明日から、パドックです。
2011年11月。
ヒシケイジの有馬記念参戦は大々的に報じられた。
同じくオルフェーヴルが有馬記念に参戦が報じられたタイミングということも相まり、世間は本格的に第三次競馬ブームとも呼べる熱狂へと突入しつつあった。
日本競馬の至宝と呼ばれたディープインパクトの子が着々と結果を残す中、次世代の看板として現れたオルフェーヴルとヒシケイジの血に連なる名駿たちの過去のレースがテレビやネットで特集されるようになり、過去の熱狂と未来の期待を薪にして、競馬ファンは彼らクラシック世代が参戦していないレースに対しても目線を向けるようになっていく。
秋の天皇賞、来場者数、13万人。
ジャパンカップ、来場者数、15万人。
人々の熱狂が形になったところを見て、JRAは有馬記念を「被災地支援競走」に定めることを決めた。
これは一部の馬主と提言と、JRAの世間に対する体裁によって成立した試みであった。
この年、2011年12月25日に開催される競争の入場料と「WIN5」の売り上げが義援金として納められることが明らかになるころには、人々からの競馬のイメージもまた、社会貢献活動であると見直されるようになっていく。
かくして、普段通りの日常を過ごす競走馬達の背後で人々の思惑が徐々に形になる中、当のヒシケイジは相も変わらず普段通りの日常を過ごしていた。
短期放牧の地として選ばれた信楽ノーザンファームに新たに作られた温水プール施設で軽く汗を流して、調教助手の門田を背に乗せて、新造されたウッドチップの周回コースでのキャンターにいそしむ。
「ヒシケイジ、いいぞ。走りのイメージが戻ってきた」
あの日、俺が菊花賞の最後でハロン棒にぶつかって負った傷は精々打撲とも呼べるレベルであった。
だが、それまでのレース運びで限界を超えた影響が大分、脚の方に出ていたらしい。
しっかりとした休養のあと、また普段のペースに戻すのに半月。
11月も終わりという段階でやっとまた、週四のハードワークに戻ることが出来ていた。
「これなら、最終追い切りも期待できるね。早山のおやっさん、どうですか」
「おう。綾部オーナーの道楽のお陰で、大分戻ってきたな。体に関してはもう本調子だが――」
早山のおやっさんは、ほっとした様子で馬場を見たのち、隣に立っている男を一瞥した。
「そうですか。世間に持ち上げられたライバル同士、張り合いがありますね」
「お前さんとこに塩送って、勝てるかは分からんな」
「うひひひひひ……」
少し芝居がかった口調の生枝調教師が、挑戦的な態度で答える。
ちょっと鼻にかかるような仕草だが――彼も俺の復活は張り合いが有って嬉しいのだろう。
それは、俺の隣にいるオルフェーヴルも同じようだ。
今日も鞍上に座るのは生添騎手。
このメンバーだと、この人、ホント大人しいな。
相も変わらず信楽ノーザンファームにいるときは、オルフェーヴルが構いに構いまくってくるのだが、最近は調教中もついてくるようになってしまった。
普通、競走馬は必要なく走ろうとする生き物ではない。
言ってしまえば、俺がおかしいのだが――俺のおかしさは一部の馬に伝播することも事実だ。
生枝調教師サイドとしては、結構当然オルフェーヴルがやる気を出すというなら、調教をやらない理由にはならない。
軽い運動程度であれば、問題ないと判断したのだろう。
生枝厩舎は俺が週に四度のペースで俺が他の馬の200%の調教をする裏で、オルフェーヴルのウォームアップを併せて必要であれば150%ほどのペースで調教を行う。
早山のおやっさんがブツクサと小言を言うのも仕方ない。
俺が今、中央競馬で活躍している理由の七割は日々の努力の積み重ねによるものだ。
残り三割の血統の方面で、黄金配合と呼ばれ、明らかに「正解」とバレたオルフェーヴルの努力が増えたらどうなるか。
「考えたくもねぇが、有馬記念は本気で行くんだろう?」
「ええ、ブエナビスタ号が人気投票のアタマ、周知の事実ですがね――ヒシケイジは、ブエナビスタに既に勝っているわけですが、ウチはこの有馬記念敗けたら、アレに勝ち逃げされたと一生言われ続けるんですよ。それって、癪じゃないですか?」
そう語る生枝調教師の目は燃えていた。
今年の有馬記念で、一番強いところを見せようって姿勢は正直、俺も共感できる。
