ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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2010冬、ヒシケイジ、朝日杯に挑む(あとikzeを乗せて走る)。

(で、なんでコイツが俺に乗ってるんだよ~)

 

 2010年12月、朝日杯前の最終追い切りとなるこの日。

 ヒシケイジが土井に連れられて栗東のウッドチップコースに向かうと、そこにはどこかで見た顔の騎手が騎乗準備を整えていた。

 

 えーと、どこかでどこかで見たような気がするけど、誰だっけ。

 ヒシケイジが頭にはてなマークを浮かべていると、彼はするすると鞍上へと収まった。

 

 なんていうか、自然体がまぶしい男だ。

 手綱を握る手から、彼のジョッキーとしての上手さが伝わってくる。

 

「すまねえな、石破が外せない用事だってんで替わってもらった。イイデタイガーの件もあったのに悪いな……」

「いやいや、ボクもヒシケイジには興味がありました。オルフェーヴルに勝った馬、お手並み拝見です」

「いや~、まさか生添ジョッキーが乗ってくれるなんて、ギョロ、運がよかったな!!」

 

 あっ、そうだ――いけぞえ、いけぞえだ!!

 ヒシケイジの脳裏に、栗毛のライバル、オルフェーヴルの鞍上にいた某アイドルとお笑い芸人の7:3くらいの顔した――アイツで間違いない。

 

 相棒である石破 志雄に対して一生ねちねちと煽ってきた覚えしかないのだが。

 こんなに礼儀正しかったっけ? と、正直戸惑いを隠せない。

 

 だが、石破 志雄が語った『あの人、年下には基本ああいう感じだから――』

 という言葉を思い出してみると、なんだか妙な納得がなくもない。

 

 アニメでも一人はいる、性悪だが実力はあるライバルってこういう感じなんだろうか……

 

 そんなヒシケイジの納得を余所に、生添は礼儀正しく早山のおやっさんと会話を続けていた。

 

「本当に全力で行っちゃって、いいですか?」

「ああ、実を言えば石破 志雄以外でヒシケイジが全力を出せるジョッキーは、探しておかないといけねぇ……」

「そら、石破クン美浦の人ですし、万が一ってことはありますもん……にしても、早山さん。よりによってボク指名ですか……」

「おう、タケが匙を投げたとなると栗東にはもうお前しかいねぇのよ……」

 

 ヒシケイジは今いない石破 志雄に対して申し訳なさそうな表情を見せる老将「早山」の姿を見た。

  

 確かに――俺と石破 志雄は比翼連理とも呼べる関係性にある。

 それは美浦という遠隔地からわざわざ石破 志雄を呼ぶ陣営の負担にもつながっており自然ではない。

 

 だがしかし、人情という点から見てみれば、今のヒシケイジがあるのは石破 志雄がいるからであり――

 事情が事情とはいえ代わりの鞍上の件を切り出す早山のおやっさんの心情は正直推し量るべきだ。

 

「そんなっ、タケさんが匙ぃ投げる!? ヒシケイジっ、なんて恐れ多い……お前さんにボクが競馬ァの一番大切なこと教えたげるからなっ――」

 

 そんなヒシ陣営の苦悩はいざ知らず、ヒシケイジの鞍上で生添はオーバーリアクションで拳を上げる。

 冬の始まりを感じさせるどんよりとした空模様に似つかわしくない態度であるが、その能天気さが正直胃に優しい。

 

「ちなみに生添ジョッキー、それは何か教えていただいても?」

「はぁ、土井さん。当然ですやん。ボクとタケさんを困らせるなっつ~ことですわ!! じゃ、いこか!!」

 

 土井さんのコールに、生添がきちんとレスポンスを返したのを見届けてから、ヒシケイジは奔り出す。

 ウッドチップのコースへと蹄鉄を踏みしめ、馬なりに悠々と加速する。

 

 生添 賢治――どういうタイプの騎手か分からないが、手加減はしない。

 

 石破 志雄が築いてきたヒシケイジを見せてやる。

 俺が如何に成長したのか見せてやる。

 

 そんな思いをいざ知らずか、生添はぐるっと一周コースを戻ってくるまでの間――

 乗って居るのか居ないか分からない影のような存在感を、ヒシケイジの鞍上で発揮していた。

 

 呆気なく、一周が終わる。

 気持ちよく走らせてくれた門田さんや、じっくりと動きを制御する石破 志雄とも違う騎乗だ。

 

 だが、何だが底知れない余裕を感じている自分がいる。

 体の熱さと、脳の火照りがイコールじゃない――馬を馬らしく走らせる騎乗というべきか――

 

「どうだぁ、生添……って、おい、お前……」

「早山さん、どうか……したんですか……?」

「何で泣いてるんだ!?」

 

「ヒヒッ……!! 泣いてなんてないですよ!?」

 

 だが、ヒシケイジが感覚派のオルフェーヴルとは相性がよさそうだ――なんて思ったのもつかの間。

 鞍上にいる、二枚目半の男は三枚目のような表情でボロボロと涙を流していた。

 

「生添ジョッキー、大丈夫ですか? タオルとか、持ってきますか?」

「早山さんッ土井さんッ、ボクは大丈夫です……ただちょっと、ヒシケイジがいい子過ぎて……」

「生添よう……いい子過ぎてったぁ、どういうこった……」

「ううっ……思い返してみれば、ボクに当てられる馬は、どいつもこいつも言うこと聞かんヤツばかり……オルフェーヴルもボクを振り落とすし、暴れるし……いうこと聞かないし――それなのに、何ですか、この馬ァ……ボクのいうこと全部聞きますやん……ボクは石破クンが羨ましいですわ!!」

