ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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 誤字脱字報告、感想ありがとうございます。


2013冬、決戦!!有馬記念(エピローグ)

「パパ、ママ!! ヒシケイジが――ヒシケイジが!!」

 

 最終直線――少女の目の前で、ヒシケイジの後方でオルフェーヴルとヴィルシーナの順位が入れ替わる。

 

 残り100m、すべてを燃やし尽くしたヴィルシーナの目の前で――

 ヒシケイジは確かに飛んでいた。

 

 その日、会場に集まった全ての競馬ファンは、確かにヒシケイジの飛翔を目撃していた。

 一完歩が長い長いストライド、その理想形をヒシケイジは確かに体現していた。

 

 その走りを見ていた少女の目から涙が零れて、手元のぬいぐるみがそれを受け止めた。

 理由は分からないが、ヒシケイジのその飛翔は――言葉なく人の心を打つ走りであった。

 

『差が詰まる!! オルフェーヴル迫る!!』

 

「なんだろう……俺、泣けてくるよ」

「馬鹿野郎、所詮、レースだぞ……」

「レースだって何だっていい、オルフェ来いッオルフェ来いッ」

「いいぞ、ウインバリアシオン上がってこいッ!! お前!! やるんだろッ!」

 

 その日、その瞬間――

 

 中山競馬場に来たすべての人々の心を――

 

 ライブビューイングへと集った人々の心を――

 

 豪駿の最後を見届けようとテレビを付けた人々の心を――確かにヒシケイジは打った。

 

 人々の心を揺らす理想の走りで逃げるのは、理想と夢の結晶、ヒシケイジ。

 それを追うように迫るのは日本競馬の苦心と努力の結実、オルフェーヴル。

 

『マージンはない!! ヒシケイジ粘る!!』

 

――パシィ!!

 

 理想と現実が相対する中、相棒はただ無言で鞭を振るう。

 俺の視界にはオルフェーヴルの馬体が見える。

 

 外から駆け抜けてきたオルフェーヴルはまるで、嘗ての感情を取り戻したかのように――

 ただただ只管に、俺に勝つために前へと駆けだし――全力を以って俺に打ち勝とうとしている。

 

 最高で、最低の気分だ――

 そう思えるのは――きっと俺が今この瞬間に本気で勝ちたいと思っているからだ。

 

『横二頭が並ぶ!!』

 

 苦しい、楽しい、そんな気持ちの先にゴールが見える。

 前に出ろ――たった一歩でもいい。

 

 前に出るんだ。

 俺はゾーン状態で噴き出した、アドレナリンとエンドルフィンの力を借りて――

 引き延ばされた意識の中で、一歩、また一歩と飛んでいく。

 

 俺は勝つ――勝ちたい――!!

 勝ちたい――今許されるなら、俺は勝ちたい!!

 

 今、全力で走るオルフェーヴルより――

 誰かの思いを背負う生添騎手より――

 

 俺のために勝とうとしてくれている相棒のために――

 もっともっと強い思いで、俺は勝つ!!

 

 勝ちたい、勝ちたい――勝ちたい、勝ちたい、勝ちたいッ!!

 勝つために――積み重ねてきた全ての日々を翼に変えて、俺はあと一歩を前に踏み出す。

 

『もう一度!! ケイジが伸びる!! ヒシケイジが抜けだした!!』

 

 それは、冷静になって、映像を見返せば―-

 ヒシケイジの方が少しだけ、調教量が多く、ほんの少しだけスタミナが多かった。

 

 そう判断される“事実”に過ぎない。

 

 ただ、その瞬間、ありとあらゆる願いを背負い続けてきていた分――

 一歩、たった一歩だけ、ヒシケイジはオルフェーヴルよりも先を飛んでいた。

 

『オルフェ来い!! ケイジ先頭か!? どっちだ!? どっちだ!?』

 

(勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、勝つ――ッ!!) 

 

 俺は勝つ――!! 絶対に勝つ!!

 こうやれば勝てるじゃない、今この場所で本気を出して勝つ!!

 

 ああ、本当に最高の時間だ。

 競走馬に産まれたからには、走って勝ってこそ意味がある。

 

 けれど、俺には――相棒と走る理由があった。

 多くの馬と走らなければ、この場所には立っていなかった。

 

 そうか、今この瞬間――ゴール板を踏み抜いて俺は全てが分かったような気がした。

 

『この接戦!! 激戦!! これだ! これだ! 目に焼き付けよ!!』

 

 すべて、すべてだ。

 きっと、俺が生きる意味は――言葉じゃ伝えきれない、すべてにあったんだ。

 

 情けない答えだけど――

 きっと、俺が走るってことのためにしてきたすべてが――

 勝つためにしてきたことのすべてが――

 生きてきたことのすべてに――

 

 意味がないようで、多分、意味があったような気がする。

 

『これが日本二強だぁああああああああああぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!』

 

 そうして俺は、確実に一歩先んじてオルフェーヴルより先にゴール板を踏み抜いた歓喜を表現するように叫んで――。

 

(うわああああああああああぁぁぁぁぁァァァーーーーーーーーっ!!)

