「おい、バカ。喜べ、お前に今から競馬を教えてやる」
(何言ってんだコイツは!!)
生まれて初めての悪口に、気落ちしていたはずのヒシケイジは生まれて初めて頭に血が上った気持ちになった。
この男、石破志雄は今、俺のことを馬鹿と言ったのか、馬鹿にしたのか。
バカっていう方が、馬鹿だ。
ちょっと顔が良いからって、言っていいことと悪いことがあるだろう。
綾部オーナーから見出されて一年。
ヒシケイジは、こう言っては何だが転生主人公が歩みがちな慢心のない馬生を送ってきた。
昨年の春、生まれた田辺牧場を離れて、日高町の共同育成牧場に入ってやったことは只管に努力することだった。
俺の仕事は、夢を見せること。夢のために、勝つことだと信じていた。
だから、基礎を怠らないように、やれることは全て真面目に取り組んできた。
馬具に慣れ、人に慣れ、きちんと指示を聞くことを覚えた。
幸い彼らが言いたいことはしっかり伝わったから、大抵の調教内容は一度で覚えた。
体のコンディションを保つことには、人一倍気を使った。
休むべき時に寝転がって休みリラックスし、誰よりも飼い葉を貪りその分動いて体力をつけた。
正直、早い走り方についても研究したつもりだった。
ストライドが長く、飛ぶように、地面に力が伝わりやすく疲れにくい走りを研究した――つもりだった。
確かに一年かけて、俺は強くなった。
実際、栗東に来てからも、調教や生活で不自由したことはなかった。
坂路調教は、早山のおっちゃんが目を丸くするくらいやった。
この体になって、初めて入ったプールでも真面目にやった。
真面目に、和を守って要らぬストレスを得ないことにも努めてきた。
今でも持ち込んだラジオで競馬情報を仕入れ、夜はしっかり眠ってハードな調教を乗り越えている。
これもすべて計画的に、この転生サラブレッド馬生で頂点を掴むための堅実な努力だ。
確かに、最近、俺はスランプかも知れないさ。
ハッキリいって、早山のおっちゃんや、厩務員の土井さんには迷惑ばかりかけているが――
それでも、改善に向けた努力は頭を絞って続けている。
栗東にいる上手な騎手に何人も乗ってもらった。
あまり、いい結果ではなかったが――それでも改善に向けて頑張っている。
ハッキリ言って、俺が馬鹿である理由がない。
その上で、教えてやるってなんだ――それとも、本当に、教えてくれるのか?
「まぁまぁ、石破ジョッキー時間も無いしコース行きましょうよ。ギョロもな、睨まないで!!」
「はい」
「石破ぁ、お前……不器用なヤツだな……」
「はい」
ヒシケイジは、間に入った土井に曳かれて栗東のウッドチップコースへたどり着く。
けれど、脳内に浮かぶのは、調教への不安ではなく、後ろをついてくる飄々としたイケメンへの文句ばかりだった。
我ながら、一瞬でもこの男を信じそうになったということが許せないが――
それにしても、石破志雄という男、なんというコミュ障なのだろうか。
たとえ転生主人公ではない馬であっても、石破志雄はコミュニケーション能力が欠如していると分かる。
まったくもって自分とは正反対の男の姿を見ていると、何を教えてくれるのか逆に気になってくるぜ。
「おいおい、ちょっと空気悪いよ~。それで、石破ジョッキー……どうっすか、ヒシケイジ」
「褒めたら付け上がりそうなので、ノーコメントで」
「ブヒーッ!!」
ヒシケイジ、2歳2か月は、大人げなくキレた。
ああ、やっぱコイツ嫌いだわ!!