 

 ヒシケイジは鞍上で鼻を啜る生添を信じられない目で見そうになった。

 

 生添、こいつ……思った以上に変なヤツ。

 だが、どうにも素直で憎めないヤツでもある。

 

「で、生添……追い切り調教。いけそうか」

「早山さん、もちろんいけますよ!!」

「立ち直り早っ!!」

「そら、プロですから、ほな、一丁ぉ、一杯いってみよっか!!」

 

 かくして、ヒシケイジは鞍上に生添を迎えた状態で、その日、全開の追い切り調教に望むこととなった。

 相手は普段通りのヒシロイヤルとヒシパーフェクト。

 

 協力してくれる二頭に敬意を表しながら、ヒシケイジは曇り空を駆け抜けていく。

 最終直線までは指示もなく馬なりに運ぶ。

 

 無言――生添は、一言も語らず手綱を引く。

 雄弁に伝わってくるのは生添の自然体で居ろというメッセージだった。

 

(そうか、生添――なら俺も楽しむぞ)

 

 最終直線に入った直後、セオリー通りの位置で合図が来る。

 

 ヒシケイジは溜めていた脚を使って、悠々と加速する。

 トモが張り、体がぐんと前に進み、地面を蹴る感覚が徐々に広がっていく。

 

 飛翔しているようと形容されるヒシケイジのストライドは止まらない。

 久しく忘れていた苦しさも恐怖も吹き飛んだランナーズハイのような感覚が脳天を突き抜ける。

 

(この感覚は、何時だって最高だ)

 

 ヒシケイジは走りの中にある快感に身を任せて駆け抜ける。

 みるみるうちにヒシロイヤルとヒシパーフェクトへの距離が縮み――

 

 直後、生添がぐっと手綱を引いた。

 

 そうだ、忘れちゃいけない。

 ヨレている暇はない、前に前に進め。

 

 早山のおやっさんに、土井さんに、綾部オーナーに、何より相棒に恥をかかせないように、全力で駆け抜けるんだ。

 

 ヒシケイジは、二頭を外から抜き去りながら――

 心の底からああ、よかった――と無い腕で胸をなでおろした。

 

 ヒシケイジはギャロップをやめてキャンターへと変え――

 トロットから、とぼとぼとした歩みに戻して、おやっさんたちの前に戻っていく。

 

「どうだった、生添……」

「早山さん。すみませんが――ボクにヒシケイジは荷が重いですね。引き続き石破クンに乗ってもらうのが良いと思います」

「ええっ……普通に、いい時計だったのに!?」

「ああ、それは俺も同感だ――乗ってみて、率直にヒシケイジの脚質はどう思った?」

 

「スタミナを十全に活かすなら『先行』でしょう。正直、差す展開になったら石破クンも震えが止まらないと思います」

「わかった。生添ジョッキー、時間を取らせて悪かったな」

 

 生添は余りにもあっさりと引き下がり、早山は何かを察したのか早々に彼を帰した。

 察しの悪いヒシケイジと土井は、二人のやり取りをポカンと眺めることしかできなかった。 

 

◇◆◇

 

 2010年12月18日。

 ヒシケイジは万全を期して、前日のうちに中山競馬場に運ばれることとなった。

 馬運車から出た時には、既に空は暗く、吐く息が真っ白になるほど空気は冷え切っていた。

 

「ギョロ~、大丈夫か~?」

「ブヒッ……」

「そうかそうか、お前のやる気も戻ってきてくれて助かったぜ」

「ブヒッ?」

「いや~、早山のおやっさんがさぁ……もしかしたらギョロは朝日杯で、オルフェーヴルと走りたかったんじゃないかって言っててさぁ……俺も、ギョロを見てると、そうなんじゃないかって、思っちゃったんだよな……」

「……ブヒッ」

「ま、それでも今回のレースはさ、俺達やオーナーにとっては久々のG1で、ギョロが走れるってことだけでもすごい嬉しいんだ」

「ブヒッ!」

「それに生産牧場の田辺さんも見に来るって言ってたし――俺は、栗東でるときにさ、生添ジョッキーと、オルフェーヴルの陣営の人がさ、俺達の分まで頑張れ、応援してるって言いにきてくれたんだぜ……」

「ブヒッ!?」

「だから、ギョロ。お前には俺達もそうだけど、ここに来れなかったオルフェーヴルや生添ジョッキーの思いとか夢とかも背負ってここに居るんだ」

「ブヒッ……」

「そんなのさ、もう負けられないよな!!」

「ブヒッーー!!」

 

 ヒシケイジは感極まった土井さんに滞在厩舎へ、曳かれながら空を見上げる。

 

 明日のレースは、俺にとって初めてのG1レースだ。

 だが、レースのグレードに関係なく――

 自分たち、サラブレッドが走るということは、思った以上に多くの人や馬から多くの意志を託されていることに気づく。

 

 自分の背中を見ているのは、世話をしてくれた人々、命を与えてくれた父と母。

 今日まで支えてくれた多くの人、調教に協力してくれる同じ厩舎のサラブレッド。

 レースで走ったライバルたち――彼らがいなければ、自分は間違いなくここにはいなかっただろう。

 

 ふと、ヒシケイジは馬の顔をした仏様から賜った「自らの生きた意味を見出すことができたならば――」というセリフを思い出していた。

 

 もしかしたらレースに勝つってことだけが、生きた意味ってわけじゃないのかもしれない。

 

(それでも、俺は俺が下した馬のためにも、負けるわけにはいかない――)

 

 かくしてヒシケイジは、多くの人々の夢を背負い――

 一人でも多くの人に夢を見せるため、静かに闘志を燃やした。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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