帝冠諸邦の計算屋   作:小沼高希

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0d044: 反響 4

「おおいラメーエフ、いるかい?」

 

そう声をかけてきた同僚に、試作中の作表機(タビュリャータ)の下から這い出した技師の男は言った。

 

「なにかあったのか?」

 

「客人だよ、待たせんじゃないぞ」

 

そう言われて今日に予定が入っていたことを思い出したラメーエフは、慌てて作業着を脱いで農業統計局(アグロスタトコム)の工場で一番良い応接室に向かった。とはいえ、決して大きくない部屋にかろうじて上等に入る絨毯と長椅子、そして机が置かれただけの空間である。

 

「申し訳ありません、わざわざ来ていただいたのに」

 

そう言って頭を下げた先には、二人の人物がいた。一人はラメーエフも知っている記号論理学者のシェーンフィンケルで、もう一人は見覚えのない三十歳ほどの男だった。

 

「紹介しよう、シュラブラだ。計算機械に興味があるようでね、しばらく前に民主共和国のクフィニャルのところでしていた修行から帰ってきたところだ」

 

「よろしくお願いします」

 

そう言う彼の伸ばした手をラメーエフは握った。その手は比較的柔らかく、学者の手だなとラメーエフは思った。

 

「それで、計算機の話に移りましょう。カントロヴィチ教授についてはご存知ですか?」

 

そう聞かれたラメーエフは頷いた。人民主義国の体制が成立した直後に農業統計局(アグロスタトコム)の嘱託として働いた経済学者にして統計学者であり、数学を用いて当時の農業生産の実態を暴いたために農業統計局(アグロスタトコム)が「人民評議会の宮廷道化師(ショト・ナロードナヴァ・ソヴィエタ)」と呼ばれるようになった理由の一人である。

 

「彼がノヴァーク博士に触発されてより複雑な計算模型を作りましたが、残念ながら数学者では解けないような複雑な問題となりました。そこで、計算機械ならではどうか、と」

 

聞き馴染みのある名前にラメーエフは驚いた。彼は帝冠諸邦のノヴァーク博士の専属助手のような形で働いているケレメンという技師と親しい付き合いがあり、彼に行った作表機(タビュリャータ)についての助言という形でノヴァーク博士の作った計算機械の開発にも間接的に手を貸していた。

 

「……今の作表機(タビュリャータ)では、足りないのですか?」

 

「速度の桁が二つ足りないはずです。その道の専門家に言うのも憚られるのですが……」

 

そう言って、シュラブラは紙を机の上に広げた。その内容は、かつてシェーンフィンケルから数学の手ほどきをされていたラメーエフにとって決して難しいものではなかった。

 

「とはいえこれは、国家をまるまる一つ式として再現する大事業ですよ」

 

列挙されていた項目に目を通したラメーエフは言った。生産、輸送、加工、取引、消費の過程を差分方程式で表現し、様々な資源の相互関係を行列で示したものだった。

 

「しかし、これができれば今まで以上に合理的な資源分配が可能である、と。中央による統制ではなく、農村集落(オプシーナ)同士の取引の調整や生産の支援という形で政策を実行する以上、この水準の計算が必要になるというのがカントロヴィチ教授の理論です」

 

「……カントロヴィチ教授は、計算機械についてどれほどの理解を?」

 

「理論的にはある程度の知識がありますが、工学的にはほとんどしてないでしょう。なので、機械の専門家の方に見てもらえればと」

 

「……おそらく、この計算の問題となるものの一つは記憶です」

 

ラメーエフの言葉を飲み込めず、シュラブラは首を傾げた。

 

「お二人は計算の時、おそらく多くの紙を使いますよね。数式を書いたり、あるいは途中経過を記録したり」

 

そう言うラメーエフに、二人は頷いた。

 

「その紙に限界があるのです。それは書き込んだり読み込んだりするのに異常に時間がかかるか、あるいは小さな大きさの紙しか使えないと考えてください。かわりに、計算手の速度は驚異的なものです」

 

「……なるほど、つまり多くの変数を記憶していなければならない場合には問題が起こると?」

 

「その通りです」

 

ずっと黙っていたシェーンフィンケルの言葉に、ラメーエフは同意した。

 

「ただ、計算速度がたかだか百倍でいいのであればどうにかなるかもしれません。紙を使わない記録を行えばいいわけですから」

 

「具体的には?」

 

針金録音機(ドラートトンゲレート)という装置を使います。聞いたことは?」

 

ラメーエフはシェーンフィンケルの質問に返し、二人を見た。

 

「特殊録音のための装置、だったか。鋼線を磁化させることで記録し、磁化を読み取って再生する」

 

シュラブラが小さく手を挙げながら言った。

 

「はい。あまり主流ではありませんが、技術的には確立されています。ノヴァーク博士の言うところの『無限に長く、書き換え可能な穿孔紙帯(リュバン・パフォレ)』に近いものですね」

 

「つまり、それを使って記録を行うのか」

 

「そうです。音に比べて数字を記録するためには考慮しなければならないことが多くありますし、記録されている内容を外部から確認するのも大変ですが、内部に組み込むのであれば使えるのではないかと」

 

「なるほど……」

 

「それに、この技術はそう高価ではありません。今の作表機(タビュリャータ)と組みあわせるのもそう難しいことではないですし、記録や再生に特殊な部品を使うわけではありません」

 

「そうか、作表機(タビュリャータ)は整備性が重要なんだったな」

 

シュラブラが民主共和国への留学中に触っていた機械は主に科学計算に用いるものであったが、人民主義国の作表機(タビュリャータ)は農村地域でも継続的に使い続けることができるように開発されていた。

 

最悪、地元の機械修理工がいればなんとか直せるようにするために単純な構造、頑丈な部品、そして拡張性を前提とした作表機(タビュリャータ)は大きく、不格好であったが確実な動作をすることで信頼されていた。

 

「帝冠諸邦の計算機械は、まだ精密で作成と整備に専門の技師を必要とします。その能力は短い期間で身につくものではありませんし、おそらく今の時点ではケレメン一人のみしかそれを成しえません。それは技術の進歩、科学の発展のためには十分かもしれませんが、人民のためのものにはまだ遠いのです」

 

そう言うラメーエフは、機械の安定した稼働が重要であることをよく知っていた。新しい機能を搭載した作表機(タビュリャータ)の試作品が何度試しても失敗するため、その原因を片端から潰す作業中だったからである。

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