「なるほど、あれだけの場にいて、なお真髄が掴めなかったことが悔しかったのか……」
「はい……ケイジには悪いことをしました」
その日、石破は彼を迎えた綾部オーナーの付き合いで珍しく酒を口にしたのち、早山の舎宅に運び込まれていた。
普段酒は飲まない石破であったが、この日は自棄になったように酒を飲んだ。
サラブレッドの全力を引き出すことは簡単なことではない。
馬が持つ本来の資質を十二分に引き出すことと、馬を十全に走らせることはわけが違う。
確かにヒシケイジはあの時、十全であった。
頭がおかしいバカを、バカなりに制御したつもりだった。
けれど、あの馬は石破志雄が乗ってきたあらゆるサラブレッドと比べても雄弁だった。
俺が叩いたことで、正気をとりもどし――持ちうる才能をベストな状態で発揮した。
ヒシケイジはヒシケイジの力だけで勝利したのだ。
あの馬が持つポテンシャルに甘えて、ただ自分は背に乗っていた。
これじゃ、コスモネモシンにティアラを齎すなんて到底無理だ。
石破は自らにトップジョッキーとなるための才能がないことをこの時、納得しようとしていた。
「ケイジは、もっと上のギアがあるはずなんです。俺の騎乗は、もう……」
「石破志雄、甘ったれんじゃない!!」
石破志雄が泣き言を漏らした直後、早山は調教師として目の前の漢を一喝していた。
それは、失敗続きの人生であった一人の漢として、目の前の若造に向ける激励でもあった。
「テン乗りの馬で、十二分だ? 甘ったれんじゃあない……俺にいわせりゃな、お前は競馬を勘違いしてる。お前が頑張りましたで、勝ってきた馬が多すぎて、忘れちまったのか? お前が何もできませんでした――で、負ける馬が多すぎて、気づいていないのか? サラブレッドが本当に全力を張るのは、お前がバチコラ叩くからじゃねえぞ!! 馬自身がだなァ!! 何かを信じるからその力が出るんだ……!! お前は馬自身に信じられるような努力は、したのか? ええ!? まだ足りないなら――行ってこい!! コスモネモシンの所にだ!! 馬の力で勝ちたいなら、まずはそこからだ!!」
「……」
気づけば、石破はその場に正座して、名伯楽の説教を聞いていた。
目から鱗が落ちるとは、このことだ。
自分では、馬を知っているつもりだった。
癖を見出し、十全に走らせる技術は誰にも負けない――が、それは、馬と主体的に通じ合っていると果たして言えるのか。
便利屋をやりすぎて忘れていた。
もっと根本的に、サラブレッドと騎手には切っても切れない繋がりがあるはずなのに――
そんな単純なことすら分からないほど、俺は目が曇っていたのか。
「大丈夫だ。ヒシケイジは、お前さんが鞍上だよ――今のままでも、お前さん以上に適当なジョッキーがいるもんか。安心していきな――」
「おやっさん……ありがとうございます」
「礼は、要らねえ。俺も柄になく、ムキになっちまった。悪かったな……」
「そうだ。ヒシケイジの厩舎には、まだ行けますか」
「おう、土井のヤツがいるからな……歩けるか」
「はい」
石破は水を飲み干し、早山のおやっさんの肩を借りて立ち上がる。
ヒシケイジには、礼をしなきゃいけない。
この歳になって、こんなこともわからなかったとは――我ながら、馬鹿だなと思った。
◆◇◆
「ぶひぃ……」
「まぁ、そう落ち込むなって、ギョロ……お前はよくやったよ」
その日、石破志雄と共に調教を終えたヒシケイジは、厩舎に戻って力なく飼い葉を食べていた。
ラジオから聞こえてくるアニメソング特集も、今日は少し色あせて聞こえる。
そんな中、厩務員の土井さんは、せめて陽気な笑顔で浮かべていた。
寝藁を新しいものに変え、ボロとションベンが固まった藁を交換し、水を飲ませ――ラジオのダイヤルを回す。
まるで、アニメのサゲパートだなぁ……土井さんの優しさがしみるぜ……
いくら努力と才能を磨いてきたからと言って――やっぱり友情の力というか、自分一人の限界は在るものなんだ。
普段のルーティンを終えながら、今日の追い切り調教のことを思い返すと、そのことが嫌でもわかる。
石破志雄は自分をバカと言った。
実際に背に乗った彼は、確かに自分に足りないものを見抜いていた。
実際、俺は頭がいいともてはやされてきたが、それは馬として利口であったに過ぎない。
がむしゃらに、馬としての力で勝てる競馬などないと、石破志雄は雄弁に語った。
自分を律し、十全な力を出す。
それができないから、遮二無二な後先考えない逸走に頼るしかない。
今までは、その領域に立つことなく勝負がついていた。
だが――これからは、実際にレースを戦う中で、必ず同じ実力の馬と対峙するときがくる。
その時に、果たして九割の力しか出せない自分が、十割の力を出す相手に勝てるだろうか、勝てないだろう。
じゃあその時、どうすればいいんだ。
考えても全くわからない。
ムカつくけど、言う通りだ。
俺はバカ、バカでしたよ~だ。
へっ、悲しくなって食が進むぜ。
「ギョロ、きりかえていこ~ぜ。大丈夫だ、早山のおやっさんも俺もついてるし!! 石破志雄だって敵じゃないんだ」
「そうだな」
相変わらず、くよくよとしているヒシケイジを土井が励ましていたとき、石破志雄は二人の前に現れた。
驚愕、ニンジンのような甘い言葉で慰められていたら、目の前に石破志雄がいる状況は――
「うわわ~~~~~~~っ!!」
「ひひ~~~~っ!?」
一人と一匹が情けない悲鳴を上げるには十分な状況に他ならなかった。
「石破志雄……さん。もしかして、聞いてました?」
「聞いてません、です」
「すまん、土井……ちょっと外してくれるか?」
「お、おやっさん!? ギ、ギョロ~、またな~」
ヒシケイジがポカンと口を開いている隙に、早山のおやっさんに土井さんが引かれて消えていく。
気づけば厩舎の中、ヒシケイジと石破志雄は一対一で向かい合っていた。
ああ~~~~~、この状況は実に気まず~~~~い。
頼む、帰ってきてくれ~~~~!!
