ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤字脱字報告、感想、誠にありがとうございます。



2010冬、朝日杯フューチュリティステークス(エピローグ:1/2)

 2010年12月19日。

 

 曇り空の下、ヒシケイジは厩務員の土井さんに曳かれながら、カメラのレンズを向けられていた。

 パシャパシャと、繰り返されるシャッター音を聞くと相棒に叩かれた尻がちょっとだけ痛む。

 

「いや~、ギョロ、それにしてもよくやったなぁ」

「ブヒヒヒヒッ」

 

 一張羅のスーツ姿の土井さんが、誇らしげに赤い優勝レイを首に纏ったヒシケイジに語り掛ける。

 喜ぶ土井さんを見ていると、自然と俺も笑顔がこぼれた。

 

「今日はなぁ、生産牧場の田辺さんも来ているんだぜ」

「ブヒッ!!」

 

 土井さんの言葉に、ヒシケイジも目を丸くした。

 田辺さんに会うなんて、いつ以来だろう。

 

 二年前、2008年12月。

 初めて、綾部オーナーと出会って彼と角田騎手に見定められてすぐに生産牧場から育成牧場へと送られて以来、彼と顔を合わせたことはない。

 

「ギョロ!! おお、ギョロ!!」

「おっ、噂をすれば田辺さんが来たぞ、ギョロ!!」

「ヒヒッ~ン」

 

 だから老いた白髪の田辺さんが、スーツを着たまま駈け寄ってくる姿には、正直目頭が熱くなった。

 

 何時もはジャンバーを着ていた田辺さん。

 牧場を出ていく俺にラジオをくれた田辺さん……

 

「ギョロ、いや、ヒシケイジーー見違えました。土井さん、ありがとうございます……」

「いえ、我々こそ!! こんな器量の馬を世に出していただき、感謝の言葉もありません!!」

 

 田辺さんがヒシケイジを抱きしめて涙をこぼす姿をシャッターが納めた。

 周囲からも少し感極まったのか、すすり泣きの声が聞こえてくる。

 

「すみません――ヒシケイジ号、こっちを向けますか?」

 

 ヒシケイジは一瞬躊躇したのち、ヒシケイジは目を閉じてカメラマンに視線を向ける。

 どうやら、俺の顔は物凄い怖いらしく、写真映りを気にしないとそれこそとんでもないことになってしまうらしい。

 

(あの馬、笑ったぞ……)

(ヒシケイジ、サービスいいですよね~)

 

「なんだ、ケイジ。その表情、似合わないぞ――」

「ブヒ!?」

 

 ヒシケイジがメディア戦略を考えて、カメラマンに愛想を振りまいていると

 すると、少し遅れて相棒の石破 志雄が現れた。

 

「石破ジョッキー、おつかれさまです!!」

「石破さん……ヒシケイジの生産牧場の田辺です……この度は、G1勝利、おめでとうございます」

「土井さん、田辺さん、ありがとうございます。本当に今日は、ヒシケイジのお陰で勝利したようなものです」

「石破さんに、そういっていただけると……」

 

「はい。これからもケイジを走らせて、頑張ります。それはそれとしてケイジ、時間が押してるから乗せてくれ」

「ブヒッ」

 

 再び感極まる田辺さんを余所に、石破 志雄が合図を送る。

 少ししゃがんでやると、するっと彼は体を起こして鞍上に収まった。

 

(あの馬、しゃがんだぞ……)

(まったく写真も嫌がらないし、すっげー頭いいですね~)

 

 ヒシケイジに石破 志雄が跨り、シャッター音が会場を包んだところで――

 不意に遠くで拍手が巻き起こった。

 

「綾部オーナー、おめでとうございます!!」

「G1制覇、おめでとうございます」

 

 鞍上で石破 志雄が一礼をしたから分かった。

 豪奢なスーツを身にまとった綾部オーナーや早山のおやっさん達がターフ上に現れたのだ。

 

 綾部オーナーは、杖を突きながらの登場だが、前のレースで見かけたときより生き生きとした表情だ。

 どうやら俺は、ちゃんと彼に夢を見せることが出来たらしいと分かりホッとする。

 

「ヒシケイジ、お前ならやってくれると思っていたよ……石破ジョッキー、やはり君に任せてよかった。田辺くん――やったなぁ!!」

「はい……綾部オーナー、やりましたねっ……」

 

 綾部オーナーと田辺さんが熱い抱擁を交わした後は、すっとみんなが一列に並んで口取り式を行った。

 もちろん、シャッターの間は一歩も動かない。

 

 写真映りが分かる俺の上で、珍しく石破 志雄は嬉しそうだった。

 

(この馬、動かないぞ……)

(ここまでくると――怖くなってきますね)

 

「ケイジ、それじゃ俺達、表彰式があるから――」

「ブヒッ」

 

 おう、頑張れよ――

 と、ヒシケイジが視線を送ると相棒はゼッケンを取って、一目散にヒシ陣営の元へと帰っていた。

 

 スタッフに連れられて、地下馬道を通って帰っていくと今日のレースが終わったんだという気持ちになる。

 前のレースよりもさらに嬉しそうな陣営のみんなと、相棒の姿を見ると――

 