少年漫画的にも、一番のライバルが頑張ろうって時に支えられるのが主人公だ。
勿論、俺だって負けてはいられない。
オルフェーヴルと一緒に走って――俺もオルフェーヴルの強さを盗んでやる。
「ハハハ、確かに――おやっさん。これはもう折れましょう。ウチはウチで出来ることをするしかありません」
「そうかよ。じゃあ、追い切り一本ずつ行くか」
鞍上の門田さんが、早山のおやっさんを宥めて今日の調教が始まった。
新しく作られた信楽ノーザンファームのウッドチップコースは一八〇〇mの周回コースだ。
綾部オーナーの手によって、俺のために作られたと噂される周回コースは、度の有る坂がいくつも設けられた栗東トレーニングセンター顔負けの設備であり、栗東の馬をパワーアップさせ世界に通用させるという願いが込められているらしい。
それなら、やるっきゃないよな――
俺は有馬記念、全力で勝ちに行く。
「うひひひひひ!!」
「ナハハ、オルフェーヴル、調子いいで!!」
一本目、まずは俺が逃げて、オルフェーヴルが追ってくる。
ウッドチップコース中を駆け抜ける背後に、恐怖が迫ってくる。
怖い――コイツの威圧感は何時だって怖い。
オルフェーヴル、なぜおまえは速い。
コイツと、俺の差は何処にある。
こんなに努力を積み重ねても、オルフェーヴルとの差が縮まっているようには思えない。
それでも俺は約束した。
石破 志雄が言ったんだ。
ここで諦めたら、積み重ねた敗北は本当の失敗になってしまう。
俺がアイツを否定しないためにも――
「くっ、ヒシケイジ……二周目もある。クールダウンだ」
ヒシケイジは門田の言葉で自分が、入れ込んでいることを思いだした直後――
オルフェーヴルが、すっと華麗にソトから飛び出していく。
「早山先生。ヒシケイジ、負けん気が出ていますね」
「アイツ、ラジオを聞くんだよ」
「ああ、知っていますよ。信楽ノーザンファームでは有名ですね」
「オルフェーヴルの名前が増えただろ。張り合ってるのかもしれん」
一八〇〇m、思った以上にやる気が出ていたらしい。
そのまま、一周、軽く流してオルフェーヴルと一緒に早山のおやっさん達の所に戻ってくる。
「門田、お前らしくもねぇ……」
「すみません、おやっさん。前の負けが効いていますね」
「ふふ、去年のオルフェーヴルを見ているようですね」
見事にドヤされた俺と門田さんを見て、生枝調教師が笑う。
去年のオルフェーヴル、そうだ。去年、オルフェーヴルが朝日杯に出れなくなったんだっけ。
「ナハハ……あの頃から、イイデタイガーの分まで頑張ろうってな。オルフェーヴルにも伝わってましたからな」
「うひぃ~~~~」
すこし、しんみりとした様子で生添騎手が口を開く。
でもそんなことより――俺は、オルフェーヴルが【イイデタイガぁ……さみしいなぁ……】なんて――
少し悲しそうな声と共に、どこか遠くを見つめたことに驚いた。
コイツも、努力しているんだ。
自分じゃない誰かのために、いや、コイツほど今、誰かと夢を背負ってる馬がいるのだろうか。
(相棒、俺も寂しいぜ――)
「門田、そろそろ時間だ。交代するぞ」
「おや、早山調教師。ヒシケイジに乗れるジョッキーを見つけてきたのですか?」
「ナハハ、おやっさん。そらいったいどこの外国人ジョッキーですか? このヒシケイジ号に乗れる奴なんざ、国内に四五人いるかどうかでっせ――?」
「いや、俺ですけど」
その言葉と共に――俺の目の前に、一人の男が現れた。
いつも通りのジャンパーに顔だけは良いコイツの名前を俺が忘れるわけがない。
「い、石破 志雄やんけ」
「生添さん。この前の約束、覚えてます?」
「寿司か!? そうか!? そうやそうや!! 明日やったな!! おぼえてるよ!!」
なんだよ。
石破 志雄――面白いことになってきたじゃないか。
「そうだ。関西に用事が有るってんで、今日の調教に合わせてきてもらった」
「ええ、いいですね。後半、今度は――ヒシケイジが追う番ですか?」
「おやっさん。ウチが逃げでいいですか」
「石破、お前がそういうなら、頼めるか?」
生枝調教師は笑顔で首肯する。
こうして、俺とオルフェーヴルの、秘密の対決が始まったのだが――
「ブヒ?」
その後、何事もなく調教はおわり、解散。
季節は冬――決戦の12月へと移ってしまったのであった。
誤字脱字、感想お待ちしております。
明日も1800投稿予定です。