ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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連日の報告感謝しております。


2011秋、菊花賞(後:3/3)

 2011年、10月23日。

 菊花賞の大舞台でヒシケイジは一時遅れるも、第三コーナーの手前で先頭争いに加わっていた。

 

 慢心はない――目の前のロッカヴェラーノと、サダムパテックを抜く算段はもう着いている。

 

『さぁ、丁度栗毛の馬体です――』

 

 オルフェーヴル――来るんだろう。

 お前は脚を貯めて、きっとくる。

 

 だからこそ石破 志雄はこのタイミングで前に出て、俺の脚を本当に全部使おうとしている。

 

『デビュー戦から紡ぎ続けた太い絆、オルフェーヴルと生添賢治、互いを信じてこれから二度目の坂を迎えます!!』

 

――パァン、パァン、パァン、パァン!!

 

 加速しろ、まずは前に出る――

 キツイ坂の頂点をめがけて、俺は脚を回していく。

 

 一歩、一歩、芝を踏みつけるたびに肺が苦しくなる。

 有酸素運動の限界は確かにトモに、無視できない負荷がガッツリとかかって筋肉が疲労していくのを感じる。

 

 減速しながら坂を上るサラブレッドの中で、唯一減速せずに走っているのだから辛いのは当たり前だ。

 楽しい、でも苦しい――如何にレース楽しいからって――辛くて、苦しくないわけじゃない。 

 

『その後ろから、フェイトフルウォーがいる』

 

 けれど、ヒシケイジ、思い出せ――俺は今、何のために走っている?

 

 勝つためだ――勝つために、俺は全てを出しきるためにここにいる。

 

『インコース、ルイーザシアター、さらにトーセンラーは、なんとオルフェーヴルよりも後ろから競馬をしている』

 

 忘れるな、何時だって傍にいる。

 

 厩務員の土井さん、早山のおやっさん。綾部オーナー、雅秀社長――

 田辺さん、相棒……俺達を期待する皆がいる。

 

 だから、俺は、この状況でも“加速”する。

 

『さぁその後方からゴッドマスタング、ダノンミル、さらにはショウナンマイティ』

 

 ヒシケイジはギアを上げて、駆けて、駆けて、駆けた。

 坂の丁度頂点に差し掛かるタイミングで、ついにサダムパテックを外から抜き去り、前に出る。

 

「えええ!? 石破さぁん!? 後ろの後ろに沈んでたはずなのに――!!」

 

 前にいるもう一頭しかいない。

 

 ロッカヴェラーノ、悪いな。

 上り坂は終わりだ――

 辛さで頭がおかしくなりそうだったお陰で――

 もう何も考える余裕はない――ギアは、上がりに上がり切っている。

 

『後方から二頭目に相変わらずウインバリアシオン、シゲルリジチョウで――先頭、ヒシケイジ、抜け出している!!』

 

(行くぞ――俺が、“葦毛の豪駿”だ!!)

 

――パァン、パァン、パァン、パァン、パァン、パァン!!

 

 相棒である石破 志雄の鞭が響く中――ヒシケイジは、即座に飛ぶように加速した。

 宝塚で見せたよりも確かに早いと自覚できる俺のスパートに、石破 志雄が対応する。

 

 それにしても――凄い、遠心力だ。

 俺の体が、明らかに――外に“引きずられる”感覚があるが――

 

 耐えろ――耐えるんだ。相棒が体をウチ側に倒し、無理やりにでも俺を曲げる。

 

『まだ生添賢治とオルフェーヴルは動かない。先頭、ウチにヨレる白い馬体のヒシケイジ!!』

 

 相棒――相棒がこんなに頑張っているのに、俺が頑張らなくてどうするんだッ!?

 

 加速だ。

 脚を使え、駆け下れ。

 何も難しくない、今は、今この瞬間、俺が嵐になるように、ただ奔れ。

 

『二番手ロッカヴェラーノ、後方に下がる。サダムパテック、限界か――!?』

 

 直後、ヒシケイジは脳内に伝わるスパークに突き動かされるように、飛ぶようなストライドを加速しながら坂を駆け下りていく。

 来た――もう“本気”になれた思考が引き延ばされる。

 行け、もう一度コーナーを回れ、ホームストレッチへと進め。歓声と悲鳴がもう耳に届くようだ。

 

「おいっ、来たッ、来たぞヒシケイジ!! マジで上がってきた――」

「すげぇ……俺、泣けてくるって……頼む頼む頼むッ、ヒシケイジ、最後まで持ってくれ」

「あ、あ、オルフェーヴル、大丈夫だよな。ikzeさ~ん、オルフェーヴル~~~~!?」

「大丈夫だって、izkeも、来るって――見ろよ!!」

 

「あああああ~~~!! ギョロォ~~~!! おやっさぁん、ギョロが、ヨレてる、ヨレてますよッ!!」

「馬鹿が落ち着け――どっかで、石破 志雄でも抑えられなくなるタイミングが来ることくらい分かって、いた」

「ええ、土井さん。落ち着いてください。JRAの規定では“走行妨害は被害馬の競争能力の発揮に重大な影響を与えた場合と扱う”場合に降着と判断される……今回は両馬ともに順位は落ち込んでいる――まだ、石破くんの過料で済むはずです」

 

 声、声を浴びている――

 俺が、先頭まで上がってきたことを喜ぶ歓喜の声――

 俺と、オルフェーヴルの対決を待ちわびる熱狂の声――

 長くスパートを続けたことを心配する声――

 姿勢を崩したことに驚く声――

 

 大丈夫だ、大丈夫だから!!