 また、勝たなきゃな――という気になってきた。

 

「ブルルルルッ」

「わっ、ビックリしたっ……もしかして緊張してた?」

 

 ヒシケイジは武者震いをしながらも、相変わらず痛む尻を尻尾でさすりつつ馬運車へと帰っていった。

 

◇◆◇

 

「ファンの皆様、第62回朝日フューチュリティステークス競争の表彰式を始めます――」

 

 石破 志雄(いしば しゆう)、26歳。

 

 職業、騎手。

 美浦寮、芝田厩舎所属。

 好きなスポーツは、野球。

 趣味は、ゲーム。ジャンルは何でも。

 

 嫌いな食べ物は野菜全般。

 結婚二年目。G1勝利回数、一回。

 

「十六頭の若馬たちによって争われましたこの競争、見事に頂点に達しG1ウィナーの称号を勝ち取ったのはヒシケイジ号でございました」

 

 現在位置、中山競馬場――ターフ上。

 口取り式は慣れているが――表彰式は慣れない。

 

 慣れるようなモノじゃないが果たしてなれる日は来るのだろうか。

 

「それでは早速優勝馬ヒシケイジ号の関係者の皆様をお迎えします。どうぞお進みください」

 

 緊張で笑顔を作るのが精いっぱいだが、精いっぱい耐える。

 ヘンデルの「見よ勇者は帰りぬ」が響く会場で拍手を受けると胃に穴が飽きそうだった。

 

「それではまず、オーナーにお送りします。株式会社アベ・コンツェルンの綾部さんですね。おめでとうございます」

 

 幸い、俺までは順番がある。

 まずは杖を突いた綾部オーナーが、スーツを着た女性タレントからカップを受け取り頬ずりをする。

 

 本当にうれしそうな姿に、普段なら――

 もっと喜べたのだろうが、今の俺には荷が重い。

 

「続きまして、トレーナー早山 正春(さやま まさはる)さんにお送りいたしました」

 

 続いて早山のおやっさんが、礼をしてカップを受け取る。

 

 周囲から、おめでとう!! 二世代G1制覇おめでとう!!

 といった声が上がる――早山のおやっさん、思った以上に尊敬されているらしい。

 

 当然――ヒシケイジの親、ヒシミラクルだけじゃない沢山の馬を育ててきた人だ。

 この歳になって掴む栄冠、その一助になったことは素直に誇らしい。

 

「――おめでとうございます」

 

「続いては、騎手の石破騎手でございます」

 

 ああ……ついにこの瞬間が来てしまった。

 俺の真ん前に来た、タレントの表情はまともに見えているが――

 

 まるで、へのへのもへじを見ている気分だ。

 緊張しすぎて、何の感想も述べることが出来ない。

 

「キスのサービスはないようですね――」

 

 そんな中での、司会者からのお茶目なコメントが一番困る。

 

 待て待て待て待て――待ってくれ

 されても困る、嫁が見てるんだから。

 

「家内が見てますので――」

 

 そういって、俺は多分彼女がいるであろう方向に向けてカップを上げたのち、理事長と握手をする。

 これで――家庭崩壊の危機は、何とか乗り越えられたことだろう。

 

 はぁ――それにしても、あまりにも急な……一撃に、頭が真っ白だ。

 

「――おめでとうございます」

 

 隣で、偶に見るモブ顔の調教助手Aがカップを手に取ったが――

 名前を聞き逃してしまった。

 

 普段俺の代わりにヒシケイジを見てくれている恩人のはずなのに――影が薄すぎる。

 

「続いて、厩務員の土井さんでございます」

 

 そうこうしているうちに、次のカップが土井さんの手に渡る。

 この人にも、思えばずっと世話になりっぱなしである。

 

 いつもはツナギを来たおにぎり体形の彼は、今日ばかりはスーツを着て少し恰幅のよいだけのワイルドな中年となっている。

 

(やっぱ、人間、衣装なんだな――)

 

「最後に、生産牧場、田辺牧場にも、カップをお送りいたします」

 

 石破 志雄が上の空で現実逃避をしていると、気づけば最後のカップが生産牧場の田辺さんへと手渡された。

 生産牧場を続けて、老いて初めて得る表彰カップの重さはどれほどの物だろう。

 

「続いて日本馬主協会連合会西川県副会長理事から、優勝馬のオーナーに対しまして、日本馬主協会連合会会長賞をお送りいたします――」

 

 綾部オーナーが、壇上で賞状をもらう姿を遠目に見て

 やっと自分がG1に勝ったという自覚が沸いてきた。

 

 素直な気持ちで、勝ってよかったという気分になって思う。

 来年も頑張ろう――今は、そう思うことにする。

 

「第62回朝日フューチュリティステークスの栄冠は、ヒシケイジ号の頭上に輝きました。関係者の皆様の喜びは大きなものであると思います。ファンの皆様――盛大な拍手をお願いします」

 

会場は盛大な拍手と共に、思い出す。

 そういえば、今からインタビューか――さて、何を話すべきだろう。

 

 今から、どうにも――胃が痛くなってきた。

 ああ、もう帰りたい。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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