ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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2011夏、宝塚記念(後:3/3)

 2011年、6月26日。

 宝塚記念の第三コーナーをヒシケイジは駆け抜ける。

 

『先頭はナムラクレセント、先頭はナムラクレセント』

 

 貯めた脚を使いながら、石破 志雄の指示で少しずつ位置取りを外にずらしていく。

 内側の経済コースに活路はない――なら、リスクを取ってでも外へ出てやる。

 

 幸い、ヒシケイジのスタミナにはまだまだ余裕があった。

 切れ味勝負の差し馬が全力を発揮しづらい縦に長い隊列で進む競馬だ。

 

「ケイジ、前に、好位置につけろ――」

 

 石破 志雄はそれが分かっているからこそ、今、俺を前に出す判断をした。

 

『アーネストリーが二番手、三番手、積極的にハートビートソング!!』

 

 1000m、58秒.7

 1600m、1分34秒.9。

 

 この戦況を作り出したヤツ、誰かは知らないが凄いヤツだ。

 この展開になった時点で、後方の馬は持ちうる脚を十全に発揮しきれない苦しい展開になったはずだ。

 

 石破 志雄はこの状況でも、冷静に俺に上手く乗れていた。

 たとえ現状維持の選択肢を取っていても最後、俺は脚を使った中団に飲み込まれて、先行する連中のマージンを喰えずに沈んでいただろう。

 

『ヒシケイジ、外から上がっていく』

 

 ヒシケイジは、トモのパワーを伝え雨粒が残った芝を踏みしめる。

 陽炎が見えるほどの灼熱の馬場で、今はただ純粋なパワーで古馬たちに食らいつく。

 

『ローズキングダムも伸びる』

 

 あれだけ圧力をかけたウチにいた馬も再び徐々に加速していく。

 気づけば背後からは、沢山の威圧感が迫ってきていた。

 

 凄い――今、日本の競馬にはこんなにすごい馬が沢山いる。

 オルフェーヴルやサダムパテック、同じ世代で鎬を削った連中だけじゃない。

 

『最後方からドリームジャーニーが上がる各馬これに釣られた形か。ウチからはダウンヨーヨー、一番ソトからルーラーシップであります』

 

 その中で、一番強い威圧感がまさに俺の後方に迫っている。

 誰だ――パドックで感じた、怪物の気配が一斉に前方へと上がってきていた。

 

『気づけば青い帽子はブエナビスタッ、青い帽子!! ブエナビスタ、気づけば先頭グループ!!』

 

 声は聞こえない。

 けれど、そこには――閃光が走るかのような圧力がある。

 

 そうか、相棒――!!

 

(いい位置付けて、追われたら“本気”出せ)

 

 今がそのタイミングなんだな!!

 

――パァン!!

 

 答えを合わせるように、相棒の鞭が奔った。

 

 じゃあ、今だな!! 今なんだ――なら、もう我慢する理由もない!!

 

『堂々とアーネストリーが先頭、アーネストリーが先頭!! ブエナビスタはヒシケイジのソトから、競り合うような展開!!』

 

 ヒシケイジは覚悟を決めて、徐々にトモに加える力のギアを上げていく。

 ストライドの感覚は変わらないが、ギャロップで駆ける一歩一歩が徐々に長く疾くなっていく。

 

 いいぞ――絶好調だ。

 

 ヒシケイジの脳裏を、成功のイメージが埋め尽くす。

 

 その瞬間、コーナーを抜けて、最終直線に入ったヒシケイジの前が、開けた。

 

 そこにあったのは、十万人を超える人々が狂喜乱舞する阪神競馬場のスタンドだった。

 

 歓声、巻き起こる歓声――

 自分に、この場に居る馬たちに、尊敬できる先達、競い合う好敵手に夢を託した――人々の姿が見えた。

 

 思いもよらない高速レース、アーネストリーを先頭に、期待の豪駿、ヒシケイジが好位置をキープしていた。

 

 ヒシケイジ――記念馬券のはずの、話題の豪駿が必死に古馬たちにくらいついている。

 見れば分かる。この馬は、本気で競馬をしている。

 

 その事実が分かるからこそ、観客は沸いた。

 誰から見てもわかる名勝負だ。

 

 ブエナビスタ、一番人気のブエナビスタが、ぴったりとヒシケイジの横についていた。

 後方から、エイシンフラッシュが、黒い剣のような切れ味を見せて上がってくる。

 

 どの馬がここから伸びてもおかしくはない。

 勝者が分からないからこそ――届く、圧倒的な声援にヒシケイジのボルテージが上がっていく。

 

(いいのか、俺はこんなに良い目を見ていいのか――!!)

