ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。
明日から、パドック行きます。



2011夏、ヒシケイジ、短期放牧する。

 2011年、6月。

 

 ヒシケイジは宝塚記念の参戦を決めた後の陣営の動きは速かった。

 翌日、ヒシケイジが運ばれたのは、栗東トレーニングセンターから馬運車で約30分の場所にある信楽ノーザンファームであった。

 

「ギョロ、ついたぞ~」

「ブヒッ」

 

 ヒシケイジは厩務員の土井に曳かれてポクポクと、信楽ノーザンファームの駐車場に降りたっていた。

 

 栗東トレーニングセンターより幾分涼しく、自然も多い場所だ。

 正直、俺はラジオさえあればいいなんて思わなくもないが、馬にとって自然が近くにあるのは重要なことのようだ。

 

「ギョロ~、レースのお陰で予定変わっちゃったけど。短期放牧ってのやるからな!!」

「ブヒ?」

「なんていうか、三週間くらい。こっちで休みながらレースに備えるんだってさ」

「ブヒヒヒヒ」

 

 土井さんが伸び伸びと放牧地にいる馬を尻目に、いつも通り俺に話しかけてくれた。

 おかげで自分の状況はよく理解できた。

 

 綾部オーナーの話を聞いたおかげで、モチベーションは随分跳ね上がったが――

 先月初めの熱発の影響が、未だに尾を引いていないわけではない。

 

 なにより日本ダービーの後の休息は、始まったばかりだ

 環境のいい『外厩』で休みつつ、体を作る『短期放牧』で宝塚記念に備えるのが「早山」のおやっさんの考えのようだ。

 

 俺としてもレースから数日が経過したにも関わらず、コズミが引かない状況だ。

 早山厩舎より、しっかりと休養できる場所があるならそれに越したことはない。

 

「スタッフさん。ヒシケイジを連れてきました。短い間ですがよろしくお願いします!!」

「こちらこそ、早山さんから連絡が来てビックリしましたが……状況も聞きました。宝塚記念、是非協力させてください!!」

「おおっ、豪駿が来たぞ……」

「オルフェーヴルを見に来たら、凄いのが来たな~」

「ギョロがいると、大人しくなる子が多いから助かりますね……」

 

 ヒシケイジが厩舎にたどり着くと、周囲にいたのは――

 慣れたスタッフ、ちらほらと見える見学の人。

 そして、栗東で見慣れたいつもの馬たちだった。

 

(なんか不穏な名前も聞こえたけど、無視しておこ……)

 

「じゃあ、ギョロ~、また見に来るからな~」

「ブヒッ!!」

「大丈夫だと思うけど、ファンサービスし過ぎないようにな~」

「ブヒヒヒヒヒヒ」

 

 ヒシケイジ見学にきた人たちに出来る限り笑顔を振りまきながらも、土井さんを見送った。

 

「えっ、ヒシケイジに餌やりしていいんですか?」

「はい、やるならヒシケイジが、一番楽ですよ。縦に十字に切った人参スティックが好物です」

「ぶふ……」

 

 それからは、餌やり体験のファンサービスの時間。

 記念撮影の時間、身体検査の時間と移って、軽い放牧の時間となった。

 

 コズミ、つまるところ筋肉痛が出てはいるが、気候のいい夏の風に当たるのは悪い気はしない。

 これから、三週間――回復しつつどう体を作っていくべきか。

 

 それに、追い切り調教で再び“本気”が出るように、色々と試しておきたい――

 

「うひひひひひ」

 

 なんて、考えていると。

 

「うひひひひひ!!」

 

 近くにポクポクと歩いてきたのは、いつ見ても細い栗毛の牡馬オルフェーヴルだった。

 最近レースでしのぎを削りに削っているおかげで、避け気味だったが――前のレースでも思ったが、別に俺はこいつが嫌いじゃないし、オルフェーヴルは寧ろ俺が好きらしい。

 

(なんか、調子狂うなぁ)

 

 オルフェーヴルも、あのレースから時間が経っていないからか、まだ歩法に脚を庇うような仕草が見られる。

 俺も、こいつも、日本ダービーじゃ互いに全力を出した間柄だから当然か――

 

 それにしても、こいつはまた一人ぼっちで居たのだろうか――

 スタッフさんに世話をしてもらった分ではどうにもならないほど古い毛束がある気がする。

 

 折角の二冠馬なのに、これじゃ見学に来た人がびっくりしても仕方ない。

 軽く甘嚙みするようにグルーミングをしてやるのは、去年ぶりのことだった。

 

「うひひひひひ」

 

 それにしても、こいつ顔に感情がめっちゃ出るな――

 と思いながら、しばし、気の抜けた時間を過ごしていると

 

「……うひっ」

 

 っと、オルフェーヴルが驚いて俺を盾にするように隠れた。

 

「……」

 

 振り向けば、そこに居たのは精悍な顔でこちらを見つめるボス馬のトーセンジョーダンだった。

 

 栗東でもボスなら、信楽でもボス馬である。

 それにしてもこの外厩、ホントに見知った顔しかいないな。

 

 我ながらボスの大変さは、分かっているつもりだが――

 思えば、皐月賞の前に、気にかけてもらってから礼もしていない。

 

(敬意、敬意……大感謝、ほれ、オルフェーヴルも怖がらなくていいのよ)

 

「うひ~」

 

 オルフェーヴルと一緒にボスに敬意を示せば、トーセンジョーダンは寧ろ大人で頼れる兄貴である。

 

【もう、よくなったんだな――】

 

