ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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引き続き、励んでいきます。


2011夏、ヒシケイジ、夏休み

 2011年6月26日。

 口取り式を終えたヒシケイジは、再び栗東トレーニングセンターへの道を馬運車で運ばれていた。

 

 久々に会った田辺さんに抱きしめられ――

 相棒を鞍上に乗せて、厩務員の土井さん、早山のおやっさん、門田調教助手――

 車椅子に乗った綾部 雅一郎オーナーと新たに雅秀社長と共に写真を撮った。

 

 後で聞いた話だが綾部 雅一郎オーナーの代わりに、雅秀社長が今日の宝塚記念のトロフィーを受け取ったらしい。

 石破 志雄の硬い、それでいて前向きなインタビューもラジオから流れてきていた。

 

 三歳馬初の宝塚記念優勝。

 結構自分が凄いことを成し遂げたんだという実感が、やっと湧いてきた気がする。

 

 よかった――酷く痛むコズミの分くらいは、いい結果になったということなのだろう。

 そのまま、馬運車でうとうとしていると――気づけば、その日が暮れるころには信楽ノーザンファームに俺は戻ってきていた。

 

「ヒシケイジ、ついたよ~」

「ラジオ忘れないように。土井さんいないけど、頑張りましょう」

 

 俺が馬運車を降りると、スタッフさんが俺を拍手で迎えてくれた。

 こんな夜遅くまで、自分を待ってくれていたことに、俺自身ちょっと感動してしまう。

 

「ヒシケイジ、おめでとう」

「宝塚記念、凄かったよ!!」

「ブヒヒヒヒヒ」

 

「ヒシケイジ、喜んでますね」

「やっぱり、いい馬だよね……ヒシケイジ。いい馬すぎて、ちょっと怖くなるけど」

 

 そうして、スタッフの大名行列を引きつれたヒシケイジは、その日は普段使っている馬房へと戻って早々に眠りに付く。

 寝っ転がってしまえば、酷く痛むトモの痛みもあまり気にはならなかった。

 

 俺は、その日は――久々に、故郷の夢を見た。

 まるでエピローグのような、時間を過ごしたが――

 

 俺は、まだ何も終わっちゃいない。

 

 秋の菊花賞。

 残ったクラシックの冠は必ず取る。

 

 ヒシケイジの辞書に“燃え尽きる”という言葉は記されてはいなかった。

 の、だが――

 

◆◇◆

 

(これは――どういうことでしょう)

 

 2011年7月。

 ヒシケイジは、恐る恐る、それに前脚を伸ばした。

 ちゃぽんと、音が鳴り――直後、急かされるままに、水が溜まったプールへと追い込まれる。

 

「ブヘッ!!」

「ギョロ~、大丈夫だぞ~、そのまま行け~」

 

 ヒシケイジは、その日、栗東トレーニングセンターの競走馬用のスイミングプールで泳いでいた。

 それほど広くはないが、勝手に体が浮くプールを土井さんに曳かれながら泳いでいく。

 

 なぜ、信楽ノーザンファームに行ったはずの俺が、栗東トレーニングセンターにいるかというと――

 

「大丈夫だぞ、このくらいのコズミなら泳いでればどうにか治るからな~」

「ブブヒッ」

 

 そう、宝塚記念から一週間経っても、全然コズミが治らないからであった。

 普段なら歩き初めに、ちょっと違和感があるくらいの症状が数日くらいで治ってくれるのだが、宝塚記念で俺は大分頑張りすぎてしまったらしい。信楽ノーザンファームは設備は良いとはいえ、プールや温泉と言った設備はない。

 

 仕方なく俺はコズミが良くなるまでは早山厩舎で、エアコンの効いた部屋とプールによって養生することとなった。

 

 本音を言えば、そろそろ生まれ故郷の日高町が恋しくなっているかと言われると嘘ではない。

 けど、最近小耳にはさんだ話だが、東北のほうの高速道路はまだ修復が芳しくないらしく――

 

 馬よりも人優先ということで、おやっさん達は今年の夏は栗東付近の放牧で手を打つことにしたとのことだった。

 

「それにしても、ギョロがこんなに頑張るとは思ってなかったぜ」

「ブヒ」

「やっぱ、ギョロも、でっかいレースはさ、頑張ろうって気になるのか?」

「ブヒッ!!」

「そっか~、それなら、俺達も嬉しいぜ、サポートしがいが有るってもんだよな」

「ブヒヒヒヒ」

 

 土井さんの前向きな言葉を受けて、ヒシケイジはザブザブとプールを泳いでいく。

 

 確かに長期放牧で、リラックス三昧を過ごすっていうのは悪い気がしない。

 けれど、栗東トレーニングセンターに残ることは、修行パートが増えることと同じだ。

 

 マンガに例えるなら――夏の合宿を、普段の学校でやるようなイメージだろうか。

 夏休みを遊び惚けることも、どこか遠くの海で合宿をするのも悪くない。

 

