ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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2010秋、ヒシケイジ、芙蓉ステークスに挑む。

「お~い、ギョロ~!! そろそろ栗東に帰るぞ~!!」

 

 2010年9月。

 昼間、ヒシケイジが信楽ノーザンファームで、飼い葉をもぐもぐと咀嚼していると、聞きなれた土井の声が聞こえてきた。

 待ってたぜ、土井さん――と言わんばかりに馬房に近づく。

 すると、夏を経ても変わらず三角形のおにぎり体系である彼は、しっかり日焼けした顔で変わらない笑顔を浮かべてくれた。

 

(夏は早山のおっちゃん、他の馬のレースで忙しいからな~)とか言ってたってことは。

 そうか――もう世間では夏が終わったんだっけ?

 

 信楽ノーザンファームに預けられて約二カ月の間、徹底的に休養してきたヒシケイジは正直、時間感覚が失われかけていたが、久々の栗東への帰還はレースが近い証拠だろう。

 

 さらなる勝利のために、自らに渇を入れなおさなければならない。

 

「夏の間、かまってやれなくてごめんな~。でも、次のレースも近いから頑張ろうな!!」

「ブヒ!!」

「信楽ノーザンファームの皆さんも、本当に夏の間、ありがとうございました!!」

「いえ、ヒシケイジは出来た馬で助かりました。彼がいると落ち着く馬も多かったもので――」

「そうですか、そりゃヒシケイジらしい……」

「ええ、ですからまた使ってくださいと、綾部オーナーにもよろしくおねがいします!!」

 

 ヒシケイジは土井とスタッフの間、ラジオの持ち手を咥えながら、大人しく待っていた。

 

 そうか、そういえば、俺が居なくなるってことは――

 あの栗毛のオルフェーヴルとか、どうなるんだろう。

 

 ヒシケイジは先月、レース後の興奮からか「ぼっち」を決めていたオルフェーヴルを助けた後、群れに入る手助けをしたり、グルーミングをお互いにしたりいろいろ世話を焼いてあげていた。

 

 そんなオルフェーヴルが、もう少しこの信楽ノーザンファームで過ごすことになるだろうというのは、この前スタッフ達が話ているのを聞いたばかりだ。

 

 ちなみに名前も、メイクデビューに勝っているという事実も、その時聞小耳にはさんだ。

 つまり、オルフェーヴルは今後、放牧場ではなくレース場で出会う可能性があるということである。

 

 それからというもの、出来る限り放牧時は休みながらも体の調子が落ちないようにしているし、幾度か調教が行われたときは、しっかりとこなして体を作ってきたつもりだった。

 

 けれど、オルフェーヴルが初めて会った時に見せた末脚のイメージは、自分の中では越えられてはいない――そう思うと、自分にはまだまだ超えるべき壁も、成長の余地がある。

 

(次のレースまでに、俺も頑張らないとな……)

 

「ブルルルッ!!」

「おお、ギョロ~、めっちゃモチベーションあって最高だぜ。早山のおやっさんも、綾部オーナーも落ち込んでたけど――ギョロのコンディションが良ければ、喜ぶぞ!!」

「ブヒッ!!」

 

 かくして、ヒシケイジは馬運車に運ばれて一時間といくらで。

 栗東トレーニングセンターの早山厩舎へと戻り、調教を再開することになる。

 

◆◇◆

 

 その日の夜、早山厩舎の厩務員室では調教師である老将「早山」と、厩務員の「土井」が印刷されたデータやヒシケイジの写真を片手に、遅くまで協議を繰り広げていた。

 

「うむ……」

「ギョロは調子悪くないですが、ガタイは思ったよりも伸び悩みましたね」

「まぁ、元から早熟な馬だったからな――脚の方が問題ないならいけるだろうさ」

 

 煙草を咥えながら、早山は変わらず書類と、夜食の握り飯にかじりつく土井に向き合う。

 

 信楽ノーザンファームから帰還したヒシケイジには、即座に健康診断が行われた。

 体調面に関しては問題なかったが、放牧以前から比べて体高、体重共にみられる伸び悩みこそが、早山と土井の悩みの種となっていた。

 

 食事量やトモの張りに比べて、体重は485kg――

 ヒシケイジの筋肉の成長が、骨格に追いついているとは言い難い状況であった。

 

「ですよね、俺達がギョロのことをよく見てやるしかないですよね」

「ま、今のままでもクラシックまでは問題ないだろと思いたいがな……」

 

「そうだ、次走は決まったんですよね!!」

「おう、綾部オーナーが朝日杯に向けて同条件のレースに出せってんで10月3日、中山の第9R、『芙蓉ステークス』が次走だそうだ――」

「ギョロなら負けませんけど、本当にマイルを走らせるんだからなぁ……」

「朝日杯が2400mなら、何の苦労もないんだがな、ナハハ」

 

 長くヒシ陣営のもとで、数々の優駿を送り出して来た早山と土井であったが、ヒシケイジほどの豪駿を見極めるとなると話が違った。

 

 ならばこそ、一人一人、自分に出来る全てを熟す他はない。

 

 煙草を片手に自棄になって笑う老将「早山」と、インスタントの味噌汁を飲み干す「土井」を尻目に、ヒシケイジは坂道とプールでの調教を中心に、変わらず他のサラブレッドの倍近いメニューをこなし、15kgの飼い葉を平らげる生活を続けることとなった。

 

◆◇◆

 

 時はみるみると過ぎ――

 2010年10月、馬運車から出てきたヒシケイジは千葉の土を踏んでいた。

 

 時刻は正午を過ぎ、空は晴れ晴れとした秋晴れの太陽が照り付けている。

 とはいえ、気温はそれほど高くはなく、低すぎというわけもなく――

 

(つまりは、絶好のレース日和って奴だな!!)

