ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。
明日、パドックの途中からになります。


2011夏、ヒシケイジ、宝塚記念に挑む。

 2011年、6月14日。

 

 宝塚記念に出場が決まったヒシケイジは外厩である信楽ノーザンファームでの短期放牧によって、休息とさらなる成長を両立させる生活を続けていた。電撃的な宝塚記念への挑戦は世間には、ある程度肯定的な物と見られていたが――今までの実績と併せても、記念参加的な意味が強いのだろうと見られていた。

 

『ヒシケイジ、早山厩舎もさすがにグランプリの舞台で古馬相手には勝てると思っていないでしょう』

『それでも、走る理由はあると思いますか?』

『やはりヒシケイジに、強い相手、速いレースでの経験を積ませたいのでは?』

『そうですね。クラシック戦線で惜しいレースが続いていますし、陣営としても黒星が付くことのリスクも――』

「ヒヒ~~~ッ」

 

 は~~~~、なんだそりゃ。

 俺が負ける前提にレースに早山のおやっさんが出すわけね~だろ。

 

 言いたいこと言ってくれやがって……

 でも、あながち的外れなことは言っていないのも苦しいところだ。

 

 ヒシケイジは、放牧地で持ち出したラジオを聞きながら倒れ込み休息に勤めていた。

 門田調教助手や、他の厩舎と連携した信楽ノーザンファーム合宿は、一定の成果を上げていたが――

 

 それでも、すべてが順風満帆とは言えないことは確かだ。

 足回りは大分仕上がっているが、会得したはずの“本気”の出し方が、レースでないといまいち的を得ていない。

 

 まぁ、漫画でも修行パートは、なんだかんだうまくいかないものである。

 

「うひ~」

 

 【人の声なんて聞いて面白いんか】みたいな態度のオルフェーヴルが寄ってきたのでラジオを隅に避けて雑に走る。

 思えば、オルフェーヴルと一緒に過ごすのも、今日で最後だ。

 

 スタッフさんの話を聞くと明日には、また栗東トレーニングセンターに戻ることになるらしい。

 随分と気温も高くなってきた。レースが終わったら、また戻ってこられるだろうが――

 

(これじゃ、阪神競馬場はどんだけ暑くなるんだろうな……)

 

 そんなことを考えながら脚を回していると、普段の三倍速くらい早いオルフェーヴルが、俺を内から抜き去っていく。

 

 考え事をしていたとはいえ――

 あんまりあっさり抜いてくるものだから、流石に俺もビビる。

 

 だが、オルフェーヴルの畜生が、振り向き様に――

 

【お前、手抜くな。遅いんだから】

 

 みたいな視線を向けてきた時は、流石に額に青筋が走るのを感じた。

 

 お前、誰に向かって喧嘩売ってるわけ?

 鞍上がいないからって、本気出せないわけがないんだが?

 むしろマイルまでなら、俺の方がいまだに速いが?

 

 この馬鹿を追い抜く、追い抜く、追い抜く――

 そのイメージが脳内を埋め尽くした直後、脳がスパークし最高の瞬間は一瞬で訪れた。

 

 トモの奥からトルクが湧き上がる感覚。

 ぐんと加速した俺は、即座にオルフェーヴルを抜き返す。

 

「あああ~~~~~~~何やってるんだ、二頭とも……」

 

 はい、怒られました。

 調教でもないのに全力疾走なんかするんじゃないと、お叱りを受け――

 

「ギョロ、迎えに来たぞ~。スタッフさん、本当にすみません……」

「いえ……我々が想像するよりも、互いに血の気が多かったみたいです。申し訳ございません。」

「まったくです、オルフェーヴルも甘える相手がいると気が緩むようで、本当に申し訳ございません。早山さんにもよろしくお伝えください」

「生枝調教師、分かりました!! それじゃ、ギョロ~~帰るぞ~~!!」

「ヒヒ~~~ッ!!」

 

 土井さんが迎えに来て、オルフェーヴルの生枝調教師とあいさつをした後――

 俺は一日、予定より早く栗東トレーニングセンターへと、叩き返された。

 

◆◇◆

 

「で、毎日毎日、走ってたもんだからノーザンファームの芝、ボロボロ!! もうギョロとオルフェーヴルは周回コースに放牧しろってスタッフがボヤいてたんですよ!!」

「ケイジ、そんなことしたんですか」

「ブヒッ」

 

 時は過ぎて6月19日。

 栗東トレーニングセンター、ウッドチップコース。

 

 宝塚記念前の、最終追い切りには思った以上に多くの人が集まっていた。

 稀代の豪駿、二歳馬MVP、シルバーコレクター。

 

 親子制覇が掛かったG1レースということもあってか、報道陣もちらほらと集まっていた。

 

 そして、何より今日は車椅子に座った綾部オーナーが来ている。

 いや――綾部オーナーだと、今後呼び分け分けがつかなくなるかもしれない。

 

 杖を突いた白髪の好々爺である綾部 雅一郎オーナーの後ろに、白髪を染めた冷静な壮年の男性である、息子の綾部 雅秀(あべ まさひで)、アベ・コンツェルン社長が付き添っている。

 

「雅秀、ヒシケイジ。いい馬でしょ?」

「親父……そうだね、そう思うよ」

 

 俺が鞍上に石破 志雄を乗せたまま、綾部親子の前で止まってみせる。

 目を輝かせる雅一郎オーナーの背後で、雅秀社長が相棒に目線を送る。

 

 父の容体は、ジョッキーである君にかかっている――と、言いたいのだろう。

 静かに頭を下げる石破 志雄は、平然としているように見えるが――

 

