ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。
ヒシケイジ苦闘編もあと2レース、頑張ってまいります。


2011秋、菊花賞(前:1/3)

 

「三冠阻止って、他の馬――他の陣営の人はそう思って、実際に仕上げてきている」

「だからこそ、ボクがしっかりが乗って菊花賞取る、取ります」

                                ――生添 賢治

 

「期待されてきましたからね。もうどんなG1も手に届く馬だって、みんな分かってる」

「菊花賞のために、やってきましたからね、はい。全力を尽くします」

                                ――石破 志雄

 

◇◆◇

 

 どんよりと暗さのある曇天でよかったと、あの場に居た誰もが語った。

 その日は馬以上に、人が熱狂した菊花賞だった。

 

 京都競馬場には、震災の影響をもろともしない十一万人の来場者が集っていた。

 熱狂する人々が押し寄せて、ごった返した会場で人々は期待していた。

 

 豪駿か、二冠か――

 

 JRA賞最優秀2歳牡馬、日本初の三歳での夏のグランプリ優勝馬、ヒシケイジか。

 四七年ぶり三頭目の東京競馬場で行われてのクラシック二冠馬、オルフェーヴルか。

 

 日本競馬に訪れたディープインパクト以来の競馬ブームに、日本は沸いた。

 秋口に発売された両馬のぬいぐるみは、飛ぶように売れた。

 

 2011年、10月23日。

 

 京都競馬場11R、第72回菊花賞。

 芝3000m、天候、曇天、良馬場。

 

 一番人気は、三番、ヒシケイジ、単勝1.9倍。 

 二番人気は、十四番、オルフェーヴル、単勝2.1倍。

 

 三番人気のウインバリアシオンの単勝が12.1倍に落ち込むほど、夢は二頭に注がれていた。

   

 ヒシケイジへの期待は、パドックでも変わらず向けられている。

 夏を経て更に白くなった葦毛の馬体、気品すら感じる歩様は一部で「王子」と呼ばれていた。

 

 宝塚記念、セントライト記念。

 共に驚異のレコードを叩きだした「豪駿」は、血統的には長距離こそが適正だと、競馬を知るものは誰もが分かっていた。

 

 オルフェーヴル、その人気はダービーの後、夏の競馬を経て花開いた。

 ヒシケイジに勝った二冠馬、尾花栗毛の明媚な姿が多くの女性ファンを掴んだ。

 

 神戸新聞杯、ウインバリアシオンを下して一着。

 重賞四連勝、夏を経て明らかに本格化したオルフェーヴルも、血統を見れば長距離は得意分野に間違いなかった。

 

 どちらも、栗東トレーニングセンター所属であった。

 どちらも、外厩に信楽ノーザンファームを用いた。

 

 以降の新時代の競馬シーンのセオリーを、両馬は確立していた。

 

 片や、サッカーボーイ、ヒシミラクル、タマモクロス。

 日本競馬のスターホースが細々と血を繋いだ末に咲いた花。

 

 片や、父ステイゴールド、母父メジロマックイーン。

 数多の配合パターンから見出された努力の結晶。

 

 どちらが別の世代に生まれていたならばと誰もが思った。

 両馬が同じ世代に生まれたからこそ、今日の競馬ブームが訪れた。

 

 どちらが勝っても、歴史が変わる。

 

 会場で、お茶の間のテレビの前で、インターネットで――

 人々は、午後三時五十分、出走のときを待っていた。

 

「どうや」「むずいわ、両方で」

「三位争いの方がムズいわ」

「おいおいおい、せっかく来たのに――人の数がヤバすぎ」

「見えないって、ヒシケイジ……ミーハーが多すぎるんだよ」

「俺は、オルフェーヴル……三冠馬。取ってくれ頼むよ……」

「ああ~正直、もうドキドキしてる。早く始まらないかな――」

 

 スタンドで観客たちは、夢を託す。

 たった一枚の馬券に、今日の夢を託す。

 

「ねぇ、パパ。今日はヒシケイジ勝つと思う?」

「どうおもう?」

「ヒシケイジ、負けても応援する」

 

 少女が誕生日にプレゼントされた、白い馬のぬいぐるみを抱きしめた。

 

