そういう世界線もあったということにしておいてください。
おまけ(読まなくてよいif)
「先生、石破さんの――お子さんが目を覚ましました……」
「手術は成功したのか……よかった、親御さんに連絡を……」
◆◇◆
“だから走れ――ただ只管に走るんだ”
今日も見るのは高い高い入道雲が浮かぶ草原を走り続ける夢だ。
走って、走って、走りつかれて、両足が動かなくなるまで走り続ける。
〝私”はそれが、とても楽しい。
後ろから、誰かが私を見つめてくれている。
その優しい視線に見せつけるように、私は今日もただただ広い広いターフの上を駆け抜けていく。
私の中の誰かが言う。
走れ、ただ――己が信じるままに走れ――と。
「でも、そんなの誰が喜ぶのさ……生まれてから一度も走ったことなんてないのに」
病院の一室――星が瞬く真夜中に“私”は目を覚ました。
点滴が腕に刺さっていない目覚めはいつぶりだろう。
もう助からないと、言われていたはずなのに……
どうやら、九死に一生を得るとはこのことなのだろう。
生まれてから一度も、学校に行ったことがなかった。
目が覚めると病院のベッドで、寝ても覚めても同じ光景だった。
仕方ないから、一日中ゲームをして過ごした。
こんな体に生まれていなければ――と思う日はあった。
もしかしたら、こんな人生を歩んでいたかもしれないと、叶わぬ夢を抱きながら画面の中の物語に熱中した。
“生まれてから一度も、走ったことがなかった。”
私は――ヒトより走れる体のはずなのに――
色々な後付けの設定のせいで、自由な人生を許されていなかった。
少しでも無茶をすれば悲鳴を上げる体に生まれて、限界はすぐにやってきた。
十二年の人生はあっけなく終わりを告げ、何も為すことはなく死が喉元まで迫っていた。
そのはずなのに――
「走りたい……」
私は、パジャマを脱ぎ捨てて――
上を荷物の中にあったシャツに着替え、下はリハビリ用の短いジャージに履き替えた。
「走りたい……」
私はそうして、眠り続けた体を起こしていくように……
夢の中でしていた時と同じようにゆっくりとストレッチを始めた。
眠り続けて委縮した大臀筋、大腿四頭筋を伸ばし、ハムストリング、下腿三頭筋にアプローチをしていく。
「走りたい……」
筋肉が無くて、柔らかい――
なのに、痩せこけて脂肪のない上半身を折り曲げるように引き延ばして――
「走りたい……」
まるでゾンビのように、うわごとのように繰り返しながら個室を飛び出して階段を隠れて下る。
しゃがんで玄関を抜け、靴も履いてないのに――私は、病院の玄関へと繰り出していた。
幸い、ウチの病院は――警備が甘い。
サボり気味の受付のおばちゃんの目をかいくぐることは訳なかった。
「走りたい――」
そうして、“私”はその日、12月29日――長らく入院していた調布の病院を抜け出した。
ていうか――寒い。
余計な脂肪のないやせぎすの体に、寒さはこたえる。
12月の風は冷たく、冬の風が――まるで私を持ち上げるかのように吹いていた。
美容院に行けずに色の抜けたまま長く伸びた私の髪を風が撫で――舞い上がる。
そうして、舞い上がった髪が鬣のように棚引いた瞬間――
「うわああああああああああぁぁぁぁぁァァァーーーーーーーーっ!!」
私は、まるで嘶くような声をあげて、裸足で石畳の上を走り出していた。
走りたい――
私は腕を振り、まるで映像の中で見た“誰か”のように駆けだしていく。
意地で勝利をつかみ取った、流星のように――
努力の末に、勝利をつかみ取った“奇跡”のように――
たった一人、ターフを飛んだ“衝撃”のように――
踏み出した足が地面を掴み、ベクトルが地面に伝わる反発で私の体が前に進んでいく。
どうせ走るなら――飛ぶように、長いストライドがいい。
走れば走るほど、心臓が高鳴るような――
どこまでも自分を連れて行ってくれるような走りがいい。
“私”は閉じた門の段差に手を駆けて飛び上がる。
空中で腕を振り――軽い体が空の上で一回転、着地は足首から、膝、腰、肩、肘と受けて転がる。
ぐるり、ぐるりと世界が転がり――仰向けに見上げた暗く遠い夜空には、輝く星が瞬いていた。
「走りたい――」
そうだ、私は――走らないといけないんだ。
そのために、怒られると分かっていて――ここまで、飛び出して来たんじゃないか。
行くんだ――
そう思いながら腰のバネを使って、私は跳ねるように立ち上がる。
土で汚れた髪を雑に振って――
小さな、あのゲートの中に納まる気持ちで、“レーン”のある道路の上に立つ。
ゲート内、一瞬の静寂――
『行くぜ、相棒――』
(スタートしました!!)
