帝冠諸邦の計算屋   作:小沼高希

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0d032: 実証機械 2

来訪者の名前を名簿と照らし合わせ、事前に用意していた名札を日雇いの学生とともに渡す作業をしていたケレメンは人の流れが一旦落ち着いた所で席を立ち、計数研究所で一番大きな作業部屋、すなわち「実証機械(ベムタトーゲープ)一号」の設置場所へと向かった。

 

ケレメンでも名前を知る大物たちの来客もあって、彼の精神はもうかなり消耗していた。実証機械の熱電子管を安く手に入れられた理由である大党国の数学技術評議会(マテマティッシュ・テヒニッシャー・ラート)宛に招待状を出した時にはノヴァーク博士の機知を感じたのであるが、実際にそこから人が来ると招待状を出したのにもかかわらず背が冷えた。

 

とはいえこれからはしばらくは立っているだけでいいだろう、と少し動かしにくい服に身を包んだケレメンは扉を開けた。

 

「ご紹介しましょう、こちらが機械の制作を担当した技師、ヨージェフ・ケレメンです」

 

待ち構えていたのかノヴァーク博士にいきなりそう言われ、広がる拍手の中でケレメンは小さく頭を下げるしかなかった。部屋の隅には紙の容器と大きめの容器に入った珈琲が準備されていたのもあって会場には香ばしい匂いが漂っており、熱電子管によって部屋は外に比べて暖かくなっていた。

 

「さて、私は理論が専門ですので詳しい話は彼に頼みましょう。それではケレメン君、説明を」

 

打ち合わせでは先にノヴァーク博士が理論的説明をする予定になっていたが、予定が変更になったのだろうとケレメンは判断した。半分ぐらいは面倒なことを押し付けられたのではないかとも考えていたが、それを顔には出さなかった。

 

「ご紹介に預かりましたケレメンです。この機械は大量の熱電子管や素子を用いていますが基本的な目的はただ一つ、汎用的計算処理を高速で行うことです」

 

自動装置によってゆっくりと予熱されていた熱電子管は、ケレメンの見る限り全て問題なく稼働していた。もしここで問題があるようなら交換がどのようにされるかを説明すると同時に内部構造を見せるつもりであったのだが、その必要はなさそうであった。

 

機械の全体の構造を説明し終わった時には、それを把握できているのは全体の半分程度であるように思われた。

 

「それでは、ある計算をしてみましょう」

 

予定にあった数式をケレメンは穴の空いた穿孔紙(ピェルフォカルタ)として来訪者に見せ、それを入力装置である作表機(タビュリャータ)に入れた。

 

「誰か、映えあるこの機械の最初の計算を始めたい方!」

 

ケレメンがそう言うと、少し緊張したように一人の男性が手を挙げた。

 

「ではこちらを、ゆっくり一回押してください」

 

赤く塗られた押釦(プルサンテ)が緊張とともに押し込まれ、そして離される。ほぼ次の瞬間、出力の印刷電信機(テレスクリヴェンテ)が数字を吐き出した。

 

この過程で、裏では相当な計算が行われていた。十六進法で打ち込まれた二つの数が二進法に変換され、積が求められ、それを十進数に変えていく。非効率的な手続き処理も多かったが、人間の反射限界を上回る出力時間の短さのためにそれに気がついた人物はノヴァーク博士とケレメンを除いていなかった。

 

「ここに機械式計算機があります、もし計算結果をお疑いの方はこちらをどうぞ」

 

そう言って、ケレメンは印刷された紙を来訪者たちに回した。

 

ここまでは問題がなかった。ただ、矢継ぎ早の質問が彼に飛んできた。

 

「積の処理はどのような方法で?」

 

「具体的な計算速度は出せないか?」

 

「単純な四則演算以上のことはできるのかね?」

 

帝冠諸邦の公用語は、学術界でもそれなりに地位があった。そのため、飛んでくる質問をケレメンはなんとか聞き取れた。

 

「皆様、少し落ち着いてください。彼はこの機械ほど処理が速くないので」

 

すっと横に立っていたノヴァーク博士が言うと、周囲に笑いが広がった。

 

緊張がほぐれたケレメンは、その後の質問に一つ一つ答えていった。

 

「……他の計算も見せていただきたいのだが、私が問題を作っても?」

 

中にはこういった質問をする人もいた。

 

「もちろんです、ただまだ入力方式が特殊なもので、具体的な形を教えていただければ」

 

そう言って出された積の問題をノヴァーク博士が自ら穿孔紙(ピェルフォカルタ)に穴を開けながら返答をしていたが、ケレメンはここでさらりと十進数の与えられた数字を十六進法にノヴァーク博士が脳内で変換してから穴を開けていることに気がついていた。

 

これは十進数を十六進数を変換する回路が作れていないことを覆い隠してしまっていた。他にもいくつか行われた実演──例えば互除法による最大公約数の計算──は、基本的な数学的問題を高速に処理する機械、という印象を参加者に与えるのには十分だった。

 

招待状の文面や機械の名前もあって、多くの人がこの計算機械を未完成のものであるとは思わなかった。もちろん今後改良を重ねられていくことはわかっていたが、それでも今の時点で十分実用に耐えうるのではないか、と思わせるだけの力がその機械にはあった。

 

もちろん、ノヴァーク博士やケレメンが嘘をついたわけではない。何回か繰り返し二人とも機械は不完全であり、修正すべき点は多いと主張したものの、それが実用上の決して小さくない問題をこの機械が多く含んでいることを示唆しないように心がけていた。

 

『しかし記憶のための熱電子管がかなりの率を占めるのか、このあたりの代替技術は速度の問題もあるだろうし……』

 

『こういう用途であれば例の新合金を使った熱電子管開発も使えるのではないかね』

 

『故障はやはり問題になりそうだ、熱電子管の交換にかかる手間を考えれば……』

 

そういった各国の言葉は、内輪の会話のつもりであったのだろうがノヴァーク博士やケレメンの聞き取れる範囲にあった。内密そうなものは詳しくは聞かなかったものの、これらの過程で多くの改善可能な点が発見されたのは間違いない。

 

この「実証機械(ベムタトーゲープ)一号」は最初の万能電子計算機であった、とされることが一般的である。しかしながら二人の認識は作成途中の機械の進捗報告であり、これが実用段階となるにはまだ時間がかかるというのは何回も繰り返したつもりであった。

 

とはいえ人間は言葉よりも見たものを信じるものであるし、一瞬のうちに七桁の数の積を求める機械が、より長い時間があればできることに思いを馳せるのも当たり前であった。

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