目をつぶって天に祈るヒシケイジ。
だが、彼の祈りは届かなかった。
「「……」」
静寂、実際、あまりの展開に脳が追い付かない。
仲違いをしていた感じの二人が、人払いして一対一で語り合うなんて、アニメでは、よく見るシーンだが……
実施に、同じ状況になると、苦しいなぁ……
石破志雄が敵キャラでもライバルでもないってわかってはいるのだが――
心の整理は追いつかない。
ヒシケイジは耳を伏せ、せめてラジオの音に耳を傾ける。
でも、それはそれとして腹が減ったから、もしゃもしゃと目の前の飼い葉桶に入った飼い葉を口に運んで咀嚼した。
あ、味がしない。
緊張をし過ぎると、飼料も味がしなくなるのだと、ヒシケイジはその時初めて知った。
「……」
ヒシケイジは限界を迎えて瞼を開く。
そこには、うつむいた石破志雄の姿があった。
彼は、少しの間、無言でその場所に佇んでるようだった。
赤ら顔になって、正直酒臭いが――目尻が赤くなって、充血している。
こいつ、泣いてたのか……
ヒシケイジが、石破志雄の居変に気づいたとき、彼も自らの異変を察されたことに気づいたのか――
ヒシケイジに背を向けて、馬房の柵に体重を預けるように腰掛けた。
「なぁ」
そうして、石破志雄は口を開き少し酒に焼けた声を発した。
「お前、人の言葉、分かるだろ――」
「ブヒ!?」
ええ、何のことかな~~~!?
ヒシケイジは、あまりのコメントに返事に困り、あいまいに声を上げる。
「ま、そのくらい頭が良いってことなんだろうが――」
なんだ、そういうことか――
ヒシケイジは、その場でほっと息を撫でおろした。
「お前は――凄い馬だよ。第一印象から、バケモノだと思ったけどな」
なんだよ。やっぱり、酷いこと言うじゃないか。
「乗ってみると、お前はさぁ、誰かのために走れる『名馬』だってわかったよ。お前は自分なりに頑張って、出来ることをして、それでも満足できなくて、たどり着かない場所に手を伸ばそうと必死に、我武者羅に足搔いていた」
なんだよ。やっぱり、分かってるじゃないか。
「俺は、出来ないことを出来ない理由を知らないで足掻こうとするから、お前はバカだって言ったんだ。不器用なバカは――俺と一緒だ――」
ああ、そうか、一緒か。
でも、そうか、俺もお前も似た者同士だったんだな。
そこまで分かってるなんて、やっぱりこいつは石破志雄は凄い奴だ。
俺に出来ないことを、俺の力だけでやる必要は、ない。
この歳になって、こんなこともわからなかったとは――俺って、馬鹿だなと思った。
涙なんて、何時から流していないか忘れたけれど――
ヒシケイジは生まれて初めて、自分を本当に理解してくれる相手を前に――
夕暮れ時、放課後の屋上で語り合うような時間の中で泣いた。
「また乗りに来てやるよ。その時は、俺を信じてくれ」
「ヒヒィ~~~~ッ」
約束だぞ、石破志雄、俺の理解者。
アニメで言うなら、お前は俺で、俺はお前だ。
生きた意味を見出すため――
夢を背負って勝つため――
ヒシケイジはこの日、石破志雄というジョッキーを信じてみようと決めた。
が、直後、厩舎の入り口で農具を引き倒す轟音と共に、二人の男がこちらへと近づいてくるのが見えた。
「うううっ……うぉおおおおおおおおおん、感動的だなぁ……」
「は……? うわ、いたんですか」
「こらっ、もう少し我慢しろっ……バカが……」
「石破ジョッギィ~~~~~!! あんたって、ちょっと嫌味なスカしたイケメンじゃなかったんだなぁ~~~~!!」
石破志雄は気づいていなかったようだが、厩舎の影に早山のおやっさんと、土井さんはずっと隠れて、二人の会話を盗み聞きしていたらしい。
漢、石破志雄の一世一代の告白は、出師の評のように二人の心を射止めたのか――
どたどたと走り寄ってきた土井さんが石破志雄にベアハッグを繰り出し、早山のおやっさんは、その光景を一歩引いた位置で感慨深そうに見つめている。
そんな光景を見て、ヒシケイジは「ブッヒッヒッヒッヒッヒ……」とその日一番の笑顔を見せた。
ああ、いいキミだぜ――コミュ障なのに悪口言いまくった言ったバチがあたったんだ。
きっとそうに違いないと考えが廻ったころ――
その日10kgしか飼い葉を食べていないヒシケイジは、随分腹が減っていることに気づいた。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。