ヒシケイジさえ居なければ   作:ハシダ シュンスケ

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誤脱報告、感想ありがとうございます。
ちょっとネガい展開なので、ひと段落するまで書いた関係で長めです。


2011秋、菊花賞(エピローグ:1/2)

「え……?」

 

 少女が見ていたテレビのフレームの中で、ヒシケイジが崩れ落ちた。

 

 オルフェーヴルに抜かれたヒシケイジが、速度を上げ抜き返す。

 だが、その後、一気に速度を落とし、柵に体を擦りつけながらハロン棒にぶつかり停止したのだ。

 

 石破 志雄は投げ出され、ヒシケイジは動かない。

 この光景にお茶の間どころか、日本全国が騒然となった。

 

「はい……どうなった? ヒシケイジ、死んだか?」

「てか、俺、目、瞑ってたから、わかんね……」

「オルフェーヴル、負けたと思ったのに、青ランプついてるし……俺の馬券、もうぐちゃぐちゃよ」

「いやいや、ヒシケイジはほとんどオルフェーヴルに体当てに行ってたじゃん。あの勝ち方は審議だから審議」

 

 会場はどよめきに包まれていた。

 レースを終えた馬達を称える声はなく――

 

 殆どの観客は審議の事実と、ヒシケイジに巻き起こった悲劇に騒めくだけだった。

 

「ギョロ……!? 石破ジョッキ~~!?」

「行くぞ、馬鹿!!」

「ええ、おやっさん、土井さん。僕はオーナーの方に、通話はつないだままで!!」

 

 早山厩舎のスタッフが、即座に動き出す。

 勿論、自らターフに入っていくわけではない。

 

 運び出された後、ヒシケイジの対応を迅速に行うため――

 早山と土井は京都競馬場への競走馬診療所へ、門田は馬主席へと走った。

 

「うひぃ……」

「オルフェーヴル、お前……折角心が通じたと思った矢先に、ボクを振り落としてからに……そんなにヒシケイジが心配なんか……大丈夫やで、ヒシケイジ、息はしとる。ほら、みなさん。マル、マル、生きてますよ。ほら、スタッフの邪魔になるからオルフェーヴルもいこ……石破くんも、体は無事や。運のいいヤツやで……」

 

『オルフェーヴル、倒れたヒシケイジに寄り添っています……生添騎手、頭の上で丸のサインを作って――これは、ヒシケイジは無事というサインでしょうか。ああ、今、馬運車が会場に入り、ヒシケイジを場内の競走馬診療所へと運びます。また、現在審議のランプが点灯しております。皆様、お手持ちの勝馬投票券は確定までお捨てにならないようお願い致します』

 

「ヒシケイジ……ヒシケイジ……」

「親父、しっかりしてくれ」

「綾部オーナー、雅秀社長……大丈夫ですか」

 

 馬主席に門田が、たどり着いたときそこには、意気消沈する綾部 雅一郎オーナーと雅秀社長の姿があった。

 

「門田くんか、父は……ヒシケイジは……」

「分かっています、スタッフに伝えて救急車を呼んであります。ヒシケイジ号には早山先生と土井さんが付いています。レースの結果は残念なものになりましたが――」

「ああ、私も悔しいが、父が受けたショック以上ではない。安心してほしい……」

 

『お待たせ致しました。京都競馬第11レースの審議についてお知らせ致します』

 

 会場にいた人間はその時点で――

 オルフェーヴルが史上七頭目の三冠を得たことを知った。

 

『一位に入線した三番ヒシケイジ号は最後の直線コースで急に内側に斜行し、十四番オルフェーヴル号の走行を妨害した為、第2着に降着とし、着順を変更の上確定します。従って三着までの着順は、一着十四番、二着三番、三着十三番となります』

 

「ムホホ、ヒシケイジ、いいレースだった。父のヒシミラクルと親子優勝、取れなかったのは残念だ」

『ヒシケイジ、タヒんだか!?』

『今のところ、大丈夫の模様。ikze、謎のマル』

 

『タイムは3分0秒9、上がり三ハロンは33.8秒。これは文句なしに京都競馬場、場芝外回り3000m三歳以上のコースレコードでありました』

 

 会場に巻き起こった勝利を喜ぶ声は決して多くはなかった。

 けれど、再びターフに生添騎手と生枝調教師が上がった時――今までの鬱憤を晴らすように拍手と歓声が巻き起こった。

 

(イケゾエ!! イケゾエ!! イケゾエ!! イケゾエ!!)