 

 ヒシケイジは、遥々来たぜ、千葉県と上機嫌の面持ちで出走の準備を終えた。

 健康診断の後、馬具を身に着けるパドックへと堂々とした姿勢で向かう。

 

 勿論、身体的、精神的にも不調は一切ない。

 ここ一か月の間、早山のおやっさんと土井さんは、放牧から帰ってきた俺をつきっきりでケアしてくれていた。日々の調教という面で見れば、俺は確実に成長している。

 

 修行パートの結果は出ていると確信する。

 

 それにしても、今日は前回に増して人が多い気がする。

 パドックを見に来ている人は、前と比べて2倍じゃ足りないくらいだ。

 

 だが、ここで下手に興奮したり、逸る気持ちを姿勢に表してはいけない。

 レースを見に来た人たちは、パドックで普段通りではない馬の評価を落とすのだ――と、ラジオの競馬番組で言っていた。

 

 勿論、わざと調子を落としたフリをしてレースで全力を出すのもいい。

 でも、綾部オーナーにいい夢を見せるならば――最初から一番人気のまま、一位でゴールインっていうのがベストな勝ち方で、格好もつく。

 

 かくして、ヒシケイジはパドックでは出来るだけ大人しくいるように心掛けたのだが――

 

「あの馬怖ぁいぃいいい……」「こらこら、お馬さんがびっくりしちゃうでしょ」

「トモの張りすげ~」「母父タマモクロスだっけ?」

「葦毛って、言えばオグリキャップ?」「でも似てね~」

「ディクタスアイってやつ?」「ギョロってしててこわ~い」

「大人しいね~」「父ヒシミラクルか~、ダメじゃね?」

「見た目通り走るのかな~」「でも前走、大差だろ?」

「今日も大逃げすると思う?」「石破だしな~」

「やっぱクセ馬なのかな……」「ていうか今日、生添いなかったっけ?」

「東西癖馬対決かよ」「いや、ヒシケイジって栗東じゃなかったっけ?」

「ホエールキャプチャーとか、いい感じじゃない?」「末岡騎手いけそう?」

「いや~、トウシンイーグルも捨てがたいよ?」

「まぁ、でも一位はアイツじゃない?」

 

(うーん、思ったよりも賛否両論……)

 

 ヒシケイジへの評価は、血統、騎手の面で正当なものとは言い難いものだった。

 出来るなら「ヒシケイジ今日もすげえ」「これは一位間違いないぜ」ってくらいの評価が欲しい。

 

 やっぱり大勝ちとはいえ、一勝じゃあ評価はされないか。

 そう思いながらもヒシケイジは他の馬の調子を見る為に周囲を見回す。

 

【おまえ!! おまえ!!】

 

「おい、オルフェーヴル!!」

 

 すると、ヒシケイジは一頭の栗毛の馬がこちらへと熱烈な視線と共に立ち上がろうとしていることに気づいた。

 

 オルフェーヴル、オルフェーヴル……そういえば!!

 

「オルフェーヴル、何か入れ込んでない?」

「ヒシケイジと仲悪いのかな~」「逆だったりして」

「やっぱり東西癖馬対決じゃん……」「生添、また振り落とされたりしてw」

 

(オルフェーヴル!! マジで忘れてた!! 直接対決、早くない!?)

 

 ヒシケイジは、馬並みの生活で忘れかけていた同胞のことを、今確かに思い出していた。

 8月、信楽ノーザンファームにおいて面倒を見てやった栗毛の怪物が、寄りにも寄って今日の晴れ舞台でカチあってしまうとは――

 勝ち確にできない時点で不幸というべきか、あるいは、成長の糧という意味で幸運とみるべきか。

 

「うわぁ、大丈夫かな……生添さんとこの馬だろ?」

「ブヒッ……」

「ギョロ、シカトか?」

「ブヒッ……」

「お前も、突っかかられるのダルくおもうことあるんだな~。気づかなくてごめんな~?」

 

 兎も角、ヒシケイジは、自分を曳く「土井」さんに察してもらいつつ、オルフェーヴルには、一旦無視を決め込むことにした。

 

 確かに、俺は信楽ノーザンファームではヤツの才能の片りんを見てしまった。

 実力がどうあれ、直線でこっちを追い込む速度ならアイツの方が上だ。

 

 だが、今日は相棒が居る。競馬は馬だけでやるものではない。

 騎手と競走馬が、かみ合ってこその競馬なのだ――と、ラジオの競馬番組でも言っていたから間違いない。

 

 いいだろう、勝ってやるよ――オルフェーヴル。

 相棒と一緒なら負けないぜ。

 

【おい、シカトするな!! するな!! お前!! なんでこっちみない!!】

 

 だから、黙れ。

 お前のとこの厩務員さんがアタフタしている。

 

「オルフェーヴル~、頼むから大人しくしてくれ……」

 

(それにしてもアイツ――あの分だと、間違いなく入れ込んでるって思われるな)

 

 かくして、ヒシケイジの心配を余所に、各馬がパドックから本馬場へと入場していく。

 芙蓉ステークス、後世に日本二強とたたえられた競走馬の初めての公式対決が今まさに始まろうとしていた。




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