「ムホホ……もう、何も分からん」

『お前が分からなければ、モレにはワカラン』

『ぽまえら逆に考えよう。ヒシケイジが勝てば110円の損。オルフェーヴルが勝てば90円の損。ウインバリアシオンが勝てば1000円の得』

「わからんから、100円分だけ勝った。ヒシケイジ……怪我無く走り切ってくれ」

 

 中年男性が自室でモニターの青白い光を浴びながら天を仰ぎ見る。

 

「うひひ」

「ブヒッ」

 

 パドックを終えて、ヒシケイジの鞍上に石破 志雄を乗せた。

 右隣は、同じように鞍上に生添 賢治を乗せたオルフェーヴルが立っている。

 

「なぁ、石破クン――」

「なんですか」

 

 誘導馬に率いられ、両馬は並んで本馬場への道を歩き始めた。

 

 会場の人々は一目でわかった。

 

(ああ、本当は二頭とも、凄い仲がいいんだ)

(苦楽を共にしてきた親友の、どちらかが勝って――どちらかが負ける)

 

 歓声はそれ以上の重圧で止んでいた。

 不気味なほどの静けさが、その瞬間、京都競馬場を包んでいた。

 

「美味い寿司屋があんねん。この前なぁ、タケさんつれてったら、喜ばれてん。今度、嫁さんも連れてき……タケさんとかも紹介したるわ」

「マジすか」

「あんま、話したことないやろ? ボクらも……」

「そうっ……すね」

「もし今日、石破クンが勝ったら――石破クンの好きな店おしえてな!!」

「上野の、安い立ち飲み屋ですけど、いいっすか……門田さんと行ったら、おでんが、美味しくて」

 

「めっちゃ、ええやん」

「うひひ……」

 

「生添さん。俺、負けません。今日は――」

「ブヒッ」

 

「石破クン、勝っても負けても、恨みっこなしや」

「うひひひひひ……」

 

 そういって、鞍上の石破 志雄と握手をした生添 賢治は、オルフェーヴルに合図を送って走り去っていった。

 なんだか――いつものアイツららしくないな、オルフェーヴルも生添もめっちゃがっつくイメージなのに。

 

(今、二人、握手した……)

 

「なんか、緊張してたな」

「ブヒッ」

「ケイジ、お前、緊張とか――してたか、日本ダービーのとき」

 

 ヒシケイジが、本場場のターフに脚を踏み入れる。

 直後――会場に集まった十一万人の観衆の割れんばかり歓声が会場を包んだ。

 

 歓声――歓声――歓声――

 熱狂――熱狂――熱狂――

 

 俺はもう、覚悟を決めている。

 普段通りに走り、最高の自分をこのレースで見せつける。

 

 ゆっくりと、ヒシケイジはターフの上を加速し、己の脚を温めていく。

 曇天に閉じられた空模様の元を走るからこそ、会場全てにうごめていた。

 

『徹夜組を含むおよそ十一万人のファンがスタンドを埋め尽くしました、京都競馬場』

『逸る気持ちを抑えながらその時を待つ歴史の証人たち さぁ三冠なるか、豪駿が栄光を掴むか、いよいよ迎える運命の大一番 出走18頭です』

 

◇◆◇

 

『震災が響いた春二冠、立て直した秋、あの馬を一蹴した淀で世紀の逆転劇を、トーセンラーと海老名 政義(えびな まさよし)

(悪くない馬だ。前走で悔しい思いをした礼を返させてもらおう――)

 

『バテない強みでどこまで見せるかルイーザシアター、中央G1初騎乗、公営名古屋の 岡辺誠人(おかべ まひと)

(大丈夫、普段通りやれば、悪い勝負にはならない……)

 

『一番人気は二冠馬ではない、三度目の挑戦で白き豪駿は、六度の勝利を経て七色の虹を掛けるか

『臥薪嘗胆、涙をのんだ春のクラシック、乗り越えて掴んだ夏のグランプリの栄光、秋の冠を掴むかヒシケイジと石破 志雄』

(この実況、今思いついたのか……すごいな……)

 

『母から継いだ豊富なスタミナ、一勝馬が目論む、歴史的番狂わせ。ユニバーサルバンクと八年前に三冠を止めた安東 數井(あんどう かずい)

(期待されていようといなかろうと、やることは一緒です。精々、自由にやらせてもらいましょうか)

 

