2010年10月、中山競馬場9Rの芙蓉ステークス。
ヒシケイジはオルフェーヴルと互いに鞍上をのせての初対決を迎えていた。
『一番手ヒシケイジと二番手ホエールキャプチャ、差は半馬身』
ヒシケイジが馬群の先頭で、堂々とした競馬を見せる。
お前らは全員、石破 志雄のレースに乗せられている。
『レッドエレンシア三番手、あとは一馬身外にはカトルズリップスが四番手』
現に迫ってくる馬からは、みんな息苦しさを感じる。
『内はニシノクエーサー、その後ろ六番手の位置にオルフェーヴル――』
とはいえ、思ったより距離は離れてはいない。
『その外にはフレンドサンポウが並んで三コーナーを回っていきます』
こういう時のために、どうせ何かを隠してるんだろ――相棒。
『あとは四馬身後方、トウシンイーグル。最後方三馬身差ワイルドジュニア変わりません。残り600を切って逃げます』
「おい、ヒシケイジ……そろそろ行くぞ!!」
そんな時、ヒシケイジの耳元で相棒が何かを囁き鞭を振るった。
バシりと、音が響き――ヒシケイジの脳裏に電撃が走る。
(よしきた――)
『ここでレッドエレンシアが差を詰めようとしたところで、ヒシケイジ、徐々に速度を上げていく』
直後、ヒシケイジが残ったトモの筋力を引き出し、走るペースを一段上げる。
背後から迫る影、どうやら馬の限界を見切った誰かが仕掛けようとしたらしい。
均衡が崩れ、他の競走馬たちがスパートをかけて埋もれる前に相棒は先手を打ったんだ。
石破 志雄、最高だ。
比翼連理の片割れの鞭を受けながら、ヒシケイジは傍目から見たら悠々と馬群を置いていく。
それでいい、既に他の馬の限界が近いのは分かっている。
『ヒシケイジここから加速、悠々とペースを上げるヒシケイジ、追って二番のホエールキャプチャ二馬身半――!!』
だが――俺はそうじゃない。
そうじゃないぞ。
『400を通過、第四コーナーをカーブして、直線コースに入ります』
第四コーナーを越えてなお、ヒシケイジはぐんぐんと加速していく。
ペースを保ちながら、自分ができる一杯の加速をここで見せつける。
『前は広がって、ヒシケイジ、二番手レッドエレンシアに入れ替わる』
最終直線、視界が広がる。
当然、ヒシケイジの耳にも歓声が聞こえてくる。
当日11R、スプリンターズステークスを見に来た彼らがスタンドで見たものは――
零細血統の葦毛のステイヤー、今年やっと重賞を勝った中堅ジョッキーが単独で悠々と最終直線へ駆け込む姿だった。
誰かが、すげぇ――と、腕を振り上げた。
誰かが、すごっ――と、口を塞いだ。
そこにいる誰もが、ヒシケイジを見ている。
まるで飛ぶように走る葦毛の馬が、すべての馬を置き去りにしている。
ヒシケイジの走りには、華がある。
見る者の心を射止める華がある。
彼は悠々と、本当に気持ちよく走ってくれている。
そうだ、いけ――と、ヒシケイジには夢を託したくなるカリスマがある。
『コースを取ったニシノクエーサー三番手』
割れんばかりの大歓声を受けながら、ヒシケイジは残り200mを通過する。
ヒシケイジは意志を集中しながら、スパートを維持し続けていた。
鞭が入っているおかげで、ヨレの心配はない。
『外からはトウシンイーグル――』
余裕はないが、セーフティーリードとは言い切れない。
ならば、最後まで気は抜く理由はない。
(来るのか、オルフェーヴル、来るなら来い!!)
ヒシケイジは視線をゴールへと向けながら、ただ一人と一頭の怪物が来ることを待っていた。
◆◇◆
ひぃやぁ~~~~~~~~~~、ホンマにすっげぇ歓声やん!!
てか、やっばっ、やっば……やっばいって……もしかしなくても、ボクが仕掛けミスった?
石破クンってこんな競馬上手かったっけ?
あの騎手、毎回癖馬シバくのにいっぱいいっぱいでぇ――
積極的に行くとかぁ、自分でレース創る無理は基本しないタイプやったやんけ……
ていうか、ヒシケイジも育ち過ぎぃ――
こら、クラシックまでは勝てなくても、しゃーないかなぁ――
でもねぇ、石破クン……
ウチのオルフェーヴルのポテンシャル舐めてもらったらあかんで?
「って、とこでぇ、ここは一丁ぉ、一杯いってみよっか!!」
【いいか、いいのか!? 生添――さぁ、いくぞぉ!!】
『おっと、ここで、三番のオルフェーブルが急加速で、追い込んでくるっ!!』
直後、ヒシケイジは背後から特大の圧力が迫ってくるのを感じた。
そうか、ついにくるのか、オルフェーヴルーー!!