 

「ギョロ、好位置だッ……いけるか!!」

「石破ぁ、見せてくれよ……」

「大丈夫です。この展開、ヒシケイジを信じましょう――」

 

 スタンドで土井が声を上げ、早山が冷や汗をかく。

 門田は一瞬、己の中で歯嚙みするような葛藤を振り払いながら、早山を支える。

 

「おお、雅秀、来るぞ……分かるよ、ヒシケイジ……今なら使えるんだろう。アレが!!」

「親父無理するな……使える、分かるのか? 最終追い切りのあの走りが出ると、信じているのか?」

「分かるとも――ヒシケイジは、頭のいい馬だ。この歓声を見れば、分かる。自分の使命が分かるよ!!」

「使命――競走馬に、走る以外の使命があるはずがない……」

 

 馬主席で歓声を上げる綾部 雅一郎オーナーの隣で、息子である雅秀社長が最終直線を走るヒシケイジに眼を奪われていた。

 忘れもしない、ヒシミラクルが菊花賞を勝ったあの日、宝塚記念を勝ったあの日――

 

 ヒシミラクルが魅せたあの走りを、自分が忘れるはずがない。

 その、激走を目の前のヒシケイジは見せようとしている。

 

 何のために――誰かのために馬が走るとでもいうのか――

 

『大外からルーラーシップ、ウチからエイシンフラッシュが追い込んでくる』

 

――パァン、パァン、パァン、パァン!!

――パァン、パァン、パァン、パァン!!

 

 そうだ、思い出せ。

 俺を支えてくれる、土井さん。早山のおやっさん、門田調教助手――綾部オーナーのために、俺は全力で走る!!

 おっと――そうだな相棒、今日からはもう一人、雅秀社長が増えたんだ。

 

 なら、情けない結果は見せられない。

 

 ヒシケイジは相棒である石破 志雄の激励を受けながら、一歩一歩着実に地面を踏みしめて飛ぶように駆け抜ける。

 レースの中盤から、今の今まで貯めてきた脚を、解放する瞬間が来た。

 

「ケイジ――行け!! 行け!!」

 

 俺はトモの筋肉の内側から爆発するようなエネルギーを振り絞り、一分も残さず蹄鉄を通って地面へと伝える。

 地面に伝わったエネルギーが、俺を前に進める――そうだ。走る。前に、走って、先頭を抜き去る。

 

 俺の“本気”を今のこの場に居る全ての人たちに見せる。

 そう思った瞬間、歯車がかみ合うように脳内がスパークし――俺の背後へと消え去るはずの光景が、急に遅れて見えた。

 

 周囲の光る、目の前の馬が光って見える中で、ぼんやりと橙色に光る道が遠く、きっとゴールまで続いている。

 これが――“本気”か!! オルフェーヴルのときには、完全には分からなかった本気――!!

 

 ヒシケイジの中で、これはいける――と確信する躍動がワクワクと共に湧きあがってきた。

 

 踏み出すたびに続く加速と共に脳髄がスパークし、背後に流れていく光景はより速度を遅くする。

 例えるなら、瞳から雷が迸るような――自分のアイデンティティが世界を浸食するかのような一瞬が来るような走りが今ならできる。

 

 なら、見せてやる。俺が――この俺が葦毛の豪駿だ!!

 

『先頭アーネストリー、真ん中からヒシケイジとブエナビスタ、ウチ、エイシンフラッシュが追い込んでくる』

 

 その時、阪神競馬場にいたすべての人間が――

 

 家で、町中でテレビの中継を見ていた人々が――

 

 渋谷と難波のスクランブルで放映を見ていた人々が――

 

 ヒシケイジが、その幅広いストライドで芝の大空を飛ぶ姿を目撃した。

 白い稲妻が、弾丸シュートのような速度で、最高のレースを運んでいた古馬を抜き去った。

 

 だが、レースの趨勢は分からない。

 左右から迫る黒鹿毛の黒馬――俺には分かる。

 

 ブエナビスタと、エイシンフラッシュ――!!

