「少し考えていたんだが」
ノヴァーク博士は最後の新聞を置き、とっくに皿が片付けられていつの間にか民主共和国風の牛乳多めの珈琲を頼んでいたケレメンと目を合わせた。
「何でしょうか」
「君に私の万能計算機械の理論を理解してもらうためには、かなり基礎からやる必要があるかもしれない。実際の構築にそれがどこまで必要かは断言できない。とはいえ、完全に無駄になることはないだろう」
「……具体的には、どれぐらいでしょうか?」
ケレメンはかつて受けてあまりいい成績を取ることのできなかった数学や物理学の授業を思い返していた。
「そもそもこの種の──計算機械科学、とでも呼ぶべき学問は未発展だ。繋がる概念には抽象数学や通信工学があるが、それはあくまで既存の知識からこの分野に伸ばそうとするとそういった説明が必要に過ぎない、というだけで知識自体はそうだな、おそらくは初等学校の生徒でもわかるだろう」
「そこまで簡単なものなのですか?」
「流石に新入生には難しいだろうが、二年生か三年生になら私の作った万能計算機械を再現させることはそう難しくないはずだ。彼らだって黒板があれば筆算ができるだろう?」
「万能計算機械って、筆算程度の難しさなのですか?もっと複雑なものでないとできない計算があるように思うのですが」
複雑な積分の式の導出などが、たとえ手引きがあったところでそのような年齢の世代に解けるとはケレメンには思えなかった。そういった初等的な計算と、そこからより発展した数学には大きな本質的な差がある、というのが彼の直感だった。
「……まあ、確かにそうなるよな」
ノヴァーク博士は息を吐いた。
「私の指導教官も、同じような誤謬に飲み込まれていたよ」
そう言って、彼女はトラルフ・ヘルブランドという男について語り始めた。
彼はノヴァーク博士より四つ年上の男性であり、二十三歳で博士号を、二十六歳で教授資格を手にしていた。二十六歳というのは当時の帝立大学の最年少記録であったが、数年後に彼の教え子であるヤンカ・ノヴァークによって更新されることになる。
彼の博士論文は「公理系の充足可能性と証明可能性について」というものであり、ここでその内容を厳密に述べることはしないが、端的に言えば当時進められていたいくつかの数学的計画の大幅な見直しを迫る画期的なものであった。
大陸戦の終結以降、それまで培われてきた様々な数学の分野を統合しようという試みが行われていた。奇しくもこの戦争において教員や学生が多く亡くなり、各国の大学内で新しい数学の教育手法を構築していこうという機運が高まったのもこれを後押しした。
その時の基本的な方策は、論理を記号によって表現し、それを組み合わせることで集合や整数を定義していこうというものであった。ただ、このようなやり方で作った数学が解けない問題を含まないかどうか、そして体系自体に矛盾を含まないかどうかについては不明であった。
その理由を非常に雑に言ってしまえば、この論理には「全てのものは」、あるいは「あるものは」といった表現が含まれていたからである。これは古典的な三段論法のようなものを包含するためには必要なものであったが、その過程で面倒な「無限」という概念を取り扱っていたために無矛盾性を容易に導くことはできそうになかったのだ。
そこに若き天才であるトラルフ・ヘルブランドが示したのは、そもそも示すことができないという結論であった。十分複雑な論理を持つ体系においてはある「性格の悪い」問いを作ることができ、そのせいでこの問いを解く際に論理的矛盾が発生することを示したのである。
彼の理論は発表当時数学界の一部では懐疑的に受け止められたものの、次第に高い評価を得るようになっていった。しかしそれ以前の理解者が少なかった最初期から、まだ大学に入って間もなかったヤンカ・ノヴァークはその先進性を見抜いていた。
このトラルフ・ヘルブランドの公開されていた博士論文発表を、当時のノヴァークがたまたま聞いていたのである。この時にノヴァークの行った質問はかなり理論の核心をついたものであり、一学生の発言でありながら当時の審査記録に残されている。
その数カ月後、彼女はその改良型の定理を示した。それはより単純な数学体系においても同様の「性格の悪い」問いを作成することができ、何よりその「性格の悪い問い」の中に体系の無矛盾性の判定自体が含まれるというものであった。
この結論は結果として、既存の数学的計画は体系だけではなくもっと高度な体系の体系を扱う必要があると示すものであった。ただ、この定理を書いた手書きの紙束をノヴァークがヘルブランド博士──まだ教授ではなかった──に押し付けた時、既に同様の内容が書かれた教授資格審査論文が提出されていた。
翌年、最優等の教授資格取得者として教授となったヘルブランドのもとに入った学生がノヴァークであった。彼女は教授に一定の敬意を払ってはいたものの、ある点においては彼と意見の相違があった。
それは、一般的とされた数学体系は自身の無矛盾性を証明できないはずなのにもかかわらず、人類がその無矛盾性が証明できないと証明できたのは、人間の脳、あるいは精神が超数学的なものであるという意見であった。当時の帝立大学の理学部は、新任のヘルブランド教授に代表される哲学的な思索を行う派閥が少なくない支持を集めていた。
一方で当時休学を選択して技師として働いていたケレメンや、その恩師であったエクスナーが取っていたより実践的な、あるいは実験的な方針はあまり人気のあるものではなかった。このせいでケレメンはノヴァーク博士の功績を知ることはなかったし、ノヴァーク博士はエクスナーとほとんど接触がなかった。
そして不幸にも、ノヴァークの思想が後者の現場主義的な方向であるとはっきりした時には、彼女とヘルブランド教授、そして理学部の教授陣との間の亀裂は決定的なものとなっていた。もちろん彼らも論理的正しさを尊重し、ノヴァークの理論の先進性については評価していた。
ただそれでも、彼女が最優等の教授資格取得者となった時に教授の席を与えなくてはいけないことを考えると面倒なことになる、ということで彼らの意見は一致した。とはいえ、その内容の価値を認めないことは彼らの科学者としての矜持にかけて不可能であった。
その中で審査会場の末席にいたのがエクスナーであり、彼が出した助け舟のためにノヴァーク博士が計数研究所の所長となったのは既に語った通りである。
「まあ、そういうことだ」
もちろん、ノヴァーク博士がこれをそのまま語ったわけではない。彼女にとってヘルブランド教授は有能でありながらもその才覚を哲学という非生産的な方面に割き、人間の特別性を主張するようになってしまった人物であったし、ケレメンに語ったのもそういった側面であった。
「……なるほど」
ただ、ケレメンはその語り口からしておそらくノヴァーク博士が自らの頑迷さのために問題を厄介にしていったのだろうし、結果として理学部から、そして一般的な研究者としての王道から追われたのもむべなることなのではないか、と疑うぐらいのことはできた。
もちろんケレメンはノヴァーク博士と違って指導教官と衝突することに価値を見出すことができず、それ以上問うこともなかったのだが。