ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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第一章 ヒシケイジ成長編
2008春、ヒシケイジ生まれる。


 前世では、生まれてから一度も、学校に行ったことがなかった。

 目が覚めると病院のベッドで、寝ても覚めても同じ光景だった。

 

 仕方ないから、一日中漫画や小説を読んで過ごした。

 こんな体に生まれていなければ――と思う日はあった。

 もしかしたら、こんな人生を歩んでいたかもしれないと、叶わぬ夢を抱きながら物語に熱中した。

 

 生まれてから一度も、走ったことがなかった。

 少しでも無茶をすれば悲鳴を上げる体に生まれて、限界はすぐにやってきた。

 十二年の人生はあっけなく終わりを告げ、何も為すことはなく死が喉元まで迫っていた。

 

 人生最後の日、人工呼吸器の苦しさに喘いで眠れなかった日の夜、夢の中に馬の頭の仏様が現れた。

 

「残念ですが、あなたは助かりません」

「そんな後生な……」

「ですが次の生において、あなたが自らの生きた意味を見出すことができたならば、再び人として生まれ変わることが叶うことでしょう」

 

 その啓示を聞き入れた俺は、寒い寒い小屋で声にならない声を上げた。

 この時点で、明らかに人ではないことは分かる。

 

「生まれたね。葦毛のオスだ……」

「こりゃ元気な子だね。スウィートエルフもようやった……初乳をやらんとな」

 

 混乱するままに、本能に従って減った腹を満たし続けていると――

 気づけば、自分は馬になっていることに気づいた。

 

「にしてもコイツ、呑気に乳のんでるべさ……」

「ああ、きっと大物になる、そんな気がするよ」

 

(まぁいいか……今は命があることを、喜ぼう……)

 

 空腹感が満たされたという事実に満足して、ゴロンと寝転がって眠りにつく。

 自分を囲む周囲の大人たちは、図太さの塊である自分を見て酷く安堵しているようだった。

 

◇◆◇

 

 2008年4月、北海道、日高町。

 生産牧場である田辺牧場に、その馬は居た。

 

 父親であるヒシミラクル、母親であるスウィートエルフの血によって名駿ディクタスの血が強烈にインブリードされた牡馬。

 ギョロギョロとした三白眼を持って生まれたことで名づけられた「ギョロ」は、一月二十三日に生まれて三か月、前世をあわせれば十二年と三か月の体と心を躍動させていた。

 

「ギョロは、なまらよーく走るなぁ」

 

 ギョロと呼ばれた仔馬は、ベテラン厩務員の田辺さんへ、ヒヒーンと大声で返す。 

 葦毛のサラブレッド、牡馬である「ギョロ」は今だ雪深い放牧地を駆けまわっていた。

 

 それにしても、走るという行為は楽しい。

 何も考えず、本能に従って、跳ねまわるようにステップを踏む。

 

 時に駆け回り、時に寝転がり――

 体のバネを確かめるように、あらゆる動きを繰り返す。

 

 日高の春は遅い。

 4月になった今もまだ、放牧地はどこにでも雪が積もっており、動くたびに冷たい感触が全身を包む。

 

 以前であれば、暖房の効いた部屋でぬくぬくと小説を読むことを迷わず選んでいただろう。

 けれど、今、己の軽やかに動く脚が、毎日成長し続ける体が、今この瞬間を衝動を止めることを許してはくれなかった。

 

 ギョロは本能のままに野原を駆け巡りながら、自らの奇特な運命にむしろ感謝していた。 

 あの冬の日、ギョロはひょんなことからサラブレッドとして第二の生を得てしまった。

 

 初めは驚いたが、馬の仏様に救われたからサラブレッドに転生したのだと解釈すればどうということはなかった。

 

 まるで漫画の出来事だ。悪くない。むしろいい。

 毎日が楽しいのだから、不満なんてそもそもありはしない。

 

 思い返せば、一度目の人生では、常にうつむいていた両親にロクに甘えることすらできなかった。

 少しでも気丈な姿を見せないと折れてしまいそうだった彼らに、要らぬ不安を与えたくなかったこともある。

 

 それ以上に、両親に己の本音をぶつけて自身の状態を悲観することで、自分自身の運命を恨まない確証がなかったからこそ――自分は、今まで自分が置かれている状況に目を背け続けることしかできなかった。

 

 だからこそ、ギョロは今の自分の現状には感謝していた。

 

 遠巻きに見つめてくる母親、スウィートエルフの視線を一杯に受けながら――

 どこも痛くない体で思いっきり食べて寝て、母親に甘える生活に不満など一切ない。

 

 今自分に向けられるスウィートエルフの視線に、自分への心配の感情などは一縷も感じられない。

 母親であるスウィートエルフにとって、二頭目の子供である自分はいまだに甘やかしたりない可愛い我が子なのだろう。

 

