――ヒシケイジで、芙蓉ステークスを制した石破志雄ジョッキーです。おめでとうございます。
「ありがとうございます」
――メイクデビューから続いて一番人気での二連勝でしたが、率直な気持ちをお聞かせください。
「皆様の期待通りの走りができていたら何よりです。スタッフのお陰で状態もよく、馬にも助けられました」
――道中、メイクデビューと同じく逃げの展開でしたが、理想通りでしたか?
「初めから、逃げで行こうとは思っていました。大逃げは無理だと思っていたので、頭を押さえた後はペースを作って、逃げる感じで……行った感じです、はい……」
――第三コーナーを抜けた直後のスパートでしたね。道中の折り合いとかどうでしたか?
「ええ、まぁ、ヒシケイジは折り合い気にしなくていいくらい頭が良いので、大丈夫でした。今日は先頭に抜け出た後も気を抜かなかったので褒めてあげたいです」
――では、最終直線、オルフェーヴル号に迫られた際の急加速、あれも織り込み済みだったということでしょうか。
「いえ、あれは――ヒシケイジが頑張ってくれました」
――早くも、ヒシケイジはクラシックの好走を期待する声が上がっていますが、一言お願いします。
「そうですね。まぁその前に朝日杯で結果が出せるか、ですかね。ただ、色々と経験を積むことができたので、朝日杯ではもっと仕上がって行けると思います」
――ありがとうございました。
◇◆◇
「いや~、芙蓉ステークス。おめでとうございます!! 石破ジョッキーもヒシケイジも期待されて最高ですね!!」
「まぁ、いい時計でしたからね……」
「石破、謙遜は毒だぜ。まぁ、次走は朝日杯とはいえ――この分なら年度最強も夢じゃない」
「うんうんっ!! ヒシケイジ、本当に良かったよ。早山くん、土井くん、石破くん……本当にお疲れ様!!」
「「「「「乾杯!!」」」」
2010年10月3日、夜。
その日、ヒシケイジを先に栗東へと送り出したヒシ陣営一党は、東京銀座にある料亭の一角で勝利の美酒を味わっていた。
「こ、この酒、う、うんめぇ……いやぁ、まだオープンだってのに、綾部オーナーぁ……こんなに奮発してもらっていいんですか……」
「いいよ、いいよ――早山厩舎の皆には、夏の競馬から頑張ってもらっていたのにお礼が出来ていなかった!!」
「石破、どうした……顔色が悪ぃぞ?」
「いえ、早山さん。今から家内への土産を考えていると胃が――」
「本当に愛妻家だねぇ、石破くん!! 今日くらいは羽目を外して楽しもう!! お土産は私が見繕うよ!!」
「はい……じゃあ……綾部オーナー、お言葉に甘えさせていただきます……」
そうして、出てきた料理を、男たちは四者四様に平らげていく。
前菜は、うずらと淀大根のお椀。
色鮮やかな柚子が、椀に飾られた上品なもの。
しわがれた綾部オーナーが大根を食べ慣れた様子で口に運び、老将「早山」が肉の旨味に舌鼓を打つ。
その脇で、あまりの美味さに“がつがつ”と、椀をかき込む味わう三角体系の土井の傍で――
甘いマスクをひきつらせた石破志雄は、口に入れた上品の椀物の味を解釈しようと舌に意識を集中させるも失敗していた。
(緊張しすぎて、味なんて分かんねぇよ……)
それでも石破 志雄は人付き合いを不真面目にする勇気も、テーブルマナーを気にしない楽天さも持ち合わせていない。
変わらず箸を伸ばし、うずらの肉団子をそっと掬って一口齧る。
その瞬間、石破志雄の咥内で肉団子に混ぜ込まれた鮮烈な柚子の香りが立ち昇り、鼻腔をくすぐった。
まるで秋の風が吹き抜けたかのようだが、そのまま、ふらふらと意識が飛んでいきそうだ。
舌に触る表面はなめらかで、歯を立てれば、しっとりとした肉質が舌の上でほぐれていく。
うずらの持つ美味さを感じる余裕があれば、髪が立ち上がり、リアクションを抑えるのに必死だったに違いない。
次に淀大根に箸を伸ばす。透き通るような白さは芸術的だ。
口に含むと、みずみずしさを味わう前に、反射的に嚥下してしまった。
勿体無いことをしたことは分かるが、リカバリーしている心の余裕はない。
かろうじて平常心を保つように汁を一口。
ぐっとすすれば、繊細に広がるのは、鰹と昆布のハーモニー。
そこに、うずらと大根の風味が溶け込み、生み出されたまろやかな味わいが――
一丸となって、とぽんと胃の形を露わにする。
ああ――あろうことか、胃の粘膜が、仕事をしていない。
えっ、途中まで――最高だったのに、なんで……?