 

 まるで瞳から、稲妻が走るような集中状態、どちらも、俺と同じ本気モードだ。

 

「ブエナビスタ……ヒシケイジに勝って、女王の名を轟かせろ!!」

 

 直後、ぶつかるかと思うようなコース取りでブエナビスタが俺のソトを抜けようと、バリバリに張った馬体を一段加速させる。

 

「エイシンフラッシュ、あともう少し――ここで沈むなんて許しませんよ!!」

 

 ウチにいるエイシンフラッシュも負けない、その視線はゴールしか見えていない。

 ハッキリ言って、今日勝ったのは、実力なんていう気はない。

 

 もし一歩でもレースの展開が違っていたら、俺がこのレースで初めから最後まで好位置につけていなければ――

 俺の本気が、こんなに長く続くことはなかっただろう――!!

 

「ヒシケイジ――行け、そのまま行け!!」

 

――パァン、パァン、パァン、パァン!!

――パァン、パァン、パァン、パァン!!

 

 ヒシケイジは、脳に湧き上がる内因性カンナビノイドに支配されるままにあと一歩、トモに残されたエネルギーを爆発させる。

 直後、鞍上の石破 志雄が姿勢を崩しながらも――俺は三頭の中心で、ぐん――と、加速した。

 

『すごい競馬だッ!! ヒシケイジ先頭、ブエナビスタ、エイシンフラッシュ、三頭もつれ込むようにゴール!!』

 

 やった――、確かに俺は、誰よりも早くゴール板を駆け抜けたはずだ――

 

 そうだ、そうだよな!!

 

 俺の問いに答えるように――

 

 直後、悲鳴のような叫びと共に会場に馬券が舞った。

 

 その光景を見て、安心したのか――俺の体に酷い脱力感が広がっていく。

 流石に、本気を出し過ぎた――が、相棒? 俺、頑張ったよな……

 

『一着はハナ差でヒシケイジ!! 葦毛の豪駿、大金星の激走で見事に宝塚記念を制しました』

 

「石破くん、完敗だ。グランプリ、おめでとう」

「ええ、石破くん、良い競馬でしたが、大丈夫ですか?」

 

 左右から、ブエナビスタとエイシンフラッシュの鞍上が語り掛けるが、石破 志雄の返事がない。

 

「クソッ、ケイジの馬鹿が……磐田さん、安東さん。ありがとうございます!!」

 

 俺が、視線を背後に向けた直後、かろうじて俺の上で騎乗姿勢を正し頭を下げる。

 なんだよ、心配して損したぜ。

 

『勝ち時計、早いッ2分9秒.8。レコード、文句なし、四ハロンが47秒.2、三ハロンが35秒の結果――』

 

「どうだった、雅秀」

「親父……親父が言いたかったことを、分かった気がする」

 

 馬主席、綾部 雅一郎オーナーの隣で、雅秀社長の目じりから涙がこぼれていた。

 馬が、誰かのために走る――その言葉、確かに今なら信じることが出来る。

 

『新時代の豪駿、ヒシケイジ、念願の親子制覇、三歳馬による初宝塚記念制覇を成し遂げました』

 

 確かにその日、観客たちは言葉にできない勇気をもらっていた。

 ヒシケイジたち、グランプリを走った馬は、そのままぐるっとコースを回っていく。

 

『二番手争いソトにブエナビスタ、ウチに、エイシンフラッシュ。四着はアーネストリー……』

 

 歓声が会場を包む中――正面の直線へと戻ってきた俺と石破 志雄を観客が出迎える。

 

(イシバ!! イシバ!! イシバ!!)

 

 石破 志雄に向けられたコールを聞きながら、ヒシケイジは今夜痛むであろう尻とトモの心配をすることにした。

 

『文句ありません。素晴らしいレコードタイム、なんとなんとタップダンスシチーが作ったレコードタイムを1秒更新……!!』




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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