 俺はまだ大丈夫だから、信じてくれ。

 

 そう思った瞬間――ヒシケイジは、背後から明らかに強いプレッシャーが一つ。

 自分を見据えていることに気づいた。

 

◆◇◆

 

「いこか、オルフェーヴル」

 

『生添賢治行ったぞ! 坂の下り!』

 

 誰が来たのかは――すぐに分かった。

 オルフェーヴルが来る、十分加速したはずの自分よりもさらに速いオルフェーヴルが――笑いながら来る。

 

『オルフェーヴルが行った! そしてその内側からハーバーコマンド、トーセンラー』

 

――パァン、パァン、パァン、パァン!!

 

 最終直線が、迫る。

 加速、そうしたら加速――!!

 

 もう一度全力で前に出る!!

 

『そして外側からはショウナンマイティも差を詰めている』

 

 オルフェーヴル、来い、来い――来いッ

 いや、来るな、来るな――来ないでくれ……!!

 

『さぁ第四コーナーからまもなく直線!! 三冠へ続く最後の直線!』

 

 ヒシケイジは、もう後ろのことを考える余裕なんてなかった。

 恐ろしい――自分の後ろから迫る、あの馬が怖い――負けるのは、やっぱり怖い。 

 

 おかしい、こっちは本当に“本気”で走っているのに――なんでアイツは追いつけるんだ?

 

 分かってる。分かりたくないけど、分かってしまう。

 ダービーの俺、宝塚のブエナビスタとエイシンフラッシュに出来ることが、アイツに出来ないはずがない。

 アイツも“本気”を出している。俺と同じ領域で、俺と同じようにすべてを出し切っている!!

 

『ヒシケイジ、逃げるが苦しいか、オルフェーヴル堂々、真ん中!!』

 

 俺を追うことに、“本気”になって出し切ってるのか。

 だったら、俺は勝てるのか。俺が“本気”でなければ、勝てない相手に――!!

 

『最後の直線、大歓声!!』

 

 ヒシケイジの脳裏に、敗北の二文字が浮かぶ。 

 

 声が聞こえる。

 オルフェーヴルの激走を望む声だ。 

 

「ケイジ、ヨレるな、落ち着け――!!」

 

 だが、直後――聞こえてきたのは、相棒の声だ。

 

『ダービーの再現か!?、オルフェーヴルが先頭に立った!!』

 

 意識が現実に引き戻された瞬間――!!

 俺のウチから抜け出てきたのは、栗毛の馬体、オルフェーヴルの姿であった。

 

『二番手ヒシケイジ! さらには三番手、ウインバリアシオン!』

 

――パァン!!

 

(嫌だ、嫌だ、嫌だ――二度目は嫌だ!!)

 

 ヒシケイジは直後、石破 志雄の鞭のことなど忘れるくらいに蹄鉄を芝で踏みつけていた。

 

『ヒシケイジ、オルフェーヴルに食い下がるッ』

 

――パァン!!

 

 追え、追え、追うんだ。今日追わなきゃ何時追いつくんだ――?

 オルフェーヴル、だって苦しいはずだ。

 

――パァン!!

 

 全力を出せ。

 前に抜けるルートを考えろ。

 

――パァン!!

 

 一歩、一歩、走行フォームを崩すな。

 忘れるな、誰のために走ってる。

 

――パァン!!

 

 土井さん、おやっさん、門田さん、オーナー、社長、相棒、ファンの皆。

 俺――、誰よりも俺のために、俺が走らなくてどうする――どうする!!

 

『オルフェーヴル!! 金色の馬体が弾んでいるッ!!金色の馬体が弾んでいる!! 』

 

――パァン!!

 

『オルフェーヴル先頭!! 唯一追いすがるのはヒシケイジ!!』

 

 一歩、一歩、一歩ずつ駆け抜けるたびに、栗毛の体に近づいていく。

 ウチを進むオルフェーヴルの胴を、クビ、ハナ――行けるぞ、追いつけるんだ。

 

――パァン!!

 

 俺は行ける、俺はまだいけるぞ。 

 

「すまん、ケイジッ――」  

 

 だから、石破 志雄、謝るな。

 やめてくれよ――俺は、勝った、勝ったんだぞ。

 

『ヒシケイジ、もつれるような姿勢!!』

 

 ヒシケイジはゴール板を踏み抜いた。

 

 直後――オルフェーヴルが、みるみる外側を駆け抜けていくなか、ヒシケイジは限界を超えた。

 会場が怒号と悲鳴でどよめく中で、ヒシケイジは体に強い痛みを感じながら、その場に急停止していた。

 

 動けない。一歩も動かない。

 俺は何かにぶつかったのか、鞍上で姿勢を崩した石破 志雄の気配だけがその場所にあった。

 

『僅かに、僅かにヒシケイジか? 審議!! 審議の青いランプが点灯しました!!』

 

 何が起きたのか、分からない。

  

 勝った、勝ったよな?

 俺の方が、先にゴール板を踏み抜いて、確かに勝ったはずなのに――

 ヒシケイジは混乱する思考の中で、自らに巻き起こった状況を反芻しながら意識を失った。

 

『三着は、ウインバリアシオン――四着はトーセンラー、五着はギュスターヴクライ……』

 

『ハロン棒にぶつかって崩れたヒシケイジ、倒れ込みます。会場は騒然――』

 

『オルフェーヴルも……あーっとっとっと、デビュー戦と同じように――生添ジョッキーを振り落としました』




誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。
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