基本的に、組立はケレメンにしかできなかった。もちろん第三者による修理が可能なように、との配慮は最低限はなされたものの、図面への簡易な書き込みによる修正やノヴァーク博士が用いる略号の使用など、第三者にとっては解読が困難なものにはなっていた。
「……この調子だと、完成は一年後か」
ケレメンは工程表を見上げて息を吐いた。これは単純に、やらなければならないことが多すぎるからである。
一部は回路図はできていたものの実際の設計はその場で行い、買ってきた板を切り出して筐体を作り、熱がこもるようなら通風を考えて穴を開け、そうして半ば弥縫的ではあったが今の時点で入力、出力、そして演算はできるようになっていた。
「言うなれば、電子加算機か」
「入力に時間がかかるので、機械式のものを使ったほうが間違いなく良いですよ」
そう言って、ケレメンは穴を開けた
「ではこちら、どうぞ」
「うむ」
ノヴァーク博士が
「……こうなると、どれぐらいの速度なのか見当がつかないな」
「まだ緩衝記憶装置もつけていませんからね、出力速度の限度が
そう言ってケレメンが取り出した紙には、確かに計算結果が打たれていた。
「よし。ところで、これに書き込んでも?」
「構いませんよ」
ケレメンが言うと、ノヴァーク博士は取り出した万年筆で日付と署名を書いた。
「よく思うのですが、そういうものを記録しておく意味はあるんですか?」
「人間の記憶には限界があるから、覚えておくことは重要だよ」
「あるんですね、限界」
「なんだい」
「二ヶ月前の昼食を思い出せますか?」
そう聞かれたノヴァーク博士は、しばらく黙って考え込んだ。
「ぴったり二ヶ月前でいいかい?」
「ええ」
「たしかその日は計算がうまく行ってね、食べそびれていた」
「……なるほど」
おそらくどうして覚えているのかを聞いたら、いつ何をやったかぐらいは覚えているからそこからの類推で、などとさらりと答えられるのだろうとわかっていたケレメンはそれ以上の問いを投げかけなかった。一方で、ノヴァーク博士はいきなり変な質問をしてきたケレメンを訝しんでいた。
「あとは面倒な訴えを防止するためでもあるね。私のほうが先にそれを発見していた、などという主張によって正当な貢献者から名誉が奪われるのは、決して珍しいことではない」
「……ええ、そうですね」
ケレメンはかつて大学の設備を直していた際に、そういった話は何度も聞いていた。もちろん、「奪った」側にもそれなりの言い分がある。埋もれていたはずの研究を掘り出した功績があるだとか、あるいは計画を練り、資金を集め、指導を行ったのは自分であり、功績を主張している人物はただ手を動かした作業者に過ぎず、知性を評価されるに値しない、などと。
とはいえ、ケレメンにとってそれらは縁の薄い話であった。評価が得られた技術者など、彼のまわりでは聞いたことがなかった。電信線を維持するためにどれだけの人が働き、一つの機械を作るためにどれだけの女工が汗を流し、一つの数表を作るためにどれだけの計算手が作業を行ったかは、基本的に表には出ない。
「ケレメン君にも、ふさわしい名誉があるようには気を配りたいものだがね」
「……博士は、そういったことで揉めたことがあるんですか?」
「幸いに、今のところはない。私のほうが後から見つけたなんてことは、子供の頃から慣れているさ」
言い換えれば子供の頃から自力で証明や発見を重ねているということなのだろうが、ノヴァーク博士の口ぶりは謙遜そのものだった。
「……ただ、どこかでこの種の機械が作られていたとしたら、と思うことはありますね」
「先に作成した、という名誉の話かい?」
「……それを求める気持ちがないとは、言いません」
ケレメンは既に、この機械にかなりのめり込んでいた。朝から夜まで単純な作業を続けても苦にならないという彼の才能を抜きにしても、ノヴァーク博士の講義の中から様々なものを学び取り、途中経過として書いている報告書も悪くない出来にはなっていた。
「とはいえ、私からすればこれはあくまで道具だよ。もちろん、この道具を独占しようなどという話があれば裁判でもなんでもやってやるがね」
「だとしたら早く公知にしたほうがいいですね、どこかで発表会でもやりますか?」
「……良い発想だ。確かに今の様子を見せるだけでも、それらしくはなるだろう」
「まだ出来ているのは加算だけですが」
「乗算もそう遠くないうちにできるだろう?高速の計算機ということさえ印象付ければ、予定よりも早くこの研究所に追加の予算が出る可能性はある」
「……そういえば、そういう話もありましたね」
ノヴァーク博士が所長を務め、ケレメンが学生として、そして主任技師として働いている計数研究所は看板も存在しないまま書類上は予算を使うだけの機関になっていた。
もちろん所長であるノヴァーク博士がいくつか興味深い論文を書いてはいるものの、それが直接研究所の評価につながるわけではない。もちろん、事前に定められていた期限を伸ばす効果はなかった。
「忘れてもらっては困るよ、私が職を失うかどうかの瀬戸際なんだ」
「ノヴァーク博士の才能だけなら、雇うところは多いと思いますよ」
「その言い方は引っかかるな」
ノヴァーク博士の口調は少し不機嫌そうなものだったが、ケレメンにはそれがある程度演技混じりであることはもうわかるようになっていた。既に半年程度軽口を叩き合っていた仲である。
「性格には難がありますからね、一緒に働くのは難しいと感じる人も多いかと」
「……そういえば、私が職を失うときは君も技師の職を失うのか」
「郵便局からはいつでも戻ってきていいと言われています。学士になっていれば給与も上がりますしね」
「つれないなぁ」
ノヴァーク博士は笑って言うしかなかった。