多くの感想、ありがとうございました。
2011年、6月26日。
『勝って戻ってまいりました、ヒシケイジ』
歓声の中、ヒシケイジは馬具を脱ぐ。
レース後の検量の後、口取り式が待っているだろう。
『調教師は早山 正春、ジョッキーは石破志雄』
「ギョロ、良くやったよっ!!」
「ブヒヒヒヒヒ」
厩務員の土井さんが、スタッフさんと共に俺の馬具を脱がしてくれた。
笑う俺を励ますように体を濡れたタオルで拭いてくれる。
『馬主は、綾部 雅一郎。アベ・コンツェルン』
「石破ジョッキー、最後の直線、俺、感動しちゃって……本当に、おめでとう!!」
「俺こそ、ありがとうございます。ケイジが走れたの、本当に厩舎の皆のお陰なんで……」
俺の鞍上から降りた石破 志雄が土井さんに頭を下げる。
えっ、ていうか石破 志雄。めっちゃ、しゃべるやん……
『生産は日高町の田辺牧場であります――』
「そうだ、ギョロ……今日も田辺さんきてるからなっ」
「ブヒッ!?」
そうなんだ――じゃあ、あのレース……見ててくれたんだな――
『前代未聞の三歳馬、前走は日本ダービーの二着でありましたが、昨年から才能はみせていました』
俺は、火照った体のままポクポクとスタッフに連れられて行く。
気づけばアドレナリンもランナーズハイも抜け、俺はぐったりとした疲労感に包まれていた。
『力を出し切りましたブエナビスタ、今日は一着争いに食い込みました。次走が楽しみになる一着争いでした』
今日のレース、俺は持ちうるものを確かに全部、出せた気がした。
『岡本さん、痺れましたね』
ただ、葦毛の豪駿として、一人の競走馬として――
全力で走れたのも、俺は俺達を応援してくれた競馬が好きな人たちのお陰なんだと、思い始めてきた。
『そうですね、最後、各馬が積極的に前を狙う中で、序盤から有利な位置につけたヒシケイジが力を出し切りましたね』
そうおもうと――転生のときに言われたあの言葉――
(あなたが自らの生きた意味を見出すことができたならば――)
あれもレースの中、ライバルたちと競う中で、見出す。
そんな単純な話じゃないのかもしれない。
『2分9秒.8という時計に、見事ブエナビスタ、エイシンフラッシュはクビとハナ差で追い付いていましたからね』
だからこそ、俺はこれからも勝つ。
菊花賞で、オルフェーヴルのヤツに今度こそ勝つ。
今日の全力の走り――
奴を追いつかれない走りで、次こそは勝つんだ。
『やはり勝負を分けたのは、ナムラクレセントとアーネストリーの仕掛け。後方から上がっていく競馬をしたい馬は――ここで脚を使わされてしまいました』
そう思うと、レースが終わったのにもう走りたくて仕方がない。
でも、でももう尻が痛くなってきた――なんとか口取り式の後、馬運車まで足が動くといいんだけど……
『いやぁ、いいレースでした――』
◆◇◆
――ヒシケイジで見事宝塚記念を制しました、石破 志雄騎手です。おめでとうございました。
「ありがとうございます」
――まずは今のお気持ちから聞きましょう。
「死ぬかと思いました。最後の直線、ケイジがぐっと伸びて――落ちるかと思いました。ヒシケイジが絶好調だったので、邪魔しないように、はい、ギリギリでしたね」
――今日はスタートからいかがでしたか?
「スタートは普段通りでしたね。でも、他の馬も積極的に来ていたので、行けるところでって感じでした」
――それで、じぃ~っと虎視眈々と狙ったあと、3コーナーの直後からといった感じでした。
「そうですね、後ろが騒がしくなったら行こうって思っていたら、丁度タイミングが来て――結構芝もゆるかったのにレコードがでたのは、馬の調子が凄く良かったからだと思います」
――直線、どのタイミングから勝利を確信できましたか?