【楽しそう――】

 

 ギョロはしっかりと地面に立ち、スウィートエルフに自分の元気をアピールする。

 母さん、俺、めっちゃ元気だから、心配することなんてないよ。

 

 いつだって優しい視線を向け、リラックスして自分を想う母親に思いっきり甘えてかまってもらうこと。

 それが、ギョロにとって、何よりの親孝行であることが嬉しかった。

 

【このまま、何もなく大きくいい子に育つのよ――】

 

 常に自分を気遣い、かまって、毛づくろいをしてくれる母と共に幸せな日々を送り、気づけば雪が消えて青草が日高の平原を埋め尽くしたころ――

 育ち盛りのギョロは、日々の食という新たな楽しみを得ていた。

 

 健康体で生きているだけで、生物とは幸せになれるものだ。

 食べて、寝て、本能のままに生きる動物としての超自然的な幸福の価値を覚えているからこそ――

 

 ギョロは牧場主の田辺さんが山盛りに持った「飼い葉」と呼ばれる草と穀物と栄養補助のペレットが混じった食事を、食っちゃ寝しつつ目一杯外を走り回っていた。

 

 動物らしく丈の低い青草を見つけて食べ続ける生活に、一切の不満はない。 

 何より馬になって気づいたが、馬の舌には青草は美味い!!

 

 草美味すぎて……旨い……というか生前の味気ない病院食が不味かった説もある。

 でもお陰で、馬になったにも関わらず今何を喰っても旨いのだ。

 

 田辺さんがくれる飼い葉が美味しいという当然の事実よりも、自然に生える青草やタンポポに滋味を感じるという事実。

 もちろん、時より飼い葉に盛り込まれた林檎や人参という野菜が美味であることは疑いようがない。

 

 けれど、ありとあらゆる野草を喰らうと気づけば日が暮れる日々がこんなに嬉しいなんて知らなかった。

 

【そうよ、ご飯は美味しいのよ】

 

 母であるスゥイートエルフと共に放牧地を駆けまわり、母の前で草を食む。

 もし体に悪い草があれば、目についた時点で母が止めてくれることができるからこそ、ギョロはひたすらに餌を食べて食べて食べまくった。

 

「夏バテと無縁たぁ、ギョロは元気だねぇ」

 

 そうして、生まれて初めての夏はグルメ三昧として過ぎ去り、人だったころの夢を見ることがなくなった初秋の頃。

 その年、田辺牧場で生まれた十頭にも満たない子馬たちが、親から離される日が来た。

 

 スウィートエルフと離れて、自分だけの厩舎に帰った日。

 いまだに慣れずに自らの馬房で【あの子は大丈夫かしら――】と、心配そうな声を上げるスウィートエルフに対して、同年代の子馬の中でひときわ大きく育っていたギョロは半年強ぶりの一人暮らし生活を満喫していた。

 

(あ~、母ちゃんがいるのもよかったけど、なんだかんだ一人部屋は落ち着くな)

 

 ギョロは自然と笑みがこぼれていた。

 

「ブヒヒヒ……」

 

 傍の馬房で泣く友達の声に耳を伏せ、馬らしくもなく寝藁に転がって眠る。

 

 藁の上に寝転がってベッド代わりにするなんて――

 こんなのまるで、異世界転生した主人公の生活みたいだ。

 

 (でも最近、そういう作品も減ってきたな……俺ってもしかして、結構王道な)

 

 そう思いながらも、ギョロは傍にヒロインがいないことだけを、不満に思いつつ――

 窓から見える真ん丸な月を見つめていると、不意に、今わの際に仏様に言われた言葉がふと脳裏をよぎった。

 

『あなたが自らの生きた意味を見出すことができたならば、再び人に生まれ変わることができるでしょう』

 

 そういわれても、このまま馬として過ごしているだけで、十分幸せなのにな。

 

 ギョロにとっては最早、人間の生に戻ることは今更どうでもいいことに思えていた。

 だが、残された知恵の実の残光が、真の意味で動物的な幸福に身を任せることを良しとさせてくれなかった。

 

 果たして――自分が生きる意味とはなんなのだろうか。

 食べて、寝て、走って生きるだけでは、生きた意味を見出したとは到底言えるはずもない。

 

 なら、サラブレッドとして生を受けたならば、何ができるのだろうか。

 

 思えば、以前の人生では生きる目的は生きる事だった。

 生きた意味を見出すことに意味があるのか、果たしてそれは今の現状より幸せなことなのか。

 

 生前から、同年代の子供よりは達観した子供であると自負していたギョロであったが――

 如何せん経験も教えを乞う相手もいない状態では、はっきりとした答えが見つかることもなく……

 

 寝藁の上に転がっていたギョロの意識は沈み、季節は刻々と過ぎていった。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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