『三冠を阻むのは同じ地で生まれ、同じ血を引くこの馬か。フェイトフルウォーと鞍上は芝田 慶福(しばた よしとみ)

(芝田です――ただ、フェイトフルウォーを信じます。芝田です)

 

『ブルボンの偉業が夢と消えたあの日から19年、小島貞博調教師が送り出す。シゲルリジチョウ、富士田 銀司(ふじた ぎんじ)です』

(豪駿と暴君か――石破志雄、良い顔になってやがる。今回は青写真は描かせねぇぞ……)

 

『今日も決めるか、大外からの殿一気 ゴッドマスタングと黒聞 響介(こくぶん きょうすけ)

(何が豪駿だ、何が暴君だ……ゴッドマスタングならやれるんだ!!)

 

『トライアルの粘り、ダービーの闘争心。すべて噛み合えば望み有り、見限るなかれベルシャザールと梧桐 剛鬼(ごとうごうき)

(ベルシャザール……俺の熱血で、コイツのポテンシャルを引き出して見せる)

 

『父ジャングルポケットに二週連続G1の勲章をダノンミルと真中 裕(まなか ゆう)

(いけるかなぁ、今日ばかりは石破くんが羨ましいよ……)

 

『去年、薔薇の夢を砕いた 蒲田 優雅(かまた ゆうが)、今年は三冠の夢を砕くのかパートナーはロッカヴェラーノです』

(ひ~、プレッシャーが辛い……えっ、ロッカヴェラーノ……励ましてくれるのかい?)

 

『距離の不安を抱えながらもこだわり続けたクラシック、ラストチャンスにすべてを賭ける サダムパテック、磐田 家康(いわた いえやす)

(己の力不足、痛感しようとも挑むことを辞めてはいけない。ヒシケイジ、勝負だ――)

 

『この夏、北の大地で力を付けたハーバーコマンド、初めての中央G1、公営園田の亀村堅(きむら けん)

(いけるいける。ハーバーコマンドの調子はイイんだ!!)

 

『差は開こうとも諦めない、大逆転へ乾坤一擲。ウインバリアシオン、菊四勝、伏名 久一(ふくな きゅういち)

(言ってくれる。だが、ウインバリアシオン、我々は諦めるなどしない)

 

『さぁすべての競馬ファンの視線がこの栗毛の馬体に集まります』

『瞬く間に突き抜けた一冠目、比類なき根性を発揮した二冠目、そして今日如何なる形で掉尾を飾るか、いざ史上七頭目の三冠へ オルフェーヴルと生添 賢治(いけぞえ けんじ)

 

「……」

「うひひひひひ……」

 

『無欲の逃亡劇が大波乱を呼ぶか、サンビームと夏山 慎一郎(なつやま しんいちろう)

(サンビーム、信じてやれるのは、俺だけじゃん。仕掛けていこうじゃん……)

 

『菊に強い橋口厩舎、母系を辿ればリアルシャダイ。大駆けの雰囲気漂うダノンマックイン、大牧 太子(おおまき たいし)の騎乗です』

(ダノンマックイン、今日はキミが出来るところを見せよう)

 

『一歩一歩積み上げ神戸新聞杯で切符を勝ち得たギュスターヴクライ、打田 博士(うちだ ひろし)

(期待されてないのは、分かってるヨ……しかし、諦めるなんて)

 

『夢にまで見たクラシック、春の分まで健闘誓う ショウナンマイティ、菊最多勝の我らがタケです!!』

(ショウナンマイティ、がんばろう、がんばろねっ!!)

 

『さぁ今スターターがゆっくりとスタンドカーに向かって場内からは拍手大歓声』

 

『オルフェーヴルの三冠なるか、ヒシケイジが夢を掴むか。さぁ菊花賞の、三冠のファンファーレです』

 

 歓声――歓声――歓声――歓声――

 熱狂――熱狂――熱狂――熱狂――

 

『地面から突き上げるような大歓声が今、にび色の空に吸い込まれていきます、勝負の行方は最早誰にも分かりません』

 

「賭けをやる。いい位置につけて――合図をしたら本気で走れ」

 

 ゲートの中、一瞬の静寂。

 ヒシケイジの耳に、石破 志雄の指示が届く。

 

 ガタン――と、音と共にゲートが開き、今、ヒシケイジのクラシック戦線、最後の戦いが始まった。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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