 

『ラストラン、有終の美、飾ったのは――』

 

 直後――オルフェーヴルがみるみる外側を駆け抜けていくなか、ヒシケイジは限界を超えた。

 すべての力を使い切った体から力を抜けて、体勢が崩れていくのを感じていた。

 

『ああ、ヒシケイジが!! よろけている……大丈夫か!?』

 

 いけない――せめて、相棒が傷つかないように――

 背中と地面が平行になるように、体を芝に滑らせようとして倒れなければいけない。

 

 もう脚は無事じゃあ済まないだろう。

 

 どうせ俺は、もうレースを走らない。

 

 俺の体はもうどうなってもいい――加速した思考が、はじき出した最前の策だ――

 

(ごめん、皆、ごめん、土井さん、おやっさん……オーナー、社長……)

 

 そうして、俺が自分を投げ捨ててでも、一番大切なものを守ろうとしたとき――

 こちらに駈け寄った、一頭の競走馬が崩れる俺の胴を支え、かろうじて俺の体にかかるはずだった速度を殺した。

 

『オルフェーヴルが支える……石破騎手が下馬していきます』

 

「あかんで、あかん!! ヒシケイジ――お前はまだ生きなアカンのや!!」

 

 かろうじて、立っているだけの自分の視界に――

 涙目でこちらを見つめるオルフェーヴルと既に泣いている生添騎手の姿が見える。

 

 相棒は、幸い――俺が倒れる前になんとか俺の鞍上から降りることが出来たらしい。

 

 ああ、よかった――

 相棒に怪我がなくて、本当によかった。

 

 俺は折角だからオルフェーヴルの体を借りるように体重を預けて、その場にターフの上に寝転んだ。

 

『共に支えあうように、ケイジ……今ゆっくりと、体を横たえました』

 

 ああ――いい匂いだ。

 目をつぶれば、あの日の、ただ走るのが楽しかった子供のころの芝の匂いと変わらない。

 

 ああ――でも、流石に疲れてしまった。

 全力のスパートを、アレだけの時間続けたおかげで、脚がズキズキと痛む。

 

 混じった冬の空気――

 喧噪が、何処かと奥に消えていく――

 

 脳内物質がかろうじて体の痛みを消し、俺の意識が消えるのを待っているのだろう。

 

『石破志雄、縋りつく。ヒシケイジ、まだ息はしています……』

 

「ケイジ……すまん。俺もお前もバカだったな」

 

 ああ、でも――相棒が何かを言おうとしている。

 

「お前なら、大丈夫だって思ってた」

 

 なんだよ――相棒、俺は大丈夫だ。

 ただ、ちょっと疲れただけだ――

 

『タイムは2分28秒.1……!! 文句なしのレコード!!』

 

「おい、ジョークだっていうなら……笑えねぇよ……」

 

 心配するなよ――これくらい、どうってことないんだ。

 

『ヒシケイジ、すべてを出し切ったGⅠ九勝!!』

 

「ケイジ、本当にありがとよ……」

 

 バカ、そんな御礼なんて言うな――

 そんなのまるで、永遠のお別れみたいじゃないか――

 

『有馬記念の頂に至ったのは――ヒシケイジ……』

 

 その偉業に歓声は一切、上がらなかった。

 ただ只管にターフを駆け抜けたヒシケイジという愛するべき一頭の馬が、ターフに倒れている。

 

 この事実を、誰もが受け止めることが出来なかった。

 

『オルフェーヴル、ケイジに寄り添ったまま動きません……』

 

 まてまてまて――ちょっと寝てるだけなのに、皆大げさすぎる。

 俺にとっては、別に、このくらいなんてことはないんだ。

 

 オルフェーヴル、お前も分かってるだろう。

 だったら、何か一言くらい言ってくれ……

 

『ノーサイド、レースが終わったら――ノーサイドです』

 

 まったく、しょうがないな……

 アニメみたいに――本当に、馬使いが荒い奴らだ。

 

 俺は、なんとか瞳を開き――嘶くように体を起こす。

 

『おお、ヒシケイジ――立つのか!! ヒシケイジ!! 立てるのか!! 立て、立って!! 行け!!』

 

「馬鹿野郎が――」

 

 相棒が俺に跨ったのを見て、俺はすっと立ち上がる。

 少しふらふらと、してしまうのはこの際仕方ない。

 

「あーもー、心臓に悪いわ……せやけど石破クン――ほんま、ええ馬に巡り合えたなぁ」

「はい!!」

 

 俺は共に立ち上がったオルフェーヴルに体を支えてもらいながら――

 相棒と生添騎手が深く握手を交わした姿を見た。

 

(ケイジ!! ケイジ!! ケイジ!! ケイジ!! ケイジ!! ケイジ!! ケイジ!!)

(イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!! イシバ!!)

(オルフェ!! オルフェ!! オルフェ!! オルフェ!! オルフェ!! オルフェ!!)

(イケゾエ!! イケゾエ!! イケゾエ!! イケゾエ!! イケゾエ!! イケゾエ!!)

 

「場内、割れんばかりの大歓声が日本二強の健闘名声を称えています――有馬記念、奇跡的なレースでした。一着七番ヒシケイジ。二着三番オルフェーヴル、三着に四番ウインバリアシオンが入りました」

 

 その日、有馬記念は日本二強の連対という結果を持って確かに幕を閉じた――

 この日、ヒシケイジが打ち立てたレコードは、2024年現在をもってしても更新されてはいない。




 誤字脱字、感想お待ちしております。
 明日も1800投稿予定です。
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