帝冠諸邦の計算屋   作:小沼高希

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0d042: 反響 2

顔に疲れと年齢が現れた婦人は、それでも軽々と大きな鞄を持って列車を降りた。

 

改札を通り、向かうは共和科学院本館。守衛は彼女のことを良く知っていたため、誰何もなく彼女を通した。

 

階段を登り、迷うことなく彼女は一室の扉を開けた。

 

「ごめんね、鉄道が少し遅れてしまったのよ」

 

室内の小さな執務机の向こうには一人の男性が座っていた。彼女が戻ってくる列車の時間に合わせてここで待ち合わせていたのである。

 

「よぉスタインドラー、故国の空気はどうだった?」

 

彼女より少し若い彼が足を組んで気さくに言うと、スタインドラーは息を吐いた。

 

「あのね、帝冠諸邦は文字通り諸邦なのよ。私の生まれた場所と帝立大学のある場所はそれなりに離れていて、文化的にも違う。それはそうと面白いものは見れたわ」

 

「例の才媛の機械か。どうだった?」

 

「恐るべき速度ね。あなたの計画より数歩先を行っているわ、クフィニャル」

 

そう言われた彼は、大きな笑い声を上げた。

 

「完敗か!……すまないな、作ることができなくて」

 

クフィニャルは民主共和国における計算機械開発の第一人者であった。流体と機械を用いた計算装置は多くの問題を物理的に解くことを可能としたが、どうしても精度の限界はつきまとっていた。

 

彼は離散的手法による誤差の削減を提案してはいたが、帝冠諸邦のノヴァーク博士はその方向を一気に進めた機械を完成させてしまっていた。結果として、彼が共和科学院に求めていた予算計画書は撤回されることとなったのである。

 

「ところで、なぜ技術視察団への参加を断ったの?あなた以上の適任者はいないと思ったし、あなたであればそう時間もかからず同様のものを作れると思うのだけれど」

 

「それでは駄目なんだよ、もっと先を行かなければ、あいつには勝てん」

 

彼の専門は本来は記号論理学であった。つまりノヴァークと同じ方面の専門家であり、そして彼女より早く計算機械の構想を作っていた人物だったのだ。

 

彼の理論は、通信と制御を組み合わせたものであった。言うなれば、彼は電子頭脳のみならず電子肉体を作ろうとしていたのである。そのため、彼が扱う分野は多岐にわたった。例えば、ノヴァークが万能計算機械の理論を発表してすぐに等価な機構を仮想的「神経細胞」によって作れることを示している。

 

この抽象化は、後にノヴァークが理想素子によって計算機械を構築する発想ともなった。もっとも、この時点でクフィニャルは実際の機械が完成するまでには長い期間がかかると推定していた。

 

「……ただ、私の研究はどうしても急かされているの。あなたの機械は使えそうにない」

 

「それはこちらの落ち度だ。あんたが俺に頭を下げるべきじゃない。それに、作るだけなら俺より伸び代のある奴らを送ったんだ。完成形がある以上、追いつくのは難しくない」

 

「どこもそう思っているはず。むしろ、民主共和国は技術的には他の国に遅れていると言ってもいい」

 

「そうかもしれないが、解く問題なら山程ある。気象科学、結晶分析、遺伝学、整数論、天文学。いずれも民主共和国が得意とする分野だ」

 

「必要なら、計数研究所に頼んでもう一台作ってもらうか、あるいは今あるものを買ってしまうけれども」

 

「権利の問題もあるだろう、あまり無茶をして恨まれても困る。何せノヴァークはまだ二十代も半ばだろう?あと半世紀恨まれ続けるのは嫌だぜ俺は」

 

「……そうね」

 

スタインドラーはそう言って、鞄から紙を出した。

 

「こいつは?」

 

「例の反応器(リアクター)についての計算。時定数は概ね数分の単位だから、機械的な制御で十分動くはず、という結論だった」

 

「とはいえこれは実験でもある程度わかる。実際に臨界を起こすような反応器(リアクター)が必要だがな」

 

「その大きさの計算は、今やっている最中。複雑なものだから人手が必要ということになって、今頃残してきた人たちは二人に相当ひどい目にあわされているはず」

 

小さく笑うスタインドラーに、クフィニャルは首をかしげた。

 

「二人、というのは?」

 

「ケレメンという技師がなかなか見込みのある、というより一流の人物なのよ。あのノヴァークの理論を形にできるほどなのだから」

 

「それは相当熟練だな」

 

「ちなみにノヴァークと同い年」

 

「……帝冠諸邦のやつら、何か知性を増幅させる手術でも発明したのか?」

 

「そう疑いたくもなるわよね、私は薬剤の可能性を考えたわ」

 

スタインドラーの冗談にクフィニャルはしばらく笑った。

 

「共和科学院の計算機械担当者としては、熱電子管式のものを作るべきかも少し悩むのだがね」

 

「そうなの?」

 

意外そうにスタインドラーは言った。

 

「あれはもっと洗練させることができるはずだし、そのための条件が足りていない。技術か材料か素子か……、そのあたりで一つ大きな飛躍があるまでは、あくまで先行者に追従するようにするべきだというのが俺の考えだ」

 

「それを上の方が認めてくれると思う?成果を出さない人物が政治で戦えないのはわかっているでしょう?」

 

「成果はスタインドラー、あんたが出してくれるだろう。なにせ今後反応器(リアクター)の設計において計算機械なしにはできないわけで、今の政権の科学分野はあれをいたく気に入っている」

 

「軍事的意図もあるから……とはいえ、そちらは夢物語に近いのだけれどもね」

 

「それと模造品を作らなくとも、何なら直接問い合わせて図面を貰えばいい。彼らはあくまで計算機械科学の理論実証としてあれを作ったわけだ。活用はこちらでやらせてもらう」

 

「そううまく行けばいいけど」

 

「まあ外れたところで俺が責任を取らされるだけさ。そういう時にはお偉方に言ってやれ」

 

「何を?」

 

「クフィニャルという男は自分の作った機械に固執し、帝冠諸邦が作り上げた流れに乗ることができなかった、と。そうすれば、実際に計数研究所で学んだ人が俺の代わりになる」

 

「……そこまで考えて、行かなかったの?」

 

スタインドラーは自分より一回り若いはずの眼の前の男に感心しつつも呆れていた。

 

「実際に完成したと聞いてどう動かすべきかを考えていたのもある。あの機械が重要そうだという話を関係者に伝えていたのもある。これは、俺がここに座っていなければできない仕事さ」

 

そう言う彼の机の上には、共和科学院副総裁と書かれた板が置かれていた。

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