分かる、分かってしまう。
他の馬が疲れを見せる中で、一頭、明らかに正真正銘の威圧感がこっちに向かってきている。
「あれあれ、オルフェもなんかやる気出してるし――、石破く~ん、今日の勝ち、ボクらに譲ってくれや……」
「ヒシケイジ、逃げろ――っ!!」
ヒシケイジと鞍上の石破 志雄は明らかに、会場の異変を感じ取っていた。
歓声一色だったスタンドに悲鳴やざわめきが混じりはじめた。
石破 志雄の鞭が、さらなるハイペースで奔る。
どうやら、まだ。勝負は分からない。
ヒシケイジは必死に加速するが、なお周囲がざわめくほど、オルフェーヴルは疾いらしい。
【まって、まって――】
と、相手は無邪気に追ってるつもりだろうが――こちとら余裕なんてもうない。
オルフェーヴルは化け物か!?
上がり3ハロン32秒台が見えてるんじゃないのか!?
『あと150メーター、ヒシケイジ先頭変わらず弐馬身、外から三番オルフェーヴル』
マージンはどんどん詰まってくる。
このままだと追いつかれるのか――それは、嫌だ。
石破 志雄の息遣いにも、怒りが混じるのが分かる。
ああ、嫌だな――相棒。
オルフェーヴルに、生添達に負けたくないのは俺も同じだ。
周囲の光景が、驚くほどゆっくりと後方に流れていく。
ヒシケイジは、追いすがるオルフェーヴルの気配を感じていた。
視線をスタンドに向ければ、必死だが楽しそうなオルフェーヴルの姿。
【まって、まって、やっとおいついた――】なんて、表情を向けるヤツを見たとき――
自分の中でも驚くほどの激情が湧き上がってくることに気づく。
ああムカつく、なんでこんなにムカつくんだ。
勝つはずだったレースに負けるかもしれないのが、悔しいのか。
それとも、自分の力不足でこいつに追いつかれたのが、許せないのか。
(そうだ。許せない、いや、許されない――)
なぁ、オルフェーヴル。
俺に、追いついた――そんなわけないだろ――
思い出せ。
俺は何のために走ってるんだ。
早山のおやっさん、土井さん、綾部オーナー、門田さん!!
相棒が負けて悔しがる姿を、見せる為に走ってるわけじゃないだろ――!!
ヒシケイジは覚悟を決めた瞬間、残された力を振り絞るように、脚のギアを一段上げた。
トモのどこから絞り出したのかわからないトルクが、ヒシケイジをもう一歩だけ先に進む力を与え――
ぐんと、加速したヒシケイジが、オルフェーヴルを視界の端から消してゴール板を駆け抜ける。
『今二番手、オルフェーヴルの追い上げに、ヒシケイジさらなる加速をしたように見えました――何とか粘りきってゴールイン』
(は~~~~~~~~~~~~~~~、やったぁああああああっ、勝った~~~~~!!)
「っし……!!」
一着、九番ヒシケイジ、勝ち時計は1:33.9。
上がり3ハロン33.5。
鞍上の石破が、本当に嬉しそうにガッツポーズを上げる。
生添騎手とオルフェーヴルには、相棒も相当フラストレーションが溜まっていたのだろう。
ヒシケイジもまた、安心したように息を吐く。
歓声を背に、ギャロップを徐々にペースダウンしながら駆け抜ける。
『外から三番のオルフェーヴル、クビまで詰め寄りました。そのあと一番ニシノクエイサー、三番手の入選です』
ヒシケイジは激走の疲労がどっと湧き出る中で、同世代とのライバルの直接対決に勝った歓喜の中にいた。
よかった、今日のレースは、自分でも分かるくらいに良かった。
前のレースのように、大差を付けて勝利とはいかなかったけれど――
今日のレースはすべてを出し切り、戦いの中で追い込まれながら勝つことができた。
いいぞ――俺は成長出来ている。
普段の調教じゃ得られない経験値を得られている。
あー、今日はいい夢見られそうだ――
だが、ヒシケイジがそう思ったのもつかの間……
【すごいすごい~、まって~たのしい~、もっとやろ~~~~~!!】
「は~~~~~ぁ、石破くん、何~~~どこで特訓したの!?」
「うわっ……生添さん……」
すり寄ってきて甘えるオルフェーヴルと鞍上の生添の口撃に――
ヒシケイジと石破 志雄は、勝利の美酒を味わう暇なくタジタジになるのであった。
「うわってなんやも~、失礼やね~石破くん!!」
(うわぁああああああっ!! 馬鹿馬鹿ひっつくなっ、助けてくれっ、相棒~~~~~~~~~!!)
二着三番オルフェーヴル、1/3。
勝ち時計は1:34.2。上がり3ハロン33.4秒。
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