「でも、仕上がりが本当にすごいですね。毛並みもツヤもいいし――」
そうだ、褒めろ。もっと心を込めて褒めなさい。
ヒシケイジはブヒヒヒと笑いながら、石破志雄のすまし顔を見つめる。
「でも、馬鹿っぽいし……俺が呼ばれたことは、タケさんでも無理だったんでしょう?」
「おう、ユタカのやつも、ちょっと厳しいといわれた」
「めっちゃ申し訳なさそうにしてそうですね」
「アレは、かわいそうだったなぁ」
(……)
そうだ――彼が来る前、父ヒシミラクルの主戦を務めた門田騎手からの激励を受けた綾部オーナーは、国内最高の騎手とも名高い“Mr.競馬おじさん”である「タケ」に騎乗を依頼していた。
快く承諾した彼は、フットワーク軽くその日の午後には乗ってくれたのだが――
「ごめんよう、これは無理だぁ……」
と、凄く申し訳なさそうに頭を下げながら、ヒシケイジに匙を投げたのであった。
アレは悲しかった、その日は飼い葉を普段の半分である7kgしか食べずにふて寝してしまったのだった――
「うわ、目に浮かびます」
へこむヒシケイジを余所に騎乗の準備を終えたのか、石破志雄はヒシケイジの鞍上へと跨る。
にしても、俺以上にマイペースな男だな、石破志雄。
「で、実際、乗ってみてどう思うね」
早山のおっちゃんが脱線した話題を戻し、ヒシケイジも気になる問いに聞き耳を立てようとする。
「まだわかりません」
だが、ヒシケイジの意識は彼の憮然とした返事ではなく、背中から伝わってくる男の気配に塗りつぶされていた。
今までに出会ったどの騎手よりも、石破は自分を見透かしている。
(めっちゃカッコいいのに、やり方がデータキャラかよ――)
ヒシケイジは心の中で悪態をつきながら、やはり石破の言うことはちゃんと聞くことにした。
こいつは嫌いだが、逆らって、おやっさんや、綾部オーナーの期待を裏切るわけにはいかない。
「おう、なら石破ジョッキー、高速調教の間、上に乗ってくれ。最後は追い切りでタイムを見るぞ」
かくして、ヒシケイジは鞍上に石破志雄を乗せての高速調教を始めた。
当然、問題は起こらない。
石破志雄のごくごく丁寧で基本に忠実な騎乗の技に、誠実に答えること。
ヤバそうな奴でも、不貞腐れず――しっかりやるのが大切なのだと、少年漫画は教えてくれた。
そうして、普段の調教メニューをこなす中、鞍上の石破志雄はただひたすらにヒシケイジの癖を見極めていた。
不気味だ。言葉は最小限に鞍上の男はヒシケイジを値踏みしている。
わかるのか、お前は、分かるのか――競馬が分かるのか――
なら、応えてやろう――石破志雄。
これがアニメなら、ご所望通りにペースを上げていくところだ。
「ほう」
早山のおっちゃんが時計を見る。
まるで最初からスランプなどなかったように、ヒシケイジは走ることができていた。
タケですら、ヒシケイジの緊張を解くにはもう少しかかった。
門田が乗った時以来、遠慮していたヒシケイジが本気になっている。
「合格だ。追い切り調教、やるぞ」
ウォームアップは済み、厩舎からヒシロイヤル、 ヒシパーフェクトがやってきていた。
「やってみます」
その一言と共に、問題の全開走行を伴う追い切り調教が始まった。
ヒシケイジは巡行中の低速域を生かす走行に関しては、年上の古馬ですら負けない自信を持っていた。
当然、全速力だって、誰かに劣っているつもりはない。
進路をふさがれた状態で徐々にギアを上げる。
あの最高の瞬間を期待しているなら、見せてやるさ――
競馬を教えるとまで言ったやつに、我慢しながら走る必要はない。
鍛え上げられた馬体が、最終コーナーに差し掛かり、遠心力に負けず見る見るうちに加速する。
そして訪れる革命的なスパート。
ヒシケイジは、有酸素運動の限界を迎え、自らの最高地点に意識を切り替えようとしたその瞬間――
バシッーー!!
石破がスイッチが入ったように、鞭を手に取り、叩き、叩き、叩いた――!!
バシッーーっと、遠くから聞こえるくらいに快音が響く。
石破はヒシケイジがヨレようとするたびに、曲乗りのような姿勢で鞭を入れ――ヒシケイジの意識を戻していた。
本当の本当の本当に、来るはずだった最高の一瞬を邪魔するとか、この野郎、マジでムカつく!!
ああ、別に鞭なんて痛くはない。でも言いたいことは分かる。
俺自身、ヨレていることは分かる。
そうだ、走行ラインを崩すな――理想的なフォームを維持するんだ。
ヒシケイジはしっかりと眼前を向き、ストライドの大きいギャロップでウッドチップを蹴り進む。
地面を蹴って、自らを前に、前に進める。
俺を信じてくれる早山のおっちゃん。厩務員の土井さん。
綾部オーナー、門田さんのために俺は夢を見せるんだ!!
「はっ!」
石破の鞭に呼応するように、ヒシケイジが自ら加速する。
それはヒシケイジにとって、今まで自らが覚えている中で、もっとも強い加速であった。
(そうだ、俺は夢を見せる為に、前に行くんだ!!)
ヒシケイジは心に火を灯し、石破志雄の指示通り、悠々と年上の馬を追い切っていく。
終わってみれば今までにない理想的な動き――理性的なスパートの走り方はこうであるのだと体が覚えた感覚がある。
悔しいが――石破志雄は本物だった。
ヒシケイジは、文字通り「競馬の勝ち方」を教えられていた。
「やってみました……」
「石破、おめえ……すげえな」
ヒシケイジをゆっくりとクールダウンさせながら、石破は早山からの確かな賞賛を受け取っていた。
上がり三ハロン、一杯、35.9秒。以前、ヒシケイジが見せた驚異的な時計を鞍上の貴公子は難なく引き出していた。
「いえ……」
「まだ、納得できないのか――」
「嘘だろっ!! こんなにすげえ騎乗したのにっ!?」
早山がうなり、土井が驚愕のリアクションを全身で表現する。
その中で、ヒシケイジは、確かに鞍上の男の絶望を感じ取っていた。
石破志雄、どうした――お前、なんで、そんなこと考えてるんだ?
その感情は、満足なんてものじゃない――俺にだってわかる。
普段通り返事を返し――石破はため息をついた。
「ヒシケイジ、お前は凄い馬だよ」
その言葉に、こめられた絶望を理解できず、ヒシケイジはまるで漫画のようにいなないた。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。