帝冠諸邦の計算屋   作:小沼高希

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0d035: 実証機械 5

様々な質問になんとかごまかし交じりで答え、二人は疲労困憊のまま夜を迎えた。

 

「……帰った?」

 

見るからに疲れた声色で椅子に体重を預けるノヴァーク博士は言う。

 

「なんとか、全員。日雇いの学生の皆さんにも報酬は渡しておきました」

 

ケレメンは椅子まで向かう余裕もなく、壁にもたれかかるように倒れ込んだ。

 

「……やはり、外部ともっと積極的に議論をするべきだったか?」

 

今日一日で、計算機械の弱点は多く見つかった。そして、同時に多くの改善点が挙げられた。

 

「図面も多くが引き直しです。具体的な計算内容があればそれに合わせるのもできるのですが」

 

「汎用性との交換だな……」

 

言葉が途切れて、しばらく静寂が部屋に広がった。

 

「全体的に、計画が狂ってばかりの発表会だったな」

 

「勘違いした人も多かったですけどね」

 

そう言ってケレメンは笑った。なにせあの機械はすぐさまあらゆる計算手の仕事を奪うものでも、ましてやあらゆる頭脳労働を代替するものでもない。

 

ノヴァーク博士は理論上はそれが可能、と言ったものの、それはあくまで理論の上だ。実証機械(ベムタトーゲープ)一号は数表を見ることもできなければ、いくつかの数を組み合わせる必要のある計算もできない。出力を入力として再度読み込ませることは調整すれば可能だろうが、そのための機構を組み込むよりも他にやるべきことは多かった。

 

「しかし、これで計算が変わるのは止められなくなった」

 

「……どういうことですか?」

 

「スタインドラーに会っただろう、彼女に計算機械を提供すれば、発出性(エマナティヴィターシュ)の研究において数理計算分野の影響は大きくなるだろう」

 

「そういうものですか?」

 

「私も昔少しやった程度のものだがね、確かにあの種の計算は単純だが膨大な積み重ねが必要で、微視的なものを積み上げることに効果があるはずだ」

 

「……それで、あそこでどういう計算をお願いされたんですか?」

 

「玉突きみたいなものだ」

 

「玉突きって……あの、台の上で球を弾く?」

 

ケレメンは昔、大学で知り合っていた仲間とともに一回だけやったことがあった。彼らももう卒業して久しいな、などと考えながらケレメンは仮想の台を考えていた。

 

単純化すれば、玉突きは計算可能な遊戯だ。球の回転や摩擦を無視すれば、衝突の際に起こることは二つの球の質量とそれぞれの速度で決定する。多くの場合、狙われる方の球は止まっているために計算は多少は楽にはなる。

 

「そう。ただし、少し特殊でね。あちこちに球が置かれていて、そして中には火薬じかけか何かで弾ける球がある」

 

「弾ける……?」

 

「というか発出性(エマナティヴィターシュ)を知っているならヤヒミウム235に中性子を当てると、崩壊を起こしていくつかの中性子を出すことは知っているだろう」

 

かろうじてケレメンは頷いた。

 

「問題は速度だとは聞いています、ある程度中性子が遅くないと……何でしたっけ、中性子があたった核を『割る』ことができない、と」

 

「そこまでわかっているなら十分だ。ヤヒミウム中のヤヒミウム235の割合は確か千に七。これだけ稀な球に当て続けて反応を連鎖させるためには何らかの物理学的分離を行う必要があるのではないかという見方も多かったはずだが……なるほど、何らかの効率の良い減速材があったのだろう」

 

納得したように言うノヴァーク博士に、ケレメンは記憶を辿ってそういった文献を彼女が読んでいたかを思い出そうとした。残念ながら、そのような覚えはなかった。つまり、それはノヴァーク博士が学生か研究者時代に聞きかじったか、あるいは新聞で読んだ程度だということだ。

 

「計算は……どれぐらいの精度が必要になるのかあまり見当がつかない。具体的な試算結果を送ってもらえるように手紙でも書く必要があるだろうし、ああ面倒だ……」

 

「疲れすぎているんだと思いますよ」

 

「んなことはわかっているよ、珈琲の飲み過ぎの反動もあるのかね」

 

「あれはやる気を借金しているようなものですからね、すぐに返せればいいですが利息がかさむと……」

 

そう言ったケレメンは、深く息を吐いて立ち上がった。

 

「寝台の一つでも置いておくべきでしょうか」

 

「二つ置いておいてくれよ」

 

「……考えておきます」

 

今後の作業について考えると、実際に仮眠を取る場所は必要になるかもしれないとケレメンは考えていた。熱電子管の故障を考えると、計算はできるだけ長期間行うことが望ましい。しかしそれでも故障は起こる。

 

今の時点で、計算機械を修理可能な技師はケレメンしかいなかった。もちろん数ヶ月あれば腕利きの技師であればその勘を掴むことができるであろうが、その数ヶ月を経験できる人は少ない。

 

そういった腕を持った技術者がせめて二人か三人はいないと、この種の計算機械を稼働させることは難しいだろうとケレメンは脳内で軽く計算した。

 

「……ところで、熱電子管というのはなかなか使い勝手が悪いですよね」

 

「それについては同意するが、同じ程の速度を持つ素子は……どうなんだい?」

 

そう言うノヴァーク博士に、ケレメンは首を振った。

 

「実用化されている範囲では、ないかと。一応整流素子であれば半導体(セミコンドゥットレ)を使ったものがありますけど……」

 

「その組み合わせであれば?」

 

「一つ一つの素子の品質が良くない、熱電子管のように交換することが難しい。そしてええと、否定(ノン)に相当する処理ができる方法がないのが問題ですね」

 

「……どうにかならないか?」

 

「これについては色々と研究がされているので、それが実るのを待つしかないでしょう。個人的には全金属熱電子管とか硝子などと熱膨張係数を合わせた新型合金とかのほうが、まだ可能性があると思いますけどね」

 

「そういうものかね……」

 

ノヴァーク博士はため息を吐いた。

 

「よし、今日はなにか良いものでも食べに行くか」

 

そう言って立ち上がったノヴァーク博士にケレメンは目を輝かせた。

 

「いいんですか?」

 

「当然私の奢りだ。昼食もまともに食べられなかったからな」

 

「やった」

 

そう言ったケレメンに、ノヴァーク博士はしばらく黙っていた。

 

「……どうしたんですか?」

 

「今日、ヘルブランド教授が来ていたな、と」

 

「来ていたんですか?挨拶しておけばよかった」

 

「そういえば君は彼を知らないんだったな」

 

「理学部の中でも理論系の人とはあまり係わりがないんですよ、印字機(シュライプマシーナ)の修理とかに呼ばれることもありませんからね」

 

「……むしろ、君にそういう修理を実験系のところはさせていたのか」

 

「楽しかったですよ、今も楽しいですけど」

 

ケレメンも少しふらつきながら立ち上がり、服の裾を整えた。今日の二人は、少し上等な料理店に行っても許される服装だった。

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