帝冠諸邦の計算屋   作:小沼高希

4 / 50
0d004: 計数研究所 4

「ところで、その計算にはどれだけの熱電子管が必要なのですか?」

 

そう言いながら、ケレメンは頭の中で概算を始めていた。

 

仮に十桁と十桁の積の計算をするとして、そのためにはおよそ百回の一桁同士の掛け算をした上で、最大で十個の数字を足して、その結果を出力する必要がある。

 

雑に熱電子管一つを数字一つに対応させるとすれば、一桁につき十個の熱電子管が必要となる。それが十桁であるために入力のために百個、出力のために百個。

 

それと掛け算の回路に百個、足し算の回路に百個、さらに全体の電源系の処理も含めて五百といったところだろうか、というのがケレメンの推定であった。

 

そして配線はそれ以上に複雑になる。主流の八端子型のものであれば総計で四千端子、配線は二千本となる。このくらいの大雑把な計算であれば、ケレメンにも可能であった。そして彼がそこから作業期間を見積もろうとした時に、ノヴァーク博士は口を開いた。

 

「五万かな」

 

「……また無茶な数字を出しますね」

 

ケレメンはその数字を聞いて、ため息を吐くしかなかった。当時実用化されていた電波探信儀であっても、たかだか千個の熱電子管を用いているのみであった。それでもなお多くの技術的課題を抱えていたのである。

 

「確かに金額的には難しいだろうが……」

 

「そうではありませんよ、熱電子管には寿命があるのです」

 

もちろん使用状況についても差異は大きいが、当時言われていた目安としては五千時間。一日に一時間程度の無線電話を聞くのであれば十年以上保つわけであるが、単純な推計では五万個の熱電子管があるなら六分に一度故障する計算である。

 

そしてさらに、この寿命はあくまで平均的なものであった。初期不良や、壊れた熱電子管の影響で生まれる突入電流の可能性まで考えれば、稼働時間よりも修理時間のほうがよっぽど長くなるだろうことはこの時点でケレメンにも予測できた。

 

「……伸ばせないか?」

 

ノヴァーク博士の言葉に、ケレメンは静かに首を振った。

 

「それを伸ばすために企業と設計者がどれだけ苦労していると思います?そもそもそれだけの量の熱電子管を使う装置を、まだ人類は作ったことがないはずですよ」

 

ケレメンの先程までの期待はしぼみ、熱電子管による計算機械という構想は夢物語か何かのように彼には思えてならなかった。

 

それは、例えば自然から無限の動力を引き出すような機構──気圧と温度の変化を利用するものは実用化はされてはいるが小型の時計を動かす程度の動力しかない──や、発出性(エマナティヴィターシュ)を持つ物質を用いた超兵器──空想科学小説においては次の大陸戦における兵器としてしばしば登場するようになっていた──の類のように聞こえたのだ。

 

「まあそれでもこの種の装置はまだ作られていないし、単純なものであれば作る価値があるのではないか?」

 

「この種、というのはどういうことでしょうか?僕の知る限り、熱電子管を計算に使おうというのは、珍しい発想ではあるかもしれませんが、決して皆無ではないかと」

 

言い繕うように早口で語るノヴァーク博士に対し、冷めてしまったケレメンは静かに言った。

 

例えば、ある電線に別の二つの電線から電流を流すことを考えよう。このとき、流れる電流は流入する二つの電流の和となる。もしここで適切な形で電流計や電流調整のための装置を備えた機構を用意すれば、和を計算することが可能となる。

 

ケレメンが知るものではその出力を増幅、あるいは検出するために熱電子管や映像蛍光管を用いるものがあった。というより、この建物にある教材のいくつかはそういった目的のために彼の師であったエクスナーが設計し、ケレメンが作り上げたものであった。

 

「違うんだよ、それは所詮連続的なものに過ぎない。私がやろうとしているのは離散的なものなんだ」

 

「……無駄なことをしているだけではないでしょうか?たぶんそれは、電話と電信の違いに相当するのでしょうが」

 

「そうだ、まさにそれだ」

 

「実物があるので持ってきますね」

 

そう言って立ち上がって部屋を出たケレメンを見送り、ノヴァーク博士は深く息を吐いた。

 

「……技術的なことについては、意図的に避けていたからな」

 

それは彼女の理論の弱いところであった。抽象的な理論から議論を進めたために、計算機械の設計において用いたのは「理想素子」──論理代数に対応して入力から出力を返すある種の模型であった。それは電磁継電器や熱電子管によって代替することは理論上可能であったが、そこに含まれる遅延や電気特性の変化については無視したものであった。

 

教授資格取得の際の口頭試問において、彼女は実用化の際の課題についてあくまで理論的模型であるが、その解決は容易であると自信満々に言い切った。彼女は今、それが無知と技術分野への敬意の不足による安易なものだったのではないかと不安になってきていた。

 

「……弱気になるな、ヤンカ・ノヴァーク。私は天才で、何人たりとも私の道を邪魔することはできない」

 

「持ってきましたよ」

 

ノヴァーク博士の小声の決意は、帰ってきたケレメンの声にかき消された。

 

「こちらが電話の模型。こちらが電信機。あとは電池がこれで、配線は……」

 

絶縁線の両端についた洗濯挟みにも似た端子で、導体としての釘をはさむことでケレメンはてきぱきと回路を組み立てた。

 

「……見事なものだね」

 

「エクスナー先生はこれを講義しながらできたんですよ、授業を何度か見たことがありましたが、僕は到底その域には行けないと思います」

 

「もしそうだとしても、別に探求者としての能力は誰かにそれを伝える能力で決まるものではないよ」

 

「いくら素晴らしいものを見つけても、それを伝える能力が欠如していては意味がないと思いますが」

 

ケレメンのその言葉は彼がしばしばエクスナーから言われていたものであったが、それはノヴァーク博士の特殊な背景──論文の出来と教育経験の不足を勘案した模擬講義審査の免除──を言い当てている要素があった。

 

「……できましたよ、これなら僕でも具体的な動作原理がわかります。ノヴァーク博士の言うところの離散と連続について、説明していただけますか?」

 

「ああ、君が満足できるほど私が語れるかはわからないが、ひとまず試してみるとしよう」

 

ノヴァーク博士は自分の説明力の不足を恨めしく思いながらもそう言い、少しおぼつかない手つきで開閉器(インタルットレ)を操作して装置を起動させた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。