そこは、春の陽だまりのような優しさで包んで、くれよ……
「どうだい、石破くん。君の騎乗、とってもいいからねぇ――これからはこういう場所でご飯を食べる機会も増えるよ!!」
「いえ、美味しい、です。ありがとうございます……」
綾部オーナーが、しわくちゃの顔で満面の笑みを浮かべてくる。
分かるよ。この人、心から善意だけで、俺達をねぎらってくれている。
ありがとうございます。
期待をかけていただき、感謝しかありません。
でも、本当に、すみません。
美味い、美味い、美味いけどさ……
ああ――気が遠くなってくる。
今は屋台の焼きそばの方が、まだ味が分かりそうだ。
「石破ジョッキー、顔が、顔が青いっすよぉ!!」
「石破、我慢しなくても大丈夫だからな」
「いえ、むしろ、もっと食べて慣れないと……」
「そうだ!! 君くらいの年にいろいろ経験しておくのが大事だよ!!」
「「「「ささ、もう一回乾杯!!」」」」
◆◇◆
かくして夜が更ける中、一名を除き散々割烹を楽しんだヒシ陣営の陰で、深夜の高速道路を一台の馬運車が進んでいく。
ヒシケイジは、その車内でラジオも掛けずに一頭、落ち着いた夜を過ごしていた。
レース後の健康診断に関しては、特別悪いところはなかった。
爆走後お決まりの「運動誘発性肺出血」が出た以外は、問題ないらしい。
ラジオのない夜も気にならない。
トモから伝わるコズミの感触をむしろ好ましく思えてくる。
レースの後に襲ってくる疲労由来の眠気以上に――
あの芙蓉ステークスでオルフェーヴルに勝ったという事実の興奮が勝っているからだ。
瞳を閉じれば、まだあの興奮が脳裏に焼き付いている。
二勝、とりあえず二勝してみて、気づいたことがある。
競走馬として真に成長するための何かは、やっぱりレースの中にある。
最近忙しすぎて少し姿がおぼろげになってきた仏様が求めた「自らの生きた意味」の近道もここにある、気がする。
最高のひりつく勝利、次回もできるだろうか――いや、出来るはずだ。
果たして次は勝つことができるだろうか――いや、出来るはずだ。
ならば、今よりもっと強い相手と鎬を削りながら、オルフェーヴルに勝てるのか?
オルフェーヴル、きっとこれからも相まみえるに違いない。
アイツより凄い馬が、果たして俺と同世代に何人いるのだろう。
でも相棒さえいれば、きっと負けるなんてことはあり得ない。
そうだ。石破志雄がいれば――勝てる、また勝てる。
(また走って、勝つんだ。次も勝って、俺は夢を見せれる馬になる)
そう思いながら、ヒシケイジは馬運車に揺られていく。
なお、二日酔いになった早山のおやっさんと、厩務員の土井さんが帰ってきたのは翌日の昼ごろだった。
「ブッヒヒヒ~~~~~ン」
「おお……ギョロぉ……お前は、元気だなぁ……もう飼い葉を平らげて、えらいぞぉ」
「ヒック、わるいなギョロ……今日は、迎え酒だ……」
そういって、厩舎の会議室に帰っていく早山と土井を見ながら――
ヒシケイジは、もし人間に生まれ変わっても、お酒を飲むのはやめようと深く心に決めた。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。