長椅子に座って湯気の立つ金属製の容器から茶を飲みつつ、果物の砂糖煮を舐める。帝冠諸邦における研究者の燃料が珈琲なのであれば、人民主義国における研究者の燃料は茶なのであった。
「……悪くないな」
染み渡る熱を感じながら、ノヴァーク博士は呟いた。
「これもおいしいですね」
そう言うケレメンが食べているのは揚げた生地にたっぷりの肉と野菜を刻んだ具を詰めたもの。帝立大学の近くで売っている屋台のものと生地の食感や味付けは異なったが、これはこれで、と思える味わいだった。
「ところで、私について話していなかったかい?」
ノヴァーク博士は隣に座るケレメンに言った。
「いえ、ヤー・エル・ノヴァクという研究者についてですよ、ラメーエフさんはその人の論文を読んだことがあって、知的な哲学者のような男性を想像していたようです」
ノヴァーク博士は思わず熱い茶を吹き出しそうになったが、なんとか耐えた。
「いやはや、翻訳の過程で失われる情報がこんなにあるとは!この笑い話を聞けただけでも人民主義国まで来た甲斐はあったというものだよ」
ひとしきり笑った後にノヴァーク博士は底に残っていた茶を飲みきり、追加で注いでもらってから長椅子に戻った。
「……それで、技師としてはどう見る?」
「中身は単純でしたが、実際に配線をするのは大変そうですね」
「というと?」
「そもそもノヴァーク博士は、
「……穴を介して通電するかどうか、だろう?」
「知ってましたか?」
「穴を開けているということは何かを遮っているかどうかで判定をしているわけだ。光の場合には増幅の素子が必要になるだろうから、構造を単純にすることを考えると通電だろうな、と」
「ともかく正解です。実際は掃除に使う刷毛とかに近いもので、毛として金属の細線が使われているわけです」
「それが穴の来るだろう場所に並べられているわけか。そうすると数百組の金属線の束があの機械の中に?」
「そうなります。整備をしっかりすれば誤った読み取りもそうないし。
「そうすると、どうなる?」
「強度不足で内部機構に紙が耐えられずに折れ曲がって詰まるそうです。とはいえ取り出しは容易だそうで」
「よくできているな。この手の機械の設計は私の得意とする分野と別だろうから、技師には敬意を払わないと」
そう言って、ノヴァーク博士は茶で温まった息を吐いた。
「配線自体は片っ端から繋げればいいだけです」
「電気系の機械の裏を見るたびに思うのだが、ああいう浮いたような配線をしてよくまあ問題が起こらないね」
「よく起こりますよ?」
ケレメンは最後の一口を食べて包み紙を畳みながら言った。
「短絡を起こしたり、あるいははんだ付けの接触不良があったり。とはいえそういう中でもいかに詰め込むかが技師の腕の見せ所ですが」
「……必要なのか、それ」
ノヴァーク博士は呟くように言った。
「どういうことですか?」
「熱電子管の問題を私の方でも少し調べてみたのだがね、問題の一つは熱だ。結果として密集させることはできないし、そうすると浮いた配線の問題点が多くなるのでは、などと考えてね」
「なら、他に代替案が?」
「実用的かどうかは不明だがね、印刷基板というものがあるらしい。石炭酸樹脂と金属を利用するもののようだ」
「なんで知っているんですか?」
「地元の新聞にあった」
「よく読んでいますね……」
「特許を取ったようだが、幸いにも大学で研究用途に使う場合はこの種のものは関係ないからな」
「そうなんですか?」
驚いたようにケレメンは言った。かつて彼が勤めていた郵便局の技術部門では、このあたりはかなり慎重に扱うべきとされていたからだ。多額の費用をかけて作った機械であればあるほど、特許紛争の影響は大きい。たとえ勝ったとしても、その過程で失われるものの多さは新聞を見ていればたまに出てきていた。
「万国特許条約のあたりは別に私も専門というわけではないがね、概説ぐらいは読んでいる。研究がただちに商業用途へ利用されず、かつ研究に明確な資金提供を受けていなければ、特許は免除……権利者側にとっては踏み倒される」
「……難しいものですね」
「逆に我々が特許を取るときにも色々と制約がかかるがね。例えば特許の出願の前に論文で発表を行ったり、あるいは展示会で公開した場合、手続きが相当ややこしくなる。たしか半年間の猶予しか与えられないはずだ」
「……なるほど」
ケレメンはそう言って、頭の中で何か技術的になにかの特許に引っかかってはいまいかと考えていた。膨大な量の特許を確認するのは手間がかかるが、技術分野となると統一都市同盟か大党国のものは確認しておいたほうがいいかもしれない、というところまで考えを巡らせていた。
「とはいえ、私の論文に従った部分は特許を取れそうにないな。あれは発案に過ぎないし、技術的に面白い発想を含んでいるわけでもない。論理を回路で表現することも先行研究がいくつもある」
「足し算だけなら自動交換機をうまい具合に繋げてもできますからね」
「我々の計算機械に比べれば、酷く遅いがな」
「まだできていませんがね。とはいえ加算部分であればそろそろ試作品が完成しそうですよ」
「ああ、遅延の大きい」
そう言ってノヴァーク博士は少し前の議論を思い出していた。ある二つの数を足す時に、一般的には下の桁から計算を重ねて繰り上がりを計算していく。しかし、その方法では桁の分だけ遅延が生まれる。
遅延を少なくするためには、入力から出力までの間で信号が通過することになる素子を少なくすればいい。そのための方法として、ノヴァーク博士は大規模な並列回路を設計していた。
「事実上問題ないと思いますけどね」
もちろん、ケレメン側としては速度のために熱電子管が増えて、そのせいで故障の確率が高くなっては意味がなくなってしまう。ノヴァーク博士の出したいくつかの折衷案──例えば桁を半分に分けて計算し、小さい方で繰り上がりが起こる場合と起こらない場合の両方を同時に計算する回路を搭載することで速度をほぼ倍にしつつ使用素子の増加を1.5倍に抑えるものなど──は否定されたが、その中で遅延を利用することで素子を最小限にする手法はケレメンも気に入るものだった。
「とはいえ、それを使えばすぐに積算機か」
「案外一つ一つの部分を作るのは難しくないんですよ、全てを組み上げて、整然と動作させるのが一番辛いところです」
それを聞いてノヴァーク博士はなるほど論文も似たようなものだろうか、と考えたが自分の書き方が全部を頭の中で作ってから書き出す方式であったので違いそうだな、と一人で納得していた。