 

◆◇◆

 

 夢だ。

 ヒシケイジは夢を見ていた。

 

 ふわふわと、体が漂うな感覚の中、遠くに入道雲が見えるどこまでも続くターフの上を走っている。

 幸せな、幸せな時間だ……このまま、駆け抜ければ、きっと何処かへは行けるのだろうか――

 

 そう思った直後、ヒシケイジは脚を止めた。

 いや、俺は、まだ何も成し遂げていないならば。このまま、何処かへと行くことは出来ない。

 

 俺はまだ、自らの生きた意味を何一つ見出してはいない。

 

 オルフェーヴル、何度だって俺が戦うべき相手はいる。

 石破志雄、ともに走るべき相棒が居る。

 

「ヒシケイジ、そうですよ。まだあなたは『自らの生きた意味を定める』には早すぎます」

 

 だから――と、ヒシケイジが覚悟を定めた時――ヒシケイジの頭上には天を埋め尽くすほど巨大な馬の頭の仏様が此方を見つめていて、自らの走るターフはその掌の上であることに気づいた。

 

「あと、G1を四勝するまでは、頑張りましょうね」

「えっ、四勝……は、厳しくないですか……」

「四の五の言わずに、頑張りなさい。努力の方向性は、間違っていないのですから――」

 

 直後、ヒシケイジが意識を取り戻したのは、見知らぬ診療室の中であった。

 胸のあたりがずきずきと痛むが、無事だ。

 

 俺は、生きている。

 

「ヒシケイジ号、起きました……」

「ヒシケイジは……どうでしょうか」

「極度の疲労と、打撲ですね……骨や呼吸器に異常はありません。奇跡ですよ」

「よかったぁあああぁ~~~~!! ギョロぉ、頑張り過ぎだよぉ」

 

 土井さんの声が耳に響く中、ヒシケイジはそっと京都競馬場を後にした。

 マスコミが寄ってくる前に馬運車に乗り、栗東トレーニングセンターへと運ばれた。

 

 動かなければ、既に痛みはない。

 

 丁度力尽きたところで、急減速しながらハロン棒にぶつかったのが幸いしたらしい。

 体の筋肉が完全に脱力していたおかげで、衝撃がうまく逃げてくれたようだ。

 

 だが聞いた話によると、石破 志雄は俺以上に大変な状況だったらしい。

 

「大丈夫かな、相棒――」

 

 心配するヒシケイジを余所に――

 

 馬運車から聞こえてくるニュースからは、新たな三冠馬。

 新たに競馬ブームをけん引するヒーローであるオルフェーヴルを称える声が響き続けていた。

 

◆◇◆

 

 騎手:石破 志雄

 制裁:三コーナー手前で内側に斜行、最後の直線コースで斜行したことについて過怠金100000円、四日間の騎乗停止。

 

 加害馬:三番

 被害馬:十番、十四番

 

 短評:三番手前でウチに入ろうとした際に、十番ロッカヴェラーノの進路を軽くカット。直線右手前も左ムチも軽くふらふら、残り200辺りにソトに膨れ十四番オルフェーヴルの進路をカット。その後、右ムチを入れながらも併せに行く動きのまま十四番をラチ際に追いやった。

 主因が馬の癖によるものと判明し、騎手自身可能な限りヒシケイジを扶助していたものの、結果としては重大な過失と取られても仕方がない内容であることを加味し、降着および四日間の騎乗停止は妥当な処分であると考えられる。

 

 数日後、検査入院を終えた石破 志雄は、朝早くに京都市内の病院から一人とぼとぼと退院した。

 

「空、青いなぁ……」

 

 石破 志雄はすぐに視線を落とす。

 一瞬だけ、空を見上げると秋晴れの空が随分まぶしく見えた。

 

 嫁が一度だけ訪ねて来てくれたが、すぐに帰った。

 早山厩舎の皆は、綾部オーナーを除けば皆一度は来てくれた。

 

 雅秀社長に至っては、俺に課された過怠金を立て替える旨すら伝えてくれた。

 申し訳なさそうにしていたが、アレが、手切れ金と言われても仕方ない騎乗内容ではあった。

 

 ヒシケイジ、土井さんの話では、もう栗東トレセンでピンピンしているらしい。

 なら、相棒に謝りに行くか、いや、こんな顔で会いに行ってもな――

 

「帰るか……」

「カぁ~~~、石破 志雄!! なんや、その景気悪い顔はァ!!」

「いやいや、無事であったことを、まずは喜ぼうよ~」

 

 え――

 

 石破 志雄が、聞いたのは三枚目と二枚目の中間のような、お調子者な先輩と、柔和でありながら貫禄を感じさせるもう一人の関西出身の名ジョッキーの声であった。

 振り向けばそこには、普段着のまま笑う二人の姿があった。

 

「生添騎手と……タケさん?」

「ナハハ、そこは……タケさんを前にせんかい!!」

「でも、俺を前にしたら次は『なんで、ボクを先に呼ばないんだ』って、怒るじゃない」

 