直後、私のトモは誰かの声に押されるように深夜の街並みへと駆けだしていた。
駆ける、駆ける――大通りを、たった一人駆けていく。
私の視界の脇を、オレンジ色の街灯が流れていく。
『加速だ、加速しろ――レースは我慢だ』
心臓が高鳴る。
寒さに息が切れる。
運動不足のトモが悲鳴を上げ――全身が速度に軋む。
ああ、バカだ――私はバカをしている。
一体、どこまで行ける、どこに向かって走ればいいんだろう。
「前に――前に――」
そんなこと、もう関係ない。
楽しい、楽しい――私は今、全身を使って生きることを表現している。
この歓喜を、全身で表現するように、ただ只管に手を振り――足を上げ、速度を維持するように駆け抜けていく。
大通りを抜け、十字路のコーナーを駆け抜け――いつもは窓越しに見ていた土手が見える大きな橋を駆け抜けていく。
“凄い――凄い――凄い――!!”
脳の中をエンドルフィンが駆け巡り、苦しさにおぼれながらも私はレーンの上を駆け巡る。
いやに脚の裏が熱い――きっと皮がむけて凄いことになっているんだろう。
それでもかまわない――
「前に――前に――」
今はただ……生きることを喜ぶように――
「前に――前に――前に――前に――」
ひたすらに、脚を踏み出して――
「前に――」
私は、走る意味を見つける為に――ただただ愚直に、青空の下を駆けるように、硬いコンクリートの地面を邁進した。
(そうだ、走れ、走り続けることができれば――きっと――お前は、生まれた意味にたどり着くことが出来る)
ああ、知りたい――
私は知りたい――
私が産まれた意味、この体と名前を受け継いだ意味を知りたい――
「教えてよ!! 私は何で生まれてきたの!?」
そうして、叫び声をあげながら、駆け抜ける私は……その、あまりにバカすぎて――目の前の信号が赤であることに、気づかなかった。
瞬間、体の左側に凄い衝撃が走った――――――――
脱力した体が、あっけなく宙に舞う――――――
そのまま、私の体は道路を跳ねる――――
ごろん、ごろん、ごろごろ、ぐたっ……
真っ赤に染まった街灯の明かりの元、低い冬空には月が見えている。
結局私の体は、だいたい五回くらい転がったのち、地面に操り人形のように倒れ込んだようだった――
「あっぶな!! やっば!! 人間、轢いちゃった……!? めっちゃ転がったんだけど!?」
「信号無視したの、お前だからなって……まだ子供じゃん」
「はァ~? 幾ら餓鬼だからってなぁ……はぁ……病院、警察、どっちから連絡すればいいんだっけ?」
「まぁまぁ、とりあえず……生きてます? その――名前とか、分かる?」
よかった――車に乗っていた人たちが、続々と降りて車の損傷を見ながら――倒れた私を囲んだ。
幸い、車の速度が落ちていたおかげで、手足はもげていないし、痛みもない。
九死に一生を得るとはこのことだ。
ああ、なんて私はバカなんだろう……
折角助かって、これから人生始まるってときに、なんで交通事故なんかに逢っているんだろう――
仰向けに倒れた私を心配して駈け寄ってくれた人たちのうちの一人が手を貸して――
起こしてくれようとしたのに体の力が足りず、結局大人二人に肩を借りて、宇宙人みたいに持ち上げられる。
「その、ありがとうございます……」
そんな、あまりにもバカな私は――彼らに抱え上げられてやっと、今、自分が名前を聞かれていることに気づいた。
「私の名前は――“ヒシケイジ”です。電話は、やめてもらえますか……パパとママにばれたら、怒られるから……」
多分、私の耳は恥ずかしそうに後ろに倒れていたことだろう。
周囲から、深い深いため息が零れる中、満足した私はそのまま意識を手放した。