「正直、最後まで勝ちは分からなかったです――気が抜けないとこで、ヒシケイジが“本気”を出したので、自分のことで精いっぱいでした。でも、斤量とか、有利だったし――ハミは基本取ってくれる馬なので、いつも通り走れば勝てる目がある競馬だと思いながら乗ることができました」
――石破さん、ヒシケイジのクラシック戦線、期待も大きくなると思いますが――
「そうですね、早山さんとか、厩舎の人たちと一緒に、今日のような走りをこれからも見せていけたらなと思います。まだ、本格化の途中な馬で、いろいろと荒削りなところもあるけど、これからもたくさん。走って行けると思います」
――それでは、応援してくれたファンの方に、メッセージをお願いします。
「今日は、沢山ヒシケイジを見に来てくれていると聞いていたので、応援が凄い力になったと感じます。自分自身もっと走りたい――こういうレースを続けたいという気持ちでいっぱいです」
――見事な騎乗でした、おめでとうございました
「ありがとうございました」
◆◇◆
『グランプリでG1二勝目となりました、ファンの皆さんに最後のメッセージをお願いします』
『今日の勝利は……厩舎の皆、阪神競馬場に来てくれた皆さんあっての勝利でした。これからも――夢中になれるような、いいレースを出来るように頑張ります、応援よろしくお願いします』
(拍手、嵐――)
その日の晩、梅田の寿司屋にいったら、昼やったレースがテレビで中継されていた。
ヒシケイジの表彰式、石破のあんちくしょうが――えらく緊張した面持ちで“書いてきた”原稿を読んでる映像を見て――
生添 賢治は、隣に尊敬するタケさんがいるのに溜息をついてしまった。
「……」
「うん……ドリームジャーニーは、良くやったじゃない」
ボクは悔しい、恥ずかしかった。
尊敬する外行じゃないタケさんに、気、使わせてる。
リラックスした大人のタケさんが、トクトクとお猪口に冷やを注いでくれて――
ボクは、ぐっ――と、杯を傾けた。
味は、よう分かんない。
しいて言えば、悔しい涙の辛い味やった。
いい酒なんやけど――普段みたいに騒ぐ気にはなれんかった。
ボクから誘ったのに、情けない話や。
実際、今日の負けは、良くない負け。
自分のせいじゃない負け――あのヒシケイジの背中がちらつく負けやった。
ドリームジャーニー、折角最後ようやったのに――ホンマに悔しいわ……
「タケさぁん、ドリームジャーニー。最後、ハミ、取ってくれたんですよ……」
「うん……六着、よくやったよ~」
気を紛らわせようと、大将が置いたノドグロの寿司を取る。
白身に秘められた微かなピンク色が淡く艶めき――
上質な脂の芳香と昆布締めされた身の弾力が冷えた指先から伝わってくる仕事。
通いなれてるから分かる。
タケさんに出しても、恥ずかしくない良い寿司や。
一口喰って、ボクは情けなくなった。
引き締まった旬の、口の中いっぱいに広がる脂の甘みが、正直……ようわからへん。
上品な甘さ、濃厚さ――昆布締めによって引き出された旨味。
悔しいが今のボクにそれを受け止められるほど、心の整理がついていない。
「あれ、何だったと思います?」
ボクは、たまらず――隣で、美味しそうにトビウオの刺身を味わうタケさんに、話を振っていた。
「あれって~?」
「最終直線、先頭の三頭がなってた、アレです」
「アレ? 別にアレくらい、生添くんもなったことあるでしょ~」
ある――思い返せば、何度も、ある――
でも、今日のヒシケイジの走りは、なんかボクのイメージとはまた違う走りやった。
「タケさんは、どういうものだと思います?」
「う~ん、アレは走る気になった馬と呼吸が合ったとき、騎手の“無我の境地”が伝わるものだと思ってるかな~」
なんやそれ
「あー、まァ」
でも、分からんでもないか――
「でも、無我の境地、あんまり頼ってもね~」
「頼らないんですか?」
「だって、乗ってる馬に大分左右される博打でしょ。今日だって、後ろの二頭が入れたのはマグレだよ~」
はー、まぁ――言葉にすれば、そうなる。
「正直アレになった馬に、どうすれば勝てます?」
「勝てない。普通にジョッキーの腕で勝負しなよ。大半は展開でどうにかなるよ~」
でも、それじゃアカンのですわ。
「ボク……オルフェーヴルに三冠取らせてあげたいんですよ」
「じゃあもう、焦らないコトだよ。そういえば、門田くんがね――ウフフ、本読んでたよ。メンタルの本」
「あんなの、眉唾物じゃないんスか……」
「いや~、でもフロー理論は、普段考えてること、結構言葉にしてくれてたな~」
はー、カッコいい。
この人やっぱ、勉強熱心やね~
「でも、いいんですか、そんなこと言っちゃって」
「このくらい、お寿司のお礼だよ。それに別に“本気”を出せるから、ジョッキーとして偉いわけじゃないからね~」
「そうすか」
「そうだよ。釈迦に説法だと思って言うけど、普段から頑張るから、大一番で凄い力が出るんでしょ~?」
それもそうか――と思いながら、ボクはタケさんに日本酒を注ぐ。
きゅっと、お猪口を傾けると、さっきよりずっとコメの味が感じられる気がした。
涙は引っ込んだ。
次は勝つぞ、石破 志雄――にしても……
「美味ッ」
「美味しいね、いい店だよここ~」
そうや、何時までも凹んでたらしゃーないわ。
(生枝さんに頭下げてオルフェーヴル、もっと調教から乗ってみるかーー)
その晩、珍しくすっきりした頭で、生添 賢治はタケさんと別れた。
かくして夏、一頻りの休養を経た競走馬たちが、その運命を決める秋競馬に向けて騎手たちは準備を進めるのであった。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
明日はヒシケイジ、夏休みです。
次のレースは菊花賞です(トライアルレースはワイプで終わります)。