「……大丈夫かい?」
ふらついて扉を開けたケレメンに、ノヴァーク博士は
「あまり芳しくは、ないですね」
ケレメンが取り組んでいるのはある論理方程式を形にしたものであった。それだけであれば、そう難しいわけではない。
$$U_{\mathrm{f}} = I \cdot C + \overline{C} \cdot U_{\mathrm{c}}$$
論理学に長けた読者向けに説明しておくと、項はそれぞれ0と1の値を持つ。そして積については一般的な数学と一致するが、扱う数字が0と1しかないために和については1+1が1と定義される。また、$\overline{X}$ は $(1-X)$ を意味するとする。あるいは、$X$ が1であれば0に、0であれば1にするとしてもよい。
そして、$I$ は
こうやってみれば、比較的簡単な算数の問題となる。例えば今の時点での入力 $I$ が1、周期 $C$ が1、出力 $U$ が0であるとすると、
$$\begin{eqnarray}U_{\mathrm{f}} &=& I \cdot C + \overline{C} \cdot U_{\mathrm{c}}\\&=& 1 \cdot 1 + \overline{1} \cdot 0\\&=& 1 \cdot 1 + 0 \cdot 0\\&=& 1 + 0\\&=& 1\end{eqnarray}$$
と次の瞬間の出力を求めることができるのである。
これはある種の門番のようなものだ、とノヴァーク博士はケレメンに語った。本来静的な論理素子からなる回路に文字通りに命を吹き込む脈動となるのが
一方で一度門が開けば、その奥で行われていた計算が表に出てくる。第一項を支配するのは $I$、すなわち現在の出力となり、第二項は常に0となる。これはある種の記憶に相当する事を行う回路であり、ノヴァーク博士の目指す計算機械の基幹要素の一つであった。
「進捗と説明を、ゆっくりでいいから聞かせてもらおうか」
ケレメン用の机の上にある様々な本や書き置きを見ながらノヴァーク博士は言った。それなりに古い郵便局内の資料や統一都市同盟の技術報告、そして辞書と散らかった紙はケレメンの混乱を表しているようだった。
「……ノヴァーク博士の構築した理論では、三つの論理素子が存在します」
「
和に相当する
「
「そこまでは一応わかるよ」
ここで
ケレメンが採用したのは三極管と呼ばれる種類のもので、これは単純な無線機の増幅などに広く用いられるものであった。安価であったし、市場に多く出回っているので数を揃えるのも容易だろうという判断だった。
仮に電位の高い状態を1、低い状態を0とみなすのであればこの過程で入力の0が1に変化したことになる。逆もまた然りだ。これはちょうど、論理演算における $\overline{X}$ や値の反転に相当する
「ただ、理論上そうなることと実際の回路でどうなるかは別です。素子の入出力は離散的でも、内部はどうしても連続的な性質を持つので」
「……問題はそこか?」
ノヴァーク博士はケレメンから渡されていた熱電子管の特性図を見て言った。
「それだけじゃないですけどね、回路の後半部分で対称性の高い機構があるのですが、この部分で熱電子管の相性がどうも発生するようで」
二重の反転を重ねた信号を元の熱電子管に送ることで状態を維持する機構は、この種の装置の経験のあるケレメンにとっても決して容易なものではなかった。類似の回路の
更に入力と出力の電圧を揃えようとすればなおさらである。しかしこれがなければ装置を組み合わせることはできないため、熱電子管の特性に合わせて微妙な調整を重ねる必要があったのだ。なにより、単純な増幅ならまだしも論理素子として使うには公称特性の範囲は広すぎたのである。
「相性、ね」
「実際は電気特性なのでしょうが、それを分析する機材は今なくて」
「作成か購入には?」
「作れはしますがしばらくかかりそうです、基本的には映像蛍光管を使えばいいのですが工作は必要になりますね」
「今後、あの機構は大量に必要になる。かなり時間がかかりそうだな……」
ノヴァーク博士は今後の計画の見通しの立たなさに息を吐いた。
「ひとまず一つはできましたがね」
「それを先に言いたまえ」
椅子を蹴るように立ってケレメンの脇を抜けていったノヴァーク博士の背中を見て、ケレメンも少し駆け足で彼女の後を追った。