 なんて表情を向けて、群れに戻っていく。

 もしかして、前に落ち込んでいた時から、ずっと心配してくれていたのだろうか。

 

 俺って、スタッフさんたちだけじゃなくて、いろんな馬のお陰でここに居るんだなぁ――

 なんて思いながら過ごしていると、時間はみるみる過ぎていった。

 

 短期放牧は決して調教しないというわけではない。

 低周波治療器などの休養設備のおかげで、がっつり休んだうえで調教もしっかりやるのが短期放牧だ。

 

 とはいえ俺は回復優先ということで、普段の週四調教ではなく、週に一度通常のサラブレッドと同じペースでの調教で体を仕上げることとなった。

 

 勿論、週一ということで調教内容はハード気味だ。

 坂路も追い切りも、出来る限りガチ目にやることが望ましい。

 

 とはいえ――これはやり過ぎであると言わざるを得ない。

 

「悪いな、生枝調教師。ヒシケイジの調教に付き合ってもらえるなんて――」

「いえいえ、早山さん。ウチはドリームジャーニーを出していないのに、ヒシケイジを見せてもらえるなんて、僥倖です」

「生枝調教師。それを言えば、ウチはボクが乗ってるのに、あっちは門田さんですよ。不公平ですよ」

「生添ジョッキー、百聞は一見に如かずといいますよ。それにオルフェーヴルも楽しそうだ」

 

「うひひひひひ」

 

 俺の背後には、生添ジョッキーとオルフェーヴルがいて――鞍上には門田さん。

 周回用800mコースで、追い切り練習とか、大丈夫か?

 

「早山さん。ヒシケイジの気が引けている。走らせた方がまだ気が楽になるでしょう」

「それもそうか……じゃ、門田、生添。頼むわ」

「了解であります。ボクとしても前走のことがあるんで~って、アレッ!!」

 

 直後、生添ジョッキーがまた長々と会話をしそうになったところで、門田が俺に合図をする。

 俺、みるみると加速。休息の効果、機械の効果、色々な要因はあるが我ながらなかなかいい加速だ。

 

 軽く流しているだけなのに、日本ダービーから比べればずっとずっと調子がいい。

 短期放牧、馬鹿にできないぜ。

 

「あっ、門田サン、酷いっ……オルフェーヴル、ヒシケイジをボコボコにしたりっ……」

 

 後方で何かが聞こえたが気にしない。

 オルフェーヴルの、気配が普段通り鬼気迫るものだが気にしない。

 

 だってこれ、追い切り調教だもん。

 門田調教助手の、強めの指示を受けて、一杯に走るオルフェーヴルに外をすっと抜かせる。

 

 冷静に見ると、オルフェーヴルの爆発力は本当に半端ない。

 月初のころ、庇っていた脚も今はほぼ完ぺきに元に戻っていた。

 

「生枝調子師、オルフェーヴル、調子いいな」

「ヒシケイジも皐月賞のあたりまでは戻りましたね……それにしても、惚れ惚れするような走行フォームだ」

「ま、件のアレは一杯じゃないと出ないがな」

 

「その話、話しても平気なんですか?」

「マスコミですら気づいてることだ。お前らなら見れば分かるだろ」

 

 ヒシケイジが軽くクールダウンする傍で、おやっさんは調教師どうしトークを続けている。

 うーん、大人な会話で、入り込めない。

 

「うひひひひひ!!」

「おっと、オルフェーヴルは、まだやはり他の馬に依存しがちのようだね」

「そうなんですよ門田サン。自主性を育むトレーニングは引き続き続けているんですが、素の性格ですわ」

 

 こっちはこっちで、一流ジョッキーどうし会話が弾んでいる。

 やっぱり、陣営の差はあるが、人も馬も同じらしい。

 

 噂によれば、宝塚記念にはオルフェーヴルは出ないが、兄のドリームジャーニーという奴が出るらしい。

 生枝調教師と生添ジョッキーの通称イケイケコンビはそのあたりで結成した――ってラジオで言っていた。

 

 冷静沈着で優雅な生枝調教師と、お調子者でクレバーな生添ジョッキー。

 傍目から見ている分にもいいコンビである。

 

 ウチの早山のおやっさんと、相棒はもっと冷静で、上司と部下って感じだからな。

 

「それじゃ、次はウチが追おう」

「ええ、生添くん。オルフェーヴル、一杯でいいからね」

「ナハハハハ!! 生枝さん冗談キツイでっせ――ほなね~!!」

 

 和気あいあいとした空気の中、追い切り二本目が始まった。

 初め馬なりに走っていたオルフェーヴルは気づけば、ぐいぐいと加速していく。

 

(おいおい、オルフェーヴルも生添さんもマジになってねぇか?)

 

 門田さんが、鞍上で結構ノってきたのを感じる。

 手綱を引く手は強まり、一杯の指示が出た。

 

 できるか? いや――

 

「お」

 

 前の時と同じ感覚を感じるには――何か、足りないような――

 

「出ませんでしたね」

 

 気づけばオルフェーヴルは、馬なりくらいに歩法を弱めて俺は奴を抜き去っていた。

 

「ヒシケイジも真面目だけど不器用なヤツやね~、でも前よりはマシになったんちゃいます?」

「うーん早山のおやっさん、これは要研究な気もしますね」

 

 門田さんと共に俺は鞍上ではてなマークを浮かべる。

 本気、だせるはずだと思ったんだけどな――

 

 こうして悩みの尽きない中で、俺の宝塚記念前の短期放牧は悠々と過ぎていくのであった。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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