ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。
寒くなってきましたので、皆様お体ご自愛下さい。


2011秋、菊花賞(中:2/3)

 2011年、10月23日。

 関西競馬のG1のファンファーレが鳴り響く中――ヒシケイジは11R、菊花賞のゲートに入っていた。

 

『我が国のクラシック体系が確立して七十年余り、六頭しか打ち立てていない三冠の金字塔か――』

 

 ゲートに収まったヒシケイジに与えられた指令は、ある意味で普段通り。

 

(賭けをやる。いい位置につけて――合図をしたら本気で走れ)

 

 先行脚質を活かした、前よりの競馬。

 

『たった一頭成し遂げた夏のグランプリホースが、これを阻むのか』

 

 だが、たった一言――石破 志雄は「賭け」をやるといった。

 

 ヒシケイジには、まだこの言葉の本意が分からない。

 オルフェーヴル相手であっても、自分の脚は決して劣らないだろう――

 

(だが、オルフェーヴルも成長している。条件が同等だとして、切れ味勝負で勝ち切れるのか)

 

『さぁ歴史の一ページ、見届けましょう! 菊花賞です!!』

 

 信じていいのか、石破 志雄。

 

 いや、信じるぞ、俺の相棒。

 

 お前はきっと答えを知っている。

 

 ガタン――と、音と共にゲートが開く。

 だが直後、ヒシケイジの眼前、滑り込むように馬たちがヒシケイジのスペースを塞ぐよう前に出る。

 

『飛び出しました、オルフェーヴルは良いスタートを切りました。さぁ生添賢治はどこに行く』

 

 進路は塞がれた――なら、前に進もうに進みようがない。

 だったら――どうする? 石破 志雄は冷静にインコースに付ける。

 

『おっと、ヒシケイジ、馬群に埋もれたか、ウインバリアシオンはより後方です』

 

 菊花賞だからか。

 違うな――俺達が、強いから、マークされているのか。

 

 いいぜ、俺は別に恨まない。

 

 これはレースだ――絶対に忘れちゃいけない。

 

 俺が、ヒシケイジが勝つたびに涙を呑む馬がいる。

 悔しさで眠れなくなるジョッキーがいる。

 己のふがいなさを嘆く調教師がいる。

 

 俺が栄光のスポットライトを浴びるとき、俺は絶対に誰かの悪者になる。

 

 だからこそ、ヒシケイジは、即座に思考を切り替え石破志雄の指示に従うことを決めた。

 

 邪魔が入ったって、問題ない。

 イメージの中で、何度もこういう展開が来ることを予想していた。

 

 いつか来る――それが今来た。

 朝日杯フューチュリティステークスでも、あったことだ。

 

『サンビームが逃げて、その直後に生添賢治とオルフェーヴルです』

 

 気づけば、前方の馬はもう坂を下っている。

 

『さぁまずは一周目の坂、まずはこの坂をどう落ち着いて下って行くか、これがレースの一つのポイントです』

 

 できれば前に出ていきたい。

 とはいえ、今すぐ、スペースが開くわけじゃない。

 

(なら、俺がすることは一つ。機を待ち、脚を貯める――それだけだ)

 

『前からサンビーム、それからダノンマックイン、ユニバーサルバンク』

 

 ヒシケイジは息整えて、前の馬の背に付ける。

 

『それからサダムパテック 現在四番手から五番手』

 

 プレッシャーをかけながら、機を見る。

 

 漫画でもよくある展開だ。

 主人公に邪魔が入って、一人不利な状況に追い込まれる。

 

『そしてその外側にハーバーコマンドとその直後にオルフェーヴル。生添賢治は手綱を引っ張っている』

 

 そんなピンチを覆して、相棒と先頭に躍り出る――褒められる。

 

 良いぞ最高だ。

 

 俺達でこの状況を覆して、この場所にいるみんなに一泡吹かせてやろうぜ。

 

『その外側から行っているのがロッカヴェラーノ、ウチにギュスターヴクライ』

 

「ケイジ……少しずつ、前に出るぞ」

 

 ヒシケイジが前向きに、馬群を見据えたタイミングで石破志雄が口を開く。

 

『その後ろからフェイトフルウォー、ベルシャザール』

 

 どうやら相棒も覚悟を決めたらしい。

 坂道の終わりが見え始めた。

 

 ヒシケイジは、ウチをロスなくロス無く回る。

 柵にぴったりとくっつくような姿勢は、まるで峠道のガードレールにこすりつけて走るような危険なドライブだ。

 

『後方からトーセンラー、ルイーザシアター』

 

 けれど、俺を――市販車と一緒にしてもらっちゃ困るぜ。

 俺に受け継いだ血統は、綾部オーナーが信じてくれたフランス産のスーパーカーだ。

 

『お~っとその後ろ、ヒシケイジ、ウインバリアシオンは最後方、石破 志雄と伏名 久一は最後方を選択か?』

 

 ヒシケイジは、歩幅の短いピッチ走法でコーナーを回る。

 外に膨れた二頭をすり抜けて、経済コースのまま、位置取り重視で前に出る。

 

