことを思い出した。
ネズミは彼を取り囲んで口々に悪口を言うイタチを片っ端から捕まえて首を引っこ抜き、敷物にしてしまった。
毒沼に戻ったネズミがイタチの毛皮を敷いてその上にシダを植えると、たちまち辺りは緑でいっぱいになった。
次にネズミは毒沼の匂いを消すことにした。森の一番古くて一番いい匂いのする枯れ木のところまでくると、枯れ木に穴を開けて住んでいるキツツキに向かって言った。
「キツツキさんたち、枯れ木を貰っていくよ。魔術師さまに献上しなければいけないんだ」
キツツキたちは巣穴に引っ込んでいたが、それが彼らが毎日ドングリを取り合っていたネズミの声だと分かり、猛烈に抗議した。
「きみは、ネズミだね。どうしてきみはぼくたちの家を持っていこうとするんだい。もしそうするならぼくたちは毎日きみの食べるドングリを目の前でさらっていくよ」
そこでネズミはドングリをキツツキに奪われて、腹ペコで冬ごもりをしたことを思い出した。
ネズミは喧しく羽ばたくキツツキを無視して枯れ木を振り回し、まだ中にいたヒナや卵を残らず地面に叩き出してしまった。
毒沼に戻ったネズミが沼の上に枯れ木を浮かべると、たちまち辺りに漂っていた瘴気や嫌な臭いは消えていった。
最後にネズミは果物のなる木を植えることにした。森の一番豊かで甘い果実の実る木のところまでくると、その地下に穴を掘って住んでいるネズミたちに向かって言った。
「兄弟たち、恵みの木を貰っていくよ。魔術師さまに献上しなければならないんだ」
ネズミたちは巨人の立てる足音に怖がっていたが、それが彼らが毎日一緒に生活していたネズミの声だと分かり、大いに困惑した。
「やあ、兄弟。どうしてきみはぼくらの恵みの木を持って行こうとしているんだい。そんなことをされたらぼくたちは毎日きみを呪うしかなくなってしまうよ」
そこでネズミは彼らに自慢話をするために毒沼に飛び込んだことを思い出した。
ネズミは巣穴の上を歩いてトンネルを崩落させると、彼らの飢えを満たしてくれていた恵みの木を引き抜いてしまった。
毒沼に戻ったネズミが沼のほとりに実のなる木を植え替えると、たちまち辺りは甘い匂いでいっぱいになった。
毒沼が変わってからしばらくすると魔術師がやって来た。
ネズミは自分の働きぶりを事細かに魔術師に喋った。小さな自分に大きなことができたのが誇らしかったのだ。
ところが、魔術師は竜の背に寝そべったまま五月蠅そうにネズミの口を魔法で塞いでしまった。そして眠りから覚めるとまた別の場所に竜と飛んで行ってしまった。
ネズミは魔術師に褒めてもらえなかったので、今度は森の仲間たちに自慢をしに行った。
しかし、森の仲間たちはネズミの姿を見ると一目散に逃げだした。
寂しくなったネズミは逃げ回る彼らに謝ろうとしたが、どんなに頑張っても魔法のせいで喋れなかった。
それならばと魔法を解こうとしたが、巨人の大きな身体では逆立ちして三回飛び跳ねるなんてことは夢物語だった。
今のネズミには泣き声を上げることも仲間たちと身を寄せ合うこともできない。シダの柔らかいマットも水面に浮かぶ古木も甘い果実の香りも、彼の孤独を癒すことはなかった。
ひとりぼっちになったネズミは、彼が誰だったのかなんて知る者のいなくなった今でもまだ、毒沼のほとりで魔術師の帰りを待っている。