 だが、普段と同じような環境で、努力を積み重ねる。

 そんな夏も悪くないというものだ。

 

 ここで頑張れば秋のレースでも有利になるって思えば、なおさら悪い気はしない。

 大丈夫。休みは引退したあと、幾らでももらえると思えば、苦しくはないぜ。

 

「ギョロ、めっちゃ熱入ってるとこ悪いけど――一応怪我してるんだし、夏競馬の間は忙しいからな」

「ブヒッ!?」

「ま、気張りすぎないように、力抜いて行こうぜ」

 

 だが、ヒシケイジの意欲的な姿勢は、すべてを見透かした土井さんの横やりによって早くも砕かれることになった。

 実際、ヒシケイジはコズミが終わったあと、すぐに信楽ノーザンファームに叩き返された。

 

 2011年8月。

 ヒシケイジは、特筆すべきことのない夏休みを過ごした。

 飼い葉を喰らい、夜まで眠り、ラジオを聞いて、週一度くらい門田さんを背に乗せて走る。

 

 夏前はオルフェーヴルとつるむ時間があったのだが――

 外厩の意向で、オルフェーヴルは別の馬と仲良くやっているらしい。

 

 あと、最近よく生添ジョッキーを見る。

 騎乗がない日で、オルフェーヴルの調教がある日は毎日のように来ていた。

 

 そう思うと、俺としても相棒である石破 志雄が恋しくなってくる。

 こうしちゃいられないと思いつつも、休養は伸びに伸び――

 

 気づけば、2011年の9月が俺の元に訪れていた。

 

◆◇◆

 

 2011年9月16日――中山競馬場11R、セントライト記念。

 秋晴れの千葉県に集まった十八頭。

 

 まぁいつも見た顔がそろっている中で、二か月ぶりにヒシケイジは石破志雄と再開した。

 

「すまん。マジで、家から離れられなくて――」

「ブフ」

 

 まぁ、いいですけどね。

 放置されても、辛くないですけどね。

 

「いや、子供が産まれて……嫁さんの実家で、毎日ソファで寝てる……」

 

 あっ――

 そう語る石破 志雄の眼の下には深々とクマが刻まれていた。

 

「ケイジ、好きに前を走ろう。怪我しなきゃいいよ」

「ブヒッ」

 

 石破 志雄――おいたわしや。

 これは俺も楽させてやらないとな。

 

 ヒシケイジはすんなりとゲートに収まる。

 

 生まれるのは、一瞬の静寂。

 スタンド前の直線コースで、勝負を決めよう。

 

 ガタン――とゲートが開く。

 俺は直後、宝塚記念顔負けのスタートを切った――

 

◇◆◇

 

『ヒシケイジ逃げる、ヒシケイジ逃げるッ!!』

 

『ヒシケイジ、悠々と飛ぶ。フェイトフルウォー、内からはトーセンラー間に合わないか!!』

 

『追いつけない、全く寄せ付けない!! 三歳宝塚グランプリ馬!! 大逃げのまま、勝ったのは十二番ヒシケイジッ!!』

 

『終わってみれば五馬身差!! 鞍上、石破 志雄。会場は湧きあがります。上がりタイムは2分9秒1、上がり3ハロンは33.8秒……2004年のコスモバルクのレコードを塗りかえての勝利になります。単勝は120円……支持率は77%、プレッシャーをはねのけ菊花賞に駒を進めました』

 

「ブヒヒヒ……」

 

 2011年10月23日。

 

 曇り空の京都競馬場、丸いパドックを歩きながらヒシケイジは先月のレースのことを思い出していた。

 あのレース、セントライト記念では久々に大逃げで、尻も痛くならずに勝ちを掴むことが出来た。

 

 おっといけない、俺を曳いてくれている土井さんに迷惑が掛からないようにと、俺は普段通りの表情に戻った。

 今日も前走と同じようなレースが出来たらいいのだが――無理だな、というのがハッキリわかる。

 

 周囲を歩く馬の圧力はどんどんと増している。

 というか――俺よりも体が大きい馬が増えている。

 

 今日に向けて仕上げてきた馬が、それほど多いということなのだろう。

 だが、夏を経て本格化した連中相手とはいえ――俺は負ける気はない。

 

 夏の休養は寧ろ俺にとっては体調面で大分プラスに働いていてた。

 宝塚記念、セントライト記念と磨いてきた脚は、決してオルフェーヴルにも劣らない。

 

「三番ヒシケイジ、八戦六勝。510kgで前走から4kg増加しています。本日は二冠馬であるオルフェーヴルを抑えて、一番人気1.9倍です」

 

 会場の期待をどの馬よりも集めた今日こそ――オルフェーヴル、俺はお前に勝って見せる。

 そう心に強く覚悟を抱いたヒシケイジの挑戦が、今、クラシック戦線最後のレースで始まろうとしていた。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。

駆け足でしたが、明日から菊花賞です。
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