『さぁ一周目のホームストレッチです 大歓声を一身に浴びてオルフェーヴルが、栗毛の馬体が三冠目指してひた走ります』

 

 最後方の馬がすっと離れる。

 いいぜ、お前はお前の道を往け、俺は俺の道を往く――

 

『ご覧の栗毛の馬体、それから白い流星、オルフェーヴルは中団よりやや後ろ、ここまで上手く行っている生添賢治』

 

 ホームストレッチを走る俺達に向けられる歓声は、半ば怒号すら混じっている。

 

「おいおい、ヒシケイジィ、いきなり遅れてんじゃん……」

「アイツ、後方から上がってこれるのかよ」

「いや~、オルフェーヴルはいつも通りでいいわ。やっぱikzeだわ……」

「いけるんじゃね? だって、ヒシケイジの末脚ヤバいのはいつもの事じゃん……おい見ろよ、上がっていってるぜ」

 

『葦毛の馬体、ヒシケイジは少し順位を上げているが、歓声と悲鳴が同時に上がっています!!』

 

 画面を見て、誰もが固唾を飲む。

 小さな少女は、テレビの前でぬいぐるみを抱きしめながら祈るように呟いた。

 

「ヒシケイジ、頑張れ……」

 

『さぁ菊薫るゴール板を通過して、これから一コーナーに入って行きます』

 

 ホームストレッチを走る彼らの後方で、ヒシケイジはごくごく余裕そうにレースを進めていた。

 

 俺はひたすら普段通りに脚を貯める。

 このターフの上で、焦ったやつから脚を使いすぎて負ける。

 

 抜くなら抜くでいい場面がある――最高タイミングで、俺は本気を出す。

 

 深呼吸をするように、今は機を見るんだ。

 思い出せ、宝塚記念。あんな風にロングスパートをやるんだ。

 

 徐々に加速しながら、好位置に戻る。

 そして、一気に脚を使う――なら、俺ならどこで本気を出す。

 

『先頭はサンビームです そして二番手にロッカヴェラーノ』

 

 ヒシケイジは内心で石破 志雄がしそうなことを考えながらコーナーを進む。

 十センチも間がないような隙間を縫って、俺と後ろのライバルが徐々に順位を上げていく。

 

『その後ろですがサダムパテックがいて、相変わらずオルフェーヴルは中団、馬群の中団辺り』

 

 一コーナーの最内を通るのは流石に肝が冷えた――

 

「芝田ですッ……ヒシケイジ、そのスペース怖くないのかっ……芝田ですッ」

 

 今さっき抜いた前の馬の騎手が、苦しそうな声を上げて俺達を見据える。

 

 石破 志雄の指示で進めていた競馬である。

 無理は承知だ、ここで日和るという選択肢はない。

 

『おっとヒシケイジ、徐々に位置取りを上げていっている。なんと既にオルフェーヴルのソトにいる』

 

 直後、コーナーから立ち上がる進路を利用し、俺は合図を受けてオルフェーヴルのソトに出る。

 

 状況は、良くなっている。

 生添ジョッキーは不気味なほどあっさりと俺たちを前に出すらしい。

  

『この状況でヒシケイジ、徐々に位置を上げるがペースは持つのか? 引き続き、伏名 久一は殿から後方一気を狙うのか』

 

 安心しろ。つまらないレースにはしない。

 

 俺のスタミナは、まだまだ全然切れそうにない。

 別に“本気”を出さなくていいのなら、このまま4,000mだって走り切ってやる。

 

『向こう流しに入ります、ロッカヴェラーノが仕掛けて先頭が変わる』

 

 ヒシケイジは外から、位置を更に、更に上げていく。

 

『サダムパテック二番手 内からサンビーム三番手』

 

 前で行われている先行争いに今のうちに追いついてやる。

 

『その外側にハーバーコマンド』

 

 なら――今だろ? 石破 志雄

 

――パァン!!

 

 ヒシケイジの尻に一発鞭が入った。

 直後に、ヒシケイジは経済重視の走行を辞めて、ぐっとトモに力を入れる。

 

 最後の直線まで脚を貯めながらいくんだ――ヒシケイジは大外から、徐々に順位を上げていく。

 

『おっと此処で、純白の馬体、ヒシケイジが駿足長阪の歩みは父の生き写しかッ』

 

『ギュスターヴクライ』 

 まずは一頭、白い帽子――!!

 

『ダノンマックイン』

 次はウチの、ピンクの帽子――!!

 

『ベルシャザール』

 次はソトにいる青い帽子――!!

 

『ユニバーサルバンク』

 黒い帽子を抜き去れば――!!

 

『ハーバーコマンドを抜き去り、高材疾足を見せつけ先行争いに加わった――』

 

 ついにヒシケイジは坂の上りの最中で、逃げる先行集団の争いへと乱入する。

 湧きあがる会場のボルテージと共に、ついにヒシケイジは持ちうる“全力”でのスパートをかけようとしていた。




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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