2011年、まだ10月頃。
菊花賞を降着という結果で終えたヒシケイジは、栗東トレーニングセンターの自分の馬房で寝転んで腐っていた。
「ぶふ~~~っ」
「ギョロ……そりゃ凹むよなぁ……」
土井さんも、なんだか俺を察して見守りモードになっている。
そりゃ俺だって、仏様に励まされておいて凹んでいる場合じゃないことは分かっている。
勿論、見た目ほど、腐っているわけじゃない。
こうやって、寝転んでいるのだって今は休むべき時だから休んでいるだけだ。
菊花賞でみんなの期待に応えきれなかったのだって、降着したのだって納得はしている。
勝負は時の運だ。
俺が最初後方に沈んだのも、最後本気を出し切ってヨレてしまったのも――納得しているんだ。
毎レース、上手くいくわけじゃないことくらい自分でも分かっている。
それでも、すべてを出し切って届かなかった事実はやっぱり悔しい。
俺は結局どうやっても、オルフェーヴルには届かなかったのだろう。
ラジオから流れてくる賞賛の声も、気づけば七頭目の三冠馬であるオルフェーヴル一色になっていた。
勿論、全国から俺を心配する人たちの声は届いている。
だからこそ、結果を出せない自分が悔しい。
頑張っても、結果が出ないというなら、頑張る意味は何処にあるのだろうか――
「ブフ……」
「ギョロ……やっぱ負けたって、分かってるんだな……」
「ま、ケイジですから、そのくらいは」
相変わらず、くよくよとしているヒシケイジを励ます方法が分からず、土井もまた迷っていたとき――
二人の前に現れのは、石破志雄であった。
もう驚愕はない。
だが、ヒシケイジが見上げた石破志雄は頬に絆創膏を張っていた。
俺があんな走りをしなければ、相棒が怪我することもなかったのに――
「ありがとう、ケイジ」
それでも、相棒が俺に最初に投げかけたのは謝罪と感謝の言葉に併せた一礼だった。
「石破ジョッキー……」
「土井さんたちには、すみません。今回の敗因は俺の実力不足です。早山先生には後で謝ります」
「別に、俺達に謝ることなんか……」
土井さんが、石破 志雄の言葉を遮る。
そうだ、謝ることなんかない――悪いのは……
「そうだ、石破。謝ることなんかねぇ、悪いのは俺達さ……」
「おやっさん……」
「斜行のリスクを取ってでも、ヒシケイジが中距離のレースに勝つための調教をしたのは俺達だ」
俺だ――と、声にならない声で応えそうになったヒシケイジの目の前で、早山のおやっさんが現れる。
石破志雄の言葉に応えるように、現れた早山のおやっさんは、罰が悪そうにキャップで目線を隠した。
「早山先生も、謝らないでください。綾部オーナーも、早山先生も、厩舎のみんなも間違ってなんてない――でも、だからこそ、俺はヒシケイジにはもう謝りたくないんです」
おいおい、どういうことだ――何を言いたいのかわからないぜ。
石破志雄の言葉に、俺はそっと頭を上げる。
ゆっくりと立ち上がり、石破志雄の元による。
「ケイジ――」
なんだよ。
層応えそうになったヒシケイジの前にいた石破 志雄は思った以上にボロボロだった。
こいつ、本来なら入院してなきゃいけないところを――無理して駆けつけてきたのか。
「負けちまったけど、お前の菊花賞の走り、凄かったぜ」
褒めるなよ。
負けたのは、俺だ。
負ける原因を作ったのは俺だ。
結局は、俺が競走馬として上手く走れないのが悪かったのに――
「俺、最初に進路を塞がれたとき――頭が真っ白になっちまった」
そういえば、そんなこともあったな。
俺は、正直忘れてた。
「でも、お前がさ。冷静に脚を貯めてるのを見て、俺も冷静に戻れたんだ」
なんだよ。
石破 志雄、レースを教えるとか言って……情けないなぁ。
「それからは、楽しかったな。前の馬、全部抜いてさ――全然余裕だったよな」
そんなことないぜ、最後の昇り坂は、もう死ぬかと思ったんだ。
俺は本当に限界になって――限界だったんだ。
「坂下って、ケイジ。お前は本当にかっこよかった。あの走りは良い走りだった――ただ、俺がただ限界になっちまっただけなんだ」
なんだよ。
石破 志雄、お前もいっしょかよ。
「俺も勝とうって、思っちまった」
やっぱりお前は俺と一緒か――
「俺はまだまだ、二流のジョッキーだ」
俺だってそうだ。まだ、上がある。
