帝冠諸邦の計算屋   作:小沼高希

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0d033: 実証機械 3

「ヨーシュカくん、元気にしていたかね?」

 

ケレメンに声をかけた老紳士は、少しくたびれてはいるが上等な背広服を纏っていた。

 

「エクスナー先生!来ていただいたのですか」

 

「むしろ今まで来れなかったことを詫びるべきなのだがね」

 

二人が話していると、ケレメンの隣にノヴァーク博士がすっと立った。

 

「……改めて紹介させていただきます、こちら計数研究所所長のノヴァーク博士。あちらは僕がお世話になったエクスナー先生です」

 

このあたりの雰囲気は、ケレメンでもなんとかなるようになってきた。もともと誰かがやっているのを見て学ぶ能力に長けていた彼にとって、ノヴァーク博士の礼儀作法を真似ることは決して難しくなかった。

 

「どうもノヴァーク博士。お噂はかねがね」

 

「以前は電話で不躾な応対をしてしまい申し訳ありません、異動の混乱がありまして」

 

「いやいや、こちらこそヨーシュカくんがお世話になっている」

 

二人の言葉の端々から不穏な雰囲気を感じ取ったケレメンが少し離れると、エクスナーのそばにいた女性もケレメンにあわせて移動した。

 

「はじめまして、ユージェフ・ケレメンくん。スタインドラーです。いまは民主共和国のほうで講師をしています」

 

「スタインドラー……エリーゼ・スタインドラー博士?」

 

帝冠諸邦で初めて女性として物理学の博士号を取得した女性の名前を、ケレメンは知っていた。

 

「ええ。エクスナー先生からあなたのことは聞いています」

 

戦前に博士号を取っていたというから五十歳ほどだろうか、とケレメンは差し出された手を握りながら考えた。

 

「それで、計算機械はどうですか?発出性(エマナティヴィターシュ)の研究には使えそうです?」

 

理学部の学生として最低限の知識はあったが、やはり専門家から話を聞いてみたいと思っていたケレメンの言葉に、スタインドラーは大きく頷いた。

 

「ええ。私たちはこの機械をとても興味深いものだと考えています。解いて欲しい問題を共有することはできますでしょうか?」

 

私たち、という言い方からおそらく民主共和国の研究機関が興味を持っているのだろう、ということをケレメンは察した。

 

「理論分野は僕よりもノヴァーク博士のほうが専門でしょうが……」

 

そう言ってケレメンは横目でノヴァーク博士とエクスナーを見たが、上品な空気の中から漂う謎の殺気に押されてすぐに視線を戻すことになった。

 

「具体的な計算内容をお聞きしても?」

 

「本来なら膨大な計算が必要になるから実験で行いたいんだけど、ある程度の理論的分析もほしいの。具体的には連鎖反応の臨界定数と放射輸送の計算なんだけど」

 

「わかりましたノヴァーク博士を連れてきますね」

 

ケレメンは一瞬でわからないことを理解し、すっとノヴァーク博士を引っ張るように自分がついさっきまでいた場所に引き寄せ、入れ替わるようにエクスナーの方に向かった。

 

「……まあ、ヨーシュカくんが卒業できそうならよかった」

 

話が中断されたことも気にせず、エクスナーは笑ってケレメンに言った。

 

「これを作るのが学士に必要となったら、帝立大学のほぼ全員が卒業できなくなりそうですけどね」

 

「君の腕前はそこらの技師より上だ、その事を忘れないほうがいい」

 

エクスナーの褒めているのか警告しているのかわからない言葉に、ケレメンは頷いた。

 

「……つまりあれか、発出性(エマナティヴィターシュ)を制御して事実上無尽蔵の力を取り出そうと?」

 

隣から聞こえた声に、ケレメンとエクスナーは視線を向けた。

 

「すぐに理解されるとは、さすが帝立大学の才媛」

 

「あなたほどではないですよ、私はまだ実績もない小娘です。……しかしそうなると中性子の挙動を示す模型が必要になりそうですが、計算内容自体は実現可能な範囲で?」

 

「一単位時間の演算に、計算手十人がかりで数時間かかりました。必要なのは数百単位時間で、それなりの組み合わせを試したいと考えています」

 

「……ふむ」

 

考え込むノヴァーク博士の横で、ケレメンも頭の中で計算をした。二つの数の積を機械式計算機と一人の計算手では一分かかると見込み、それと比例させれば一単位時間に行う計算は千回程度。理論的には、電子数値計算機はそれを数秒で解きうる。

 

全体でも一時間かからず、本来であれば数年かかるような計算を実現できるとなればこの種の問題において実験ではなく計算や理論が占める割合が増加するだろう、とはケレメンにもわかった。

 

技術的に「実証機械(ベムタトーゲープ)一号」と同程度の計算能力を持つ機械の開発は民主共和国でも難しくないだろうが、自分のような技師とノヴァーク博士のような設計者なしであればそれなりに時間がかかるだろうな、とケレメンは読んでいた。

 

「ある種の試行を行う、という方法はどうでしょう。確率論的振る舞いを示す装置を組み込み、粒子の動きや反応を追いかけるわけです。もちろんばらつきは発生するでしょうが、十分な計算量があれば実現可能かと」

 

ノヴァーク博士の脳裏では、具体的な計算手順やそのための装置の設計まで始まっていた。もちろん実際にはケレメンに作らせるつもりであったが、依頼者としてある程度は理論を固めておく必要があるだろう、という配慮をするぐらいのことは彼女にもできた。

 

「……民主共和国に来ない?共和科学院の会員なら私の推薦でなれると思うけど」

 

「ケレメンのやつが民主共和国語ができないんでね、しばらくはそちらに行く予定はない」

 

スタインドラーの提案を、ノヴァーク博士はさらりと断った。

 

「……なるほど。とはいえ依頼を行う可能性はかなり高いので、そのときはよろしくお願いします」

 

ノヴァーク博士とケレメンを交互に見て納得したようなスタインドラーは、そう言って連絡先を書いた紙片を二人に渡した。

 

「……ヨーシュカくん、一緒に仕事をする人はしっかりと選んだほうがいいぞ」

 

「今更ですか?」

 

「そうだな」

 

成長した弟子を見送るように去っていくエクスナーとわくわくした顔をしたスタインドラーを見送り、二人は息を吐いた。

 

「……エクスナー先生と会うのは久しぶりでしたが、元気そうで良かったです」

 

「あれが引退した人間の出せる圧か?」

 

気楽そうなケレメンの声に、ノヴァーク博士は嫌味混じりに言った。

 

「あの先生も昔は大変だったらしいですが、帝立大学に来てからは大人しくなったらしいですよ。弟子世代からは未だに恐れられていますし、恨みを持つ人もいないわけではないらしいですが」

 

「……真面目に君の指導教官をするべきだな、と改めて考えさせられたよ」

 

「できるだけいつも思って欲しいものですがね」

 

ケレメンはそう言って、また次の挨拶へと向かうべく足を踏み出した。

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