 仲いいなぁ、と石破 志雄は思った。

 普段から、省エネで生きてきた自分にはちょっと熱量が高い二人だ。

 

「何しに来たんですか」

 

 俺は、美浦に帰るんだ。

 

「何しに来たたぁ――当ォ然、石破クン、クラシック重賞全部二着おめでとう記念祝賀会よ!!」

 

 は? 何言ってるのこの人。

 

「ウソだよ~、落ち込んだ石破くんを励まそうってだけだから、安心してよ」

 

 ええ……

 

「そんなこと、ありませんよ? ボクは心から彼の全部二着を称えたいだけですが?」

「またまたぁ、一人じゃ当て付けに見えるからって――昨日の晩、俺を呼びつけたのは生添くんじゃない」

「ありがとうございます、でも……」

 

 俺は、そんな褒められたことはしていないから。

 

「でもって何や!! 別にええやんか、ボクは寧ろ誇らしいわ!! お前、めっちゃ――めっちゃ凄いやん!!」

 

 ていうか、何言ってるんだこの人は。

 

「勿論、ヒシケイジは凄い馬やよ? けど、すっごい癖馬なのは、ボクもタケさんも知ってますわ!!」

 

 道の往来で、こんなに顔真っ赤にして説教できる人は初めて見た。

 

「ボク――夏からな、めっちゃ頑張ってん!!」

 

 そりゃ、頑張ってないジョッキーなんて、いないでしょうよ。

 俺だって、頑張って、頑張って――

 

「石破くんとヒシケイジに勝つために、こんなに――頑張って、三冠とろうって気持ち以上に、お前に勝とうって頑張ってたんよ!!」

「それは、その、光栄です」

「そうやろ、でもなぁ!! 結局、石破くんには一杯食わされましたわ!!

 

 でも、俺は――結局、ヒシケイジを抑えられなかった。

 最後、あんな走りでしかヒシケイジを前に出してやれなかった。

 

「自分を追い詰められた相手が、凹んでしょぼくれとったら、降着とはいえ、勝った実感なんて湧かへんわ――」

 

 気づけば、石破 志雄は道の往来でボロボロと、涙をこぼしていた。

 後悔、悲嘆、それ以上に悔しい――俺はヒシケイジを勝たせきれなかったことが、悔しかった。

 

 我慢しても声が漏れる俺に、生添ジョッキーが肩を叩く。

 

「や、やめぇや……石破くん。大の大人が往来で泣くなよ。ぼ、ボク、言い過ぎました……?」

「いやぁ、そんなことない。泣いていいよ。石破くん……悔しいなぁ、悔しいだろう。本気で悔しがれるのは、その時できる限界に挑んだからこそ、本気でやったからこそ、悔しいんだ。そうだろう――?」

 

 俺は、ぐしゃぐしゃの顔をハンカチで隠しながらも首肯する。

 

「ウフフ、石破くん、壁に当たって、結果が伴わなくて――悔しくて、辛くて、泣いてしまってもいいんだ――それでもね、競馬に真剣に向き合って、悔しいからこそ、失敗しても腐らず、また前を向こうじゃないか。そうさ、ここからが始まりなんだ。そのためには、何度挫けて、泣いたっていい。けれど、泣いた後は――自分を信じてくれた厩舎や関係者、レースを開催してくれるスタッフ、僕らを見て夢を託してくれるファンの皆!! 何より俺たちと一緒に、心を共に走ってくれた競走馬たちに――正しく向き合って、俺達から出来ることを頑張り続けようじゃないか!! そうだろう――?」

 

 涙で歪む視界の前で、タケさんが両手を掲げ物凄い笑顔を浮かべ、生添さんが瞳を伏せて頷く。

 

 一緒か――そうか、俺と同じか――なら

 

「おれ、もっど……がんばりまず……づぎは、まげない!!」

 

「ナハハハハ!! そうや、G1で、またやろうな!! まま、俺とオルフェーヴルがいる限り次も勝たせてもらいますけどね!!」

「いや~、いいな~青春だぁ!! それで、どうするの? 今日はどこいくの?」

「そら石破くん、二着やし――もう、ラーメンでええでしょう!! まだ予定もありそうやしな」

「じゃあ~、俺が知ってる地元のいいラーメン屋、連れていってあげるねっ。いいもの見れたし、今日俺の奢りだよ!!」

 

 ああ、この人たち――

 なんていうか――なんていうか、なぁ……

 

 まぁ、いいか、と。

 

 石破志雄は、ハンカチで涙を拭い鼻をかんだ。

 その日、開店前から並んだラーメン屋は、決して高い店じゃなかったが、本当に美味い店だった。

 

(栗東に行こう、ケイジには――伝えなきゃいけないことがある)




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