(相棒、これは、緊張しているだけだわ……)

 

 いやむしろ、いつも通りの相棒で安心するばかりである。

 

「早山さん、よろしくお願いします」

「早山くん。知っているだろうが、雅秀は頭は固いが馬を愛する心は強い。よろしく頼むよ!!」

「雅一郎オーナー、雅秀社長。老い先が短いのは同じですが、努めさせて頂きます」

 

 父に息子を紹介され、早山のおやっさんが深々と頭を下げる。

 ジジイのセンシティブなジョークには相棒の表情が引きつり、雅秀社長が表情を青くする。

 

 なるほど、意外とこの二人、感性が似ているようだ。

 相性は――悪くないのかもしれない。

 

「何をっ!! まだまだ死ぬ気はないよ!! でも、ヒシケイジには、できればいろんなレースを走ってほしいっ……僕はヒシケイジにねっ、震災で沈んだ日本を元気にしてほしいんだっ!!」

「親父はこう言っていますが、勝てないレースに出して豪駿の名を下げる必要はありません。ですが、今回は陣営からは勝てる算段があると伺っています――あの、ブエナビスタやエイシンフラッシュに年齢というハンデがあるうえで“勝てる理由”があれば、聞いておきたい」

「ぶふ?」

 

 雅秀社長は父親を嗜めるように、言葉尻を強めた。

 なるほど、ロマンチストなところがある雅一郎オーナーに対して、雅秀社長はリアリストなところがあるらしい。

 

「石破、どうだ?」

 

 なお、早山のおやっさん、石破 志雄に丸投げの模様。

 明らかに相棒が緊張していて 周囲にマスコミが集まっている状況でこの仕打ちである。

 

「あー、そうですね。ライバルは強力ですが、勝てる条件はそろっていると思います」

「続けて」

「ヒシケイジは時計だけなら古馬並み、スタミナは古馬にも負けません」

「他の条件は、どうかな」

「斤量負担もだいたい二馬身分位有利なうえ、調子は今年一番いいくらいです。ダービーのような醜態は見せません」

 

 その言葉に、雅一郎オーナーは感心し、雅秀社長は頷く。

 

 石破 志雄、なんか貫禄が出てきたようだ。

 どうやら、最近、騎乗成績も上向き気味にあるらしい。

 

「じゃ、石破、追い切り頼むわ」

「分かりました」

「相手のヒシロイヤルも三週間後のレースに向けて調子を上げてある。鞍上は本気の門田だ」

「了解です」

 

 その言葉に反応するかのように合図が送られ、記者たちが見ている前での最終追い切りが始まった。

 

 石破 志雄の指示通りに、鞍上門田のヒシロイヤルを追う。

 今まで追い切りを共に走る中で、ヒシロイヤルには俺からも色々テクを教えてきた。

 

 実際、想像以上に芽が出ている先輩サラブレッドだ。

 昨年の三年坂特別を勝ったのち、四月のGⅢにも勝って次走もGⅢ、結果が良ければもっと上のグレードも予定されている。

 

 もう一頭のヒシパーフェクトも侮れない。

 主戦場はダートとはいえ、今年四月にあったハンデ戦にも勝ち、次走はオープン競争が予定されている。

 

 ぐるっと、栗東のウッドチップコースを回る中で、逃げる両馬からは気迫が伝わってくる。

 

「ケイジ、“本気”で行け」

 

――パァン!!

 

 最終直線に入った直後、石破 志雄の鞭が入った。

 そうだ、集中とは何かを思い出せ。

 追い抜くために、脚を回せ。 

 

 目標に夢中になれば――

 勝つために、一歩でも多く脚を踏みしめれば――脳は勝手にクリアになる。

 

「ロイヤルッ、頼むッ、伸びるんだッ!!」

 

 門田さんが、必死で手綱を扱き一杯に走る横を、俺の葦毛の馬体が躍動していく。

 客観的に言えば十秒にも満たない加速で、追い切り調教と思えない加速に誰もが閉口した。

 

 結果俺は最終追い切りにも関わらず、三馬身差をつけて、ゴール板を駆け抜ける。

 宝塚記念、我ながらいい結果が残せそうだった。

 

「ええ……ギョロ、マジかよ……」

「早山のおやっさん。ロイヤルは本気でしたよ、一杯でした」

「どうだい、雅秀。ヒシケイジなら――やれるかもしれん」

「……」

 

 早山さんたちの元にポクポクと帰ってくると、陣営の皆様はどちらかといえば、ドン引きしていた。

 ラノベでは修行パートは、意外とあっさり結果が出るものだが――俺、いい意味で、やってしまったか。

 

◆◇◆

 

 かくして2011年、6月26日。

 11R、夏のグランプリである第52回宝塚記念が始まろうとしていた。

 

 少し雲が見え始めてきた空に普段通りポクポクとパドックを歩くヒシケイジは、ぽたりぽたりと汗をかいていた。

 

 これは俺に限った話ではなく、大体ここにいる馬は汗をかいている。

 正直言って暑い――気温は優に30度を越えていることだろう。

 

 それにしても、今日のパドックも人が多い。

 カメラを向ける人たちの空気感も関東の競馬場とは変わって見えた。

 

 「六番は、唯一の三歳馬。ヒシケイジ、体重は500kg、4kgの増量です」

 

 周囲を歩く馬の気配は皆、恐ろしくなるほど強い。

 

 だが、それがいい――

 

 ヒシケイジは、自分が挑戦者であるというこの瞬間を、今どの馬よりも楽しんでいる自覚があった。




ヒシケイジ、2011年6月19日、
最終追切6ハロン82.2-37.0-11.8秒。

誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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