「オルフェーヴルに寄せたくなきゃ、左鞭だけじゃなくて俺も体を使うとか――やりようはあった!! でも、お前に本気で走らせてしまった。お前が本気で勝ちたいって気持ちを感じてしまった――いや、俺の勝ちたいって気持ちが伝わり過ぎちまった……!! だから、最後あんなに頑張ったんだよな――!!」
そうだ、そうだよ。
石破志雄――やっぱりお前は俺の相棒だった。
石破志雄の言葉に、土井さんはもう顔面はめちゃくちゃだった。
早山のおやっさんも、変わらずうつむいているが、明らかに感極まっている様子だった。
「だから」
そういって、石破志雄は早山のおやっさんの方を向き直ってすっと膝をついた。
ヒシケイジは、生まれて初めて男が、本気で土下座をする姿を見た。
「お願いします!! クラシック戦線、一度も勝てなかった俺ですが、またヒシケイジに乗せてください!!」
俺は、気づけば石破志雄と同じように頭を下げていた。
お願いだ、俺に、俺達に、まだチャンスをください。
「馬鹿が……」
早山のおやっさんが口を開く。
「ここで、足止めたらよ。それこそ、石破 志雄、お前をぶん殴るとこだったぜ――誰に言われたか分からねぇがな。どんなデカいミスしたってよ。まだ立ち上がれるなら、へこたれても、諦めずに、泥臭く、前向いて、出来ることからコツコツやらなきゃ、失敗が本当の失敗になっちまう……それに、どんなデカい壁に当たっても、頑張り続けるから、ステイヤーがマイルの朝日杯で勝ったり、三歳馬が宝塚みたいな勝つなんて奇跡が起きるんだ、そうだよな!!」
「おやっさぁん……」
俺が見ている前で、石破志雄が土下座を続ける中、涙目で駆け寄った土井さんを早山のおやっさんがぶん殴った。
そのまま、土井さんは後方に3mほど吹き飛び、地面を転がって厩舎の壁にぶつかって止まった。
「恥ずかしいんだよ。馬鹿野郎め!! 大丈夫だ。ファンの連中も――二度、三度負けたくらいでお前ら見限るほど、ヤワな連中じゃねぇよ。それにどうせ、ヒシケイジはお前しか乗れねぇんだ。安心しろッ!!」
「早山先生……」
「うおおおおおおお、ギョロぉ、石破ジョッキー、よかったなぁ……!!」
しぶとく立ち上がった土井さんが、石破志雄を抱き起す。
此方を一瞥もしなかった石橋 志雄が深く深く、早山のおやっさんにお辞儀をした。
「ありがとうございますッ!!」
その一言は、今の俺の本心を代わりに、早山先生に伝えてくれるように感じた。
「へっ……」
手間を取らせやがって――とでも言いたげな早山先生が降りむき、煙草を手に取る。
そのとき――彼の携帯に着信があった。
「安心しろ、綾部オーナーからの大岡裁きの時間だ。受けてくる」
そういって早山のおやっさんは厩舎から出て行った。
残されたのは、俺と相棒と土井さんだけだった。
「頼む、頼む~~~~~~~いい連絡であってくれ……」
土井さんが、手を合わせ念仏でも唱えるかのように声を上げる。
ヒシケイジは、気づけば――まるで生まれ変わったかのような立ち振る舞いをする相棒を見ていた。
石破 志雄が、纏っていた気迫はもう、一昨日までの彼ではなかった。
士別れて三日ならば、即ち当に刮目して相待つべし。
まるで覚醒パートに入ったであろう、石破 志雄がそこに居た。
少年漫画の言葉を借りるなら、敗北は人を強くするという。
俺は、果たして――この敗北で、クラシックでの苦闘を経てどれだけ成長することが出来たのだろうか。
「馬鹿どもが雁首揃えて、何やってやがる」
そうヒシケイジが、考えて約五分ほどたったころ、早山のおやっさんが戻ってきた。
「お、おやっさん……これは、今後を心配して――」
「有馬だ」
有馬記念――
あの日、2008年、あの日、田辺牧場のラジオで聞いたレースか。
「有馬記念っすか……確かに距離的にはもんだいないですけども!?」
「冬のグランプリに出る。引き続き、勝てるかじゃない出て、日本に夢を与えろとのこった。それと――石破志雄」
「はい」
「オーナーも社長も、お前以外にいないと言っている。行けるな?」
「はい!!」
再び、俺の心と石破 志雄の声が重なる。
そうなったら、もうするべきことは決まっていた。
たくさん飼い葉を食べて、体を休めるんだ。
事はそう単純ではなかったが、俺はもう、さっきまでの俺ではなかった。
誤字脱字、感想お待ちしております。
次走は有馬記念になります。